第13話 涙と夢の記憶




『なんでおばあちゃんは死んじゃったの?』

『……きっと、疲れちゃったんだと思う』

『それって澪のせい? 台風で外れたロープ、ちゃんと結べてたら……』

『俺が確かめたし、父さんたちも点検したよ。台風の進路が急に変わって……風がいちばん強いところに琴吹の町があった。その壊された爪痕を、みんながんばって直そうとしたんだ。誰も悪くない』

『ハル兄。がんばって、がんばってダメだった時、どうしたらいいの? なんて声をかけたら、おばあちゃんは――』







「ぐっ、ゲホッ……!」


 ほっぺに垂れてくる水滴で気がつくと、口から水が込み上げてきた。すごいしょっぱい。何度もむせて、肺に溜まった海水を吐く。……地面に手をついた感触はさらさらと柔らかい。砂? 砂浜ってことは海か?


 顔を上げると空が見えた。あまりのまぶしさに涙が出る。身体中が塩漬けになったみたいで肌がごわごわする。懐かしい、あの時の夢を久しぶりに見たな。その怒りと気持ち悪さでまたせき込む。

 

 背中に触れる感触。


 ぞわ、と背筋が寒くなった。船で人ひとり喰い殺した

 あの沈みゆく海中で、自分にまとわりついていた。その悪臭が這い寄ってくるのを鮮明に思い出した。


「うあああアアアッ!」

「は、ハル!?」


 無我夢中で振り払うと、トウコちゃんが心配そうに自分を見ていた。近くに帽子が投げ出され、波打った黒髪から、ぽたぽたと海水の雫が砂に落ちている。


 トウコちゃんが助けてくれたのか?

 砂浜を見回すと、外れたライフジャケットがあった。海には小さな足跡と、自分を引きずった道が出来ている。いまも背中をさすろうとしていたのに、俺はなんてことを……


「ご、ごめん!」

「平気。それより大丈夫? 痛いとことか、ない?」

「口と目は染みて痛いけど、すぐ治ると思う」

「あの、違くて……さっきまでハル、息してなかったから……胸とかお腹、思いっきり叩いたり押したりしてて。痛くなかった?」


 こちらを覗き込む瞳、その長いまつ毛も濡れている。塩水を流すために涙が流れていたのかもしれない。

 そうか。海水をのんで意識を失ってたんだな。トウコちゃんがここまで運んできて、手当してなければ……命は無かった。


 確かに胸はちょっと痛む。

 でも骨は折れてない。少ししたら気にならなくなる程度。


「ありがとう。助けてくれて」

「……それはこっちのセリフ。船に乗ってた時、ハルがいなかったらトウコは。だけど、まだ恩はぜんぶ返してないから」


 あの船で起きた事。

 なんで木地がいきなり凶行に及んだのかは、分からない。

 無線を聞いていて……そこで情報や指示があったんだろうか。トウコちゃんを殺そうとするような、何か。不老ヶ谷そのものを巻き込むような大騒動や巳海家に対する陰謀? もう知りようもないが、俺もあのままだったら危なかったに違いない。あんな暴力に――


「傷。そうだ傷は!? トウコちゃん頭のケガ見ないと!」

「え? え、血は止まってるし、いいよ別に」

「いいわけあるか! 後から具合悪くなったり、傷が残ったら……取り返しがつかないんだぞ!? 見せて。どこらへん?」

「……ハル。そっか、心配してるんだよね」


 トウコちゃんは頷くと右手で髪をかき上げ、あらわになった額を見せた。その右側頭部、髪の生え際の少し上あたり、三センチ程度のちょっとした傷になっている。


「腫れてないし、塞がりかけてるな。近くを押すと痛い?」

「少しだけ。でも頭痛とかズキズキはしてない」

「手足のしびれ、吐き気とかは?」

「無いよ? ここまで泳いで来たもん」


 良かった。大丈夫そうだ。

 それにこの傷なら大して目立たない。日差しが強いから、額とかの傷なら跡になって残ってたところだ。ほぼ後ろからの不意打ちだったように思えたけど、自分がとっさに声を出したことが、幸いしたのかもしれない。


 まずひと安心か? 顔に傷が付かなくて良かった。

 もしそうならトウコちゃんや巳海さんに、後悔の気持ちが強くて顔を合わせられなかっただろう。ただでさえ俺は顔に出やすいって言われるし。


「ん、あとは帽子を被ってれば自然に治るかな」

「そう? ハル、まだ不安な顔してるよ?」

「……うん。これからどうしようか、考えてる。船から投げ出されて、遭難して……そこまでは確かだ。海が見えるけど、ここはどこ?」

「分かんない。たぶん島だと思う」


 トウコちゃんの鋭い勘に見抜かれないうちに、思考を切り替えよう。この場所、近くに危険がないかどうかを調べないと。


「あの時、溺れてるハルにライフジャケット着せて、ぷかぷか浮かんでたけど、ハルの顔色が悪かったんだ……あー、とかうー、とか言ってて、ちょうど島が見えたからそこを目指して泳いでた」

「……覚えてない」

「海水のんでたし、ハルはぐったりしてたからね。海の波に上手く乗ったみたいで、トウコと一緒にすいすい進んだよ?」

「島の近くは、潮が離れたり向かったりする流れがある。それを捉えてここまで来れたのか……」


 逆に島までたどり着けない可能性もあった。この結果は偶然にすぎない。夢で見た記憶とは違い、いまは運も味方してくれてる。

 空を見上げると、太陽が入道雲に隠れだした。雲の大きさ、風向き。しばらくは出てこない。いいぞ。立て続けに




「涼しいうちに、この辺りに何があるか調べよう」




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