第3話 『引き上げる者【サルベラー】』

 やほやほ!困ってる人、見つけたよ〜!

 対象は普通科の男子学生で私達とタメ。

 好きな人がいるみたいで、『告白したいけど勇気が出ない』って一人中庭でモヤモヤしてたの!も〜、ザ・青春って感じだよね!

 だから、今回の依頼は「彼の告白を成功させよう!」ってわけ。

 場所は第一グラウンドが見える西棟の屋上。

 彼、放課後いつもそこで好きな人のこと眺めてるみたい。だから今日もその屋上にいるかも??

 終わったら例の場所に来てね!期待してるゾ★


 ライルは昼間に来た依頼に再び目を通す。

 「依頼」と言えば人に用件を頼むことであり、相手に敬意を示し、へりくだった表現でお願いするのが常識ではないだろうか。

 しかし、ライルの元に送られた依頼はそれらを一切無視した、まるで「謙遜」の二文字を知らない不相応なものだった。

「アイツの文章って、何というか・・・うるさい?」

 送り主の性格が文字になって表現されているのだろう。

 ライルは依頼を受ける度に、毎度同じ調子のメッセージに少々煩わしさを感じていた。

「ふふっ、あの子らしいじゃん。カワイイな〜、もう」

 ライルの肩に乗り、前のめりになりながら端末を覗いていたクロは依頼主の文章を一読し、太くモフモフな尻尾を左右に振り回しながらにやけ顔。

「さっさと依頼終わらせて報告に行こうよ。ボクは早く頭なでなでされたい!」

 一刻も早く自らの欲求を満たしたいクロは、ピンク色の肉球をライルの頬に押さえつけ早く、早くと催促する。

 だが、ライルはそんなことに気を留めていない。彼は端末に表示された文章、その中の一部に引っかかっていた。

 依頼の最後に書かれた一言に、ライルはどうも釈然とない。

「『依頼が済んだら来い』だってさ。全く、毎度めんどくさいんだよな。報告くらい明日でも良くないか?」

 依頼自体に文句は一つもない。寧ろ、依頼が来ることは彼にとって意義のあることだ。

 ライルは困っている人や助けを求めている人を見捨てることのできない、正義感にあふれた青年である。

 そのため、今回のような依頼は自ら進んで受諾している。

 だが、彼にとって最大の問題は依頼完了後の即日報告。

 この処理を必ず行わなければならないことが、ライルには億劫だった。

「ダメだよ。さぼっちゃったらまたあの子から怒られちゃうよ?」

 依頼といえど、依頼主は今までただ一人。

 その依頼主は依頼が完了する度に即日、しかも直接報告するよう求めている。

 ライルは一度完了の報告を怠り翌日にすっぽかしたことがある。当時は現在同様「めんどいから明日でよくね?」と楽観視し、彼は依頼終了後そのまま帰宅した。

 翌日、報告を怠ったことに怒り狂った依頼主は半日ライルを正座させ、罵声と怒号を滝のように浴びせた。

 休憩時間や食事の時間、更に用を足すことすら許されず、ひたすら罵られ続けた。

 想像を絶する程インパクト大の強烈な出来事だったのだろう。

 当時のことを身に沁みて覚えているライルは、面倒に感じながらも報告は当日中に行うようにしている。

「それに、依頼の一部始終を知ることが彼女にとって最も大切なことなんだから」

 クロは横目で見ているライルを見て、首を傾げて「ね?」と同意を求める。

「あーもう。・・・わかったよ。まぁ、そうだよな」

 クロに促され、少々煩わしさを感じながらも納得したライルは、頭に手をやって軽く掻く。

 そして目を閉じ、ゆっくり深呼吸をする。

 深く、深く息を吸い、肺に溜まった空気を少しずつ吐き出す。

「よし。それじゃ、いっちょ引き上げましょうかね」

 ライルは決意した目で正面を見据える。

 口角を上げ、清々しい笑顔をクロに見せる。

「よしよし。その意気だよ」

 彼の目と気持ちの良い笑顔を確認し微笑を浮かべたクロは、ライルの肩から地面に向かってジャンプし前足から見事着地する。

 ライルは周囲に人がいないか注意深く見渡す。

 そして誰もいないことを確認し、彼はクロに向かって右手を差し出す。

「じゃあクロ、いつものお願い」

「オッケー。それじゃ、いくよ!」

 クロはゆっくり瞳を閉じる。

 刹那、周囲から二人の姿を遮るように、ライルとクロを中心に閃光が発せられた。


 授業が終わり、帰宅する者と部活動に勤しむ者が入り乱れる夕暮れ時の放課後。

 顔にそばかすをこしらえた中肉中背の少年は、今日も一人屋上で黄昏れていた。

「はぁ〜。俺ってダメな男だよなぁ」

 周囲にも聞こえそうな程大きな溜め息を漏らす少年――テルは屋上の柵に両腕を乗せ、正面に見える第一グラウンドを眺める。

 その視線は、グラウンドの中央に設置されたトラックを走る一人の少女に向けられていた。

「一言ミッちゃんに『好きだ!付き合ってくれ!』って伝えられたら、このモヤモヤとおさらばできるのにな」

 彼がミッちゃんと呼ぶ少女――ミツエは額に汗をかき、ヘアゴムで結ばれた長い髪を揺らしながら懸命に走る。

 何事にも懸命に取り組む姿勢と誰にも分け隔てなく優しく接するミツエに惚れたテルは、自分の心奥底にある気持ちを彼女にぶつけようと日々タイミングを見計らっていた。

 しかし、いざ機会が訪れたときに限って自分が失敗する姿を想像し、すんでの所でいつも躊躇ためらってしまう。

 それが何度も続き、いつしか自分の中で線引し、告白する意欲すら失いかけていた。

「・・・俺みたいな女々しい男に告られたところで、迷惑に思うだけだって。寧ろこれから一切口を利いてもらえず、嫌われたまま卒業してしまうんじゃ」

 テルは自分の妄想に青ざめ、口元に近づけていた手が小刻みに震える。

 悪いイメージが頭の中を駆け巡る。

 成功する姿、ミツエから了承をもらって喜ぶ自分の姿がまるで想像できない。

「それなら、今みたいな距離感でいた方がいいんじゃないか・・・?」

 テルとミツエは決して良好と言える仲ではない。

 二人はクラスメイトだが、一言二言話す程度で共通の趣味を持っている訳でもなければ一緒に遊ぶこともない、そんな距離感。

 テルはミツエの微笑む顔を拝み、少しでも談笑することできれば満足なのではないか、と半ば諦めている。

 ――もういい。もう、疲れたよ

 長いこと想い続けてきたが、それも限界に近づいている。

 テルは彼女に対する情熱の糸が今にも切れてしまいそうな程、擦り切れていた。

「・・・俺とミッちゃんは釣り合わない。彼女は高嶺の花なんだ。・・・もう、帰ろう。帰って、楽に、なろう」

 口元が震え、今にも泣き出しそうな声で小さく呟くテル。

 しかし、それは失敗が怖いからではない。

 「手にすることのできない高嶺の花だから」と実行に移さず、諦め、怠惰を極める己が悔しくて。腹がっ立って。居たたまれなくて。思わず感情が爆発寸前になっていたから。

 テルは俯き加減になりながら教室に置いた荷物を取りに戻ろうとした、その時。

「――いいのかい?楽になって」

 前方から突如、声が聞こえる。

 彼は前を向き、自らの目に映っている異様な姿に思わず素っ頓狂な声をあげる。

「え?」

 濃紺の羽織を羽織り、中には青藍の浴衣を身に纏う華奢な体つき。

 足元は二枚刃の桐下駄を履いている。

 そして最も目につく顔には白い毛色をした動物――狐の面を着けている。

 半面の狐面から見える口元、中性的ではあるが低め寄りの声から目の前の人間が男性であることが窺える。

「見たこと無い格好・・・」

 テルはその男が纏っている服や履いている物、そして面の動物すら

 十数年の人生を振り返っても、テレビや雑誌、街中でも見たことのない新奇な姿に、彼は思わず口を開けて呆然と立ち尽くす。

「そうやって逃げても、後悔だけが心に積もっていくだけだぜ?――なぁ、テル」

 カランコロン、カランコロン

 歩く度に高い特徴的な音を下駄から発しながら、男はテルの元に近寄る。

「な・・・な、なんで俺の名前を」

「『知ってるんだ?』ってか?」

「・・・・・・」

「詳しいことは言えないんだけどさ。君が心の奥底にある想いや気持ちを表に出せなくて苦しんでるって聞いてね」

 男は歩みを止める。そして彼が抱える悩みの根幹をまるで認知しているかのように一言、彼に語る。

「『告白』、したいんだろ?」

「――――――」

 衝撃的だった。

 予想外の発言に、彼の心中は一気に真っ白になる。

 ――なぜ?どうして?何で知っているんだ?

 テルは自身の行動を振り返る。

 彼女への好意的な気持ちを抑えようと、行動に細心の注意を払っていたつもりだった。

 親しい人物だったとしてもミツエに対する好意を一度たりとも告げたことはない。

 だから、彼はミツエのことが好きだと知っている人物は一人もいないはず。

 彼女と話す機会があったとしても平常心を心がけ、平然を装っていた。

 だから、周囲の人間が感づくような振る舞いはしていないはず。

 ――しかし、事実。目の前の男は彼の心の内を知っている。

 

「・・・からかいに来たのか?」

 先程まで唖然としていた彼から出てきた言葉。

 それは低く、怒りを孕んだ短い一言だった。

 ――なぜ、俺の前に現れたんだ?

 テルが男に抱いた大きな疑問。

 その疑問が湧き上がった時、彼の頭の中に合った疑念は徐々に塊となって、そして怒りに変わっていた。

「・・・あんたは俺が・・・俺の本音と行動があまりにかけ離れているから。嘲笑うためにここに来たのか・・・?」

 独り言を呟きながら思い悩んでいた姿を他人に見られたことへの恥じらいもあった。

 だがそれ以上に、自分が苦しんでいる様を憐れみ、囃し立てられているように感じた。

 頭の中が怒り一色に変わり、テルは何時しか拳を握りながら小刻みに震えていた。

「彼女・・・ミッちゃんはな、皆から親しまれるクラスの人気者なんだよ。勉強もできてスポーツも学年トップクラス。容姿端麗だから、周りの男子学生なんて皆ミッちゃんと仲良くなろうと近づいてくる。だから色んな噂も出回るんだ。『隣のクラスのイケメンと付き合っている』とか『実は年上の男と付き合ってる』だとか。何なら想像もしたくない、あらぬ噂を流されていたりするんだ。・・・そんな話を耳にする度に、俺は心の中がグチャグチャになって、気が狂いそうだったよ」

 怒気を帯びながら、テルは男に語る。だが、その語りの中にはミツエに対する確かな想い、優しさも含まれている。

「何度も諦めようと思った。こんなそばかすを付けた男なんて、勉強も運動も平均以下の男なんて。面白いことも言えない、何も取り柄のない、ただただ遠くから眺めているだけの男なんて。・・・勝てっこない。勝てっこないんだよ。最初から結果なんて見えている。どんなに手を伸ばしても届かない。・・・彼女はまさに『高嶺の花』なんだよ」

 目に涙を浮かべながらも決して流さないようにと、テルは空を見上げる。

 ――きっと目の前の男も、俺と同じことを思うのだろう。女々しい男だって。もしかしたら異常なヤツって思われているかもしれない

 そんな風に自身を卑下し、テルは力みのない笑みを夕焼け空に見せる。

「――でも、諦めなかったんだろ?」

 だが、男の口から発せられた言葉は予想外なものだった。

 赤の他人だとしても、男は怒りや苦しみを吐くテルを見捨てることなく、じっと耳を傾けていた。

 卑屈になっている彼をなだめるように、男は優しく語りかける。

「どんなに不利だと頭では理解わかっていても、本心では諦めたくなかったんだろう?だから自分の想いを捨てることができず、ずっと心の奥底で必死に押さえつけていたんだろ?・・・俺はさ、恋心を抱くほど他人ひとを好きになったことが無いからさ。君がどれだけ苦しんでいるのか、正直想像もつかないんだよ」

 男は真摯に語る。

 テルの心情を虚仮こけにすることなく、思いやりをもった言葉で。

「――想像できないけど、彼女に対する想いに君自身が押しつぶされそうになっているのを、俺は純粋に見過ごせないんだよ」

 運動部の掛け声、吹奏楽部が奏でる楽器の音色だろうか。

 多様な音が鳴り響く放課後。

 だが、それらの音は少年の耳に鳴り響かない。

 テルの意識は只ひたすらに、男が発する言葉に集中していた。

「・・・どうして?・・・どうして、赤の他人である俺に構うんだ・・・?」

「――俺が『引き上げる者サルベラー』だからさ」

引き上げる者サルベラー・・・?」

 聞き慣れない単語に思わず首を傾げるテル。

 その言葉が持つ意味を尋ねようと、口を開けようとしたその時。

「残念ながら自己紹介する時間は無い。延ばせば延ばす程チャンスは遠のいていくからね」

 男は空を見やり、テルの問いかけを遮る。

 日は既に半分ほど隠れてしまっている。そう遅くない時間に空は黄金色から紫色がかった焼け空に変わることだろう。

「だけど一つ、言わせてほしい。俺が引き上げる者サルベラーってこと以上に、君を助けたい。そう思ったからさ」

「俺を、助ける・・・ため」

 男は左手をテルの前に突き出し、一つ一つ指を立てていく。

「テル、二つに一つだ。『諦めて家に帰る』か『恥を掻いてでも告白する』か。――選ぶんだ」

「お、俺は・・・」

 突如として選択を迫られるテル。

 だが、ここで長考する時間は残っていない。部活動を終え、各々制服に着替えて帰路につく学園生が増えてくる時間帯だ。

 つまり、ミツエが帰宅する時間も迫ってきている。

「決めるのは、テル。・・・君自身だ」

 目を閉じ、テルは自身の心に問いかける。

 ――告白する。

 ――しない。

 ――する。

 ――しない。

「――告白したい」

 小さな声で己に言い聞かせるように呟いたテルは、決意めいた目を男に見せる。

 先程までの弱々しい物ではない。

 意思の宿った、強い眼差しだった。

「俺は、ミッっちゃんに告白したい。俺の想いの全てを、彼女にぶつけたい!」

 力強く、覇気の籠もった言葉に男は口角を上げる。

「よく言った。あとは俺に――任せろ」

 男は右手を横に伸ばす。

 刹那、伸ばした彼の右腕を中心に風の渦が巻き起こる。

 それは徐々に、幾重にも重なりながら男の腕を包んでいく。

 幾重にも重なった風は、男の右腕とは思えないほど太く隆々とした腕へと変貌した。

「一体、何が・・・」

 だが、テルには何が起きているのか理解できていない。

 男の周りに何かが起きているはずなのだが、何が変わったのか視認できない。

 否、彼には太く逞しく変形した男の腕が見えていない。

「――行くぜ」

 状態を捻って右腕を前に突き出し、異型の腕はテルに向かって伸びていく。

 その腕はテルの体をすり抜け、心の奥底に入り込む。

 奥底には淡い光の宿った丸い物体――『想いのカタチ』が宙を彷徨っている。

 しかし、想いのカタチを外に出すまいと、二重に巻かれた鎖――『想いの鎖』が動きを邪魔している。

 ――今、楽にしてやるからな

 男は纏わりついている想いの鎖を手に取ると、屈強な腕力で鎖を引きちぎる。

 そして、宙に放たれ浮遊し始めた想いのカタチを潰さぬよう、優しく手に取る。

「さぁ!君の言葉で、溜め込んでいた愛を思いっきりぶつけてこい!」

 俺ができるのはここまでだ。

 そう言わんばかりのエールをテルに贈り、男は想いのカタチを思い切り引き上げた。


 ――今までにない感覚だった。

 ずっと長い間胸につかえていた物がスッキリ取れたかのように、晴れ晴れとした気分。

 今なら想いが、俺の本音が伝えられる。

 そう思った時、テルは男の横を走り去り、屋上の扉を勢いよく開けてから全力で階段を駆け下りる。

 その忙しない動きを見ていた生徒達は、奇異の目を彼に向けていた。

 だが、そんなこと今は全く気にしない。

 今は一分一秒無駄にしたくない。他のことを考える余裕すら無い。

 昇降口を出て、息を荒げながら第一グラウンドを目指して全力疾走する。

 ――ミッちゃんミッちゃんミッちゃんミッちゃんミッちゃんミッちゃんミッちゃんミッちゃん

 頭の中で彼女への想いを募らせながら。


 グラウンドの石段に到着したテルは、荒くなった息を整える

 そして、肺の中に新鮮な空気を取り込むように大きく息を吸う。

 グラウンドにいる全員に聞こえるくらい大きな声を。

 彼女がコチラを振り向くほど力強い声を、出すために。

「ミッちゃああぁぁぁァァァァん!!」

 グラウンドにいる全員が反射的に、声の発生源を一斉に振り向く。

 全員の視線がテルに集中している。

 だが、そんなことは気にもせず、彼の意識ははコチラを振り向いた一人の少女にだけ向いていた。

「俺は・・・俺は!!君の天使のような笑顔が!!君の何事にも懸命に取り組む姿勢が!!誰にでも優しい、美しい心を持つ君が!!君の全てが!!君が君が君が君が君が君がき・み・が!ミッチャンが!好きだああぁぁぁァァァァ!!!」

 狂気的とも取れる愛の告白に、現場に居合わせた全員がシンと静まり返っていた。

 突然の告白にミツエは顔を赤らめ、取り乱す。

 テルはそんな様子を見ながら言葉を続ける。

「君が見えないところで必死に勉強していることを俺は知っている。部活だって、大会で一位になろうと、夜遅くまで周りの人が帰っても黙々と一生懸命走っていることを俺は知っている。いつも明るく気丈に振る舞っているけど、根拠のない、でっち上げられた噂に傷ついて、誰もいない教室で一人苦しんでいることを、・・・俺は知っている」

 ――独りよがりなセリフだと分かっている

 ――もしかしたら、相手の気持を考えない自分勝手な告白かもしれない

「俺は悲しんでいるミッちゃんを見たくない。・・・元気いっぱいで、お日様みたいに明るく笑う君でいてほしい。だから、約束する。君が辛い思いや悲しい思いをしているなら、俺が側で全力で君を笑顔にする。君が周りから嫌がらせを受けたとしても、俺が全力で守ってみせる。ミッちゃん・・・例え一人になっても、俺は必ず、ミッちゃんの味方だよ」

 例え、恥をかこうと関係ない。

 例え、嫌われようが関係ない。

 ――例え、身の丈に合わない高嶺の花であろうと関係ない。

 周りの目をもろともせず、ただひたすらに己の愛を叫ぶ。

 想いが洪水のように溢れ出る。

 思いつきで発言していない。

 彼が心の奥底に溜めていた彼女という人間の人物像そのすべてを。尽きるまで出し続けた。

「ミッちゃん。――いや、ミツエさん。俺と・・・付き合ってください」

 静寂が続く。

 伝えたかったことを出し切り、我に返ったテルは意識を一点から全体に分散させる。

 全員の意識が自身に集中していたことに気づいた彼は、その場から今すぐ立ち去りたい気持ちでいっぱいになる。

 だが、彼には後悔の念は一切ない。

 例え結果が芳しくなかったとしても、受け止める覚悟はできている。

 そして一時の静寂は、ミツエの言葉によって切り裂かれる。

「――テルくん」

「は、はい!」

 緊張のあまり声が上ずってしまう。

 ミツエも緊張しているのか、ヘアバンドで結んだ髪をクルクル指に巻き付けながら言葉を続ける。

「私ね、正直、その・・・突然のことでビックリしちゃって、なんて言ったら良いのか・・・」

「う、うん」

「でもでも、嬉しいんだよ。告白されたの私、初めてだったから・・・」

 両手を振りながらも頬を紅潮させるミツエ。

 その姿は傍から見ている人達をも微笑ませる、実に可愛らしい様子だった。

「すぐに付き合うのはね、正直・・・難しいかな」

 だが、現実は非情である。

 「難しい」の一言は、テルの心に大きな針となって突き刺さる。

「そ、そそそ、そ、そっか」

 必死になって絞り出した声は、動揺を隠しきれない弱々しいものだった。

「だけど、もし良かったら・・・今度の休み、一緒に遊ばない?――二人で」

 意外にも、現実は有情である。

 ダメだと諦めかけていたその時、予想だにしない言葉が彼女の口から発せられた。

 テルはその言葉を疑った。

 ――本当に?嘘じゃないよね?マジ?

 そして、テルに向けられた彼女の微笑みを見た瞬間、彼の耳を打った言葉が本当であることを確信する。

「ッしゃああぁぁぁぁ!!」

 テルは拳を空に突き立て、感情を爆発させる。

 ずっと願い続けた瞬間を、彼は自分の手で掴んだのだ。

 湧き上がる歓声と称賛の拍手。それは次第に大きく周りを巻き込んでいった。

 その場に居合わせた全員が、結ばれ始めた二人の赤い糸を祝うかのように――。


「――どうだった?告白は」

 大一番を終え、荷物を取りに教室に戻っていたテルは、道中男に声をかけられる。

 相手はテルの背中を押してくれた、狐面の男だった。

「成功したのかどうか、わかんないですけど・・・でも、距離は一気に縮まったと思います」

「それは良かった。俺も君の前に現れた甲斐があったってもんさ」

「本当にありがとうございます。俺・・・頑張ります」

 男は彼に背中を見せ、その場を去ろうとした。

「そうそう、テル」

 途中で何かを思い出したのか、男は再びテルの方へ向きを変える。

 そして、口の前に左人差し指を添えて、

「今回のことは誰にも言っちゃダメだぜ。勿論、彼女にもな」

 男は笑みを浮かべながら自身のことを他者に告げないよう、口止めする。

「え、どうして」

「どうしても、だ。約束破っちまったら、怖いオバケがテルを襲いにくるぞ〜」

 いたずらっぽく笑いながら、男は再び背中を見せる。

「んじゃま、この先どうなるかは君次第。あとは頑張れよ」

 右手を左右に振りながら、男は校舎の暗闇に消えていく。

「ありがとう・・・本当に、ありがとう・・・」

 テルは腰を折り、男の姿が見えなくなるまで頭を下げ続ける。

 感極まって目に涙を浮かべながら。


 すっかり日が暮れ、通る人が一人もいない暗い校舎裏。

 そこには狐面を着けた男と耳をピンと立て、夜になると姿が認識しづらい黒い毛を纏った小動物――クロが歩いていた。

「いやいや、よかったねぇ。感動的なシーンに立ち会えて、ボクはもう・・・涙が・・・うぅ・・・」

「涙、って。クロが人間相手に感動することなんて無いだろ?」

 男は顔から半面をとる。

 そして、一通り依頼が完了した狐面を外した男――ライルはその場に座り込み一息つく。

「失礼だな〜。ボクだってちゃんと清く美しい心を持っているんだよ。人でなしみたいなこと、言わないでほしいな」

「クロ、人じゃないじゃん。動物じゃないか・・・」

 調子のいいクロの言葉に、ライルは疲れもあって少々苦笑いしながらツッコミを入れる。

「まぁまぁ、それは置いといて。お待ちかねの報告タイムだよ!テンション上げていこ〜!」

「うっ・・・そうだった。めんどくせー」

 男は後始末を思い出し、嫌な顔をしながら渋々腰をあげる。

 そして、依頼主がいる元へと再び歩きだした。


 人気のない校舎の中に、明かりの灯った教室がポツンと一つだけ存在した。

 その教室には鼻歌交じりにペンを取る少女が一人、ガラス窓を背に座っていた。

「そろそろ終わる頃かな?」

 少女はふと窓の外を見やり、暗闇に染まった空を見ながら呟く。

 この後教室に訪れてくる一人の少年を心待ちにしながら、視線を窓の外から机の上に置かれた用紙に戻す。

 そして、再び右手に持ったペンを紙の上に滑らせる。

「ふふっ、楽しみにしてるよ。――ライルくん?」

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