29.

 壁にもたれてあぐらをかく俺の肩に、その横で体育座りをしている光穂の肩がそっと触れていた。

薄いTシャツ越しに、服の柔らかい素材の奥にある艶やかで鮮やかな肌の感触がする。

 俺たちは今日撮った写真を確認していた。


「これは暗すぎる、けどこっちは思った通りに撮れてるな」


 写真を見ることができない光穂も、俺が感想を言うたびにこくこくと頷いている。

 それがなにをどのように写した1枚なのかを俺は丁寧に説明していたし、光穂は俺の説明する声とカメラを操作する音を丁寧に聴いていた。

 今、ここではとても丁寧に時間が流れていた。

 写真の1枚1枚を、声を、機械の音を、すべて大切に扱う時間だ。

まるでどれも少しでも力を込めたら粉々に砕けてしまうもののように。

 すべての写真を確認した後、冬だというのに気が付けば体中に汗が滲み出していた。

写真を撮るといつも暑くなるという理由で半袖のTシャツを着ているというのにまだ暑い。

 そっと隣の光穂を見ると、彼女のこめかみにもまた透明な粒が伝っていた。

でも彼女はそれを気に留めることもないように目をつぶったまま俺の手元に顔を向けていた。

 話し出すときの息を吸う音で彼女は俺が話し出すのだということがわかったようで、今度は俺の顔の方に首を動かす。


「そちらはどう? 曲作り、順調?」


 するとこくんと頷いて、デニム生地のワイドパンツのポケットからボイスレコーダーを出した。

昨日まで俺の部屋にあったレコーダーだ。

 それを無言で俺に差し出す。


「聴いていいの?」

「はい。まだまとまってないですけど」


 俺はそれを受け取って、何度も押した再生ボタンを指で触った。

だがそこで留まり、また指をボタンから外してレコーダーをぎゅっと握った。


「ねえ、光穂ちゃんが歌って聴かせてくれないかな?」


 そう言うと、少し戸惑って悩んでからなにか言葉を返すことはなくすうっと息を吸って歌い出した。

 やはりとても美しい声だった。

 “美しい”なんて陳腐な言葉で形容することすら許されないくらい、どこまでも透き通っていて、それでいて油断したらつまずいてしまうであろう小さな突起があちこちに潜んでいる声だ。

でも結局、いろいろな言葉を並べた末に出てくる言葉は“美しい”という陳腐な言葉だけであった。

自分の語彙力の低さにここまで悔いるのは初めてだ。

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