第7話 残響

 常に残りはない。あの砂嵐が私の耳にずっと残る。砂漠の都市が消えてしまったのだ。私は去ろうとし、そうして道が分からなくなった。

 体が頭と乖離かいりしていた。連れていたラクダは全て消え、運んでいた商品も消えた。

 遭難そうなんを経て私の生活は変わってしまった。憂鬱ゆううつつの倦怠けんたい、何もしたくないのだ、という消極的な生の否定を数限りなく積み上げた。耳の中に残り続ける。

 これは、一つの都市が消えた際に有った話の記録だ。


――私たちは歪んだ奇蹟きせきの下に生まれた。傀儡かいらいの社会の中でひとしきり泣き叫んだあと、諦めた。

 その身を焼いた。焼かれなければ私たちは生きられない。足は太陽によって熱された砂漠に焼かれ、苦痛を天にささげる。

 黄金はその希少性により焼けただれた身から流れ出た。その道筋は小さな砂金を頼りに見つけられる。私は砂粒と砂金を見分けながら歩む。

 砂漠から突如水銀が沸き出し、その身の中へ染みた。苦しみの中の甘さである。這い出た奇蹟は一人のやせ細った人間から油を奪った。体は強ばり、足は地中深くへと伸び、その人間はそこから動けなくなった。その目は感涙にむせ返り、ささやかな雫が砂漠を固める。砂漠は緑を呼び、人を呼び、私は焼かれずここに立つ。

 私はそのしずくが砂漠を黒く染めたのを見る。歴史は口伝によって、その苦役者となり、私は見る。

 その者は涙によってやがて人の形から離れた。大木となり、緑が生まれ、人を呼ぶ。町が出来る。いつからか大木は祈りの対象となり、私たちは涙を捧げるようになった。一日の始まりに大木へ向かい、その木の根に屈み込めば自然と涙があふれるのだ。

 砂漠の町の涙の民はそのようにして現れた。水銀の木は水を招び、町は潤う。その感謝は涙で示される。

 傀儡のかたちがやって来たのはその後だ。

 そして、砂漠の都市が消えたのも、私が遭難したのは、その最後だった――


――傀儡の貌。

 それらは多く人がいる所に現れる。これまでの物事の全ての表面を滑るように、砂漠の町を大きくしようと労働する人々の間に入り込んだ。なぜそうするのか、が抜け落ちた。大木がある理由が、涙を流す理由が、大きくなるにつれ、世代を超えるにつれ、元々あった私たちの口伝は単なる逸話いつわとなり、もはやその真実を現実のものとして認識している者は時代遅れだと冷笑された。

 私たちの力でこの町が出来たのだと拡大と発展を積み上げた有力者が現れ、それにならえと人を呼び涙の民がわずかながらに大木の周りに住み着くだけとなった。落涙は感謝ではなく悲しみで地を固める。

 傀儡の貌は人々の顔に張り付いた。涙を流す時、その涙は奪われる。人々はそれに気付かず祈りを捧げた。それも次第に忘れられたのだ。

「祈りに意味などあるだろうか、私たちがやらなければならないことは、もっと現実的でなくては」

 人々の考えは変化し続ける。その変化が何者かに与えられたとしても、甘んじて変化を受け入れる。大木はその貌の正体を知っていた。これは疫病えきびょうである。捧げられなくなれば水を招ぶこともないが、論理的にそれは正しくないと聞かなくなった。

 人々は涙を捧げられなくなったのを不思議に思ったが、彼らの涙は傀儡の紛い物だから祈りに値しないのだ。

「どうして我らをお見捨てになられたのか」

 そうなげき、涙の民の姿はもう無い。大木は物言わぬ。町だけが活発な人々の営みを高らかに打ち上げる。

 これだけ大きな都市となったのに、祈りは毎日欠かさず、涙を捧げているのに。形骸化けいがいかした儀式ぎしきには面倒が付きまとう。私たちの生活がよくなるのは祈りのお陰ではない。

 彼らはまがい物になった町の生活を続けるため、祈りと涙をそうとわからずに捧げ続けることを止めてしまった。

 町は都市と呼ばれるまでに拡大した。

 次第に水は消え、都市は枯れ始める。それに気付く者ももういない。涙の民は都市を離れ、砂漠を放浪する民として時折見かけるだけとなった。彼らの印となった涙の痕が肌を焼く、ケロイド様のあざ。水に対し痛みを感じる痣として残ったのだ。


――砂嵐は止まず、私は宿の一室でこの都市についての記録を残そうと日記をしたためている。それ以外にやることが無いのだ。

 まず、私は砂漠の都市の祭典に参加していた。色の付けられた霧が大木の周りを彩り、各地から持ち込まれた様々な調度品と珍しい生き物たちが売られていた。これからの発展を祈願して、他の地域からも多く人がやって来る。私もその一人だった。

 砂漠の一部に存在する岩場から取れる鉱石は塩水をかけると深い青色に変色する。その青色は粉末にされ、塗料として用いられる。

 これは涙の民が儀礼として衣服や道具に使っていたが、今ではそれを用いるのは他から人がやって来るため、昔の儀式はそうやって外向きに形を整えられた。この砂漠のどこかで放浪している彼らを懐かしむ声もあるが、それだけである。

 都市には様々なものがある。私がこれまで渡り歩いてきた場所に比べても豊かだ。

 ここは砂漠だというのに砂煙もなく、都市の半分は大木の枝葉で日陰を作り、快適な暮らしがあった。ここに定住している者たちを見てそう思う。どんな場所に行っても子供たちを見かけ、必要に駆られた仕事はしていない。

 子供がどのように扱われているか、これは商売をする上でも重要になってくる。都市の雰囲気に私たちのような者は注意を払う。馬鹿を見るのは自身なのだから。

「オッと、書き物か。酒売ってくれないか」

 同じ宿に泊まっていた男は合図無く帳を開き、私の商品を手に取って硬貨をこちらへ放る。これで三回目だ。

「その硬貨は稀少なものだから、他も買ってくれないか?」

「んー、あー……なら、これを」

 それもまた酒だった。男は伸びた髭を手で擦りながら戻っていった。まだ飲める、そんな様子で酒瓶をカチカチと鳴らしている。私は机に向き直る。彼らから手に入れた硬貨は今では使われていないものだから、価値がある。

 私がここへ来た理由は商売のためだ。他の場所で売りさばく品々を買い漁った。ここへ来るまでに借りたラクダ三頭分。宿の倉庫を間借りして品物は置いてある。生き物以外すべてが商材だ。

 砂漠の都市はその発展に際し、大木と祈りの関係を単なる偶然と裁き、排してきた。それらは水銀が地中に埋まり、木が異常な成長を遂げただけで、巨大な地下水脈からしみ出た少しの水を得ていただけだと。

 砂漠はかつて豊かな土壌を持ち、生き物たちが沢山住まう場所だったと地質調査から知れたのも大きいが、砂漠には不思議なほどに地下資源が豊富だった。

 少し掘れば、肥沃な土壌、多種多様な金属、水。砂漠の寒暖だけに注意していれば、それ以外はなんでもあった。

「やったぞ! 私たちの勝利だ」

 そうした声が聞こえた。私たちの工夫、発展がこれらをあばき、涙と祈りは町を作るきっかけに過ぎない。だからもう必要が無い。

 深く深く掘り進めば大量の水が噴き出す。これまで少なくも必要十分だった水はそれ以上を求められた。蒸気機関を使い、都市から外へ長い長い線路が敷かれる計画が始まった。全てが良い方向に回っていると都市に住まう人々は確信していた。

 その後に残った砂漠の都市の姿は語らずとも決まっていた。

 私はそんな成り立ちから今までを都市の古い人間から聞いた。語ってくれたその老人の顔は焼かれ目を失っていた。

「もはや涙も出んな」

 そう言ってカラカラと笑う。そこに悲壮感はない。ただ、世話人の少女の目は私を睨んでいた。その敵意を知ってか知らず老人は少女に湯を沸かすように言って遠ざけた。

――涙の民は、大木には調律が必要だと考えていたという。その中に佇む人間の形がこの祝福を生み出すには涙を捧げ、その成り立ちを忘れてはならない。そこに何か儀式が抜け落ちてしまった。だから彼らは去らねばならなかった。 

 元々この都市に住んでいた涙の民は砂漠を彷徨い、バラバラに散って消えた。稀に砂漠で彼らの深い青色の外套を見たと話に聞くだけとなった。

 そうして町の民の技術の勝利である。と、今の都市の状況が語られた。涙の民から町の民へ、そうやってここは砂漠の都市と呼ばれるまで大きくなった。大木がこの都市を守り、成長させ、そういったものはかえりみられない。私たちがいなければ都市はなく、その工夫が都市を作る。

 老人からそんな昔話を聞いた後、私は都市を巡って品物を買い集めた。


 勝利。私たちは偶然を掴み取ったと見做す。だからこれも偶然。

 そうしてこれからの都市の発展を祝福し、大きな祭典が開催された。

 私たちの勝利として。


 祭典には様々な地域から人が集まっていた。先見の明があった者たちが自然に挑み、作り上げた都市が砂漠の楽園として広まりつつあったのも理由の一つだ。

 花火がとどろき、既に賑やかな騒ぎが七日ほど続けられている。私は祭典の終わりの方の到着だったので最後のにぎわいしか知らない。

 終わってから帰ろうと思っていたのだが、自然によって足止めされてしまった。

 祭典の終了と共に大きな砂嵐がやって来たのだ。これまで固められていた大地を巻き上げながらそれが都市に向かってくる。私はその姿を目にした。この都市を取り囲むように、この場所だけを吹き飛ばさんがため。

 遠くに見えた巨大なうなりはすぐに都市に達し、私は宿に釘付けだ。

 運が悪かったが、それでも数日程度の足止めは予想していた。ここへ来る際に同行した案内人もその話に触れ、

「砂嵐の中を進むと、涙の民がいるんだ」

 かつての都市の前身は涙の民が作った。彼らは祈りが消え、涙がすり替えられたからと言い都市から姿を消した。

「涙を取り戻すため、何かを探しているという話だ」

 案内人はそれ以上知らなかった。私も得に気にも留めなかったが、この忌々しい自然に晒されて思い出した。

 その時に聞いていた情報では、砂漠の都市に数ヶ月に一度、砂嵐がやってくる。数日間続くが、三日以上はない。十年も案内人を務めたという女は私を都市まで連れてくると、また元の道を引き返した。

「次のお客が待ってるんだ」としたたかだ。

 私たちの都市なのだから、いつもの砂嵐に負けることはない。それだけの貯蔵はある。安心してくれていい。ここの都市の者たちは生き生きとして、自信に満ち溢れている。

 しかし、もう六日目だ。

 明らかに異常な状況のせいか、都市の人々も不安を感じていた。そんな時は、誰もが祈る。涙を捧げる儀式が形骸化したとしても、この宿の主は拝借して来た大木の小枝に囁き、涙を捧げる真似をしている。

 私は祈れなかった。祈りとは暴力である。私たちは祈りの最中に殺人を犯す。凌辱りょうじょくの後にそれらが許容される判決が出たとして、その最中に祈りを捧げていたのだから、それは罪にならないのだ。だから私は祈れなかった。

 祈りとは技術である。私たちは作り上げた機械を使うその只中で生を満たす。世界を良くするための創造が祈りを含まないわけがない。

 けれども、私は祈れなかった。そこに含まれる違和感が拭い去れなかったから。祈りとは循環である。祈る行為そのものを指すものでないと私は思うから。

 この都市がそんな祈りを持ち、それを吹き飛ばす砂嵐が続く。辺りは一瞬で赤暗くなり、ごうと人々を切り裂かんばかりの砂が都市に叩きつけられる。深く重い扉が閉じられ、砂漠を覆わんばかりの砂嵐に包まれた。

 無理に戻ろうとした連中の姿を知る者はないが、その結果は皆知っていた。

「飛ばされないよう、目を潰されないよう、どんなに対策をしても先へ進めた試しはない。だから蒸気機関が都市を繋ごうとしているってのに」

 そんな事情もあって私は宿で砂嵐が止むのを待っていたのだが、それはどんどん強まり、建物が吹き飛ばされそうな勢いで終わる気配がない。祭典の後にやって来た砂嵐も単なる偶然で、すぐに終わるはずさと人々は軽視していたが、それでも異様な長さで続く。


 果たして、都市は衰退を迎え始めたのか。その様子は数日程度では分からない。

 この砂嵐の中、立往生している。動きが無いというのは辛いもので、

「早く終わってくれ、このままでは死んじまう」

 どこかの部屋で誰かが言った声が聞こえる。私は書き物を止めて部屋の砂を払い、購入した品物のリストを確認する。それくらいしかやることが無いからだ。

 都市の民が異常に気付いたのは砂嵐の三日後。まだ止まず、掘り当てたと思われた地下水脈が全くの空になっていたのだ。

「聞いてくれ、この都市から水が消えた」

 安易に宿にいた皆にそう漏らしてしまった店主から余裕が消えていく。

 採掘した時にあった大量の水はごう音と共に地上に噴き出て、周囲を陥没かんぼつさせたのだったがその後も大量の水を何処かへ運び続けていた。これだけの水が一瞬にして消えるなど有り得ない。

 しかし、水は出ない。水脈が通った後でそこには空洞だけが残っている。

 この水脈から水を拝借するのは危険な試みでその工事を担当していた半数が命を落とした。あるものは流れに呑まれ地下に消え、あるものは崩落でやられた。だから、水脈に通じる貯水槽に死者をとむらうための名前が彫られていた。

「彼らは英雄だよ、あんな大木と違って」古くから住んでいた老人が工事のことを延々と語っていたのを思い出す。

 そのまま都市も崩落するかに思えたが、そうはならず彼らは勝利を手にしたと思っていた。その最中での砂嵐と消えた地下水脈である。この都市が人々の力で成し得た開発も自然の前では弱く矮小だった。

「どうにかして水を見つけなければ」

 都市の有力者がそうお触れを出し、無能どもを集めるように指示を出す。宿にもその指示紙が差し込まれた。そうやって、無能どもはわずかばかりの黄金に釣られ、彼らの要求を呑んだという。

 その知らせが都市を巡る。一軒一軒全てに知らせが差し込まれる。存外、都市を作った者たちは優秀らしい。

 宿の一室でも、誰かが去り砂まみれになっているのを宿の主がぐちぐちとぼやいて片付けていた。酷い風のせいで部屋中の物が飛ばされ、窓を塞いだ後には砂だけが残る。

「扉付きの高い部屋なのに、あの野郎め」

 黄金の価値は有って無いようなものだ。少なくとも、私が取引した中ではあまり役に立つ品物ではなかったのは確かに言える。

『このからの地下水脈を辿り、水を探せば救われる』

 無造作にもカウンターに置かれたその知らせの紙にそう書かれている。

 世界に救いなどない。神は救いではない。ということすら無能どもは知らない。そしてそれはまた、有力者も同じであった。ここにはどこかに希望がある。

 もちろん私も、水が尽きかけているが、まだ何とかなると考えていた。

「貯蔵している水はあまりないんだ、分かってくれよ」

 まだ都市を去る分の水はある。砂嵐だって、永遠ではないだろう。

 だからこのように、私たちは籠城ろうじょうし砂嵐が消えてくれるのを待つ以外になかったのだ。


*****


――都市の無能ども。彼らは技術を持たず、肉体労働と酒に塗れた人生を送っていた。だから親しみを込めて無能どもと呼ばれる。それが親しみではなかったとしても、親しみを込めて、都市の無能ども、だ。

「生臭くねえヵ?」

 水はどこにもない。かつて水が流れていたが、それはとうの昔のことのように干からびていた。周囲には湿り気すらなく、地下水脈の痕跡を認めるのは難しい。

 無能どもが砂嵐の中を歩き、水脈の入り口に据えられた急ごしらえの鉄扉から、その空の洞に入って行った。

「油、あるヵ?」

 一人のランタンは具合が悪く、火の点きが悪い。すぐに消えては油を注ぐ。

 頻繁ひんぱんに油を入れてやる必要があったが、それは間違った対策で油がれているのに気付かない。

 彼は特に黄金が欲しかったわけではない。ただ、誰かの役に立ちたかった。けれども要領が悪く、何をするにも少し遅れてしまう。

「ないな、さっきっからしつけえな」

「捨てちまえよ」

 そのせいで、他人からは雑に扱われる。だから、人の役に立ちたい。その感情だけが大きく膨らんでいった。

「えい。わヵったよ」

 ならもう仕方がない。ランタンは捨て置かれた。火を油を垂れ流しながら、孤独が点灯している。

 集められた無能どもはそれぞれが見知らぬもの同士、十数名ばかりが行動を共にする。水脈は分かれることなく一つだから、自然とそうなる。

 自分だけは出し抜ける。そんなことを各々が思い、会話は少ない。一番に見つけた者だけが多額の報酬を手にし、その他はその十分の一の報酬しか貰えない。

 そう聞いてもなお残った者たちだ。

「水があったとして、どうすんだ」

 それは誰もわからない。ただ、水を見つければ金が貰える。そう聞いただけでやってきたのだから。この砂嵐の中、ただただ耐える、減り続ける水に恐怖するのは耐えられない。そうした不安から逃れようとする者も幾人いくにんかいた。


 そうやって数時間が過ぎ、持ち込んだ水や行動食を気にし始めた頃にある一人がつぶやく。

「なあおい。オレらが来た道、二手に分かれていたヵ?」

 何気なく背後を振り返れば来たはずの道は二手に分かれていた。不思議とこの男以外、誰もが後ろを振り返らなかった。大きな水脈を掘り当てたのだから支流であるはずがない。大きな流れだから、このよりも広がっている洞穴はない。といった思い込みが彼らの注意力をぐ。

 気を付けていれば左方、右方から伸びていた空洞に気が付いたはずだが、そうはならなかった。

 果たしていつから分岐ぶんきがあったのか、彼らは毛細血管の先の方から歩んで来たようなものだ。そうしてようやく慌て始める。

「戻れないよ、もう灯りも少ない!!」

 不安に駆られた小太りの女は嫌悪感を覚える高音で叫び、その声が洞穴を震わせる。幾つか舌打ちが聞こえた。

 この女は商売でインチキを働いたとしていやしい仕事に就くことになった。だから今回の機会にかけたのだったが、途端に恐怖を覚えればその選択もすぐに消え去ってしまう。後はなく、今しかない。だからこのようになってしまう。そのことに気付けず、同じような選択を続けてしまうのだ。

「戻ろう、こんなことで死ぬのはイヤだ」

 不安は伝播でんぱしていく。気弱でやせ細った男は神経質にも両腕をぬぐう仕草をずっと続けている。この男は何も選ばなかった。労働に際してもただ言われたことだけをこなし、自身で決めたことは一つもなかった。「生まれたのは僕の責任ではない」とでも示しているかのようだ。ここへ来たのもお前がいけと言われたからで、実のところ内心恐怖してもいたが自発的にここから去ろうとはしない。

 誰かの後乗りしか出来ないのだ。生まれたのは僕の責任ではないから。

「勝手にしろよ、水を見つけるんだ」

 そう吐き捨てた数名の男は湿気を奥から感じていた。やけに生暖かく、少々嫌な臭いも感じられたが、それはもう目前にあるように思えたから無視して先を進んでいった。遠ざかっていく彼らの足取りには自信が感じられた。

「ああ、そうするよ! みんな。戻ろう、死ななければまだ……」

 取り残された者たちはそんなことを言って引き返す。

 それでも、戻っていく彼らの足取りは重く、徒労感とろうかんがあった。


「オレのランタンがあったヵ。そりゃいい」

 戻る者、進む者、十数名だった無能どもは数名に分かれた。前者はおぼろげな記憶を頼りに道を選び更に数名に分散していくが、しばらくして足跡が目安になるからと気が付いた。注意して見れば彼らが通った後にはオイルの滴下てきかも見られた。

「これなら戻らなくてもよかった」

「まだ、オレたちにもチャンスがあるはずヵ!」

「……くそ」

 と、踵を返す者が三人、希望を見付けて足早に消えていく。残りの三名は不安に駆られ来た道を引き返すが、一様に暗い顔をしている。戻ればまた、ただの無能と詰られ、嫌なところに住むしかないのだから。

「もう、難しいんじゃないか」

 彼らは帰還するが、そこに自身の居場所は用意されていない。卑屈ひくつに笑うか、盗みを働くか、それ以外にない。

 やがて火の消えたランタンを見つける。三人はなんとなくで持ってきた蝋燭ろうそく一本だけとなっていた。

 ここまで来れば、途中の別れ道で意見が割れた三名とも合流出来るかもしれない。

「こっちだ! 足跡があった!」

 空虚に反響する。しばらくしてもう一度叫び、何もないまま進んだ。静かなもので蹴り飛ばした小石と踏みしめる砂礫されきの音だけが続き、誰かが「この都市の価値なんてさ……」と呟いた。

 それ以外に会話はなく、少なくなっていく蝋燭と交互に交わされる視線があり、他の者が現れることもなく暗褐色の湿った壁面は乾いた灰色に変わる。

「よかった、出られるよ」

 彼ら安堵あんどのため息を吐く。壁面を削り作られた階段の先の鉄扉を見て、人工的な形を見て、蝋燭はもはや第一関節ほどしかない。

 扉を見てハッと何かに気付く。彼らは慌てて駆け寄ると、

「開けてくれ! 頼むよ」

 荒々しく扉を叩くが反応はない。入口は強固に閉じられている。開こうにもノブがない。なにせ急造の入り口だったものだから、そんなことは考えられていなかったのだ。

 妙に立て付けが悪く、最後に入った大男と数名が力いっぱいに押して閉じていた。

「どうしてアイツらは閉めちまったんだよ!!」

 悪態を吐いても誰も反応を返さない。

 ただ鉄塊が都市と彼らとを分けている。水が戻れば抜けてしまうような荒い形が動くことはない。


 やがて蝋燭は消え、狂乱と共に叩かれる鉄塊だけがそこに残る。都市の者たちは一体どこへ行ってしまったのだろうか。彼らは知ることはない。

 扉は開かなかったのだから。

「助けてくれ、助けてくれ、お願いだ」

 声が惨めな反芻はんすうを続けた。誰かが気付くことを信じて、闇の中手探りでそれを続けるしかなかった。


――一方、先を行く数人も終わりの見えない行程に苛立っていた。

 五人。つちを背負った大男、足を引きずる険しい顔の男、頻繁に唾を地面に吐く長髪の男、特徴のない男と、坊主頭。女はいなかった。

 もう油は残り少ない。元よりそれほど持ってきてはいない。どこまで続いているか分からぬ、ただ、こんな巨大な水脈だ、すぐに痕跡こんせきも見つかるだろう。はじめはそう思っていた。

 確証もなく、自身の力を過大評価していたのはこれまで失敗が無かったから。そしてそれはこの状況でも残っている。だから彼らは苛立った。

 戻る腰抜けどもと別れてから一度の休憩を挟み、地面は湿り気を帯び、耳を澄ますと水滴の垂れる音が聞こえた。

 彼らのランタンも既に一つを除いてオイル切れとなり、小さな蝋燭だけで周囲を照らしている。彼らに後はない。戻ることは考えられない。

「爆薬で道を開け、それしかない」

 だからかあまりに短絡的な結論を呼んだ。坊主頭が足を引きずる男に言うと、彼は爆薬を取り出す。

 少なくなった火と壁面に生じた割れ目、滴る水を見て、取り出された火薬の包み。大男が背負う鎚は錆び付き、壁面を叩けば折れてしまいそうだ。

 ひび割れから染み出す水は暗く、また異臭を放っていた。

「まるで、何かが腐ったような」

 この臭いが気に入らないと頻繁ひんぱんに唾を吐く。やる気のなさそうな態度で彼はここまでついてきた。

 清浄な水が流れていたのではなかったか、砂漠の最中にありながら豊かな水源、鉄鉱と彫像の砂漠、それらは地下から得られる。

 今ではこのように水は消え、斯様かような空洞と染み出す異臭だけがあった。

 坊主頭が爆薬を置き、火薬で起爆の道を作り距離を取る。十メートルほど離れ、蝋燭の火を火薬に近づける。

「発破!!」

 火薬は燃焼しながら爆薬に達し、爆ぜる。飛礫つぶてから守るために顔を背けていたが、特徴のない男はぼんやりとしていて真正面から爆発を受けてしまい、その場で顔を押えてうずくまった。運悪く破片が顔を裂いてしまったのだ。

「いてえ、いてえよ、ぶふっ、ぐふぅ」

 泡立った血が顔面からこぼれる。といっても誰も助ける者はない。開いた先がどのようになっているか、それだけが気になっていた。

 閃光、洞穴は震え、壁面が大きく開き後に水が一度ザアと流れ出る。それ以降は水は出て来ず、ガラガラと崩れた岩で大きく開いた割れ目は栓がされてしまった。

「ちくしょう、なんたってこんな……」

 大柄な男が鎚をもってその岩を崩そうとする。

 ただ引っかかっているだけの岩はその衝撃で崩れて奥の闇へ消えた。

 落下した岩がカーン、と弾けたのは男が鎚を背負い直し、他の連中が中を覗いた頃だった。

「深過ぎて見えねえな」

「ロープは流石に、、、こりゃなんだ?」

 左脚に大きな傷がある男が足を引きずりながら最後に中を覗き、ぽっかりと空いた闇の中に何かを見つけた。 

 かすかな蝋燭で照らせば深い縦穴だと分かる。そこに引っ掛かったものは乾いた木の根で、手に取った時に深い青色が混ざる水銀が闇の中へ垂れていった。もっとも、彼らはそれが何か思い当たらないのではあったが。

「木の根、大木の真下か」

 開口部の周囲を照らすと木の根の欠片を見付ける。ここへ来るまでに見た外の大木は青々とした葉をつけていたが、ここにあるはずの大木の根は消えていた。

 根がなくなればそこには空洞だけが残る。上に残っている大木も崩れてしまうはず。しかしその様子はない。縦穴を見上げても闇が広がるばかりだ。

「どうして消えちまったんだ」

 しかし縦穴から入り込むじっとりと湿った空気は呼吸可能な形で残っている。どこかで繋がっている筈だ。洞は先へ続いているが、靄が掛かった様にガスか水蒸気が溜まっている。

「知らない。けどよ、この先は行けそうにねえよ」そう言った長髪の男は唾を吐き、鼻と口をぼろきれで覆い、先を示す。

「どうするか、どうするか、おい! ロープだ! ランタンも借りるぞ」

 大柄な男は後がないことを知っていた。俺たちはここで水を見付けなければならない。この都市から逃れるために。というのも彼は自身の子供を殺めてしまった。その責を負いここへ連れてこられた。

 親子で仕事をしていた。彼は些細ささいなないさかいから息子を殺めたが、そのことを隠している。バレるのは時間の問題だから、ここで金を得て、姿をくらまそうと考えていた。渡りに船の砂嵐だが、彼は進むより他ない。

 だから足に傷を負った男からロープとランタンひったくり、

「俺が下りる! このくそったれの端を持ってくれ」

 その男と坊主頭に支えてもらうように頼むと、ロープを放って静かに闇の中へ降りていく。特徴のない男は役に立たず、ただただ血を流して呻くのみだ。

「あの先のガスは恐らく駄目だ。この中に行くしかないか」

 ロープは張り詰めてぎりぎりと軋み、二人だけで支えきれない。岩場で擦れて千切れてしまいそうだ。唾を吐き、やる気のなさそうだった長髪も手を貸した。

「かなり深い。底に水があるのか?」

 大柄な男が体に括り付けたランタンが揺らめき、遠ざかっていく。

 坊主頭は大声で呼びかけたが下からの反応はない。何度か呼びかけても、その姿が下へ下へと降りていく、それだけだった。

「聞こえないな。おっと」

 ロープは支えられ、光は下へ。落下することもなく着実に降りているのが感じられた。

 奥で漂うガスは徐々に量を増してこちら側へ近づいているように見える。

「届かないんじゃないか」

 持って来ていたのはその一束だけで長さもそれほどなかった。

 だからここで見つけなければならない。待つよりほかない。

 

 そうしてしばらくすると、支えていたロープの緊張が消える。

「もう何も見えない」

 坊主頭が底を見て言った。

 大柄な男の姿は闇に消えてしまった。彼の光はここまで届いていない。

 彼ら三人は後に続こうか思案し、長髪の男が覚悟を決めた。

「オレは行くぜ」

 そう言うとロープを手に、二人を見て縦穴を降りていく。身のこなしは素早く、彼はするすると降りていく。

 足を引きずる男は坊主頭とロープを支えながら目を見合わせて頷き、

「俺が上で支えるから、お前も降りていいぞ」

 と坊主頭に言った。

「すまない」

 それきり二人は黙り、ロープが軋み、奥の方で漂うガスは着実にこちらへ近づいて来る。

 穴の方からは誰の声も聞こえず、近くで顔を押えて惨めな声を漏らす男の嗚咽おえつだけが聞こえる。汚れた革鞄を顔に押し付け、止血しようとしているが血液は地面へと流れ出る。

 血液が彼が手放した蝋燭に達し、より一層暗くなる。ロープを抑える二人が腰に付けた蝋燭入れだけが弱弱しい灯りを放っている。

「……ッ! 暗くなると、嫌なことを思い出す」

 一瞬、不自由な足から力が抜けて体制を崩す。坊主頭は倒れそうになる彼を片手で押しとどめ、少しだけロープが引き込まれた。

 支えられて何とか持ち直し、不自由な足は危ういバランスを取り戻した。

「闇夜に紛れた毒蛇にやられたのさ、まったく忌々しい」

 彼の足は蛇の毒によってその半分近くが焼けただれた。多くの人間がこの毒蛇を恐れていたのは、全身が焼け爛れて死に至るからだ。

 しかし、この男は幸か不幸か生き残ってしまった。片足と生殖器だけが不自由になり、死ななかったのだ。だからこそ、無能どもと呼ばれここに来た。

「ただ、そんなくそったれな運もここまでだ」

 ロープに掛かっていた荷重が抜けた。長髪の男が下まで降りたか、滑落したか、縦穴からは水の滴る音と漏れ出た臭気だけで声はやはり聞こえない。

「行けよ、一人分くらいなら支えられる。こうすればな」

 覚束ない足取りで倒れた男にロープを巻き付け、その上に座り込む。男は暴れたが、数発殴ると大人しくなった。彼はもう重しくらいにしか役に立たない。

「……確かに。なら、ここで」

 ロープを引っ張って体を預けられることが分かると、坊主頭は言葉少なに縦穴に向かって歩き、闇に消える前に立ち止まった。

「どうした、早くいけよ」

「いや、何か、振動していないか?」

 坊主頭は縦穴に頭を差し入れて、その正体が何かを探ろうと上を向いた。


「光だ」

 縦穴が裂ける。


 ロープを伝って下りた大柄な男は周りを見渡しながら、そこに転がっているものを除けては進み、または後方に投げ捨てては地団駄じだんだを踏む。

 大木が消えた空洞の底で大男は錯乱さくらんしかけていた。そこにはかつての涙の民の死体が無数に転がっている。ボロボロになった青い外套と特徴的な刺繍がそれと分かる。

「かつての信者ども、役立たずの能無しども!」

 そう思うだろう。叫んだ所で何も帰っては来ない。

 数多くの涙の民が大木の根の底で死んでいる。というよりもそれは、根の一部のように思えてくる。根の先端まですっかり消え、その中には骨だけが残されている。

 闇の中、小さな光で照らして歩き回りっても同じような光景が広がるばかり。彼らの儀式は自らを犠牲にすることだったのだろうか。大男は知らない。彼らが伝統を守る連中で、それに固執する頑迷さ故に都市で生きられなくなったから去った、それくらいの認識しかない。

「あっっ、んだよこれ」

 そして気付いてしまった。亡骸の頭蓋に生じた異常に。

 その頭蓋は人がよく知る形だけではなかった。

 何かが張り付いたように追加された骨格。それは金属の輝きを持っていた。骨だというのに全く違うものが残されている異様さ、それを一つ拾い上げてみると青色をした水銀が地面に落ちる。

 気になったのはその液体ではなく、頭蓋の前面部に張り付いた金属。

 それ今回無能たちが求めた黄金によく似ていたが、ぬらりとした光の反射がその表面をうごめく虹色を示し、その色は外側へ逃げていく。水に垂らされた一滴の油のように、光とは交わらないような働きをしていた。

「気持ち悪ぃな……ッッ! ううっ」

 ぶえぇるるぉ、と嘔吐してしまう。と同時に放り投げられた頭蓋はどこかへ辺り砕けた。甲高い金属音が嫌に響く。

「ちくしょう、どうする、どうすりゃいい、ちくしょう」

 大男は目についた頭蓋を鎚で叩き割り、それら全てに金属の手ごたえを感じて、半ば拒否反応めいた声を上げる。

「ああっ! ああっ! アイツと同じだ!」

 彼が殺した息子の頬から覗いた骨にも、その金属めいた光を反射を見た。およそ人間にあるまじきものが体の中に入っている。

 もちろんそれが示すのは彼らにも同じものが張り付いているということ。確かめるのは容易だが、わざわざそれを知ろうとは思えない。

 しかし、大男には顔に深い傷があった。骨まで見えるほどの傷は焼いて止血したためにその痕は残ったままだ。

 やはりその傷の奥にも金属的な輝きがある。まるで生きているかのように色は蠢く。

 つまるところ、後がない大男はそもそも袋小路だった。傀儡の貌がどのようなものか知らなかったにせよ、およそ人らしくない何かが体内にある。

 そんな奇蹟を誰が知りたいと思うだろう。

 大男に訪れた狂乱は周囲の頭蓋を破壊するだけに至らない。手当たり次第に亡骸の山に鎚を振り落とし、ここにある全てを拒絶している。

 骨の破片が舞い、ランタンの炎は消え、それでも地面に叩きつけられる鎚、金属音がする度に叫び、やがて鎚は両手から抜けて闇の中へ消えた。

「あ! あ! あ! がああああ! あああ!」

 ただ叫ぶだけだ。

 踏み拉き、感じたもの全てを壊そうとする狂乱だけが彼を支配していた。

 それは恐怖から、あの金属のことを少しでも考えれば、もうそうするより他なかった。

「おい! やめろ! やめっっっ」

 そこへ見えた光。長髪の男が降りて来た。縦穴の底までロープは少し足りず、飛び降りるしかなかった。

 下りればすぐに巨体に押し倒され、殴られる。暗かったので大男がどのような状態かよく分からなかった。彼には一瞬のことだった。

 それが誰であろうと関係が無い、大男はすぐに彼の顔を血まみれにし、ひしゃげた鼻、潰された目、弱弱しく呼吸をするものへ変えてしまった。

 声をかけた長髪の男はすぐに動かなくなった。

 狂乱した大男は男を撲殺し、恐怖が彼の精神をねじ切ってしまった。

 彼は周囲の終わったものを壊し続ける。拳から血が出ようとも、それに意味があろうがあるまいが、関係なかった。


 縦穴の底の声にならない叫びと破壊がそれをもたらしたか定かではないが、上方から土や砂礫がこぼれ落ち光が差し始めた。

 ずわん、ごご、がしゃがしゃと落下物が骨を砕き、天井が崩れていた。


*****


 水を探し出すために地下水脈へ送り出された者たちが戻らず二度、同様に人をやったが誰も帰らない。私が足止めを受けてから八日経ち、既に余裕はない。

 砂嵐は止まない。店主が「もう水もない、どうだい、おたくのラクダを譲っちゃくれないか」などと生死がかかった顔つきで乞うのを聞いていた。捌き、血を飲もうと言うのだ。

「ここで終わりや」

 昨日一人、宿から砂嵐の中へ消えていった。もちろん、扉は風で嵐の中に消え、室内は騒然となった。

 その始末の後で私を含めたここの連中は疲れ果てていた。風と打ち付けられる砂と、ありあわせの木材でなんとか入口を塞いだものの、ガタガタと強度不足を訴えている。今にも吹き飛んでしまいそうだ。

「わたしはいつだって……こんな……!」

 気取った女は部屋に戻り連れの楽器弾きと談笑している。不満と不満と、その後に慰めるための会話。現実は変わらないが、大切なことだろう。

「まあ、一服でもしてさ」

 私たちは落ち着く必要があり、煙草を吸っていたがもう残り少なかった。

 砂嵐が止まなければ一連托生いちれんたくしょう、私たちは死ぬことになる。無策にこの中へ飛び込み、赤黒い中を進もうともどこへも行けない。

 部屋中に積もった砂を払いながら、私は蝋燭を新しいものに取り替える。

 物置のような部屋だ。実のところ買い集めた私の商品がほとんどであったが、いつものこと。運べなければここへ置いていくしかない。

 いつになれば。そう思いもう八日だから、砂嵐はもうずっと止まない。そんな気がしてもおかしくない。

「酒はもうないっつってたよな」

「ああ」

 所在なく椅子に腰かけていると、ずわお、ずわお、たーん、、、と都市全体に響く何かが砂嵐の轟音中で聞こえる。その音は地面を揺らし、私たちは何事かと顔を見合わせる。

「なにか、空洞の中を通っているみたいだ」

「み、見ろ。大木が……」

 宿に唯一取り付けられているガラス窓は砂嵐の最中だというのに、未だに割れず残っていた。そこから見える赤黒い空間の中で、一際大きな影が近づいて来るのが見えた。

 大木の周辺が陥没し大木が砂漠の都市に倒れこんだのだ。ぱち、くかかかかかか、ずおん、ばきぃ、ばきぃ、と周囲の建物を破壊しながら大木が終わろうとしている。

 ずぅわぁん、と倒れ、振動を感じる。

 都市の半分を覆うほどの木が倒れ、その音が響き終わると静寂が訪れる。恐ろしいことが起きてしまった。砂嵐を避けるように立て籠もっていた人々は、下敷きに

 砂煙が消えると、あの赤黒い嵐も消えていた。まるで大木がその圧で吹き払ったかのように、澄んだ空が広がる。

「砂嵐も止んだぞ!」

 あの轟音はもうない。部屋から出てみれば、皆が入り口で打ちつけた板を引き剥がしているところだった。

「手伝ってくれ」

 店主がそう呼びかけるも私が手を貸せることは少ない。剥がした板を受け取っては端に立てかける。

 そうする内に外が騒がしくなり始めた。

「凄まじい砂嵐だったせいか……?」

 外に出てその惨状を目にする。都市の中央が大木で分断されたように消えていた。ただ、私の関心事はそこではなかった。

 無事にこの砂漠を抜けられるか、商品を持ち帰れるか、もうここでやれることはない。

 そんな気で真っ先に外に繋いでいたラクダを見に行くと、そのほとんどが衰弱していたが生きているようで安堵した。深く打ち込まれた杭は残っていたが日よけは全て吹き飛んでいる。

 繋がれていたラクダは自由になっていたが、砂を引っ被って動いていなかった。

 私が借りていた三頭は弱々しくこちらを見ると立ち上がろうとするものだから砂まみれの水瓶を引っ掴んで部屋にとって返した。

 水と餌をやると面倒くさそうに消費し始める。その後に店主がやってきて「慌てなさんな、こいつらは飢餓にはめっぽう強い」言いながら彼らについた砂を払って回る。

 そうやって一息ついた頃に、晴れわたる空とその下の大木を失った都市だったものをはっきりと意識する。

 大木が砂漠の都市を潰していた。私はラクダたちを連れて立つ。

「行くのなら、超過分のコインを払ってくれ」

「わかった。ほら」

 宿代を幾らか追加で支払い、荷物を括り付けて出発する。

 来た道を引き返すために都市の東側へ。丁度大木が生えていた所のそばを通ることになり、大きな街道を進む。

 私と同じようにここから去ろうとする者がいるのを目にする。多くはこの祭典を機会にやって来た私のような商売人や旅人だ。

「水をくれないか、食料をくれないか」

 そうやって縋りついて来るものもいたが、私も余裕がない。襲われる前にここを去らねばならない。

 砂嵐は止み、半壊した都市が姿を現し、多くのものがそれを呆然と見ていた。もちろん、盗みを働こうとする者、水や食料を求める者、助けを求める者などが徐々にその声を増して喧騒が戻りつつある。

 だから急いだ方が良い。この機に乗じて野盗が様々なものを奪い、私も砂漠のどこかで野垂れ死ぬ。のんびりしていれば、そうなる。


 四半刻ほど歩けば大木の後に残った空洞に辿り着く。周囲にはそれを見てすすり泣く者、何かを叫ぶ者、慌てた様子の連中などで悲痛な賑わいを見せる。

 大木が有った場所には大穴が開いており、そこまではかなりの深さがある。

 壁面に残った根の残りが燃え、底には何人かいた。なにかが動いているからきっと人だろう。

 かなりの深さがあり壁面がじわりと火を湛えていなければ見えなかっただろう。

 彼らは何かを叫んでいるように見えた。根の深くから何かを持ち出してそれを示す。私と同じようにそれを見ている者はいるが、こちらの声は届かない。

「待ってろよ、助けてやるから」

 そういって自身もボロボロの衣服をまとっている者たちが根の跡から離れていった。

 無能どもは生きていた。しかし、都市の連中はそれよりも自身の身に起きたことにかかりきりだ。水も大木もない。倒木に潰された建物や人々、様々なところから啜り泣く声や、苦痛の叫びを上げるものがある。ここではもう何も生まれない、人々は苦痛からここを去るだろう。

 私もここを去ろう。商売をしに来たのだから、彼らを助けてここで生きるわけにもいかない。

 倒れた後に残っている巨大な空洞は燃えている。するとすぐにボロをまとった連中が引き返してきて、ロープを投げ入れる。

「まだ届かない! もっと、代わりはないかっ!?」

 残骸は静かに都市に横たわる。その長さはほとんど二分するかに思える。大木から放射状に拡大し中央部に行くほど華美な建物が立ち並んでいたが、今では見る影もない。

 砂嵐を避けるように建物にこもっていた連中もろとも大木と共に終わった。それほどに大きく重いものがこの都市を支えていた。

「見て、ほら、中は空洞さ、私もあなたも、空洞さ」

 しかし既に大木の中は空だ。倒れた部分から木の内部が闇を湛えているのが分かる。張りぼてのように、何も詰まっていない。

 ただ、なにかが流れ出たのは分かる。周囲に藍色の液体が散乱していた。

 下手くそな笛を吹く大道芸人は大木から流れ出た深い藍色の液体をびちゃびちゃとやりながら笑っていた。そのうちに足を滑らせ全身を藍で染めてジタバタしている。

「見て! 見て! 空洞さ!」

 音程の合わない不協和音を鳴らして大道芸人は転げ回る。

 砂漠を抜け出す手段がないから訳が分からなくなってしまったのか、なにがあったのか、私の知ることではない。

 この砂漠の都市は終わったのだ。

 私はそれだけ見て、荷を整える。結局なにかが起きるのを待っていてもそれはこの都市の話だ。戻らなければ自分の身すら危ない。

「これからどうすれば」

 茫然自失、私たちは勝利してはいなかったのだ。

「これからどうすれば」

 口にすれど、脱出か再建、生きられるように選ばなければ。

 私は都市の入り口で一度振り返り、同じ道を進む者たちの後を進む。

 一度来ればその後、道のりを間違えたことはない。

 

――私は迷ってしまった。

 半壊した都市を出てから、確かこっちの方だった。あそこに町が見える、森がある。東に進めば岩で出来た巨大な建造物があるから、後はそこから延びる街道を進めばいい。

 太陽を目印に方角も確認した。それでも私は砂漠の真ん中でいつまで経っても何も見えてこない風景と体を焼く熱でぼんやりと足を進めるしかない。

 水を口に含み、なんだか吐き気のする酸の味が舌に広がって、無理に呑み込む。そんなことを続け、朦朧もうろうとした意識と気が付けば衣服に付いた吐しゃ物、砂の感触が目の前にある。

 先を行く者たちについていったはずだ。迷うはずなんてない。

 そもそも、東へずっと進めば砂漠の終わりがある。それも、一日程度の行程のはずだ。

 数時間歩けば荒野が見えてくる。そこまで行ければ湖畔の町までの道のりはすぐそこだ。迷うはずがない。

「迷うはずがない、なんだこれは」

 腰に巻いていた手綱は外れていない。それでも一頭を除いていなくなっていた。

 立ち上がって砂を払う。ラクダに引きずられたのか、全身に砂が入り込んでいる。体に力が入らない。水と食料はぶら下がっていたがどう移動したのか、周りを見ても、私が引きずられた跡はもう分からなくなっていた。

「これからどうすれば」

 太陽は沈みかけている。

 だから私は陽を背に受けて歩く。少しの水と食料を消費する。

 しばらくして、見慣れた色の外套がはためいているのが見える。それは時々変わる砂の山の上にあった。

 何者かが佇んでいるようにも思えた。

 気付けば私はそれを追っていた。居るはずのない涙の民がそこにいる。

 そんなことに構っている余裕はない。だが、その深い青は赤くなりつつある砂漠に夜をもたらす。

 大木が倒れたのを彼らは知っているか、どうなのだろう。

「顔を剥いでしまったのだ、もはや涙もない」

 私が追いすがればそんなことを言う。その声は掠れている。

 まるで亡霊だ。あの都市から消えたのはかなり昔の話だったという。あの老人の話を思い出した。

『涙の民はある儀式を隠した。砂漠の都市はそのために祈りが消えた』

 彼らはなにを持ち去ったのか。私は知る必要が無い。そんなことよりも砂漠を抜けなければ。

「見てはくれないだろうか、儀式が秘匿されたのはかたちの侵入を許さないため。町がそうなってしまった後、我らも侵入を受けた」

 なのに私は彼に追いすがる。急速に陽は落ち、私の汗を冷やしていく。寒気がする。目の前の人物がいるのが理由ではないが、彼はなにを思うのか。

 体にまとわりついた外套を剥ぎ棄てる。やせ衰えた体が出て来るかに思えたが、引き締まった健康的な肉体をしている。

「祈りが消えた話か……?」

 外套は沈みゆく陽の中で染み出した夜へ消えていく。あの都市で作られた模造品ではないその深い青は、暗闇に混ざっていった。

 対話にならない感じがある。独り言のように聞こえるが、私が見ている幻覚だろうか。

「この体は儀式に使えない。侵入された貌はこの様に削られる」

 顔の皮膚の大半が消えていた。油のような光の反射がむき出しの骨に見える。骨が金属に置き換わったかのような光沢がある。

 涙の流れた後が残る部位だけが外套と同じような青色で皮膚が残っていた。

 体になにか異物が侵入すると儀式が出来ない。

「そうでなければ、この身など、涙の大木へ捧げてもよかったのだ」

「もう。もう。捧げる場所はない」

 私は彼の体を抱いた。肉体はしっかりと人間だ。体温もある。他にもいないか彼の頭の先を見るがそこには外套が何着も広げられている。

 そこに彼のような人の姿はない。

 そうする内に陽が沈み、地面も空も同じように星空を示した。

「消えたのではない、侵入されたのだ」

 そう言って私の腕をほどき、涙の民の一人は外套の中へ落ちていく。吸い込まれるようにその中に入り込み、その夜は砂漠の下に染み込んで消えていった。


――しばらく、私は動けなかった。冷気が砂漠にやって来る。

 火を焚かなければ。


~~終~~

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