本始の初代大王は応神天皇である。そして、その起源は邪馬台国である。

営為つむぐ

はじめに

 昨年(2019年)皇位の継承が行われ、初代 神武天皇から数えて 第126代目の天皇陛下が登極された。神武天皇は 皇祖神 天照大神と並ぶ象徴的な存在であるが、今から1300年前に成立した正史『日本書紀』(720年)に その事跡が記録されていた。

 初代天皇の話は 遠い昔の出来事で、ともすると、現代に生きる私達とは全く無関係なことのように思われるかもしれないが、そのようなことはない。例えば、国民の祝日の1つである"建国記念の日"(2 月11日)は 神武天皇が即位した日に準拠していた。他にも、大東亜戦争時に活躍した零式艦上戦闘機,通称"零戦"は 神武天皇が即位した年を起点とする紀年法"皇紀"の下二桁にちなんで命名されていた(西暦1940年=皇紀2600年)。

 神武天皇は、その異称を

  "ハツクニシラススメラミコト"

というが、これは「初めて国を統治した天皇」の意であり、まさに 初代天皇に相応しい称号だった。

 だが、その称号は 第10代天皇にも用いられており、一説には、こちらが初代だったのではないかと疑われていた。

 なお、この場合、初代 神武天皇の位置付けは どういったものになるかと言えば、天皇家の権威を高めるため、その歴史を古く見せようとして創作されたものと憶測されていた。古代天皇の崩御年齢の多くは 100歳を優に超えており、非実在説も囁かれていた。

 ただ、当時(正史『日本書紀』が編纂された時代区分)の天皇家は、皇位継承のルール変更について 第15代天皇を祀る宇佐八幡と遣り取りをしていた。こういった場合、先祖の霊にルール変更を確認することが通例であることから、その時代の皇室の直接の祖は 第15代天皇なのではないかとも勘繰られている。また、一部では、第10代と第15代の間で 王朝交代が起こったのではないかと高察されていた。

 しかし、私は 古代天皇に関する このような記述のは 権力者の交代に伴う史書の改変によって生じたものと愚考している。当時の政界は大きく2 つの勢力に分かれており、その2局が対立を深めていた。


 初代天皇の真実を知ることは、この国の根源ルーツを探求する上で 非常に重要な事柄。史書編纂とその改変の事情を読み解き、もともとの正史編纂命令者が想定していた初代大王の姿とその起源について迫る。

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