邪知暴虐の王

「お互いの人生観を語り合うのは、どうぞ後日に」


姉さんは静かに言った。

「どちらが正しいという事でもないでしょう。生き方は人それぞれです。副社長。ひとまず今この場での問題は、アナタがウロボロスダイン社の極秘情報を漏洩していたという一点に尽きるわけで。最終的には社を潰す事が目的だったのですね? その後はどうするおつもりでした? 今までの権利や人脈を手土産に、他社への引き抜きでも決まっていたのですか?」

「……決まっていたさ!」

リカルドの瞳に、ふたたび憤怒と憎悪が宿る。

「それが、台無しだ。全てが、台無しになった! お前のせいだ!」

それは流石に筋違いだろう。わたしは呆れ返る。確かに可哀想な境遇に陥ってしまった事は同情するが、だからといって自分の犯罪を第三者の責任にするのは如何なものか。いい大人が怒りも露わに叫び散らすという目の前の光景が怖いので口には出さないけれど。


「お前さえ! お前さえ来なければ!」

絶叫したリカルドは、持っていた便箋を投げ捨てると、すぐ傍のデスクに立て掛けてあった一本の傘に手を伸ばした。

「殺してやる! 忌まわしい魔女め!」

言うが早いか、咆哮を上げながら跳びかかってくる。その手に持つのは只の傘といっても、長くて柄の太い重厚そうなやつで、悪意を以て振り回せば充分に凶器たりえるものだ。また、リカルドがその道ではブレイブソード二段級の腕前を持っている事も忘れてはならない。狂乱する身内の暴走に怯えたバラムとシンシアは慌てて後ろに逃げる。

残って相対するのは姉さんとわたしとレイの三人。妙齢の美女と子供二人では凶器を構えた成人男性に対抗するなど難しそうに見えるが、ぶっちゃけ諸君、心配は無用である。


こう見えて我々は、めちゃんこ強いのだ。


「でぁ!!」

リカルドはやはり姉さんを最優先で狙ってきた。いちいち通路を回らず、デスクを飛び越え最短ルートで突っ込んでくる。刃物ほどではないが人を殺傷するには充分な硬さと細さを持つ傘の先端が、姉さんの美貌に向けて一直線に突き出される。

がっ、という、鈍いが重く痛々しい音が部屋に響いた。


「……な、何……?」

呆気に取られて声を上げたのは、リカルドだった。1メートル弱ほどの高さのデスクに乗り、馬上の騎士のように傘を勢いよく突き出した姿勢のまま固まって姉さんを見つめている。


「いけませんね、副社長」

姉さんはリカルドを見上げながら言った。

「魔女と言えど、一応は女性です。思い切り顔を突くとは、紳士として如何なものでしょう」

良く整った姉さんの顔。その額には、鋭い傘の先端がぎちりと食い込んでいた。

「そ、そんな……」

リカルドが上擦った声を上げる。無理もない。避けられたならまだ分かるだろうが、まさか狙い通り眉間にブチ込んだのに平然としていられる――などとは夢にも思わなかっただろう。

その場から一歩も引くことなく、姉さんは渾身の顔面突きを何の造作もなく耐えていたのだ。

「おいたが過ぎますね、副社長」

眉間に押し付けられた傘の先端を握り、姉さんはわらう。


「では、再度、お仕置きです」


細長い足をゆっくりと引いた直後、姉さんはリカルドが乗っている蹴った。

「ぐあっ!」

リカルドの身体は、ぶっ飛んだ。


誇張ではない。本当に、デスクごと、ぶっ飛んだ。

宙を舞った衝撃で引き出しが射出され、数多の鉛筆やノートが室内を羽ばたいて散乱する。

部屋の隅に逃げて一部始終を目撃していたバラムとシンシアが目を丸くしている。

「……それはまあ。こういう仕事柄、荒事に巻き込まれる事も大変に多いので」

姉さんは囁きながら、自分の手に残った傘に、蛇のような動きで指を絡ませる。

べきりと音を立てて、木製の重厚な先端が簡単にへし折れた。

「薬物投与、遺伝子操作、変質ローゼンバーグ細胞注入、人工強化筋肉・外骨格換身など」

べきべき。べきべきと。

姉さんは片手で、太い柄と金属製の骨を持つ傘を丸めてゆく。

「ワタシの身体には、魔女のあらゆる秘術が施されているのです」

やがて、ほっそりとしたてのひらが緩やかに開かれる。

馬鹿げた高密度で圧縮されとなった傘が、ぽとりと床に落ちた。

「ば、化け物……」

散乱した書類の山から身を起こしながら、リカルドは蒼白な表情を浮かべた。

「ああ、どうか無粋な言い方をなさらず。あくまで魔女とお呼びください」

諸君。先ほどは野暮だと伏せたが、やっぱりこっそり教えよう。

実は、姉さんの体重は――


㎏である。


昼間、羽のように軽い美少女と噂されるわたしが乗った瞬間に昇降機エレベータが重量オーバーの悲鳴を上げたのは、こういうわけだ。全身に様々な肉体強化術を施した姉さんが重すぎただけで、実際は故障でもなんでもなかったのである。

「く、くそぉっ!!」

リカルドは立ち上がって吠えた。しかし咆哮したはいいものの、デスクを片足で空に蹴り飛ばして一本の傘をビー玉サイズに丸めるような膂力りょりょくを持つ姉さんに再度素手で立ち向かう気は起きないようで、何か役に立つものはないか探るように、血走った目で辺りを見回す。


――わたしと、目が合った。


「うおおお!!」

「えっ」

次の瞬間、リカルドは唸り声を上げながらわたしに向かって突進してきた。

突然わたしの宇宙的かわゆさに気付いて恋してしまったのかと思ったが、どうやら違う。恐らくわたしなら簡単に捕まえて人質に出来るだろうなどという、浅慮な発想に至ったに違いない。

まったく――やれやれ、としか言いようがない。見くびられたものである。

わたしは小さく溜め息を吐き、姉さんと同じようにその場から一歩も退かず相対した。


何を隠そう諸君。わたしは、某国の地下闘技場で夜な夜な行われている賭け試合にて最強の記録を持ち、『邪智暴虐の王』と仇名され数多の闘技者に怖れられている伝説の格闘家としているのだ。先日の便りにはそろそろ5歳になる息子の成長ぶりが記されていた。嫌いな物が夕飯に出ると愚図って食器を引っくり返す等、父親に勝るとも劣らぬ邪智暴虐な嫡男らしい。


ひゅっ、と風を切る小気味よい音がわたしの耳に響いた。

「ぐわっ!?」

眼前に迫ってわたしに掴みかかろうとしたリカルドの動きが急に止まる。

その肩には、卍の形をした鋭い刃が深々と突き立っていた。

「ちょっとルナ。なんで逃げようとしないのさ」

投げたのは、わたしの隣に立っていたレイである。こいつの故郷に伝わるシュリケンという投擲武器の扱い方は見事で、ほぼ百発百中と言える。

いつもぽけーっとしてる愚かなちびではあるが、腐っても『回天守護士ハイ・ガード』の号を受けた人間。そのぶかぶかした法衣の中には数々の暗器を隠し持っていて、こと荒事に関してならば、それらの武器やちびならではの機動性を駆使して立ち回るなど、そこそこ使える奴なのだ。


明晰な頭脳と怪物的な暴力を兼ね備えた姉さん、小技と器用さに長けたレイ、そして二人の活躍を圧倒的な温かさで見守るわたし。まさに完璧な布陣と呼べるだろう。

「ルナ。危ないから下がりなってば」

レイが呆れたような声で言った。

「ぼさっと突っ立ってちゃ駄目でしょ。きみは非力もやしっ子なんだから」

「も、もやっ」

言うに事欠いて、なんという侮辱であろうか。

たしかにわたしは姉さんほどの怪力は持たないし、ちょっと走ったら息切れするし、鉄棒で逆上がりは出来ないし、5メートルも泳げないが、だからと言って何もしていないわけではない。わたしはわたしで絶えず沈着冷静に状況を分析し、思考的サポートというか、痒いところに手が届く、縁の下の力持ち的な、そんなような行為をいつも漠然と行っている。

このちびはその辺を理解していないのだ。どうか諸君、わたしを見くびらないで頂きたいものである。


「うぎゃあっ!!」

そう。わたしが無様に逃げ惑う必要などなかった。既に女豹のような動きで跳ねた姉さんが、リカルドの襟首を引っ掴んで床に叩き付けていた。

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