輪廻蛇バラム=ウロボロス

階段でもさほど時間はかからず、二階の社長室に着いた。

なるほど、この程度の節約でウマイウマイスティックが一本余分に買えるなら検討すべきかもしれないな、とわたしは思った。


「社長。失礼します」

リカルドが数度のノックをしてドアを開け、わたしたちはぞろぞろと入室する。

「……むむっ!」

その場で最初に言葉を発したのは、自分で言うのもなんだけれど、意外にも、わたしだった。


社長室というイメージから思い描いていた部屋とは随分違った。小さなテーブル、窓際にロッキングチェア、壁の隅に申し訳程度の本棚があるだけの、質素な部屋。そこにはふわふわの絨毯もぎらぎらしたインテリアもなく、壁には鹿の首の剥製も掛かっていなかった。

室内には二人の人間がいた。まず目に入ったのは、ロッキングチェアに腰かけた小柄な老人。その顔は皺くちゃだが、落ち窪んだ眼窩から覗く双眸は鋭い光を湛えている。彼こそが今回の依頼人にしてウロボロスダインの現社長、バラム=ウロボロスに間違いないだろう。


しかし、わたしが声を発したのは、その隣に立っている少年が知人だったからだ。

澄んだ青色の、ぶかぶかした法衣ローブに身を包んだ、つんつん頭のちび。

「やほー、ルナ。待ってたよ」

掌をひらひらさせ、まだ声変わりもしていない幼い音で軽々しくわたしの名前を呼んでくる。

「なにがヤホーだ。やっぱり今回も出しゃばってきたな、コバンザメめ」

「人聞きの悪いこと言わないでよ、ルナ」

わたしは冷たく断じてやったが、レイはどこ吹く風といった顔で笑った。

「偶然だよ。今日の巡回パトロール先がこの近辺で、たまたまこの会社の前を通りがかったら散歩中のバラムさんに会って、せっかくだから天下のウロボロスダインの大社長に経営の秘訣なんかを雑談まじりに訊いてたら、なんか色々あってここに潜伏してる企業スパイの相談を持ち掛けられてたとこなんだ」


嘘こけや。こくならせめて、もっと上手な嘘こけや。


諸君。これが、このいけ好かないちびの、いつもの手口なのである。

何かと理由をつけて姉さんの依頼元に現れ、たまたま会った姉さんとわたしにせっかくだから協力をするようなアピールをし、我々が華麗に事件を解決した後でちゃっかり手柄の一部をかっさらって自分の点数にする。

こういうすこぶる卑劣かつ女々しい手段を繰り返し、この唾棄すべき12歳のちびは『史上最年少の回天守護士ハイ・ガード』なんていう偉そうな肩書を手に入れたのである。


「こんにちは、英雄さん。久しぶりね」

しかし姉さんは先日も説明したとおり、このしょうもないちびを異様にかわいがっているので、決してこのコバンザメを拒絶しない。今だって『久しぶり』とか言ってるのである。実際は、ついおととい会ったばかりなのに。


「おやおや」

リカルドは意外そうに、わたしたち三人を見比べた。

「魔女様たちと、この回天守護士ハイ・ガード様はお知り合いなのですか」

「まあ、2年ほど前からの腐れ縁です」

わたしは言ってやったが、レイはちちちと人差し指を横に振った。

「ルナ。ぼくは、きみとは2年だけど、魔女さんとは4年越しだよ。魔女さんとの付き合いは、ぼくのほうが先輩なんだからね。履き違えたらだめだよ」

うっざ。こういうところが、また一段とうざいのである。


たしかに、レイの姉さんとの面識は、実際はわたしよりも古い。姉さんに聞いたところによると、いま12歳であるこのちびは、8歳の頃にとある事件をきっかけに姉さんと知り合ったそうで、それ以来なにかと用件をつけて後を追いまわしては、姉さんの仕事先に顔を出してくるという。


「姉さん。こんなつんつん頭の凡夫に付き合っている暇はありません」

わたしはレイとの会話を打ち切ることにした。姉さんとの知歴の長さはどうあっても覆らないので、この方面で雑談を進めることは非常にしゃくなのである。

「一刻も早く依頼主であるバラム氏のお話を伺うことが最優先事項であると、偉大なわたしの脳髄は判断します」

「一理あるわね」

幸いにも、わたしの言葉は姉さんの意に沿えたようだった。

「それでは、大変にご挨拶が遅れました」

姉さんは杖を突いた老人に向き直った。

「貴方がウロボロスダインの現社長、バラム様でいらっしゃいますね?」


如何いかにも。わしがバラムである」

今回の依頼人――バラム=ウロボロスが、初めてその口を開いた。

しわがれているが威厳に溢れた、良く通る声だった。

「お嬢さん。……あなたが『災星の魔女』かね」

老いてはいるが鋭い眼光を放つ細目が、姉さんに向けられた。

「パメラ=ボーヒーズと申します。こちらはワタシの助手でもある愚妹のルナ」

自分の偽名とわたしの名前を並べ、姉さんは恭しく一礼する。わたしも続いて頭を下げた。

「ほう。噂に聞く伝説の魔女とやらが、予想より遥かに若くて驚いたわ」

老人はそれほど驚いてもなさげに言った。

「パメラさん……か。いきなりで失礼だが、あんた、生まれはどこだね」

バラムは、本当にいきなりで失礼な質問を投げかけてきた。

「生まれですか? オリンパスの片田舎ですが」

姉さんはと首を曲げ、老人の落ち窪んだ双眸を見返す。

「それが、どうか致しましたか?」

「母親は、今どこに?」

「母はワタシが物心つく前に亡くなりました。……社長。ワタシの出自に何か?」

「いや……そなたが知り合いに似ていたものでな。しかし人違いのようだ。すまぬ」

バラムは小さく咳払いをした。

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