第四話 道祖神に対する解釈

 その景観は、一種の異様さを秘めていた。

 京都、伏見稲荷には、千本鳥居というものがある。

 視界の全てを塞ぐように、参道を覆ってしまう鳥居を示した言葉だが、この島の鳥居もまた凄まじかった。


 河口から山麓に向かって、百はくだらない数の鳥居が、川を参道に見立て、両岸に立ち並んでいるのだ。

 いや、これだけならまだ珍しいで済んだだろう。

 けれど、鳥居と鳥居の間には、苔むした石が坐している。


 無数の道祖神が、鳥居に倍する量、設置されているのだ。

 そうして、道祖神の全てはこちら側ではなく、川のほうを見つめている……


「道祖神? この地蔵様が気になるんか? やっぱいおかしな御仁じゃ」

「親造さん、これは地蔵菩薩ではありませんよ」

「ふむ……?」


 首を傾げる翁に、思慕くんが嘲るような調子で笑って告げた。


「ご老体、長生きしても知恵は増えなかったかい? 地蔵ってのは六道の救済者だ。天道。人間道。修羅道。畜生道。餓鬼道。地獄道。この六つの道において、迷える者らを救うことに腐心して、ついぞ悟りを開けないのが地蔵菩薩。だから地蔵ってのは、本来六体がセットじゃなけりゃいけない」

「そうです。ところがこちらは数が合わない。であれば、道祖神と呼ぶべきなんだ。萌花くん、道祖神とはなにかな?」

「ふぇ!?」


 唐突にお鉢を向けられた教え子は、泣きだしそうな顔になった。

 いきなり小テストをぶつけられたときの学生が、だいたい同じ顔をする。


「えっと、えっと……寺社が遠く、あるいは参道が険しく、お祈りが出来ないひとのために作られた礼拝の場所……でしょうか?」

「うん、合っているよ」

「よ、よかったです……」


 露骨に胸をなで下ろす彼女を微笑ましく見つめ、それから心を鬼にして捕捉をする。


「だが、ここは長崎だ。ならば道祖神は塞ノ神さいのかみと呼ばれることがある、と付け加えなければならない」

「あうぅ」


 そうして、塞ノ神には、本来別の意味がある。

 川上より流れ着いた災厄を、奉っておさめるものとしての役割だ。


「これらのことから、道祖神が我々に注意を促す物だというのははっきり解る。ところがこの道祖神は、全て川の方を向いている。異常にも、注視すべきはこちらだと示している。なぜか?」


 ぼくはその場の全員をぐるりと見回す。


「それは、鳥居の向きの所為だとぼくは考えたのです」

「む、向き?」

「はい!」


 ぼくは意気よく鬼灯翁に答え、早口に続ける。


「鳥居というのは、元来受け入れる側に注連縄を着けるものです。これは、注連縄を以て神域と現世、下界を隔てているからで──そう、塞ノ神も同じように隔てるものだ。あるいは、穢れや呪詛といった類いのものを、神に近づけないようにしているものでもある。川というのも境界だ。この世とあの世を隔て、同時に地続きにする舞台効果を持つ。また、中世以降の寺社仏閣は、水に近くあるとき、通常は山を背にして建てられる。海より低くては、万が一の場合水位の関係で沈んでしまうという立地的な問題からで……今回もこの点は共通している。だが、これではアベコベだ。まるで、まるで──」


 そう、まるで神は山からやってくると言っているようなものなのだから。

 だからだ。

 だからぼくははじめ、無意識に河口から山へと向かって水が流れていると勘違いしたのだ。


「それに、どうも鳥居の材質が妖しい。木材のように見えて、違うようにも見えるし……」


 丁寧語も忘れて理由を求め、思索に耽り口を閉ざすと、かろやかな笑い声が聞こえた。

 菊璃さんが、口元をおさえて笑っていた。

 本当に鈴の音色のようだった。


「本当に面白いかたね。ですが、安心して欲しいのよ。これにはきちんと理由があるのだから」

「理由、ですか?」

「ええ、それは──」

「一番初め、この島の神社の本社は海の中にあった。だから、山から海へと向かうのが本当だった。稀人は知らんだろうが、あっちに鯨塚もあったぜ」


 クイッと首を島の反対側にふってみせる思慕くんを、菊璃さんは驚いたように見つめ。

 それからふたりは、にこやかに言葉を交わした。


「あなた、随分詳しいのね」

「商売柄、いろいろと精通する必要があってなァ。鳥居の材質も当てられるぜ? 鯨鳥居、ってことになってるんだろ?」


 鯨鳥居。

 つまり、鯨のあばら骨ということになる。

 本当だろうかと目をこらしている間にも、ふたりの会話は続いていた。


「なるほど、ご同輩なら理解も出来ましょう。そういえば確かに、似たようなかっこうをしているわ」

「よせよ。おれはアンタほど立派に勤め上げてないさ」

「それって……愛を知らない?」

「いや、おれは恋を知りたくないだけの半端者だ。あんたとは違うさ」

「……わたしたち、ひょっとして仲良しになれるんじゃないかしら?」

「どうかな。でも、おれはあんたを応援してもいいかと思えたよ」


 やけに打ち解けた様子で、ニヤニヤとニコニコと笑い合うふたりの巫女。

 正直驚いた。

 まさか思慕くんと気の合うような人物が、こんな孤島に存在していたとは……


「うっせェな、好奇心インフレ学者莫迦ばか。中華のチンピラみたいなグラサンしやがって。おれにも事情があるんだよ」

「ちょ、先生をおとしめないでくれますぅ? 確かに三下っぽいけど、こんなでも私のあこがれの人なんですけど!」

「知ったことか」


 吐き捨てる思慕くんと、激昂する萌花くん。

 このままでは喧嘩になりそうだったので、なんとか仲裁しようと口を開きかけたときだった。


「あっははは!」


 やけに楽しげな笑声が響いた。

 驚いて声がしたほうを見ると、三十代前半といった見かけの女性が腹を抱えて笑っており、ぼくらを指差していた。

 糸のように細い目つきと、口元のほくろが印象的な長身の美女だ。

 彼女は、慇懃無礼といった所作で、腰を曲げ頭を下げる。


「ああ、ああ、こいつぁ失礼をば。あんまり仲がよさげにまくし立てるものですから、面白くってねぇ。つい笑っちまいましたよ」

「これは……お恥ずかしいところを。えっと、島の方ですか?」

「そー見えますかい、あたしの身なりが?」


 とぼけた様子で返されれば、観察してしまうのがぼくの性だ。


 たしかに、女性の服装は島の人々とはどこか違っていた。

 ストレッチの効いたデニムジーンズに、二の腕までのアロハシャツ。髪の毛はウルフカットで明るい色に染髪されている。

 なによりも、首からはあからさまに値が張るだろうカメラがぶら下がっており──


蛭井ひるいさん、あんまいひとりで出歩かんごと、注意ばしたろうが?」


 島長が、困ったような声音でそう言った。

 彼女は、悪びれた様子もなく、目元を歪ませて答える。


「はっはー、失敬失敬。ですがぁ……そりゃあどうしてですかい? あたしに嗅ぎ回れると困ったことでもあるって、自白してるようなもんじゃあ御座いやせんか、鬼灯のご老体?」

「そうじゃなか。道が悪かところもあるし、崩れやすかとこもある。落石は頻発して、なにより注意がいる。山に入れば遭難するかもしれん。客人は大切なもんじゃ、万が一があっちゃいかん。そいけん、案内にだれぞつけておかんと、わしらが不安でならんとよ」

「純粋な善意ってやつですねぇ? くっくっく……まあ、忠告は聞いておきますよ」

「あの」


 勝手に進んでいく話をぼうっと聞いていたら、萌花くんが何故か口を挟んだ。

 彼女の瞳には、何か奇妙な猜疑の色が浮かんでいるように見えた。


「結局、あなたは誰なんですか?」

「ありゃ、あんたさんは……」

「私は額月萌花です。質問に答えてください」

「はぁ、あたしですかい? あたしはねぇ、蛭井ひるい遙香はるか。これで飯を食ってる、ちゃちなルポライターですよ」


 彼女、蛭井さんはそう言って、胸のカメラを掲げ。

 やけに卑屈な表情で、笑うのだった。

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