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 時計が、試験終了時刻の10分前をちょうどさしたところだった。


 記憶の中の教室では、思い出すたびにいつも時計の秒針が時を刻む音が鮮明に流れている。心臓の拍動が刻むリズムと調子を合わせるようなその音は、だが私の心中の焦燥と相反して飽くまで無感動に流れ続けていた。


 私の視線はふたたび猿から移って、ケンに向かっていた。視界の中のケンは緊張を解くように伸びをして、平生の彼がそうするように、悠然と四肢を弛緩させていた。


 記憶の中のケンという少年は、私と同じ13歳の時点ですでに、その長くなめらかな四肢に似合うような雅量を備えた人間だった。

 それは貴種・選良の子弟が集う名門校においてさえ稀有な資質であり、ケン固有の抜けるような陽性は、同時に私の心理に最も色濃い陰影を落とす要因となっていた。順位表のうえではケンは私と常にトップを争うような成績優秀者だったが、それでいて競ること争うことなど生来まったく身に沿わない、というところがあった。父が私に強いて求めた成果というものをらくらくと享受しながら、私が嫌悪するところの苛烈さや激しさなどからはまったく自由であるかのような闊達さを、常に所作の一挙一投足すべてに纏わせていた。


 この好ましい友人の存在は少年時代の私に焦燥感と苛立ちを抱かせるには十分で、およそ13歳から18歳の頃、少なくとも視界の中に彼がいる間は、彼同様にスマートな優等生として振舞うことと、あらゆる種類の葛藤や逡巡を自らの内心の裡に隠しておくことに大いに努力することになった。


 ケンは彼の纏う雰囲気と同じく、伸びやかでくっきりとした字を書いた。

 シャツの袖から伸びる彼の優美な腕のすぐ向こう側に、答案用紙を埋めて、その彼の字がはっきりと見えていた。顔を上げて猿の姿を認めたときとは真逆の動きをして、窓からケンへと、そして再び机上へと、私は視線を戻した。


 途中から半ば叩きつけるように書きなぐった私の筆跡で埋められた答案用紙は、ただ一辺、問題にして丁度一問ぶんだけの空白を残していた。

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