僕は小説が書けない

 拝啓、アンリ様。


 あなたは傑作が書けない事に悩んでいる、との近況ノートを読みました。

 突然ですが、わたしはあなたの事が好きなのです。この気持ちを何かしらの形にしなければとの思いは止められません。

 なので、誠に僭越ながら私の創作論を書き記しその返答にしたいと思います。


 私は小説が書けません。駄作ですら書き上げる事が出来ないのです。

 あなたは少なくとも一作は私の作品を読まれている事でしょう。故に、お前は何を言っているのか、と思われるかもしれません。しかし、純然たる事実として私は小説が書けないのです。

 正確に書するのならば、自分1人では何も書けないのです。誰かに題材を決めて頂けなければ纏まった構想がおもいつきません。

 なので、私にとっての創作活動とは、創作と言いながらも受動的なものでしかありません。ただ、この頃はそれでも良いのではないかと思うのです。


 あなたもご存知のある方が、いつでも筆を折ることができる、とのエッセイを書かれました。しかし、私にとっての執筆は毎回筆を折っている、と断言できます。

 自身の内にある創作意欲は、書き上げた途端に消え去ります。あなたが読まれたであろう、『ぼくと俺と私の話』に変わる小説を私は今後一切書くことはないでしょう。あの作品に注ぎ込まれた私の創作意欲は、あの作品が全てです。自分が傑作と想おうが駄作だと感じようが、書き上げたその作品が私の創作の全てなのです。


 あなたは創作意欲に溢れた方なのかもしれません。もしかしたら、それはただの強迫観念なのかもしれません。私には理解できる事はないでしょう。

 ただ、執筆活動をライフワークと位置付けるのならば、たとえ駄作だと思ったとしても書き上げてほしいのです。公表していただく必要はありません。

 たとえ駄作と感じたとしても、あなたの中の創作意欲がその作品には注ぎ込まれます。書くのを途中で切り上げると、自分の中に残った創作意欲が腐っていくように思えるのです。

 無理やり結論に達しても良いのです。端からみれば打ちきり連載のように思われるかもしれません。それでもなお、1つの作品を書き上げた事には代わりありません。その一点においては、世界中にある傑作達と同じです。

 誰しも器というものが存在します。新しい創作のために自身の器に空きを設けることが大切だと思っています。



 全くの無名の駄文書きから言えるのはこれだけです。できる限りあなたの作品に出会える事を祈り、この文を終わらせて頂きます。敬具


 

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