幻術士は世界を書き換える

泉井夏風

第一部 夢に導かれて

一日目 右も左もわからぬ立場

 幻術は感覚を欺く魔術だ。術者の想像力さえあれば無限の可能性がある。君は望むなら小鳥のさえずりを聞かせることができるし、世界の終わりのごとき絶望感を与えることもできる。幻の痛みは時に絶命を伴う酷いものとなりうるし、幻の風景は癒しと憩いを提供することもできる。人は皆、己の感じるようにしか世界を認識できない。それを狂わせるということは、世界を作り替えるに等しい。

――『幻術の実践』より



 高校に入学して桜の時期を終えた頃から、繰り返し見るようになった夢がある。外国の女の子が外国の言葉で呼びかけてくる夢。

言葉の意味はわからないけれど、その子はいつも泣いていて、助けを求めているような気がした。

夢なんて目が覚めれば忘れてしまうものだと思ってた。だけど、この一ヶ月、何度も何度も同じ夢を見て、内容も毎回はっきりと覚えてる。

さすがにただ事じゃないと思って友達に相談してみると、何か悩んでるのかって本気で心配された。

特に悩んでるようなことは無い。特別幸せだと感じるようなことも無いけど、不満も無い日々。多分、これは幸せなこと。

それとは対称的に、夢の中の少女はいつもいつも泣いている。もしかしたらどこかの誰かが本当に助けを求めてるのかもしれない。助けてあげたいな、そう思った。だから夢の中でこう言ってみた、俺が助ける、と。


 次の日の朝、学校に行く途中。急に足元が光りだした。俺の立ってる場所が光っている。歩いても走っても光は追ってくる。周りを歩いてた人たちも驚いて、スマホで動画を撮ってる人もいた。そうこうするうちに、光は俺の全身を包んで……消えた。



 光から解放されたと思ったら、俺は不思議な場所にいた。ゲームに出てくる神殿とかそういう建物に似てる。シンプルだけど、なんだか雰囲気が重苦しい。

目の前には煙みたいなものが漂っていた。煙は少しずつ人間の形になって、気が付けば女の人の姿になっていた。煙と火でできた体。ゆらめいて、またたく。

「お前はひとりの少女の悲痛な願いによって召喚された」

まさか。アニメでお馴染みの異世界召喚? それとも、いつものとは違う、普通の夢?

「私は魔術と知恵の女神シャナラーラ」

異世界召喚なら、この女神を名乗ってる人からチート能力を貰えるのがお約束のはず。

「――覚えておくといい、折に触れて崇め奉るように。さらばだ」

さらば? それだけ?

「待ってください! チート能力とか貰えないんですか!?」

焦って思わず叫んでしまう。

「お前はたまたま召喚者と波長が合ったに過ぎない、ただ呼ばれただけだ」

特典無しで異世界なんて冗談じゃない。俺はただの高校生だ、ちょっと前まで中学生で、特別に得意なことも無い。

「召喚者は強い想いにより偶然召喚術を発動してしまった。座標はあらぬ方向。お前がなかなか承諾しないので時間も随分と経過した。お前は召喚者から遠く離れた場所に顕現するであろうな。なるべく早く召喚者を探し出して助けてやることだ」

まずい、このまま異世界に放り出されたら悲惨なことになるのは間違いない。

「召喚を! 拒否! できませんか!?」

必死に訴えた。女神は面白そうに笑う。

「お前はもう承諾しただろう。契約は覆せない。だが……そうだな、私への信仰を誓うのであれば恩寵をやろう、言語の壁ぐらいは取り払ってやる」

思わず変な声を漏らしそうになる。危うく言葉も通じない異世界に行かされるところだったのか!

全部この女神の気紛れ次第……それならダメ元で頼み込むしかない。

「女神様を崇拝します! どうかもっとお慈悲を!」

今度は愉快そうに笑う。機嫌を損ねずに済んだみたいだ。名前を尋ねられたので「令治です」とはっきり伝えた。

「よかろう、私を祀る寺院の神官共に託宣を下しておいてやろう。レイジという名の異邦人に便宜を図ってやれとな」

ただ、ぽんと放り出されるはずだったことを考えると、かなり有利な条件を引き出せたと思う。

「ここまでしてやるのだ、つまらぬ事で死なれても馬鹿馬鹿しい。そうだな、最寄りの寺院までなら転送してやるか」

もし、何も言わずに受け入れていたら、本当につまらない事で死んでたんだろう。ぞっとする。だけど、最低限の安全が確保できた。なんだか落ち着いてきたぞ。聞けることは聞いておこう。

「異世界から日本に帰ることはできるんですか?」

なんだか意地の悪そうな顔で女神が笑う。

「召喚者の望みを叶えてやることだ。帰還の儀式を執り行ってもらえば帰れるだろうさ」

召喚者……夢に出てくるあの女の子が召喚者ってことでいいんだよな?

「それはあの子を助けられなかったら帰れないという意味ですか? あの子のことは何もわかりません、せめて名前を教えてもらえませんか?」

女神は「知らん」と即答した。まずい、女神は急に興味を失ったように見える。

「キエルケという街。召喚術はそこで最初に発動された。それ以上のことは知らん。どうでもいいからな。ほれ、さっさと行くがいい」

待って、もっと聞きたいことが、と言う間も無く、またあの光に包まれた。



 さっきの神殿に似てる。だけど、あの重苦しさは無い、そんな場所に立っていた。

目の前には見慣れない服を着た褐色の肌のお爺さんが三人。驚いた顔で俺を見ている。

一番豪華な服を着た人が、おっかなびっくりといった様子で聞いてきた。

「お名前をうかがっても?」

レイジですと名乗ると、三人は託宣の通りだと言って慌てだす。俺は何と言っていいやら困って周囲を見回した。

祭壇に神像が立っている。その顔にはさっきの女神の面影があった。ここはあの女神シャナラーラの寺院らしい。託宣を下して寺院に転送。女神は言った通りにしてくれたみたいだ。言葉も通じる。ひとまずは安心してもいいのかな。


 神官たちは俺を女神の使者と呼んだ。レイジ様とうやうやしく名前を呼ばれるのがなんとも居心地悪い。

「ひとまず夕餉の時間です。どうぞ我らと共にお召し上がりください」

ゆうげ……夕飯のことか。え? もう夜なの? 開け放たれた窓から見える空は夕焼け。日本じゃ朝の通学時間だったのに。


 堅いパンと味の薄い野菜スープ。そして酸っぱくて水っぽい飲み物。出された食事は正直言って、不味かった。感覚的にはさっき家を出る時に朝御飯を食べたばっかりで、まったくお腹も空いてない。だけど、出されたものを残すのは気が引けたし、黙々と食べる神官たちに文句を言うなんてできっこない。なんとか噛んで飲み下す。これはきっと、寺院の食事だから質素なんだろう。異世界だからって不味い食べ物ばかりじゃないはずだ。そのうち美味しい料理も食べられるに違いない。そう思って我慢して食べる。


 食事の後は若い神官に連れていかれる。この人は頭を剃り上げていて肌が浅黒い。若いと言ってもさっきの老神官たちと比べて若いのであって、十分おじさんだ。

おじさん神官はルソルと名乗った。ルソルさんは俺を空き部屋に案内すると、体をお拭きしますと言って学生服を脱がせようとしてきた。

いやいやいや「自分でできます!」水の張られた桶と手拭いを慌てて受け取った。お風呂が無いから体を水で拭くという流れだな、これは。郷に入っては郷に従えと言うし、キレイにしておこう。


 体を拭き終わる頃にはガラスも嵌められてない窓の外は、月明かりも無く真っ暗になっていた。電灯も蝋燭もランプらしきものも無い。暗くなったら寝るしかないのだろうか? ルソルさんを呼んだら明かりを持ってきてくれるだろうか? そういえば鞄を持ってない。女神に会った時にはもう持ってなかった。学生服のポケットにも何も入ってない。スマホも無い、ゲームもテレビも無い。明かりがあったってすることは無い。これじゃあ寝るしかないじゃないか。

今日は朝起きて、ご飯を食べて、学校に向かう途中に光に包まれた。つまり、起きてから大して時間が経ってない。眠れたものじゃないんだけど……。真っ暗闇の中、ただ目をつむる。日本に帰りたい……。



 ちょっとだけ、うとうとしてきたところで大きな鐘の音が鳴った。窓から見える空は少し明るくなっている。

寺院の朝は早いらしい。日が落ちたら寝るんだから、昇ったら起きる、そりゃそうか。すぐにルソルさんが起こしにやってきた。

この人は助祭という階級で、俺の身の回りの世話をしてくれるそうだ。

ちょっと待ってほしい、神官たちは俺がここに長く滞在すると思ってるんじゃないか? 食事は不味いし楽しいことは無い。寺院に長居する理由は無い。さっさと女の子を助けて日本に帰りたい。


 食堂に連れていかれると、メニューは昨日の夜と一緒だった。そんなことよりも、伝えるべきことを伝えないと。

「ある女の子を助けないといけないのでキエルケという所に行かないといけないんです」

知っているのは地名だけ。夢に出てきただけの女の子のことは何も知らない。名前がわからないのはもちろん、目や髪の色すらあやふやだ。正直なところ無理ゲーなんじゃと思ってる。

「それがシャナラーラ女神の思し召しならば」

一番偉い人、司教はそう言うと、ルソルさんに旅の供をせよと言った。

ちょっと待ってほしい。異世界の冒険といえば美少女と一緒というのが常識。何が悲しくておじさんと二人旅なの。

ルソルさんはうやうやしく「聖務を拝領します」なんて言っている。ただ、まあ、俺はこの世界のことを何も知らない。お世話してもらわないと、どこにも行けない。このおじさんに頼るしかないんだ。

「ルソルさん、よろしくお願いします」

ちなみにこの後、目立つ学生服の代わりに質素な服を用意してもらった。わりと着心地がいい。

そうして、まだ早朝と言っていい時間に寺院を出発した。


 外に出ると、そこにはテレビで見た外国の田舎の村みたいな風景。粗末な石組みの小さな家が並んでいて、道は舗装も無く土がむき出し。この村の名前は何ですかと尋ねてみる。

「村だなんてとんでもない。ここはワンテオール地方の中でも有数の穀倉地帯を治めるデリケン伯爵のお膝元、マデルの街です。人口五千人を超え、由緒あるシャナラーラ寺院を擁する歴史ある都市ですよ」

五千人で大きな街という基準らしい。この世界の文明レベルは低そうだ。つまり、現代知識をもってすればチートに近いことができるかもしれない! 心の中でガッツポーズ。

あ、でも、待てよ、女神は魔術の神を名乗っていた。魔法のある世界ならではのあれやこれやがありそうだ。

「ルソルさん、この世界って、もしかして魔法とかがあるんですか?」

「もしやレイジ様の故郷には魔術が無いのですか!?」

予想外の驚き具合。魔法文明がすごく発達してるのかもしれない。うかつなことは言えないな……。

「ルソルさんは魔法が使えるんですか?」

そして、困った回答をもらうことになる。

「誰でもちょっとした魔術なら使えますよ。私は学究の徒ですが魔術神シャナラーラに仕える者として恥ずかしくない程度には扱えます」

つまり、この世界では魔法が使えて当たり前。チートどころか、魔法の使えない俺はマイナスのスタートを切ってしまったということに……。

「魔法って、俺も使えるようになりますか? 使い方を教えてください!」

ここで無理だと言われたら詰む! そんな不安いっぱいの俺に、ルソルさんは笑顔でこう言った。

「それでは旅の途中に少しずつお教えしましょう」

なんとかなるかもしれない。

いや、魔力が少ないとか、才能が無いとか、非情な現実を突き付けられる可能性は捨てきれない。でも、今は心配していても仕方がない。ひとまず、旅がどのぐらいかかるのか確認しておいた方がいいかな。キエルケまでどのぐらいかかるのか。さっそく聞いてみる。

「徒歩なら早くても二ヶ月以上ですね」

とんでもない長旅に思える。いや、異世界だから一ヶ月の長さが違うということもあり得るかもしれない。

「一ヶ月は何日ですか?」

三十日ですという無慈悲な回答。

「馬車とか乗り物は?」

そう聞くと、ルソルさんは驚いた顔をした。悪い予感がする。

「申し訳ありませんが、そこまでのお金はありません。むしろ行く先々で路銀を調達しなければなりません。なので実際には三ヶ月はかかってしまうでしょう」

絶望的な答えだ。働いて稼がないといけないのだろうか。バイトもしたことないのに……。

「もちろん女神の使者に働かせたりはしません。従者である私にお任せください」

美少女がいいとか失礼なことを考えてごめんなさい。ルソルさんが頼もしく見える。


 マデルの街を出るまでに見掛けたのは老人と女性ばかりだった。子供も多くはない。素朴な疑問をぶつけると、若い男の多くは兵士として戦場に送られているのだと教えられた。戦争中だなんて嫌な予感がする。

不意に、目が釘付けになるようなものが見えた。羊みたいな曲がったツノの生えた女の人がいる。ファンタジーらしさ来た! 俺が何を見ているのか気付いたらしい、ルソルさんが言う。

「あれは魔族。奴隷ですよ」

そこから長々と説明が始まった。ルソルさん、解説好きな人?

要約すると、人族は遥かな昔から魔族と戦争を続けているのだという。戦いは百年単位で一進一退。互いに労働力としての奴隷を求めて争いをやめる気はないのだとか。終わりの無い戦争に奴隷制度。不条理だ。とんでもない世界に来ちゃったぞ。

「仕方がないのです。神々がそのように人族と魔族を創ったのですから。我らが争いを続けることで世界は存続のための活力を得ます。戦いが終わる時、それはこの世の終わりです」

困惑するしかない。改めて思う。とんでもない世界に来ちゃったぞ。

「ここ百年ほどは人族が勝ち続けています。こうなってくると神々は魔族に何かしらの恩寵を与えて戦況を変えざるを得ないでしょう」

よくわからないけど、できるだけ早く平和な日本に帰った方が良さそうだ。


 そんな話を聞いているうちに大通りに出た。寺院周辺と違って立派な建物が並んでいる、これはあれか、貧富の差が激しいっていうやつだ。

それはそうと、ひとつ気付いたことがある。看板なんかがあって、そこには見たこともない文字が書いてあるのだけど、読めないのに見ただけで書いてあることの意味がわかる。女神は気軽に「言語の壁ぐらいは取り払ってやろう」なんて言ってたけど、これはなかなか凄いことなんじゃなかろうか。


 街の出入り口の大きな門の前まで来た。門にはお揃いの服を着た衛兵らしき人たちがいて、検問所みたいになっている。

「何か事件でもあったんですか?」

「どこの都市も出入りは制限されています。通行許可証が無ければ出入りはできません。商人らは門を通る際に税を納めるのです」

通行許可証なんてまた厄介なものが……。ゲームなら、それを手に入れるためにひとイベントこなさなければいけないやつだ。

「異世界から来た俺はどうすればいいですか?」

ご安心くださいとルソルさんは言う。

「神官は特権を持っています。同行者の通行は認められますよ」

実際のところ、ルソルさんが持つシャナラーラの聖印というものが刻まれた護符を見ると、衛兵は黙って通してくれた。あっさりと通れて拍子抜けする。

「その護符を持ってれば偽者でも通れそうですね」

「それは無理です。神官を騙ればたちまち神罰が下りますから」

神罰だなんてそんな迷信を……と前なら思ってただろうけど、実際に女神に会って言葉がわかるようにしてもらっている。きっと神罰とやらも本当にあるのだろう。

興味本意で、どうすれば神官になれるのか聞いてみると、託宣があるのだという答え。本人と最寄りの寺院の神官に、神から直接、神官になれとか新人が行くぞとか伝えられるそうだ。ちょうど、俺のことが伝えられていたみたいに。

神が任命するなら特権階級でも仕方がないのかもしれない。そう思ったけど、やっぱり身分差というものがピンとこない。

「人はみんな平等だって教わったけどなぁ」

平等という言葉を聞いたルソルさんは寂しそうな顔をした。

「真に平等なのは死と契約の神ナクアテンだけですよ」

この話題はルソルさんの地雷なのかもしれない。やめておこう。



 街道は思っていたより人の往来が多かった。

「マデルは穀物の取引が盛んなので常に商人が行き交っています。それぞれの商人が雇っている護衛がいるお陰で魔物も寄り付きません」

おっと、魔物がいる世界か。

「魔物と魔族は違うんですか?」

この辺はしっかり確認しておいた方がいいに違いない。

「魔族は人族と時を同じくして神々が創りました。悪魔が生み出した魔物とは根本的に違います」

魔族と魔物と悪魔が別物として存在するわけか。ややこしい。

ルソルさんが言うには、悪魔とは遥か昔に魔族が戦争に勝つために異世界から召喚した邪悪な存在だそうだ。召喚された悪魔たちは人族も魔族も関係なく虐殺を繰り広げ、その時だけは人族と魔族が共に戦ったのだという。最終的に、悪魔たちは神々によって地獄へと封じられたが、魔物は地上に残り、悪魔は地獄から様々な方法で干渉してくるとのこと。

「こうした経緯から、召喚術は禁忌です。術式が書かれた魔導書は全て燃やされ、伝承も絶えたはずです」

禁忌の術……俺が召喚された存在だということは伏せておいたほうが良さそうだ。ちょっと話題を逸らそう。

「ルソルさん、物知りですね」

「私は魔術と知恵の女神に仕える神官です。シャナラーラの神官にとって、知識量は何よりも大切なことなのです」

魔術と知恵の女神……そういえば、女神はそう名乗っていた。そうだ、忘れてた、魔法……魔術? 教えてもらわないと。

「ルソルさん、さっそく魔術を教えてくれますか?」

「人それぞれ得意な系統の魔術があります。まずはそれを見極めましょう。今夜の宿で適性を見るのでお待ち下さい」

魔術適性。この誰でも魔術が使えるという世界での冒険がどうなるかは、それにかかっている。不安だ……でもちょっとだけ、凄い才能が眠ってる可能性にも期待しちゃう。

 昼食はあの堅いパンだけだった。それと瓢箪みたいな水筒に入ったぬるい水。ああ、キンキンに冷えた麦茶が飲みたい。それにしても、歩き続けるの、辛い……。


 寺院で眠れなかったのが効いてきた。

眠気が襲ってくる。足が悲鳴を上げてる。

「あとどのぐらいで次の目的地に着くんですか?」

「今の速度で歩けば日没頃には宿場に着くでしょう。街道沿いには大人の足で歩けば日のあるうちに着けるような間隔で宿場があります」

出発したのが早朝だったから、日没頃ということはつまり……。

「俺が遅いせいですみません」

とりあえず謝る。するとルソルさんは少しだけ悩んだ顔をしてから口を開いた。

「レイジ様は元の世界では貴族だったのでしょうか? ペンダコしか無い綺麗な手。ほとんど日焼けしていない肌。歯もすべて整っています。それに歩き慣れていないようで、真っ先に馬車に乗ることを考えていました」

貴族だなんてとんでもない勘違いをされている。

「平民の中の平民ですよ、そもそも身分制度はとっくの昔になくなりました」

そう言うとルソルさんは混乱した様子だった。もっと知りたいと言いかけたものの、常識の違う異世界の事、そもそも魔術が無いのでは……とぶつぶつと呟いた。

魔術が無いというのがなんだか下に見られてるような気がして気分が良くない。科学の凄さを語ってみようかな。いや、待て俺。俺はただの高校生。専門知識があるわけじゃない。魔術でできることがわからない今、半端なことを言うと恥をかくかもしれない。歩くことに集中しよう。


 途中、休憩をとりながら、なんとか日が傾き始めた頃に宿場町に到着した。イルマデルという宿場だそうだ。宿屋では大部屋に雑魚寝というのが普通らしい。でも、ルソルさんは特権階級である神官で、俺は女神の使者ということになっている。狭いけれど二人部屋に泊まることになった。

旅費は大丈夫なのかな……? 心配になって聞いてみる。

「大きな街に着いたら少し補充しましょう」

宿代の支払いの時に見たお金は銅貨と銀貨だった。銀なんてそうそう見たこと無いけど、銀貨と言っていたから銀なんだろう。異世界でも金属は同じなんだなと妙に感心してしまう。


 暗い部屋には油で灯すランプがあった。でも、ルソルさんはその隣になぜか置いてある石に手をかざした。そうすると石が光を放ち始める。魔術!

「魔術ですよね!? それ!」

「はい、元素術で〈光石〉に変えました、ランプはこの魔術が使えない客のためのものです」

ただの石が明かりになるなんて……魔術すごい。電灯よりも画期的だ。やっぱり科学をひけらかさなくて正解だった。そもそも、科学技術の原理を聞かれても満足に答えられないしね。


 そしてすぐに夕飯として例の堅いパンを食べる。炭水化物しかとってないけど大丈夫なのかな……。井戸で汲みたての冷たくて美味しい水だけが癒し。うん、水は美味しいよ。


 さて、寝る前にいよいよ魔術適性を見てもらう時間がやってきた。運命の時と言っても過言じゃない。

本来はそうほいほいと見てもらえるものではないらしい。でも、ルソルさんは魔術神の神官。適性を見る本職だという。

右手が俺の頭にかざされる。ルソルさんは目を閉じて集中し始めた。かすかに体が光って見える。

「幻術に非常に高い適性を持っていますね。あとは強化術と呪術が少々、他は向いていないようです」

幻術に強化術に呪術? バフとかデバフとか状態異常とかしか使えなさそうなんだけど……。ただ、とりあえず適性無しとか言われなくて良かった。本当に良かった。でも、確認しておこう。

「火の玉を飛ばしたり、傷を癒したりはできないですか?」

どうせ魔術を使うのなら派手なものを使いたい。

「はい、元素術も治癒術も適性はかなり低いので、例えば火を生み出すのなら枯れ草に着火するぐらいと思った方がいいですよ」

しょぼい。俺ががっかりしているのに気付いたらしい。

「レイジ様の幻術の適性は素晴らしいですよ! 伸ばすべき方向性がはっきりしているのは良いことです」

幻術かぁ……。補助的で地味な役回りしか想像できない。慰められてるのかな。強化術と呪術もきっと補助系だろうし。

「ちなみに、ルソルさんの適性はどんな感じなんですか?」

「九系統すべてが少し高いといったところです」

オールラウンダー! ちょっとショック。

「シャナラーラの神官は、そもそも全系統に適性のある者から選ばれます」

なるほど、魔術神に仕えるんだから魔術の才能は必須だよね。

「シャナラーラの神官は実践よりも研究に重きを置いています。学問も修める関係上、必ずしも魔術の高みを目指すとは限りません。専業魔術士を目指す者の育成なども我らの役割です。……実践魔術という観点で言うなら器用貧乏ですよ。全系統を少しずつ修めているため、どうしてもひとつひとつの習熟度は低くなってしまいます」

器用貧乏か……もしかしてスキルポイント制だったりするのかな?

「明日からは歩きながら理論を学んでもらいます」

うっ。長距離を歩くだけでも辛いのに、その上で勉強をしないといけないの? でも魔術を使えるようにならないと話にならないし……。

とにかく今日は明日に備えて眠ろう。尋常じゃなく眠い。これはすぐ寝落ちするに違いない……。

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