その五

”なるほど、確かに「花物語」だな”


 10分ほど待たされて店内に入った時、俺はそう思った。


 蓄音機、古い映画のポスター、花瓶に生けられた花、古いオルガン・・・・それらしい雰囲気を醸し出していて、しかもいすやテーブルも木製で、結構凝った作りだった。


 中は15人も入れば満席という具合で、どうやら入れ替え制にしてあるらしい。


 店員ウェイトレス(いや、ここではそうは呼ばない。”生徒”と呼ぶんだそうだ)は全員矢絣の着物に真っ白なエプロン。海老茶色の袴。それに全員見事な黒髪を結い上げ、ピアスもしていないし、派手な化粧もしていない。

 足に履いているのは、勿論編み上げのブーツである。


『ようこそ、お兄様』

 へぇ、と俺は思った。

 俺はこんな店に来たのは初めてだが、定番なら”おかえりなさいませ。ご主人様”と来るところなんだろうが、そこは大正浪漫という奴なんだろう。


 四方の壁にかかっているメニューも、旧仮名遣いで書かれていて、徹底した凝りようだ。


『ご注文はは何に致しますの?』


 一人のウェ・・・・いや、もとい、女学生・・・・春子という名札を付けている・・・・が、俺たちの席にやってきて、深々とお辞儀をしてそう言った。


 俺はいつも通りの

『ブラックコーヒー(ここでは”珈琲”と表記してある)』をオーダーし、

 ジョージは、しばらくメニューとにらめっこをして、やっと、

『しゃあねぇ、レモンティ』という。

 健さんは渋いところで『梅昆布茶』を頼む。


 さて、困ったのはマリアだ。

 当然ながら彼女はメニューが読めない。

 いや、それだけじゃない。彼女の目はまるで夢見る乙女のそれのごとく輝き、何も見えていないといった感じなのだ。

『お嬢様は何になさいます?』

 春子嬢の問いかけに、はっとしたようにまたメニューを見るが、ちんぷんかんぷんのようだ。


 すると、春子嬢はすぐにそれと察したのだろう。

『環お姉さま、お願いいたします!』

 奥に向かって呼びかけた。


 すると、奥から現れたのは、背の高い、やはり矢絣の着物に紫の袴、そして編み上げのブーツを履いた女性だった。

 他の”女生徒”のように結ってはおらず、心持ち栗色の髪はまるで宝塚の男役のような短髪である。

 そしてだけが黒い、フチなし眼鏡を掛けている。

 ほっそりした日本人離れした顔立ちから、俺は、

”欧米の血筋が入っているな”と見た。


『ようこそいらっしゃいませ』彼女はにっこり微笑みを浮かべてマリアに丁寧なお辞儀をした。


 驚いたことにそれはドイツ語だった。


 マリアは嬉々として彼女と会話している。


 久しぶりにドイツ語が出来る人物と会話が出来たのだ。

 嬉しくないはずはない。


 で、彼女がオーダーしたのはウィンナー・コーヒーだった。

 俺たち四人の他に客は三人、これまた驚いたことに、他の客は全員コスプレをしていた。


 一人はつぶれた学帽に、学生マント。朴歯の高下駄に丸いロイド眼鏡。

 もう一人は絣の着物に粗い縦縞の書生袴を着用に及んだ書生風。

 もう一人は麻のスーツに蝶ネクタイという紳士風のスタイル。


 何でもない恰好をしているのは俺たちだけだ。それが何だか、気恥ずかしく見えるのが却って妙である。


”タイムスリップでもしたみたいだな”

 俺は思った。

 マリアはこの景色が余程お気に召したんだろう。

 ドイツ語でたまき嬢と楽しそうに会話をしている。


 


 

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