第2話:俺、家出するわ
「あはははは! なんだその夫婦円満すぎて家庭不安!」
寝不足で授業中に昏倒したらしい俺に睡眠不足の理由を聞いた保健医は、不謹慎にも腹を抱えて大笑いした。
「全くで」
俺はベッドに横たわったまま、力なく笑い返した。
愚痴を言えば状況が解決するなら、恨み節だろうといくらでも吐くが、俺はそう信じられるほどロマンチストではない。
むしろ、ロマンチストでだけはありたくない。
「これからどうしますかね……」
だから、俺は二言目には『これからどうするか』を口にした。
「んー、家出でもしたら? でかい行動に出るくらい息子が追い詰められているって分かれば行動を改めるかもしれない。まあ、そうじゃない馬鹿親も世の中には多いけど、話は通じるんだろ? 特に親父さん」
保健医の答えは身も蓋もなく、しかし、それなりの現実性を持つ手だった。
「家出か……」
ぼんやりと傷だらけの左腕を天井に伸ばし。
その腕にナイフを刺した回数を思い返し。
痛みの数を思い返し。
ああ、これって親のせいでつけた傷だし、ある意味虐待か、と嘆息した。
「少なくとも、睡眠不足に耐えて自分にナイフぶっさすような生活よりは健全だ。悪いこともやって、清濁併せ呑めるいい大人になりな、少年」
見透かしたような保健医の言葉も、そっと背中を押してくれるように聞こえる。
つまり、答えは出ていた。
「というわけで、俺、家出するわ。天田の家に泊めてもらえる話になってて学校には普通に行く。一応学校の先生とも一緒に話はつけてあるが、親同士であいさつとか必要だったら明日の夕方にでも俺の携帯に電話してくれ」
その日の晩、夕食の席で清水の舞台から飛び降りる気分で口にした俺に、両親と妹は三者三様の反応を返した。
「……それって家出なのか?」
「お母さんに愛想が尽きたのね……! こんな母親でごめんなさい……よよよ」
「お兄様が家出? まさか浮気……」
とりあえず、この家で対話が成立するのは親父しかいないことだけは分かった。
俺の視線の意味を理解したらしい親父が、咳払い一つして言葉をつづけた。
「存分に家出してくるといい。行先も告げて学校にも行くというのは行儀が良すぎるが、正直、来年の受験を前に一人暮らしさせてやるべきか真剣に悩んでいたからね」
そういうことも考えていてくれたらしい親父とは対照的に、お袋は親父にしなだれかかって不満げに頬を膨らませていた。
「九郎さんの愛情が最近息子に偏っている件について」
「「黙れ匂い中毒」」
正直、30代後半のプク顔とかいろいろきついのでやめてほしい。
「お兄様!」
話がついたところで席を立った俺を、双子の妹、
「なんだヤンデレ妹」
俺は努めてぶっきらぼうに答えた。
美九はこの年になって一緒に風呂に入ろうとしてくるわ同じ布団で寝たがるわ恋愛対象は兄と公言するわ挙句の果てには俺の脱いだパンツを洗濯機から盗み出し頭からかぶってくんかくんかすーはーすーはーじゅるじゅるやりだすわと、見事にお袋の娘をやっている。
「そのお言葉で十分ですええ十分ですとも。私がヤンデレと知っていてなお家出すると、お兄様はそうおっしゃるのですね?」
ぷん、と頬を膨らませてそっぽを向く仕草だけなら割とかわいい。
だが俺も、美九の気持ちにはどうあっても答えられないのだ。
実妹という生理的嫌悪感的な意味で。
「親父、俺が家出している間に一つ頼まれてくれないか」
結果、俺は男同士のコミュニケーションに逃避する。
「多分無理だと思うが、言ってみてくれ」
悟った顔の親父に、悟った顔の俺が頼む。
「このアホな妹に近親相姦は犯罪だって教えてやってくれ」
しかしそんな夢の時間は、親父が現実に降伏することで即座に終了する。
「ごめん無理。その件だけは聞く耳持たねえもんこいつ」
「ちくせう……」
俺が門倉家で過ごす最後の夜でさえ、俺と親父は背中を煤けさせる運命にあった。
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