第7話 消えた花嫁

『セクティア!』


 草原を馬に乗って走りながら、幼い王子が隣を行く少女の名前を呼ぶ。

 ユニラテラとフリクティーは隣り合わせの国だったため、過去には戦争で互いに傷つけあったこともあったが、ここ数代の王の御世みよに至っては、とても友好的な関係を築いていた。


『スヴェイン、馬に乗るって最高ね! ずっとこうしていたいくらい!』


 王女らしくない乗馬服に身を包み、風が頬を撫でる感触に身をゆだね、輝くような笑顔を見せるセクティア。心から楽しんでいる表情が新鮮で、スヴェインはしばらく見入っていた。


『……』

『どうかした? 私の顔に、何か付いてる?』


 セクティア、と再び名を呼んで、彼は手綱を引いて馬を止めた。呼ばれた彼女も不思議そうな顔をして近寄ってくる。すると侍女にでも付けて貰ったのだろうか、ふわりと花のような甘い香りが王子の鼻先を掠めた。


『なぁに? もっと向こうまで行ってみましょうよ』


 スヴェインは勇気を奮い起こし、ふっと息を吸い込んだ。


『あぁ、僕もずっと――』




「なっ、姫が消えただと!?」


 日もとっぷりと暮れた夜。昼間の告白をどう処理したものかと思案しているスヴェインの元へ、その報告は届けられた。

 伝えに来たのは城に幾人も仕えている侍従の一人だ。急いで駆けつけてきたのだろう。蝋燭ろうそくに照らされる横顔は汗に濡れている。

 スヴェインは頭を垂れる青年に詳細を尋ねた。


「昼食後に衣装合わせをされ、殿下の元へいらっしゃるとお一人で出て行かれました。夕食の時刻になりましてもセクティア様がお戻りにならないと、騒ぎに……」


 声が震えている。先ほどの怒声を浴びて、すくみ上がっているのだろう。察した王子はやや口調を和らげた。


「いや、其の方を責めているわけではない。驚いて、大きな声を上げてしまった」


 青年は主の怒りを浴びずに済み、ほっとしたように肩を撫で下ろす。


「殿下の私室はすぐ近くでしたので、危険はないと判断したのです」

「確かに王女はこちらへいらっしゃったが、すぐに帰られた。部屋に戻ったとばかり思っていたが……迂闊うかつだったか」

「城内のどこにもお姿がありません。も、もしや――」

「いや、決め付けるのは早計だ」


 スヴェインはやや思案してから、「捜索の指揮は私がろう。先に父上に謁見してくる」と言って侍従を下がらせ、自身も外套マントを羽織って部屋から出た。


「もしかして、怒って出て行ったんじゃないだろうな」


 床も壁もぴかぴかに磨き上げられた廊下を歩きながら、昼のやり取りを脳裏に浮かべる。何事にも根回しや手順を重んじる王侯貴族のやり方からすれば、セクティアのプロポーズは型破りに過ぎた。

 そのことに腹を立てもしたが、同時に悔しさをも感じていた。


「全く。いつもそうだ。……あいつも、もうちょっと待てっての」


 自嘲じちょう的に零す言葉は、「悔しさ」の意味に目を向けるのが一足も二足も遅かったことへの後悔だ。


 幼馴染みの少女は昔から気分屋だった。道端に咲いている花を眺めてうっとりしていたかと思えば、次の瞬間には舞う鮮やかな蝶に目を奪われて走り出している。そんな女の子だった。

 だから、今度言い出したことも彼女の気まぐれの一つだと思い込んでいたのだ。


「いや、思い込もうとしていただけだったか」


 テラスで振り返った彼女の瞳を思い返すと、昔の記憶が一つよみがえってくる。

 並んで馬を歩かせた草原。もっと遠くへ行こうと楽しそうに笑う幼いセクティア。あの時、彼女に伝えたかった言葉――。


 けれど、彼は生まれて初めて抱いたその想いを告げることが出来なかった。供の者に呼ばれてしまったためだ。その後も機会には恵まれず、想いは記憶と共に時間に押し流されていった。


「……随分と昔のような気がする」


 子ども同士だったあの瞬間、セクティアの「ずっとこうしていたい」に他意はなかっただろう。ただ馬が好きで、乗馬が好きで、身を委ねていたかっただけだ。

 その彼女が数年を経て、ようやく本当の意味で隣に並んで欲しいパートナーを選んだ。


「気まぐれなんかじゃ、なかったんだな」


 唇をみ締めて王の私室への階段をのぼる。あくまで私的に謁見し、報告と共に指示を仰ぎ、婚約者として捜索隊をまとめる任に就いた。


「先に状況を見ておくか」


 執務室に向かう前にきびすを返し、ここ数日、セクティアが使用している部屋に入る。スヴェインが最初にあてがった客室を彼女が気に入ったため、そのまま使わせ続けていた。

 侍女達は深く頭を下げて王子を通した。


「申し訳ございません。私達がもっと気を付けていれば、このようなことには」

「いや、苦労をかけたな。……これは」


 入った途端、はっとした。懐かしい何かに抱きすくめられたような気がしたのだ。なんだろうと思って見回すと、その正体は部屋に残っていた甘い香りだった。


「この匂いは確か以前も……」


 そうだ、つい先ほど思い出したばかりだ。数年前、一緒に馬を走らせたあの時、少女がまとっていたのもこの香りではなかったか。

 テーブルを見れば、白く大きな花が数輪、細い花瓶に活けられている。


「これは? 見たことのない花だな」

「セクティア様が取り寄せられた花でございます。なんでも、フリクティー王国の森にのみ咲いているものだとか……」


 セクティアの身の回りの世話をしてくれている若い侍女が不安げに説明する。数日のうちに歳の近い王女と打ち解けたらしく、心の底から心配している様子がうかがええた。


「とりあえず、荒された形跡はなし、と」


 彼は一通り室内を見て回ってから、奥のテラスへのガラス扉を開け放った。ざぁっと夜風が入り込んでくる。外は時折見回りの兵士が灯りを手に行き来する以外は月明かりしかなく、薄い闇に沈んでいる。


「誘拐の線もなしだな」


 持ってきたランプをかざして覗き込んでみると、手すりの端のぱっと見には分からないところへ、何かがくくり付けられていることに気付く。細いロープが下へ下へと垂れ下がって地上まで届いていた。

 最初から予想はしていたものの、こうもその通りになってしまうと溜め息しか出てこない。


「スヴェイン様、お呼びでしょうか」


 後ろからりんとした声がかかる。この状況下で、少なくとも表面上、動揺を見せていないのは彼くらいのものだった。


「シン。花嫁は家出した。本当にお忙しいことだ」



 一方その頃、セクティアは夜の森を駆け抜けていた。ユニラテラ城からこっそりと連れ出した黒馬にまたがって、である。


「そろそろ気付かれる頃よね」


 木々の合間を抜け、小高い丘に出たところで馬を止める。そこは丁度城の様子が眼下に窺える位置取りだった。城壁の内側で沢山の篝火かがりびかれているのを目にし、騒ぎが大きくなっていくのを感じる。


「ごめん、スヴェイン。でも、こうするしかなかったんだ」


 結婚を決めたら、衣装合わせを始めとした式の準備で大忙しになることは明白だ。当然、自らの行動も数か月にわたって大きく制限される。


「その前になんとしても、これだけはやっておかなくちゃね」


 手綱を引き、黒い影を返して背を向ける。城にはもっと丈夫で賢そうな馬が何頭も繋がれていたが、セクティアはあえてこの馬を選んだ。闇夜に紛れるのにぴったりだったのと、うまやに入った時の直感が理由である。


「あなたは、私を真っ直ぐに見てくれたもの。眠いかもしれないけど、もうしばらく付き合ってね」


 ありがとうと呟いて首筋を撫でる。馬はぶるぶると鼻を鳴らして応えた。優秀な乗り手にまんざらでもなさそうだ。


「あ~あ、あなたの名前が分かれば呼んであげたいのに。残念だなぁ」


 警備をかいくぐり、馬まで持ち出して脱走した王女の不満がこれだと知ったら、見回りの兵士は卒倒するだろう。


「けど、この方法はもう使えないだろうな。次はどうするか考えないと」


 懐から取り出した小瓶には、まだ琥珀色の液体が僅かに残っている。それを振って確認し、また戻す。


「さて、行きますか」


 城の様子を見届けてから、彼女は再び森を走った。細い街道に出て、右に折れる。昼間のうちに城の者から見せて貰った地図を頭に思い浮かべながら、街へと向かった。



 門兵が倒れているとの報告は、執務室で待機するスヴェインにすぐさま伝わった。


「酒の匂いがしました。しかし、それだけとも思えません」

「分かった。下がってくれ」


 夜も深い時刻だ。扉が閉まれば、蝋燭を幾つもともした足元には暗がりがっている。

 部屋の外には兵が控えるが、室内にはシンと二人だけになったところで、中央に運び込まれた大きな机に目をった。そこには城周辺の地図が広げられている。


「恐らくは薬でしょう」


 門兵とて、仮にも訓練された兵士だ。王女に勧められたからといって、ちょっとくらい呑んでも……などと軽い気持ちを起こしたことは厳罰に値するが、泥酔するほど口にはしないはずだ。

 そして少量で意識を失うとなれば、薬を盛られたと考えるのが妥当である。


「だろうな。酒に混ぜるんだ。無味無臭なのか、僅かしか入っていなかったのか……。だが、そんなもの何処に隠し持っていたんだ?」


 不審物を城に入れるわけにはいかない。セクティアを拾った時、彼女の持ち物は一通り確認していた。

 信頼の置ける女性の臣下に衣服も調べさせたが、液体や粉末、あるいは粒状の何かを所持していれば報告に上がったはずだ。


「後から、外より仕入れた可能性が高いかと。姫が触れた品々をあたります」

「あぁ、頼んだ。――いや、待て」


 さっと踵を返して出て行こうとしたシンを、スヴェインは素早く呼び止めた。何かが胸に引っかかっている。彼は頭に婚約者の部屋を思い描いた。


「まさか」


 一つの可能性に突き当たり、側近にある物を調べるように命じた。走るように出て行ったシンが急いで執務室へ持ち帰ったのは、見事に咲き誇る白い花の花瓶だった。

 シンの後ろからは白衣を着た中年の男性が続く。ユニラテラ王族お抱えの医師の一人だった。うやうやしく一礼して、確信を持った口調で言う。


「薬師とも相談しましたが、間違いございません。花粉に、人を惑わし眠りへ誘う効果がある植物と存じます」

「ふむ。毒性は?」

「いえ。この程度であればむしろ快眠が得られ、明日の朝にも目覚めましょう。材料の入手さえ困難でなければ、我が国でも扱いたい薬です」


 さすがに長年城に勤めているだけあって肝が据わった男だ。そんな医師のあっけらかんとした返答に一瞬王子は脱力しかけたが、続いた言葉には表情を厳しくした。


「姫君には薬の知識がおありなのでしょう。量も実に適切です。素人がせんじると少なすぎて効果が得られなかったり、逆に多量に使用して死を招いたりすることが多ございますから」

「……」


 医師は再び一礼して去っていった。シンは黙り込む主の口元へ視線を送り、静かに次の指示を待った。


「お前は、あいつを馬が好きなだけの馬鹿だと思うか?」

「殿下はそう思っていらっしゃらないようにお見受け致します」

「はぐらかすな。もっと良く考えてみるべきだったんだ」


 フリクティーが争いごとから縁遠い国だからとしても、セクティアは家出を宣言した上で見事に逃げおおせた。

 そして、今度は兵の詰めるこの城からも煙のように消えてみせた。薬の知識は本職の医師をうならせるほどだ。


「気配を殺して城を抜け出し、薬物で兵を眠らせ、馬を駆って門の外へ逃げ出す王女だと? 身近に置いていたら、何があるか分かったものじゃないぞ」


 口には出さないが、暗部の人間だと言われた方がしっくりくる。まるで諜報部員か暗殺者のようだ。

 もしやという思いが胸をぎる。


「殿下。では、そのためにフリクティーは遠い国の王子との婚姻を望んだのでは」


 隣国ではセクティアの噂を聞いて縁談を断られる恐れがあるから。


「……俺はとんでもない妻を迎えることになったのかもな」


 国同士の意思を確認し終えた今、正式な書面を交わす日まで残すところ数日。王子の頬を、汗が伝い降りていった。

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