第5話 水野亜玖亜は読まされる #4


 なんとこの書店には『図書喫茶』なる喫茶店が併設されている。普通のカフェとしても使えるし、買ったばかりの本を持ち込んで早速読む人も大勢いる。満席なこともままあるのだけれど、今日は運よく、窓際を向いた二人掛けのソファー席が空いていた。もう少し話がしたいという美紅たっての希望により入ることにした。

 美紅と私はそれぞれカバンをカゴに入れ、ソファーに沈み込む。こうして並んで座ると、向かい合わせの席とまた違った気恥ずかしさがある。

 とりあえず二人分のブレンドコーヒーを頼んだ。


「綾香さんはどんな本を読むんですか?」


「私はやっぱり異世界ファンタジー系が多いかなぁ。あとはSFとミステリー。自然と書いてるジャンルに寄っちゃうかな。青春とか恋愛ってなんだかピンと来なくて」


 窓の外を眺めていると、電飾に飾られた名も知らぬ樹木が乾いた葉を散らしていた。


「なるほど。『友情、努力、勝利派』ですか」


 成り行きで謎の派閥に認定されてしまった。

 そうこうしているうちにコーヒーが運ばれてきた。白と黒を基調としたエプロンドレスに身を包んだ店員さんが頭を下げて去っていく。

 少しの間視線を彷徨わせた美紅はボブカットを傾げる。


「『文芸部』シリーズはどうですか?」


「ああ、それは知ってる。本も読んだし、アニメも観たよ。懐かしいな、もう三年も前のやつだ。高校生の日常からあんな風にミステリーを切り取るなんてすごいよね。面白かったなぁ」


「綾香さん、アニメも観るんですか」


 喫茶店の蛍光灯が美紅の表情を照らし出す。目をドングリのようにまん丸にしていた。傾げたままのボブカットが肩の上でたわんでいる。こうしてみると非常に愛嬌がある。


「うん。人並みには観てると思うよ。『SSO』とか『Fw:ゼロ』とか。あ、あと『俺ガエル』は今期イチオシだね」


「あ、それ全部わたしも観てます。『俺ガエル』は青春で恋愛ものですけど——いえ、自分で言ったことですね」


 美紅曰く——書いている小説と読んで面白いと思う小説の方向性が同じじゃなきゃいけない決まり事なんてない。


「あとは——『サイコガン』、『クイックスタート』はどうです?」


 かたやハードボイルドSF、かたや女子高生の日常系、まるで私を試すような質問だ。生意気可愛いか。


「どっちも観た。ってか、美紅もいける口だね?」


 アニメタイトルの応酬が通じるのが嬉しくて、自然とお互い会話も弾んでくる。リアルの友人とこうしてアニメの話をするのは久しい。サークルに所属していない上に余暇のほとんどを執筆に費やしている私は、大学の数少ない友人とも深く話す機会を設けてこなかった。


「宿題の後に執筆してると夜遅くになってしまうので、深夜番組はすっかりお友達になっていますね。それに、執筆の幅も増えますから。映画やドラマを観るのも参考になりますが、アニメもなかなかバカにできないです」


「ああ、そうだったっ」


 私は美紅の『執筆』という単語に反応して、自分の手提げ鞄を漁り始める。中から一冊の大学ノートを引っ張り出して、美紅の前のテーブルに置く。


「この間はごめんね。紛れてたのに気づかなくて。中身は——ごめん、ほんのちょっとだけ見ちゃったけど、数ページだけだから」


 問題のノートには、美紅が碧宇美名義で連載しているバンドもの小説のプロットやフレーズが書いてあった。そうだと分かった瞬間にページを閉じたので、一応セーフということにしてもらえないだろうか。


「それでは貸し一つということで、一個お願い事を聞いてもらえませんか?」


 してもらえなかった。不可抗力だと思うんだけれど、貸しになるのっておかしくない? そんな疑問を差し挟む余地もなく。その微笑みはやはり邪悪な気配を漂わせるのだった。




 書店を出たところで、ふいに美紅がストールの端を摘んできた。

 すっかり短くなった日は沈み、夜の帳が澄んだ空気を閉じ込めていた。


「また会ってくれませんか? 綾香さん」


「あー、でもこんな時間まで出歩いてると、親御さん、心配するよ?」


 美紅はストールに手をかけたままだ。断ったら首がきゅっと締まるなんてことはありえないだろうし、考えたくもない。


「問題ないですよ。いつもこの時間まで出歩いてるので。それに両親の帰りも遅いですし、適当に食事とか済ませておくことが多いんです」


「いやいや、現役女子高生。それは危ないってば」


「綾香さんと一緒だと言ってあるので大丈夫ですよ。理解があるんです、我が家は」


「面識のない赤の他人の名前でGOが出るなんて逆に不安だよ、私は!?」


「面識がある、って言ったらどうします?」


「へ?」


 ——へ? じゃない。今の今まで気づかない方がどうかしていた。

 果たして美紅は、私の想像通りの言葉を述べた。


「わたしの父は綾香さんのことを知っていますよ。どうしてわたしが、どこにも公開されていない『幽体転生 〜異世界に転生し損ねたわたしは幽霊のままラストダンジョンを彷徨う〜』の内容を知り得たと思ったんですか?」


「まさか——、美紅って……」


「ええ。あのときの担当編集の娘です。綾香さんの原稿はこっそり父の書斎から拝借したんです。実名とペンネームと、ついでに顔写真付きの履歴書もありましたからね。いずれ見つけられると思っていました。どうです? びっくりしました? LONE交換しときましょう?」


 ——うそ、私の個人情報、ガバガバ……?

 唖然とする私のポケットからスマートフォンが引ったくられ、美紅にもう一つ追加で個人情報を収集された。


「お願いがあります」


 口許に手を当てて驚く仕草をする間もなかった。美紅は私の反応などお構いなしに話を続ける。

 ところで、さっきの「会ってくれませんか」はお願いじゃなかったんだろうか。お願いは私の預かり知らぬところで二つに増えていたようだ。

 美紅が通学鞄から出してきたのは、B5版ほどのサイズの分厚い封筒だった。


「この封筒は?」


「中には新作の小説が入っています。まだまだ校正の余地はあるんですが……、とりあえず形になったので」


 そこで彼女は一度言い淀んだ。


「——綾香さんに最初に読んでもらいたいんです。ダメ、ですか?」


 伏し目がちの表情は今にも泣きそうで。剥き出しの膝が震えているのは寒さのせいにするにはあまりに痛々しすぎる。PV三万の大台に乗ろうという実力派の物書きである少女が、たった一個人に作品を提示することにナーバスになっている。


 受け渡されたそれはずしりと重かった。


 ダメとは——当然言えなかった。




   *




 美紅から受け取ったそれは紛うことなく原稿用紙の束だった。

 家に帰り、封筒の口をハサミで切る。ベッドに寝転んで中身を封筒から抜き出すと、やっぱり結構な厚みだった。プリントされた明朝体の文字が紙面を埋めている。ざっと四十万文字くらいか。


 そして、私は——。

 一文目を読んだ瞬間から朝までノンストップで、碧宇美の描く異世界ファンタジーを読み耽ったのだった。




   ***つづく***

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