第7話 アテンドTHE大化改新(7)



「結衣、今日も図書室行くの?」

「うん、最後の追い込み〜。じゃあいくね」

「そっか。いってらっしゃい!」

勉強会翌日の昼休み。またも私は親友二人に見送られ、自分の席を離れた。仕方なく、名残惜しい、そんな風な顔をして、今日は英単語帳と歴史の一問一答を引っ掴んで。

結局、予想どおり、勉強会は名目だけでほとんど勉強にならなかった。

最近はとくに弛んでいる。分かってはいても、いまいち焦燥感といったものは湧いてこない。周りが緊張感に欠けるから、それが当たり前になり始めている。悪循環だ。授業で習った経済単語で言うなら、デフレスパイラル。勉強する格好、素ぶりばかりうまくなっている気がする。定期テスト前の中学生みたい。少し違うのは、ごまかす相手が親や周りだけじゃなくて、自分もということ。

今だって、その格好。持参の参考書はいわばダミー、持っているだけでまず開くことはない。教室を出たら私はまた別棟へ向かって歩く。近づくごとに、気分の昂ぶりを感じた。

それを顔に出さないようにして、今日も国文クラスを覗く。麗しの大石くんは今日もカレーパンを齧っていた。好きなのかな。パンが好きなら、もしかしたらお話しできるかも。

そんな妄想にさらに心躍らせながら、別棟二階の廊下に到着する。一息ついて、まず始めにやるのは掃除である。箒で掃いて、綺麗めの雑巾をかけてスペースを作る。こうしないと、埃や虫の死骸で座れたもんじゃない。

汚れないよう念のためスカートを短く折ったら、足を組んで廊下にべたりとしゃがみ込んだ。まぁないことだろうが、もし万が一誰かが来ても中には体操服を着ているので下着を見られる心配はない。

大きく深呼吸して息をつく。昼は日差しが届かない分、外より寒いからだろう、吐いた息がまだ十月なのにもう曇った。それが空気に溶けてなくなるのを見守る。

本当に誰もいない。こんな息一つ、私しか見ていない。

そう思ったら、さらに気分が高揚してきた。いつかばーゆから譲り受けた古い音楽プレイヤーを取り出して、壁に立てかける。流すのは、最近ずっと聴いているあの曲だ。

低い天井だから、家でコンポにイヤホンさして聞くよりずっと響いていい音が鳴る。聞いていたら、自然とリズムに乗せられてしまう。

全部全部、ばかやろう。枯れても壊れても、叫べ響け、君の道を進め。

こんなふうに口ずさんでも誰も聞いていない。ここなら妹に見られる心配も、母に叱られる心配もない。

あぁ、あぁ、響け。叫べ。壊せ。

最後のサビ終わりには、ボーカルと一緒にハスキー声シャウト。実に気持ちがいい。私はもう一回、とリピートボタンを押す。また同じ曲が流れ出した。今度は最初から声を張って歌う。

これが最近の私の昼休み。

言い訳をするようだが、最初はそんなつもりではなかったのだ。本当に勉強をしようと思って図書室に行って、その日が運悪くも閉室日だった。それでなにもせず帰るのもなぁとふらふらとして行き着いたのが、この場所である。単語の発音練習をしていたら音が反響することに気がついて、そこからこの変な趣味が始まった。変。だけれど、ここにはそれを笑うような人も来ない。秘密の単独ライブ。

何回も繰り返して、たまにアイドルの曲なんかも交えたりしながら、喉があたたまってきたら結局またはじめの曲に戻ってきたりして。

そうして、また例の曲のサビ終わり部分に差し掛かったところで、私は声を絞るため天井を仰ぐ──

「あぁ、あぁ、響け────」

はずだった。しかし、ひらりとなにかが舞って、白い天井があるはずの視界は、なぜか真っ暗になった。なにごと。私は歌うのを妨げられ、不機嫌半分。顔の上に乗ったなにかを払いのけて、落ちたのを拾い上げる。A4サイズのルーズリーフだった。

「……なんでこんなところに」

 もしかすると、私以外の誰かもここに来ていたりして? そう考えるのに時間は掛からなかった。私の単独ライブ崩壊の危機。急に怖くなり、音楽を止めて耳をそばだてる。廊下を端まで見回し、疑心暗鬼。音が鳴ったと思ってびくっと跳ねるが、ただの始業五分前のチャイムだった。変な心配はするだけ無駄らしい。わざわざ私を見ようとする、もの好きなんていないか。教室でつばきがご飯を食べているのを眺めているほうが、いいに決まっている。

私はプレイヤーをブレザーの内ポケットにしまって、拾った紙を廊下に捨てていくのも気が引けて、英単語帳に挟んで教室へ走った。制服のスカートについた埃を払いながら。



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