大きな子供

 私はLCC事件の後、槇田くんのことを密かに観察するようになった。学校帰りに見かけて何となしについていくと本屋さんに入って行く。槇田くんは平積みになっていた本を手に取った。槇田くんが会計を済ませて出ていったのを確かめてから、その陳列棚に並んでいた本を確かめる。


 私は唖然としながら目をこすった。何度見ても恋人と死別するラブストーリーのタイトルが私を見返している。私もこの間読んでティッシュペーパーを空けちゃったので知っていて、ガチで涙腺崩壊するやつだ。辛い話なのに読み始めたら止められず、翌朝が土曜日だったことに鏡の前で感謝をした。あの顔はちょっと人様に見せられない。


 翌日、登校してきた槇田くんは腫れぼったい目をしていた。不機嫌そうにむすっとしているが、私は可笑しくなってしまう。あの本を昨晩読んじゃったんだ。涙と鼻水で顔をぐしゅぐしゅにした顔を想像しようとするがうまくいかない。だけど、あの目の腫れ具合からすると相当泣いたはずだ。


 こうして密かに槇田くん観察をしているうちにあることに気づく。槇田くんも私のことをかなりの頻度で見ていることに。テスト中に不意に振り返ってみた時なんか、ばっちりと目が合ってしまった。槇田くんはすぐに下を向いてしまったけれど、私の方に視線を向けていたのは間違いない。


 そして、決定的だったのは珍しく梅雨の中休みで朝から晴れていた日のことだった。汗ばむ陽気だったのが下校時間が近づくと急に冷たい風が吹き始める。そして、終礼のチャイムが鳴るころには土砂降りの雨になっていた。こういう日に限って普段は持っている折り畳み傘もない。


 軒下で恨めしそうに空を眺めていたがとてもやみそうになかった。少し体調が良くなかった私が覚悟を決めて駅まで駆けて行こうと決心したそのときに目の前に真っ黒な大きな傘が差し出される。首を捻じ曲げて見上げるその先にはなんとも言えない表情をした槇田くん。


「体育の時間、辛そうにしてただろ。濡れると体に良くない」

 それだけ言って傘を押し付けてくる。ずしりと重い男物の大きな傘だった。

「ありがとう。でも悪いよ。それにこれ私には重くて持てないかも」

 傘を押し付けて去ろうとしていた槇田くんがぴたりと止まる。


 ちょっと微熱があったからかもしれない。私は実に大胆な提案をした。

「槇田くんが入れてってよ」

 目を白黒させる槇田くんの耳が赤くなる。きっと私も同じような色になっているだろう。耳のほてりを強く感じていた。


 ばさっと音がして大きな大きな傘が広げられる。私には重かった傘を軽々と掲げて槇田くんが立っていた。傘の下に顔を突っ込むようにしている。私が昇降口の階段を降り始めると歩調を合わせて歩き始めた。


「ありがとう」

 感謝の言葉を口にしてみたものの、その後の言葉が続かない。幸いにして物凄い勢いの雨が傘を叩いているので、気まずい静寂が場を支配することはなかった。この音からすると傘がなかったらびしょぬれだろう。


 私は言葉だけでは物足りなくなって、さらに大胆な提案をする。

「あのさ。傘入れてくれたお礼をする。白猫寄ってこうよ」

 白猫というのは駅近くの喫茶店。本当は別の名前なんだけど、お店にいる看板娘にちなんでこう呼ばれていた。


 カランというカウベルの音をさせて店に入る。女の子同士できたことは何度もあるけど、男の子と二人で来るなんて初めてだ。時間帯のせいか今日はお客さんが少ない。注文したものがくるまでの間、私は話題を見つけようと頭を捻った。


「そういえばさ。この間は缶詰どうやって開けたの?」

 槇田くんはポケットから小さなものを取り出して見せる。小さなドライバーのついたキーホルダーだった。

「へえ。便利だね。いつも持ち歩いてるんだ。でもなんでこんなものを?」


「眼鏡のネジが緩んだとき用」

「え? 普段はかけてないじゃん」

「本を読むときはかける」

「そうなんだ」


 私がこの間槇田くんが買ったのを見かけたような恋愛ものを読むことを告げると、反応が薄い。でも、私は槇田くんも読んでいることを知っている。どうも内心の動揺を抑えるのに必死のようだ。タイミング良く、私の頼んだチョコパフェと槇田くんのアイスコーヒーが運ばれてくる。


 私はおしゃべりを中断してパフェを食べ始めた。熱っぽい体に染み渡る甘く冷たい誘惑の味が口に広がる。ちなみに私は食べるのが遅い。まだ4分の1も食べていないのに、槇田くんはアイスコーヒーを飲み終わっていた。スピードをあげようとするとぼそりと言う。

「気にせずゆっくりどうぞ」


 そうは言ってものんびりと食べてはいられない。必死にパフェと格闘した。底が見えてきたところで槇田くんに目をやると、ストローを口にして何か真剣な顔をしている。よく見てみると残った氷に息を吹きかけて穴を開けてストローをその穴に通していた。子供みたい。私の視線に気が付くと恥ずかしそうな笑みを浮かべる。私はその姿をちょっと可愛いと思った。

 


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