第5話:悪酔いした幹事

 シンコーの大月さんというのは出向社員で、調子のいい感じだが飄々とした雰囲気の人だ。僕たちと仕事上の関わりは全くなく、というかそれ以前に、シンコーというのが何のことなのか、なぜここにいて、普段何をしているのか、全く知らないのだった。知らないまま、電話を回したり、土産物を配りに行ったりしているうちに気さくに話すようになり、何となく向こうがこちらを立ててくれるのでそれに甘えてしまっている。

 無駄に長い廊下を突き当たりまで歩いて、目立たないドアの小部屋を小さくノックして入る。なぜかデバッグと呼ばれているその部屋はほとんど倉庫みたいなところで、使うんだか使わないんだか分からない端末や何かが積まれており、その奥にたいてい大月さんがいる。あまり、孤独に職人気質で作業するという感じの人ではないから、少し違和感がある。大月さんはいつもこちらの話を聞いてくれて、自分の仕事の愚痴なんかは何も言わないから、余計に何をしてる人なのか分からない。

「お疲れでーす」

 後ろから声をかけると、にこやかに「お、おお、お疲れさま!」と歓迎された。「何の用?」「どうしたの?」とは決して聞かれない。彼にとっては、僕たちが何の用で来ても全く構わないのだろう。

「どう、忙しくなってきたでしょ。ね」

「ええ、まあ、そんなところで」

「いやあ、最近寒いしね」

「そういえば、ここ暖房入ってないんじゃないすか?」

「うん。そうかもしんない」

 沈黙ののち、顔を見合わせて自然と笑った。こういうところで笑って、和ませてくれる人だ。今度来るときは、カイロか缶コーヒーでも持参しよう。

「そういや、こないだ、あの、佐山ちゃんにチョコもらっちゃってさ。すっごい甘いの。あの子、好きだよねー」

「ああ、佐山さん。いつもお菓子出てきますよ。どっから?ってぐらい」

「そうそうそう。山根くんももらう?」

「いや、そんなには・・・」

「あ、悪いこと聞いちゃった?ってか悪いこと言っちゃった?」

「いやいや、きっと、痩せてる人から順に配ってるんですよ。そういうことにしません?」

「そう?そう?山根くん太ってないじゃん。まあ、それでいうと、山根くんとこの課長はもらえないね」

「永遠に順番来ないですね」

「永遠ってひどいね、それね」

 ひととおりデブネタで爆笑。肥満予備群は僕の同期にもすでにチラホラしている。

「あ、大月さんそうじゃなくて。違うんですよ」

「何が」

「ぼ、忘年会です」

「忘年会」

 大月さんは一瞬身構えたように見えた。自分が普通に参加するかどうか、微妙な立場なのだろう。

「連れて来いって言われちゃったんですよ。今日は無理そうですか?」

「いやー、無理ってわけじゃないけど・・・」

「大月さんと話したいってやつ、結構同期にも後輩にも多いですよ」

「またまたあ」

「いや、ホントですって。女の子たちからも注目度高いし」

「何にも出ないよー?分かってるんだから、山根くんがそんな、女の子情報詳しくないってさあ」

「いや、それはそうですけど、今のは本当ですよ。小耳にはさみましたもん」

「どの小耳よ、ええ?どの小耳よ」

「これです、これ。ここの」

「っていうか小耳ってなんだろね」

「ふむ、確かに」

 などと話していると、ようやく踏ん切りがついたのか、大月さんが立ち上がってくれた。正直言って、大月さんはいい人だから大変申し訳ないけれども、僕は連れていく役だから、これで申し分が立って今日のこれからがとても助かる。何だかんだいって大月さんはうまくやれるし、連れていけば僕はお役御免で、あとはぐだぐだになっていく会をしばらく静観すれば週末に突入できる。黒井だって大月さんだって、放っておいても、僕なんかいてもいなくても、充分うまくやっているのだから、僕が心配したり気を回す必要なんて全然ないのだ。



・・・・・・・・・・・・・



 大月さんが、届いていなかった分のメールを確認し、地図を印刷してくれて、二人で会場へ向かった。遅刻の大義名分もあることだし、とても気が楽だ。大月さんとは鉛筆削りの話で盛り上がった。久しぶりに鉛筆を使い始めて気に入っていたが、鉛筆削りがない。カッターもない。はさみでは削りにくい。そこでホテルのアメニティでもらってきた使い捨てのひげ剃りを使ってみたという話だ。

 大月さんが「こっちだよ」と言って、すんなりと会場に着いた。こないだの迷子は何だったのだろうという道筋だった。もしかして黒井は方向音痴なのか?

 とにかく大きな雑居ビルのエレベーターに乗り、目指す「蜜の雫」へ。一応僕が先導して、店員に会社名を告げると、奥の座敷だという。入り口の割に店内は広く、奥行きがあるようだった。

「あ、ここですね。誰だ歌ってるのは」

「盛り上がってるねえ」

 そろそろと戸を開けるとすぐに先輩の女性社員に気づかれた。

「あ、ほら、幹事補佐!」

 すぐに周りもこちらに注目する。

「幹事補佐~~!遅い~~!」

「大月さん連れてきた??」

「あ、こちらに」

 僕は慌てて後ろを振り返り、先に大月さんを中に入れる。

「大月さ~~~ん!!」

「来てくれたんですね!」

「補佐、任務遂行じゃん!」

 大月さんは照れ笑いをしながら、僕に小声で「補佐だったの?」と。僕は頭をぶるぶると横に振って「いや、知らなかった」と笑った。どういうことになってるんだ?

 とにもかくにも、大月さんはすぐ大きな輪に吸収され、ビールだ熱燗だと乾杯攻めにされていた。よくわからないが、僕が何かいいことをしたのだと思い、ほっとした。またいつものように疎外感を味わうかとも思ったが、むしろ何だかすがすがしかった。

 僕も適当に座って残り物でもつつこうと思ったとき、「あ、幹事補佐は幹事に報告!」と、普段ろくに言葉も交わさない同僚から言われる。別に今更立ち上がって、黒井のところまで歩いていって、黒井も見ていたであろう大月さんの到着を報告することもないだろう。まあでも、かといって同僚の言葉をまるで無視するわけにもいかず、仕方なく座布団を縫うように黒井のいる下座へと向かう。

 いざ立ち上がって周りを見てみると、僕がわざわざ立ち上がって歩いているという事態を気にしている者は、というか、気づく者はいなかった。誰が立とうが、寝ようが、逆立ちしようが、お構いなしのようだ。

 目立つ感じの女の子たちは黄色い声で場を盛り上げ、そうでもない子たちは隅っこで固まっていわゆるガールズトークを繰り広げている。中堅は上司と若手とをつなぎつつ、鍋をつつくのに余念がない。上司は女の子をからかうのとお説教に終始し、それ以上の年齢層になると、既に壁にもたれて舟を漕ぐ者もいる。

 僕が近づくと黒井がすぐに気づき、「どうだった?」と訊く。周りの声があまりに騒がしく、声は聞き取れなかったが、唇の動きで分かった。僕が大月さんの方へ顔を向けて、大丈夫だとうなずいたその瞬間、「えー、大月さん結婚してるんですか!!」「うそ!ホントですか!?」と黄色い声。僕たちは顔を見合わせ、目で「知ってた?」「いや」と会話し、笑った。

 黒井はちょうど酒の注文を取りまとめていたところで、店員を呼びやすい座敷の下座に陣取り、今も外へ出るところだった。ちょいちょいと手招きされ、「ちょっと、一緒に来て」と言われる。うなずいてそのまま座敷を出て、つっかけで歩き出した。

「注文?」

「まあね」

 振り向いた黒井は赤い顔で、酒臭かった。

「うわ、だいぶ飲んでる?」

「飲まされた」

 途中で店員をつかまえ、酒の注文をする。そのあとも黒井の足取りはふらついていたので、とりあえずそのままトイレのほうへ向かい、竹のベンチに座るよう促した。僕は座らず、壁にもたれる。

「そういえば俺、いつの間に幹事補佐になってんのさ」

「ああ、それね。俺が言ったの」

「何で」

「だってさ、大月さん迎えに行くのお前に頼んだらさ、何で山根に頼むのとか言ってくるから、あいつ補佐だからって。別に、俺が誰に頼んだっていいじゃんか。自分が手伝うわけでもないのに口だけ出すんだからさ」

「いや、まあ、うん。でも、何で俺?」

「だってそりゃ、一緒に行ったじゃん。下見」

 下見にもなっていない、怪しい店「みつのしずく」。思い出して少し笑った。

 しかし、黒井の笑いは途中で終わり、ため息とともに力なくうなだれた。

「大丈夫か?」

 返事はない。

「なあ?」

 沈黙。

 怒っている?

 ・・・いや、酔っている? 

 僕はこんなとき、どうしたらいいのかさっぱり分からなかった。

 トイレで吐かせたらいいのか?店員をつかまえて水でももらえばいいのか?救急車ということはないだろうが、このまま座敷へ帰すわけにもいかない感じだった。

 突っ立っていると、ふと、手を握られた。熱い。

「おい・・・」

 本格的にまずそうだ。

 握っていた手が、だらりと落ちる。

 僕は横に座って、時計を見た。宴はあと三十分くらいある。とはいっても、会が終わってから会場を出るだけでも時間がかかるから、十五分くらい前には締めなくてはなるまい。

 そう、この世界には、会の終わりには「宴もたけなわではございますが・・・」と幹事が挨拶をして締めくくるという鉄の掟があって、それは未だに通用しているのだ。今日は幹事が酔い潰れたから勝手に解散、とはいかない。どんなに馬鹿馬鹿しくても、それではまかりとおらないのだ。

 でも、それだからって、締めなかったら明日も明後日も忘年会をやっているなんてことはない。絶対に誰かがどうにかして場を収め、会社は通常営業していくはずだ。だから、僕が今ここで黒井の異変に気づかなかったとて、たぶん、事は収束するのだろう。

 別に、僕がいなくたって。

「俺・・・」

 代わろうか、の一言が、喉まで出掛かって、しかし出てはこなかった。

 一応幹事補佐として認識されてはいるのだから、どさくさに紛れて僕が締めても、いいのだろう。挨拶をして、例の何本締めだかをやって、おしまいだ。黒井が「やってくんない?」とひとこと言ってくれれば、僕はそうすると思う。

 しかし。

 何も言われないまま勝手に僕がしゃしゃり出たとして、もし幹事の顔に泥を塗るようなへまをしたらと思うと、怖くて動けなかった。別に、失敗して恥をかくのが怖いわけじゃない。ただ、こうしてせっかく黒井と話が出来て、「同期の一人」から「友人」へ踏み込めそうな関係を、自身の失態で積極的に壊してしまうのは嫌だった。

 そんなことがあったら、次の日からどんな顔で会えばいいのか分からず、僕は距離を取りたくなってしまうだろう。


 本当は黒井がこのままだるそうに立ち上がって、「さて、戻るか」と言ってくれるのが、たぶん一番いいのだろう。

 だが、このまま何事もなかったかのように元の席に戻り、「幹事さーん、そろそろ締めなきゃ」「段取り悪いぞー」などという野次を、舌打ちをこらえながら黙って聞く気にも、僕はなれなかった。

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