第22話


 翌日から僕は森川さんと無料の求人誌を見ながら正社員の募集を探し始めた。

 僕は生地の仕事か文章に携わる仕事がしたかった。出来れば正社員で。しかし、生地の仕事は全くなく、文章に携わる出版社の求人はあったけれど応募規定の段階でいろいろと超えられないハードルが設定されていた。要免許、大卒以上、経験者のみ。出版社で経験者なんてどうやってクリアすればいいのか僕には分からなかった。それでも僕はスーツを着て働く仕事、正社員としての採用を探した。給料やお休みなど条件など特に考えてはいなかった。もしもの時の為にしていた貯金もあったし、キリヤ堂での有給休暇分の臨時収入もあったので僕の気持ちは多少余裕があった。それでも計算すると今のまま無収入で生活すれば三か月持たずに僕は破綻する。免許がないとかなり正社員への道は狭くなることを痛感した。心の中ではもしもの時はキリヤ堂池袋店に行けばいいやとか考えたりもした。森川さんとCをして。もうその頃にはお互い裸のままでも普通にいられるようになっていた。二人でクーラーもつけずに一階だから窓を閉め切った暑い部屋の中、汗だくになり、裸のまま布団に寝転がり求人誌をめくって職を探す。冷凍庫で冷やしておいたアイスノンが体を冷やす。Cが終わったらカーテンを閉めた状態で窓を開ける。Cの時の声だけは窓を閉めないといけなかった。森川さんは僕だけのものだから。夏はお風呂なんて焚かない。水風呂がちょうどいい。水で頭を洗うと泡立ちが少し悪い気がした。求人誌には僕でも正社員になれそうな募集がほんの少しだけあった。その中で僕は一つの求人に注目した。年齢、経験一切不問。免許不要。即採用。月給二十五万円から。昇給年一回、賞与年二回、年一回社員旅行ありでしかも海外。職種の欄にはファイナンス業という文字が。他のものは月給十四万円とかそんなものばかりだったので僕はそのファイナンス業というところに面接を受けてみようと思った。僕はファイナンス業とは金融屋さんのことだと知っていた。僕の頭の中ではナニワ金融道みたいな感じのイメージで、主人公の人はすごく誠実で真面目な人だったし、意外と僕もいけるかもしれないなと考えたりした。森川さんは、小沢君に金融屋さんは似合わない、けれどお金のことや条件を考えれば私には口出しは出来ないと言った。僕は履歴書と履歴書用に写真も撮らなければいけないと考え、またあの面倒くさいものを書かなければいけないのかと思った。無駄に長い僕の母校の名前。趣味読書と書いても嘘くさいと思われるのも分かっていた。森川さんはそんな僕に、GLAYの曲の口唇って頭に下を付けると一気にダサくなるよねと言った。僕は思わず吹き出してしまった。森川さんのこういうところが僕は好きだった。金融屋さんであろうファイナンス業の会社に僕はドキドキしながら電話をかけた。こういう電話は誰だってドキドキするものだと思っていた。頭の中でナニワ金融道の人を想像しながら。ファイナンス業の人はすぐに電話に出た。思っていたより若そうで丁寧な言葉で社名を名乗ってくれた。僕は、求人の募集を見て電話をかけたのですがと言った。年齢不問なのに僕は年齢を聞かれた。僕は、二十一歳ですと答えた。ファイナンス業の人は、面接にいつ来られるかと聞いてきたので僕は、履歴書を用意しますので明日以降であればいつでも大丈夫ですと答えた。ファイナンス業の人は、それならば明日の朝九時に来るようにと言った。僕は、分かりましたと答え、履歴書以外に何か用意するものはありませんかと聞いた。本屋さんとかキリヤ堂で働いていた時の給料は銀行振り込みだったから僕は通帳とかいるのかと思っていた。ファイナンス業の人は、特にいらないと言った。失礼しますと電話を切った僕は履歴書用の写真を撮るためにスーツを着て荻窪駅にある履歴書用の写真撮影機に森川さんと向かった。履歴書用の写真は料金が高い。世のフリーターの人なら分かってくれると思うけれどみんな高いと思っているんだろうと僕は思った。写真など、面接に合格して採用となった時点で提出すればいいじゃないかと思う。何度も面接に落ちたら写真代もバカにならないし、使いまわしするに決まっているし、不採用でも履歴書を返してくれないところもある。個人情報を悪用されたらどうするんだと僕は社会に出てからいつも思っていた。それにしてもスーツと革靴に自転車は似合わない。それに暑くて汗をかく。森川さんが、暑いなら上着を脱げばいいと言った。それから僕のスーツはオールシーズン用だから夏に着ると暑いのも仕方ない、夏には夏用の、冬には冬用の季節にあったスーツがあることを教えてくれた。ベルトは村尾さんがキリヤ堂最後の日に僕にくれた。自転車を駅前に止めて、スーツの上着を脱いで片手に持ち、ワイシャツの袖をめくり、革靴を履いて歩く僕。その横には森川さん。街の人たちに僕らは若いサラリーマンとOLさんのカップルに見えているのかな。いつも着ていた安物でボロボロのジーンズにTシャツ、穴の開いた靴。スーツと革靴を身に纏うだけで僕は大人に変身する。もう、童貞でもないし。いつも三人で行っていたドーナツ屋さんに森川さんと二人きりで行き、そこで履歴書を書いた。いつもの店員さんがスーツ姿の僕を見ている。見ている。いつもなら三人で来ていた常連のお客さんが女の子と二人きりでスーツを着ている。そういうことなんですと僕は心の中で店員さんに言った。履歴書を書くのは本当にかったるい。アルバイトは職歴になるのだろうかとか、キリヤ堂の前に働いていた本屋さんとか日雇いのアルバイトとかどれぐらいの期間働いていたのか忘れてしまっただとか、特技に生地を切ることや生地に詳しいと書いた方がいいのかだとか。森川さんにいろいろ質問しながら丁寧に履歴書を書いていく。履歴書は鉛筆では書けない。ボールペンで書くから最後まで気が抜けなかった。ゆっくりと書き込んでいく。書いている字の間違いに途中で気付いたら、バレないように強引にごまかす。糸へんとかは間違えてもなんとかなった。本当に意地悪だなと思ったのが最後に書き込んだ日付の欄だった。ボールペンで日付を書き込んだ時点でこの履歴書は使いまわしは出来ない。修正液で字は書き直すことも出来たけどそれだと印象が悪く、絶対に採用されないと森川さんが教えてくれた。買った履歴書の中に履歴書の正しい書き方が書いてあったけれど、なんかすごい経歴で参考にならなかった。大学院卒だとか職歴に株式会社で昇進したとか。そもそも履歴書にお金をかけて買う時点で何かおかしいのではないかと僕は思っていた。お金がなくて履歴書が買えない人や、履歴書用の写真が撮れない人はどうすればいいんだろう。それに雇う人の方が圧倒的に立場は偉い。面接で偉そうに散々ストレス解消するようなことも出来るし、一生懸命履歴書を用意して面接する人相手に媚びを売るように敬語を使い、質問にもあらかじめどう答えるか用意しておかないといけない。面接室に入るにも正しい入り方があると森川さんに教えてもらった時は、僕はそれって絶対におかしいと思った。経営者は求人を募集するのは誰かに働いてほしいからであって、働いてほしくなかったら求人募集なんて出さないはずだし、それでも面接では面接する人の方が絶対的に立場は上で、面接してやっているとか、採用してやっているとか、雇ってやっているとか。僕はキリヤ堂と田舎の工場以外の職場では常にそういう面接や扱いばかり感じていた。履歴書専用の封筒まで買わないといけないし。明日の面接は朝九時からだから早めに行って五分前ぐらいにファイナンス業の事務所をノックすればいいのだろう。場所は中野だから荻窪から三駅。電車が止まったらとか考えたら一時間前ぐらいに中野に向かった方がいいなと思った。それにキリヤ堂より一時間も早い勤務開始時間。でも勤務時間は九時五時で公務員みたいだった。それで月に二十五万円も貰えるなら少し職場が遠くなるけれど全然いいじゃないかと思った。明日は採用されたらいいな、月二十五万円の給料だと税金はどれぐらい引かれるのだろう、そんなことを考えながら僕は履歴書も完成させて、ドーナツ屋さんを出てから森川さんと街をプラプラと歩いた。明日は早いから遅刻しないようにと森川さんとは早めに別れた。森川さんは僕に、寝坊しないように明日はモーニングコールをしようかと言った。僕は、念のために七時に電話してほしいと言った。森川さんは、中野で九時からの面接でそんな早起きをするのかと驚いた。そして別れ際に僕は周りを気にしながら森川さんと向き合った。人が誰も見ていない瞬間を見計らって僕は森川さんと街中でAをした。これはすごいことだった。映画とかマンガで見たシーンを僕が実際にやってしまうとは。森川さんの笑顔がとても可愛かった。僕はそれからスーツの上着を着て、自転車に乗って自宅に帰った。自宅に帰ってから履歴書用の写真をハサミできれいに切り取り、完成させた履歴書に貼りつけて、封筒に入れる。僕は明日の面接に履歴書を忘れないように自宅の鍵と自転車の鍵の束と二千円だけ入っている財布に履歴書を挟んでから水風呂に入り、明日に備えた。キリヤ堂のみんなに貰った焦げ茶色のスーツ。明日から僕は生地の世界ではなく、中野金融道を歩き始めるのかと考えながら早めに眠りに就いた。

 翌朝、僕は森川さんのモーニングコールで起きた。朝の七時。すごく眠い。昨夜は早めに寝たのに眠い。キリヤ堂が閉店してからしばらくダラダラした生活を送っていたからそれは仕方なかった。朝の九時に面接だから弁当は作らない。僕はワイシャツを着て、ネクタイをして、スーツを着て、大人に変身する。靴下だけは見えないからいつもの履きつくしたぼろいものでもいい。鏡がないので寝ぐせとか分からない。天然パーマの僕の髪はどうせ中野に向かう途中で鏡を見つけて唾で直せばいいと思った。忘れ物のないように履歴書をしっかりと上着の内ポケットに入れる。それでも僕は不安になった。僕が寝ている間に履歴書が入っている封筒の中身が別のものにすり替えられていたらどうしようと。履歴書の封筒を開けて中身を確認したかったけれどそれをすると糊で閉じた封筒がとんでもないことになる。それだけが不安だった。あとは二千円が入った財布をズボンの後ろのポケットに、煙草を上着のポケットに入れて僕は革靴を履いて外に出た。自宅の鍵をかけて何度もガンガンガンと鍵が閉まったかを確認する癖が昔からあった。それにしてもスーツ姿に自転車は本当に似合わない。僕は自転車に乗って荻窪駅を目指した。駅前に自転車を停めて、駅の切符売り場で切符を買う。往復だけでまたお金がかかる。これで面接に落ちたら僕が使った労力やお金は全て無駄になる。就職活動は本当に大変だ。中野駅にはすぐに着いた。地図を確認して住所の場所に向かう。中野駅南口からしばらく歩く。この道で合っているのかとか考えたけれど時間はまだ八時にもなってないので心に余裕があった。中野を歩いているとパチンコ屋さんがたくさんあった。面接の帰りに寄ってみようかな、即採用されたら自分にご褒美で寄ってみてもいいかなとか考えた。求人情報誌にも簡単な地図が載っていたので目的の場所はすぐに分かった。ビルの名前も確認してみるけれど合っている。それでも目的の階にはピアノ教室の看板が掲げられていた。ファイナンス業なのに何故ピアノ教室の看板なんだろうと僕は不思議に思った。僕は場所を間違えているのかと何度も思った。それでも住所もビルの名前も求人誌に載っている地図とも合っている。僕はビルの少し離れたところでハイライトを吸いながら九時五分前を待った。それにしても暑い。僕は履歴書だけは大事に折れたりしないように、また汗で濡れた手で封筒が濡れないように大事に持ちながら上着を脱いでワイシャツの袖をめくって待った。それでも汗が尋常じゃない。スーツの上着で拭いてもスーツの洗濯なんてやり方もしらなかったし、クリーニングとかに出してお金を払って洗濯してもらうものだと知っていた。だからスーツは汚さないように汗はワイシャツで拭いた。ハンカチとか持ってくればよかったと後悔した。森川さんに貰ったハンカチがあったのに。面接でファイナンス業の人にどんなことを聞かれるのだろうかとか、本当に二十五万円も給料を貰えて九時から五時の勤務だったら僕は一気に村尾さんの収入とか超えちゃうんじゃないかとか、いろんな意味で僕の頭の中は冷静じゃなかった。時間になり、僕はそのビルに入り、目的のフロアに階段で昇った。扉にはピアノ教室の文字が。この場所で本当に合っているのかなあ。僕は不安になりながら入り口にある呼び鈴を押した。ピアノ教室の文字が書かれたドアが開いて若い私服の人が僕を出迎えた。僕は、昨日面接のお電話を差し上げた小沢ですと言った。若い私服の人はとても優しそうだった。それから、募集で応募してきた人ね、じゃあ部屋に入ってと言って僕はその人の後について部屋の中に入り、玄関で革靴を脱いで用意されたスリッパに履き替える。ボロボロの靴下がバレなくてよかったと僕は思った。部屋の中には三人の若い人がいた。一人だけがスーツ姿であとの二人は涼しそうなカジュアルでおしゃれな私服姿だった。その時点で僕の頭の中のナニワ金融道のイメージは吹っ飛んだ。それから僕はソファーに座るように言われて社長と名乗る人に面接をしてもらうことになった。社長と名乗る人は高田さんという名前だと知った。高そうな腕時計をしておしゃれな私服姿で顔もかっこよく、村尾さんよりも若く見える。こんな若い人がファイナンス業の社長なのかと僕は驚いた。僕は履歴書を高田さんに手渡して、高田さんは受け取った履歴書の封筒を破って開封し、僕の履歴書に目を通した。高田さんは一言だけ、田舎から出てきたのか、採用と言った。僕は想像していた面接よりも全然違って、一瞬で採用が決まったことに嬉しい気持ちと、そんなに簡単に決まるものなのかと思った。それに流石ファイナンス業、事務所の電話が頻繁に鳴っている。それから高田さんに、給料は月二十五万円だけど日払い一万円ずつ受け取るか、それとも月末にまとめて受け取るか選ぶように言われた。僕は意味が分からなかった。日払い一万円とはその日その日、毎日が給料日であるということは知っていた。日雇いのバイトも昔にしていたから。僕は正社員になりたかったので、月末にまとめて貰えますかと答えた。これは後でよく考えてみたらものすごいからくりがあり、新人は土曜日も出勤するので二月以外は大体月の勤務日数は二十五日を超えるから日払いを選んだ方が得だったのである。僕は高田さんに試されたのだ。それから高田さんに仕事の内容や僕の役割を教えてもらった。このファイナンス業の会社は金融屋さんだけど、実際にはお金をお客さんには貸すことはせずに、最初に電話を貰った時にお客さんからどれぐらいの融資が必要か、仕事は何をしているか、年齢や住所や保険証や免許証の番号などを詳しく聞いてから、審査に少しお時間をいただきますので五分ほどでこちらから折り返しお電話を差し上げますと言う。もちろん、お客さんの情報は全て専用の紙に書き込んで。そして五分後にお客さんに折り返し電話をして、残念ですが審査の結果、当社の方ではご融資出来ないということになりました、お力になれなくて大変申し訳ないと思っています、そこでご提案なのですが、お客様の条件でもなんとか融資が受けられる他の金融業者を特別に弊社の方から口添えしておきますので、その金融業者をご紹介することは出来ます、その代り、あまり公に出来るお話でもないのでこのことはこれからご紹介する金融業者にはうちの名前は一切言わない、紹介されたということも一切言わない、そして無事に融資を受けることが出来たなら紹介料として借りることの出来た金額の二十パーセントを弊社にお支払いください、それがお約束出来るならあなただけに特別にご紹介をいたします、本来はこういうことはよっぽどのことが無い限りしないのですが、お客様の状況をお聞きする限り私も放っておけないと思いましたので、と。高田さんが僕に、うちは金融屋だけど紹介屋なのだと言った。全てのお客さんに同じような対応をする。スーツの人も私服の人も淡々と電話で同じ言葉を繰り返している。それから僕は高田さんに今日から働けるかと聞かれ、僕は働けますと答えた。これはいいことなのか、悪いことなのか僕には分からなかった。でもお金を貸すことはなくても、実際に借りられる金融屋さんを紹介してその見返りとして紹介料を貰う訳であり、筋は通っている。僕はメモを取り、仕事のやり方を覚え、すぐに他の人と同じように電話に出た。電話に出ながら、空いている時間にもう二人の私服の人とスーツの人が自己紹介をしてくれた。私服の人は山口さんと言ってこれまた俳優の様に男前で若くて落ち着いた人だった。すごく優しい目をした人だった。高田さんの目はかなりぎらついていた。スーツの人は山田さんと言って、この会社に入社して三か月目であり、君が入社するまでは僕が一番下っ端だった、よろしくねと言った。これまたすごく若く見える。椅子に座って電話で同じような言葉と対応を繰り返し、決まった紙に同じようなことを書くだけ。立ちっぱなしでいつも働いていたキリヤ堂の仕事より楽だった。四人で鳴り続ける電話に対応する。高田さんが途中で一度だけ僕に怒鳴った。新人、声が小さい、と。初日からもう僕は仕事の仕組みややり方を完璧に覚えて電話にドンドン出た。流石に審査の結果の電話は初日の僕には無理だったので高田さんが僕に変わってそのお客さんに電話をかけてくれた。中には紹介してあげてそのおかげでお金を借りることが出来たのに、紹介料をごねて払わないと言うお客さんや値切ってくるお客さんや紹介料を振り込まないお客さんもいた。そんなお客さんに高田さんは怖い声で、それでも相手が絶対に言い返せない巧みで説得力のある言葉でどんなお客さんにも紹介料を必ず振り込ませた。高田さんはすごい人だと思った。また、山口さんも怖い声は一切使わなかったけれどそういう約束を破るお客さんに対して冷静に追い詰めてお金を振り込ませた。山田さんはどちらかというと高田さんのマネをしていた。僕は途中で山田さんと銀行に行って、ちゃんとお客さんが紹介料を振り込んだかを確認した。通帳に記帳されるいろんな人の名前と四万円とか六万円とかの金額。これはすごい仕事だと僕は思った。電話で紹介するだけで大金がわんさか振り込まれる。しかも、このやり方だとリスクはない。ナニワ金融道のように貸したお金を回収するのに大変な思いをすることもないし、元手もいらない。僕は高田さんが天才に見えた。一度だけ怒鳴られたけれど、次の瞬間には、いい声だと優しく褒めてくれた。しかも弁当を持って来てなかった僕がお昼ご飯をどうしようと思っていたら、高田さんが、出前を取るから好きなものを頼めと言った。今日は何にする。山口さんや山田さんが相談しながら蕎麦でもいいかなと。千円以上する天ぷら蕎麦とかかつ丼セットとか選ぶみんな。僕は財布の中には二千円あるからお付き合いも大事だと思い、一番安いざる蕎麦をお願いした。そんな僕に高田さんが、そんなしょぼくれたものを頼むな、金は全部俺が奢るから高いものを頼めと言った。僕は奢りという言葉にすごく弱かったけれど、今日会ったばかりの高田さんに奢ってもらうことに気が引けた。あとでやっぱり自分で払えとか言われないか不安だった。二千円の予算内で僕は鴨せいろをお願いした。他に、日払いで一万円か月末にまとめて二十五万円の給料で税金とかはどうなるのだろうと思った。三時で銀行の窓口は終了するし、三時以降の振り込みの確認は翌日になる。その日通帳に記帳された金額は百万円を超えていた。この仕事は本当にすごいと僕は思った。弁当も作らなくていい。社長の高田さんが奢ってくれる。しかも九時から五時の公務員のようなお仕事。すごく楽。しかも一発採用。月給二十五万円。田舎の高卒の免許も持たない僕でもこんなにいい待遇の仕事が探せばあるもんだなあ、僕はとてもラッキーなんじゃないか、と思いながら。五時ちょうどに高田さんが、新人、帰っていいぞ、明日も時間通りに来るようにと言った。山口さんも山田さんも僕に優しくお疲れと言ってくれた。

 僕はその日の夜、森川さんといつものドーナツ屋さんで会った。一瞬で採用されたことや仕事の内容とか、社長や社員の人たちが若いのにすごくクールで天才的ですごいと僕は興奮しながら森川さんに今日のことを説明した。森川さんが複雑な顔で僕に言った。それは違法な仕事ではないの、と。僕は、お金が必要な人にちゃんとお金を貸してくれるところを紹介して、その見返りとして紹介料をもらうのだから全然違法じゃないし、悪いことじゃないし、この仕組みを考えた高田社長はものすごい天才だと言った。田舎の高卒で免許のない僕が一気に給料がキリヤ堂の時より十万円ぐらい高くなる。贅沢な暮らしだって出来るし、森川さんとのデート代とかコンドーム代とか心配しなくていいし、部屋のクーラーだってこれからは使える。Cだって涼しい部屋で出来る。それでも浮かない顔をする森川さん。僕は野良猫なんだ。きれいごとでは生活できない。森川さんは実家暮らしだし。もちろん、そんな言葉を森川さんには言わなかったけれど。

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