第19話

 男女関係のABCという言葉を僕は昔から知っていたけれど、Aがキスのことで、Cがセックスのことで、じゃあBは何かと聞かれたらよく分かっていなかった。僕はBのことをよく知らないけれどCをクリアしたらBも自動的にクリアしたことになると思っていた。いつものように三人で仕事が終わった後に行ったドーナツ屋さん。いつもは駅と僕の自宅は反対方向なので、店を出た後はそこで僕は二人と別れる。もしくは村尾さんが僕の自宅に泊まる時は森川さんだけが駅の方向に向かう。その日だけ、僕と森川さんの二人で村尾さんを駅まで見送って、それから僕の自宅に向かった。いつも自転車で二人乗りする時は村尾さんが僕の後ろに乗っていた。森川さんに僕の自転車の後ろに乗ってもらう。村尾さんは跨って乗っていたけれど、森川さんは跨らずに横向きで椅子に座るように自転車の荷台に乗って僕の体に手を回した。いつもは加速するまで自転車のハンドルが左右にプルプル震え、自転車も立ち漕ぎで一生懸命ペダルを踏んで何とかスピードが上がっていくのだけれど、デブと言われていた森川さんはとても軽かった。立ってペダルを踏むまでもなく、自転車は加速した。赤信号で止まる度に気を遣って自転車から降りる森川さん。村尾さんは赤信号でも両足を伸ばして自転車が倒れないようにバランスを取ってくれるけれど、自転車から降りることはなかった。赤信号で止まる度にいつも再び加速するのが大変だった。また、自転車で走っていると歩道に乗り上げることもあったし、段差で自転車に衝撃が走ることもしょっちゅうだった。村尾さんはいつも、ケツが痛いと言っていた。僕は一人で自転車に乗っている時はウイリーとか後輪も宙に浮かせる技術を持っていたので段差は気にはならなかったけれど、二人乗りをしている時はその技術も通用しない。僕は森川さんのお尻が痛くならないように、段差で衝撃が走らないように技術をフルに使った。全然季節は違うけれど、僕の心の中ではユニコーンの自転車泥棒という曲が流れていた。とても暑すぎた夏の君は自転車泥棒。膝をすりむいて泣いたフリをして逃げた、とても暑すぎた夏の君は自転車泥棒。森川さんも膝をすりむいただけだ。フリじゃなくて泣いてもいい。僕の自宅で森川さんと二人きりになる。僕はこんな時になんて話をすればいいのか分からなかった。僕の頭の中など森川さんはお見通しだった。森川さんは僕に、好きにしていいよと言った。僕は森川さんを強く抱きしめて、何度もAをした。その時、初めてAをする時は目を瞑ってしまうことを知った。よく干していたけれど村尾さんがダニがいるんじゃないかと言っていた汚い布団を敷いて、キリヤ堂に入った時に貰ったカーテンが遮る僕と森川さんだけの空間。電気が付いた明るい部屋、森川さんが暗くして欲しいと言ったので僕の中で夕方電気と言っていた、オレンジの寝る時に真っ暗だと怖いから少しだけ部屋が見えるぐらいの光に電気の明るさを変えた。僕は自分の服を脱ぐタイミングも相手の服を脱がすタイミングも脱がし方も知らなかった。森川さんも慣れていないのか、慣れていないフリをしているのか。なんとか全裸になる二人。僕はエッチなビデオをたくさん見ていたし、どういう風にCをするかなんて知っていた。それでもいざ初めてのCは何をすればいいのか分からない。それでも僕の股間はものすごく勃っている。僕はとうとう出番が来たコンドームを財布の中から出して、妊娠だけは怖かったので、コンドームに穴が開いていないか風船のように膨らませて確認した。そして何とかコンドームを装着してCをした。初めてだとよく穴を間違えると聞いていたけれどそれはなかった。森川さんが僕のものを優しく導いた。森川さんが少し痛そうな声を出したので、僕は出来るだけ奥に挿れないように、そして自分もすぐにイってしまいそうだったので、森川さんが痛くならないように、そして僕がすぐに発射しないように、ゆっくりと腰を動かした。出来るだけゆっくり。森川さんのおっぱいはとても大きく、そしてすごく柔らかかった。そして僕は発射しそうになったので、万が一を考えて精子が出る前に森川さんの中から抜いて発射した。コンドームの中に大量の僕の精子が先の方に溜まっていてだらしなく僕の股間にぶら下がっていた。僕はとても気持ちがよかったし、果てたのだけれど、森川さんはどうだったのだろう。女性の発射など聞いたことがなかったし、何をもってして女性のCは満足なのか、僕には分らなかった。それでも森川さんは僕に、すごくよかったと言ってくれた。ちゃんとコンドームに穴が開いていないか確認する小沢君はえらいね、出る瞬間にちゃんと抜くなんてえらいねと褒めてくれた。僕は童貞だったくせに無駄に知識だけはあった。使い終わったコンドームは結んでゴミ箱に捨てるのだろう。僕は自分の精子がこぼれないようにコンドームを外して結んでゴミ箱に捨てた。そしてお互い全裸のまま、僕は年上の森川さんに腕枕をして二人で天井を見上げながら余韻に浸った。こんな時も僕は何を言ったらいいのか分からない。僕はハイライトが吸いたくなったけれど、今は森川さんに腕枕をしていたので身動きが取れなかった。運動をした後の様に汗をかき、息を乱した状態で、二人で部屋の天井を見上げていた。そして森川さんが一言、ごめんねと言った。僕には森川さんの言葉の意味がよく分かっていたし、森川さんが謝る必要など一ミリもなくて、むしろ謝るのは僕の方であって。それでも僕はそのごめんねの意味が分からないフリをした。その後、もう一回して、それから森川さんを自宅まで送って。よく童貞じゃなくなった時、風景が変わって見えると聞いていたけれど、それは全然感じなかった。いつもと同じ風景は同じようにしか見えない。僕はその日、童貞を卒業した。それでもBが何のことかは分かっていなかった。大人に変わる季節があると歌った曲を知っていた。僕は僕を信じられるほど大人ではなかった。小学生の時の卒業文集に将来の夢は大人になりたくないと書いた僕は今でもその気持ちに変わりはなかった。それでも抗えないものもあることを少しずつ知った。

 僕と森川さんはそれから幸せな時間を一緒に過ごした。キルト売り場の責任者だった僕は同時にたくさんのキルトに触れていった。

デニムキルト、シーチングキルト、リバーキルティング、スムースキルティング、ツイルチェックキルティング、先染めタータンキルト、和柄キルト、和調シーチングプリントキルト、スカイキルティング。ワッフルもS幅で二つ折りになっていたけれど、僕は重ねたまま生地を切る技術も取得していた。暑い季節が近づくと、リネン、つまり麻の季節になる。Wガーゼやシャーティング、スケアやダンガリー、インド、オックスシャンブレー、ピケ、コードレーン、コーマローンなどの綿百パーセントやリブニット、星柄接結ニット、パンサー、スムースなど伸びる素材も人気はあったけれどリネンは切っている僕自身も涼しい気持ちになった。W幅の麻の生成、リトアニアリネン、麻リネン、麻スラブ、ナチュラルリネン、綿麻ナチュラル、綿麻ナチュラルワッシャー、綿麻キャンバス、綿麻チェック、綿麻先染スペック。綿麻先染スペックラミネートはラミネート加工なのに涼しさを感じた。また、僕にはリネン百パーセントと麻百パーセントの違いが分からなかった。それにニットも伸びる生地のことをそう呼ぶのだと思っていた。伸びるニットを切るのはいつまでも難しかった。お客さんは斜めになっていないか切る時にずっと見ている。もう、僕の切る生地のおまけの長さは短くなっていた。僕は森川さんと休みが同じになるようにシフトを組んで、休みの日にはフリーマーケットによく行った。フリーマーケットと言っても客としてではなく、自分でお金を払って場所を借りて自分の持ち物を売る。フリーマーケットのことは森川さんが教えてくれた。森川さんは自分の描いた絵を売ったり、似顔絵を描いたりしていた。僕は同じ場所で自分の部屋のいらないものを売った。と言っても僕の商品はガラクタばかりで、誰が着るんだというような僕がボロボロになるまで着ていた古着だとか、読まなくなった本とかマンガとか、聞かなくなったCDとか。キリヤ堂でバーゲン品の安くて人気のありそうなキャラクター柄のキルトを社員割引きで購入してハギレにして売るとそれなりに売れた。フリーマーケットでは基本、商品に値段を付けない。お客さんによって聞かれたら違う値段を僕は言った。お金を持ってそうな人には高めで、そうでない人には安めで。森川さんは自分で自分の絵に値段は付けなかった。買ってくれるならお客さんに好きな値段で買ってもらっていた。一円を置いていく人もいれば千円を置いていく人もいた。詩を書いてそれを売っている人もいて、森川さんに、小沢君も文章が好きなら同じように詩を書いて売ればいいと言った。でも僕はそれをしなかった。言葉に値段を付けることは僕には出来なかった。そういう人が売っている詩なんて見れば誰の作品を真似ているか僕にはすぐに分かったし、詩なんてそれっぽいものならいくらでも楽をして作れることも知っていたし、本当にすごい詩人のすごさを僕は知っていた。詩人の血みたいに僕には詩人の血は流れていなかったし、高村光太郎の智恵子抄に値段なんてつけることは出来ない。僕は僕の物語を綴った。それにしても僕は森川さんを性の捌け口として会う度に何度もエッチなことは必ずした。コンドーム代もバカにならないぐらいになって。僕の自宅に森川さんは普通にお泊りするようにもなり。一緒に晩御飯の材料を買ったり、晩御飯を作り合ったり。しまいには村尾さんと三人で僕の自宅でお泊り会を開いたり。そんな時はエッチなことはお預けになったけれど、三人でレンタルビデオ屋さんに行って映画を借りてきて見たり、狭い部屋で三人揃って作った晩御飯を食べたり、お風呂も最初に森川さんに新しいお湯に浸かってもらい、村尾さんが除かないように僕は見張っていたけれど村尾さんは、森川の裸なんてお金を払っても見たくないとか言ったり、その言葉に森川さんが十倍返しでボロクソに村尾さんを罵倒したり。まるで槇原敬之さんの三人という曲と同じような生活を僕らは送った。彼女の森川さんはデザイナーではなく画家を目指し、村尾さんは心優しいエンジニアではなくいつまでも彼女が出来ないパチンコと風俗遊びが趣味の生地屋さんの正社員で、僕は誰かの為に歌う訳でもなくただ物語という名の作文を書くだけのフリーターで。そして結局、キリヤ堂でも僕と森川さんの関係は次第にバレてしまい。ある日を境に森山さんの態度が少しだけ事務的になった。僕はそれでいいんだと思った。そういう話になると内田さんや佐々本さんは食いついてきて、僕にいろんなことを聞いてきたり、意見を言ってきたりした。やる気のないシンディローパーがやる気満々のプリンセスプリンセスのギターの人になる。ハゲの菅谷さんはデリカシーもなく森川さんに卑猥なことを言っていた。裏番長の谷口さんまでえげつないほど下品な言葉を使う。お前ら、店の中では交尾禁止、店をザーメンやマン汁で汚すなよ。年に一回、棚卸しの日があり、その日は店を休みにしてみんなでキリヤ堂の在庫を確認する。生地の在庫が帳簿通りちゃんとあるかをそれぞれの売り場の責任者やアルバイトで確認をする。僕はキルト売り場担当としてキルトの在庫を確認する。棚卸しの日だけはエンポとか言わないし、お昼休みもみんな揃ってとる。社員さんも制服ではなく私服を着て仕事をする。店の出勤時や帰る時に社員さんの私服姿を見たことは何度もあったけれど、それでもエプロンもせずに私服姿で、フロアで作業する河本さんや根本さんはいつも以上に新鮮であり。根本さんの私服姿を見て僕はなんかいいなと思ってみたり。異性とは縁がなく、これからも男の人と一緒になることはないと森川さんから聞いていたムーミンの人の根本さんの私服姿はとってもおしゃれで可愛くて。経理の人たちも各フロアにお手伝いで散らばって、森川さんは二階のフロアに手伝いに来た。棚卸しも終わり、電気が消されて暗くなった二階のフロアに僕と森川さんは少しだけ二人きりで残った。お前ら、店の中で交尾禁止。谷口さんの言葉が僕の頭をよぎった。僕と森川さんは激しいAをした。それはとても興奮するシチュエーションだった。このままいけばいつか谷口さんの命令を破ってしまうのではないかと僕は思った。

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