売られた喧嘩

 人相は……、どうやら違う様ですね……。


 正門から右側にある植え込みにしゃがみ込み、いかにも気付いていない様子で作業しているフリをする。


 向かいの屋敷を見ている……? たしか先日、住人のご老人が亡くなり、空家にはなっていますが売家にはなっていないはず……。


 セールスマン風の若いスーツ姿の男性と、フォーマルな装いの中年女性が話し込む姿は、内見に来た管理会社とオーナーにしか見えない。


 ということは、あの家を基点に――ッ!


 男の方がこちらを向く気配を感じ、自然に視線を下に向けたとき、芝生に不自然な切り取り痕が付いていた。


 その直後にそこが上に開き、複数の手によってデボラは地中に引きずり込まれた。


「ガ――ッ!」


 逃れようと暴れるが、腹にエルボーを喰らって動けなくなった。


 中は人が立ってすれ違えるだけのトンネルが掘られていて、彼女は速やかに目を布で、口をテープで塞がれ、革のベルトで手足が拘束された。


 そこら中を探られて武装と無線機を奪われて、下着姿にされたデボラは木箱に放り込まれて通路を運ばれていった。


 その先は隣の屋敷の地下室で、デボラはそれが見えないまでも、すでに襲撃準備が整っていた事に感づいた。


 箱から乱暴に出されたデボラは、椅子に座らされてさらにキツく拘束された。


「さぁて、屋敷の事を洗いざらい吐いて貰おうかぁ?」


 ガラガラした女性の声が聞こえ、テープが剥がされると同時に腹部へ鞭を受けた。


「話す、とでも?」

「だろうな。テメエがこの程度で話すとは思ってない」

「ぅ……、ん……ッ」


 じっくり責め立ててやるよ、とデボラの目の前にいる女は、彼女の喉元や耳へ執拗しつように舌をわせると、ケケケ、と嘲り笑いをした。


 女から感じる気配は、格の違いを感じる獰猛な猛獣そのもので、デボラは唾を吐きかける事すら出来なかった。





「……。は……」


 デボラは顔を冷水に何度も沈める拷問により、かなりダメージを受けていたが、悲鳴すら一切あげなかった。


 感覚を薬物で増強され、凄まじい苦痛に襲われているが、ケイトへの忠誠心でそれに耐えていた。


「仕方ねえ。おい、盛ってる連中を集めろ。前祝いだ」


 女はデボラの頬を張って、近くにいた男のテロリストにそう指示すると、部屋から去って行った。


 カチャカチャ、という音が聞こえ始める中、


 ――ここで人員を引きつければ、確実に戦力が多少はダウンするはず……。


 椅子ごとデボラは立ち上がり、足の拘束を力任せに椅子の脚ごと破壊し、その音を頼りに身を捻って椅子の脚を振り回した。


「ぐへぇッ!」


 それは数人にヒットして、1人は局部を叩き潰された。


 勢いで濡れた目隠しがずり落ちて視界が確保されると、デボラはあまり得意ではない蹴りで必死に抵抗する。


「あが――ッ」


 だが多勢に無勢、間もなく集団で押さえ込まれ、万事休すか、となったときだった。


「ぬんッ!」


 背後から聞き覚えのある、気合いのこもった男性の野太い声が聞こえた。


「ケー、シー……」

「待たせたな!」


 それは、筋骨隆々のコックであるケーシーのもので、デボラに群がるテロリスト十数名を容赦なく麺棒で殴りつけ、その頭蓋骨を粉砕してぶちのめした。


 デボラが連行された直後に駆けつけたケーシーは、門を遮蔽しやへい物にした使用人達とテロリストの銃撃戦の最中、3分で隠し通路を直感で発見した。

 機動隊の盾を手にすると、奇襲しようとしていたテロリストを突進で撲殺しながら、全力で通路を駆け抜けた彼は、デボラの暴れる音を頼りに拷問部屋を発見していた。


「お手数おかけしてすいません」

「いや。すまない、もう少し早く駆けつけるべきだった」

「まだ、いませんので問題ありません。それより状況は?」

「ドンパチ始まっているところだ」

「そうですか。では早いところ撤退しましょう。厄介な相手がいます」

「よし分かった」


 ケイトの期待を裏切った事への罪悪感を露わにした顔でそういうと、ケーシーはデボラにジャケットを着せ、彼女を小脇に抱えて来た道を帰る。


 何人か生きていた通路の敵が、拳銃で攻撃しようとして来たものの、全員跳ね飛ばされて絶命した。


 出口で待っているアイリスに合い言葉を言い、トンネルから出たケーシーは、玄関入って左側、廊下の曲がり角手前にある、執事の事務室にデボラを運び込んだ。


「デボラ!」


 そこにはイライザとセシリアを伴っているケイトがいて、休憩用の長ソファーへ下ろされたデボラに駆け寄った。

 彼女を連れてきたケーシーは、玄関シャッターを素早く下ろし、すぐに2階倉庫へと向かった。


「あっ、寒いですね……っ」


 セシリアは震える彼女を見て、すかさず近くにあった執事達が昼寝するためのブランケットを背中にかけた。


「お嬢様……。申し訳――」

「そんな事どうでもいいわよ! 大丈夫、なの……?」

「はい。少々打撲と凍傷などを負った程度でございますので」


 少し休めば立ち歩き出来るでしょうし、大した事はありません、と、デボラはテキパキと自分で手当をしていく。


「私の事より、お嬢様は早く安全な所へ」

「――自分の価値を安く見積もるのはやめなさい。デボラ」


 セシリアに手伝ってもらい、手首に包帯を巻いたデボラは、主人を安心させる様に微笑むが、ケイトはいたわる様に彼女を優しく抱きしめた。


「……申し訳ありません」


 デボラは絞り出すようにそう言うと、自分の不甲斐なさに歯がみをした。


 ポンポン、と背中を叩いて腕を放し、ケイトはふわりと笑みを浮かべた。


「――ただじゃ終わらせないわよ、イライザ」


 振り返ってイライザに言った彼女からは、怒気が滲むオーラが発せられるが、その表情は至って普段通りだった。


「仰せのままに」


 そんなボスの風格を漂わせる彼女へ、イライザは恭しく一礼してそう答えた。

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