疲弊するお嬢様

「申し訳ありません」

「私の言い方が悪かったわ。あなた、私の言うこと絶対訊くものね」


 今度は良い所で離してね、と言ってから、車体を反転させてセシリアの所へと進んでいく。


 先程とは違って、安定したところでそっとイライザが手を離すが、その度にふらついてしまっていた。


「うーん、乗るの結構難しいものね」


 元の位置まで帰ってきたケイトは、小さく首を傾げながら言う。


「左様でございますか」

「はい……」


 イライザとセシリアは一発で乗れたので、2人とも実に曖昧あいまいな表情と調子でそう言って頷いた。


「バランス……。バランス、よね……」


 そんな2人をよそに、ケイトは真剣そのものの表情で、ボソボソと自分に言い聞かせる様につぶやく。


 引き続き、状況には目立った変化はないが、懸命にペダルをぐケイトは、


「ちょっ!? イライザッ!」


 計10往復した後の往路で、フラーっと右側へ転倒しかける。


「うおっと」


 すかさず、サイドステップで素早く前に出てきたイライザが、両手でハンドルと荷台を掴み、ケイトの身体を胸で受け止めた。


「――!?」

「いかがされましたか?」

「な、何でも無いわ……」

「左様でございますか」

「その……、ありがと」

「なんのなんの」


 イライザの2つの柔らかいものが、もふっ、と自身の頬に当たり、その感触にトギマギしながら礼を言ったケイトに、イライザはふんわりと微笑みながらそう返す。


 平静を装って足を地面に突き、体勢を立て直したケイトだが、実際はカクカクとぎこちない動きをしていた。


 特に何も気にする様な素振りは見せなかったイライザは、再び進み始めた自転車の荷台をつかみながら、その後ろに着いていく。


 途中で仕立屋が来て、採寸とデザインのオーダーの相談による中断を挟み、その日は日が暮れるまでケイトとイライザは往復し続けた。


 しかしケイトは、最後までまともに乗る事が出来ずじまいに終わった。



                    *



 その夜、下半身がパンパンに張り、酷い筋肉痛と倦怠けんたい感に襲われるケイトは、寝室のベッドの上でうつ伏せに寝転がっていた。


 彼女はぬるめの温度の湯にゆっくりと浸かっていたため、頬に差す赤みは少し濃い目になっていた。


「イライザ……。マッサージとか出来る……?」


 やや厚手の寝間着姿でうだうだしているケイトは、ベッドの横で平然と立っているイライザを首だけ動かして見つつ、溶けている様な声でそう訊ねた。


「はい。国からその免状を頂いております」

「そ、じゃあお願い」

「お任せあれ」


 扉の横にいたアイリスからバスタオルを借り、失礼します、と言ってイライザは靴を脱いでベッドに上がった。


 四つんいで移動してケイトの傍らに座ると、彼女の脚にタオルを縦に掛け、まず右脚からマッサージを開始する。


 下から上へと血流を戻す様に、絶妙な力加減でふくらはぎから太股ふとももにかけて、手をスライドさせる動きを繰り返す。


「お加減いかがですか?」

「んー……、良い感じよ」

「それは何よりでございます」


 枕を顎の下にやっているケイトは、気持ち良さげに目を細めて、息を吐きつつそう言った。


「それにしても、あなたって家事以外なら何でも出来るわね」

「恐れ入ります」

「……あ、嫌みじゃないわよ」

「ええ。存じ上げておりますよー」


 ちょっと小言っぽくなったので、少し早口でフォローを入れたケイトに、真意を理解していたイライザはご機嫌そうな様子で言う。


 右脚が良い感じにほぐれた事を感じ取り、今度は逆の脚に同じ事をし始める。


「イライザは……、疲れたりとかしないの?」

「疲れない、ということはありませんね。正確には、短時間で回復するので実質、といったところでしょうか」

「そうなの」

「はい。ちなみにでございますが、どうも私は特にその力が強いそうです」

「なるほど」


 とりとめの無い会話の後、ふぁ、と欠伸あくびをしたところで、イライザはケイトの足の上に膝立ちでまたがり、彼女の凝り固まった背中の筋肉を解きほぐしていく。


「やっぱり、普段ふだんからちゃんと運動しなきゃダメね……」

「はい。健康増進のためにも、私からも強くおすすめいたします」

「なおさら自転車に乗る必要が出てきたわね……。――ん……」

「左様でございますか」


 特に凝っているポイントを発見し、イライザは免許皆伝の指圧をかけ、ケイトに甘い声を漏らさせた。


「メイド一同、全力でサポートいたしますのでご安心を」

「ええ……」


 肩の辺りをマッサージしていると、気持ち良さそうに目を閉じているケイトが、もう一度大きな欠伸をした。


「そのままお休みになりますか、お嬢様」

「ん……。寝たら良い感じにしておいて……」

「はい。承知いたしました」


 半分以上寝かけているケイトへ、イライザは愛おしそうにはにかんでそう言うと、先程さきほどより力加減を緩めつつマッサージを続けた。

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