お嬢様の他愛

「お邪魔するわよ」


 南東の角にある、『ウォーム・ファミリー』のフロント企業である金融業者の事務所に、ケイトとイライザはボギー姉妹を連れだって正面から入った。

 ケイトはいつもよりお嬢様然とした、青いフリルワンピースに着替えていた。


「おいガキ。てめえここがどこだか――プゲッ」


 その明らかに客ではない風貌のケイトに、警備員の強面こわもてスーツ男がつかみかかろうとしたが、例によってイライザの高速ジャブを顔面にたたき込まれて昏倒こんとうする。


 それを見て、カウンターの向こうにいた強面達が殺気立ったが、


「おいおいやめないか。この方はケヴィン・バーンズ・ハーベスト会長のご息女、ケイト・バーンズ・ハーベスト様だぞ」


 慌ててさらに奥から出てきた上役が、懐に手を伸ばそうとする構成員達をなだめた。


 警察はあまり機能していない街ではあるが、商工会の機嫌を損ねると商いが出来なくなる事を言われれば、下っ端は黙っているしかない。


 目の前でそれを聞かされたレイチェルは、


「せ、せめてお命だけは……」

「とらないわよ」


 目の前の思い切り無礼を働いてしまった関係者ケイトへ、ガクガクと震えておびえながらそういうと、ケイトはクスッと小さく笑った。


「若い連中がとんだ失礼を致しました。私共にどのようなご用件でございますか」


 極めて慇懃いんぎんな様子で謝罪しつつ、上役はケイトにそう訊ねる。


「彼女達の借金返済の見届けにきただけよ」


 そう言って後ろのイライザを見やると、彼女はボギー姉妹をカウンターへと促す。


 姉妹が借金を返済して手形を受け取るのを見守り、ケイトは悠々とイライザ達を連れて去った。



                    *



 帰宅中の車内にて。


「ねえイライザ。ちょっと聞きたい事があるのだけど」

「どういったご用件でしょうか」

「大した事じゃないのだけれど、タクシーに乗る前、あなた、何かじっと見ていたわよね」

「ええ」

「あそこって、なにか思い出深いものでもあったの?」

「はい。あそこには昔、大きな看板がございまして、その支えの骨組みから、街の景色をよくエリック氏と眺めて雑談などをしておりました」


 幼心の戯れに、将来を誓い合ったりもいたしましたね、と少し恥ずかしそうに、遠くを見る目をしつつ笑みを浮かべた。


「そう」

「あ、もちろん、現在はお嬢様が私の全てでございますが」


 複雑そうな表情になったのを見て、イライザは慌ててフォローを入れた。


「分かってるわよ」


 ヤキモチを焼いた、と思われた事を察したケイトは、小さく噴き出してそう言った後、


「思い出話で揺らぐほど、あなたとの信頼関係はヤワじゃないでしょう?」


 イライザの手をとりながら、堂々とそう言い切った。


「無論でございます!」


 その問いかけに、イライザは輝く様な笑みを浮かべて即答した。


「さっきのは嫉妬とかじゃなくて、そういう思い出があって羨ましい、と思ったの。大体幼い私のそばに寄ってくるのは、親の下心に動かされた子達だけだったもの」


 自身の膝の辺りを見ながら、ケイトは寂しそうに深々とため息を吐いた。


「私に無理やりじゃなく、本当に仲良くしたい子とのために、時間を使わせてあげればいいのにね……」


 そういうものだ、とは理解出来ていたが、ケイトには決して気分が良い物ではなかった上、申し訳ない、とまで当時の彼女は感じていた。


「なるほど。お嬢様がお望みとあらば、私がそれを兼ねさせていただきますが」


 当時の孤独感を吐露する主人に、イライザは温かな笑みを向け、小首を傾げながらそう訊いた。


「いかがでしょうか」

「要らないわよ、今更。もう私にはあなたはもちろん、セシリア達もいるもの」


 イライザも結果が分かっていて訊ね、ケイトもその予想通りに返して、おどけたような笑みを浮かべた



                    *



「それにしてもなんかこう、夢でも見てたみたいだったね」

「だね。お姉ちゃん」


 それから数日後、エリックから型落ちだが新車の黒いセダンを貰い、姉妹はタクシー業を再開し、協会が運営する食堂で仕事前の朝食をっていた。


 奥の角の席に座る2人は、同じマカロニにチーズソースをかけたものを食べている。


「おい聞いたか? ここ、どっかの貴族の娘が取締役になるんだと」


 寝起きで少しぼうっとしている姉妹に、同僚の若い男がそう教えた。


「へー、そうなの」

「ああそう」


 よく見ると、他の同僚達はやや不安げだったが、もっと刺激的な目にあった2人は、その程度では全く動じなかった。


「えらくキモが――あっ来た」


 配膳口の近くにあるドアが開き、護衛らしきスーツ姿で、体格のいい男達が入ってきて、フロアにいる十数人の同僚に緊張が走る。


「皆さんご機嫌よう。本日から取締役に就任いたしました、ケイト・バーンズ・ハーベストです」


 彼らに続いて、イライザを従えて入ってきたケイトは、以後よろしくお願いします、とドライバー達に挨拶をした。


「ああーッ!?」


 それを目の当たりにして、2人は一気に目が覚め、口に含んでいた水を噴きそうになった。


「……あーってなんだよ! お前ら失礼だぞっ」

「いいのよ。驚いて当然だもの」


 近づいてきてそう言ったケイトは、ね、イライザ、と気にしていない素振りで笑みを浮かべて言い、イライザは、はい、と同じ様に微笑ほほえんだ。


「あなたたちに最初の指示を出すわ。ここにいない人達に、なにか改善して欲しい事があれば、遠慮せずに相談して、と伝えておいてちょうだい」


 周囲を見回しながらそう伝えたケイトは、お願いね、と念押ししてから初役員会議のために大会議室へと向かっていく。


 去り際に、ケイトはボギー姉妹の方へウィンクして、小さく手を振った。


 役員会議は朝の内に終わり、最大の問題であった、協会への上納金の割合は利益の3割へと即座に改定された。


「やっぱりさ、真面目に働くのが1番だってことかな」

「だね、お姉ちゃん」


 ドライバー達から盛大な見送りを受ける、ケイトの乗る車の後ろ姿を見つつ、タクシーの窓を磨き終えた2人は、


「さて、今日も頑張ろう」

「うん」


 そう言って片手でグータッチすると、ピカピカになったばかりのタクシーに乗り込んだ。

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