第15話 公演 創作劇『僕らの』

 

 右にパパ、左にスグルくん(スバル兄)

 

先程、自己紹介し合った、素晴の兄、傑くん称してスグルくん。

嬉しそうにパンフレットをめくる姿が可愛らしい。


 ホクホク気分で前から四列目の近い位置の座席に腰掛ける

 

(ちかい!こんなに近いところで見るの初めてかも!)

 

 ウキウキと質の良い椅子に深く腰かけると、パパの視線を感じた

 

「楽しみだな、はな」

 

 優しく笑うパパに、心の中のモヤモヤが渦巻くが、なんとか笑顔を返して、大きく頷いておく。

 

 ここに着く前に、パパに思わず『私のこと好き?』と聞いてしまったけれど、わかり切ってはいたがパパは何も答えてくれなかった。

 初めからわかっていたから、そんなに傷つかないと思っていたけれど、改めて私に愛がないことを実感できて辛くないわけじゃなかった。

 それでも、先程隣のスグル君に跳ね飛ばされた時、私の名前を信じられないくらい大きな声で呼んでくれたのは嬉しかったし、思わず笑っちゃった。

 

「はなちゃん、演劇は初めて見るの?」

 

 スグルくんが隣から顔をヒョイっと覗き込んで尋ねてきたので、よそ行きの笑顔で迎え撃つ

 

「うん!はな見るのはじめて!」

 

 スグルくんがデレデレとした顔で、そうかそうかと頭を撫でてくれるので、私は優しいから嫌がらないであげる。

 

「俺も初めてなんだけど、弟から自信作だから見て欲しいって言われて来たんだ。」

 

 頬をポリポリ掻いて、照れくさそうに話すスグルくん

 

「仲良いんだね!なんでも言い合える仲って羨ましい!」

 

 兄弟仲が良くて、羨ましい…。そんな気持ちを込めて言葉にすると、なんだかスグルくんの様子がおかしい

 

「…仲は良いんだけどさ…なんか最近、素晴のやつおかしいんだよね。」

 

 曇顔のスグルくんに、思わず首を傾げる

 

「あ、いや、なんか…この前…、ううん、やっぱりなんでもないや…」

 

 言い淀むスグルくんに、なんだなんだ?と好奇心がそそられる。

 無理やり聞き出すのは無粋かな?

 でも、やっぱり気になる…。

 

「なんかあったの?」

 

 好奇心に勝てず、聞いてしまったが後悔はしていない

 キラキラとした瞳で尋ねると、スグルくんは尻込みをしながら、拙いながらも言葉を紡いだ。

 

「…前にさ、子役のオーディション?があったらしいんだ。」

 

 その言葉に、なんだか既視感を感じる。

 もしかして、ニノマエ監督の?いやでも…違うか?

 自問自答しながら目の前のスグルくんの言葉を促すように頷く。

 

「凄い子がいたって、あんなの見たら自信なくすって…。もう…『演じる』のが嫌になったって…。」

 

 暗い顔で話すスグルくんに、(なんだ、あのオーディションのことじゃないのね)。と一人結論付けた。

 

 あのオーディションに、私も参加していたけれど、そんな自信を無くすような演技をした子役なんていたかしら?

 オーディションに落ちた私は論外として、他に思い当たる節がない。

 

 一体誰が…?

 

「…今回の公演も、もしかしたら最後になるかもしれないって言ってて…だから、見に来ようって決めたんだ…。」

 

 落ち込んだ様子のスグルくんを元気付けようと笑顔を向ける

 

「…今日の演劇の内容って…『僕らの』って創作劇だよね…。」

 

 ユズルが持っていたパンフレットに書いてあった内容を思い出す。

 

「…あぁ、素晴は…主人公の幼少期を演じるった言っていた…。」


(へぇ…凄い、まだ有名では無いにしろ、花鳥風月は実力派の巣窟…。その中で、主人公を演じるなんて実力がある証拠)

 

 持っていたパンフレットをパラリとめくると、あらすじが飛び込んできた。

 指で撫でる様に黙読していくと、内容はファンタジー系のものだと分かった。

 

 

 

『僕らの』

   

あらすじは、

 主人公、ヴァジェリは雨の国に住んでいる少年。

 隣国の晴れの国に憧れていて、いつか晴れの国へ旅をしてみたいと考えていた。

 雨の国の国民は、みんな『雨乞い』という能力を所持していて、雨の国には一年中、雨が降り注いでいる。

 ある日、隣国との境界線にある川のほとりを歩いていると、赤髪の少女が倒れている。

 その輝かんばかりの美しさに目を奪われ、一目惚れするヴァジェリ。

 少女が目を覚まし、少女が晴れの国の者だと気づく。

 晴れの国の少女、ピスカもまた雨の国に憧れていた。

 話していくうちに気が合う二人は、週に一度、このほとりで会う約束をする。

 彼らが成人して大人になったら、二人でお互いの国を旅しようと誓う二人。

 しかし、ピスカの誕生日にヴァジェリはプレゼントを渡そうと、晴れの国まで訪れてしまう。

 雨の国でしか咲かない花を手に、晴れの国に訪れたヴァジェリは捕まり、殺されそうな勢いに、とっさに『雨乞い』をしてしまう。

 そして晴れの国に雨が降り…世界はうす暗さに閉ざされた。

 

 ヴァジェリは大罪人として幽閉され、雨の国と晴れの国は対立し、今にも戦争が起こりそうな勢い。

 ピスカは実は晴れの国のお姫様で、ヴァジェリを助けようとするが国王の父に城へ閉じ込められてしまう。

 

 そして、数年経ち…ヴァジェリは牢屋の中で成人を迎える。

 両国はますます対抗し、晴れの国の雨を終わらすにはヴァジェリを殺すしかないという結論が出た。

 国王である父親が、上機嫌で酒を煽り、ヴァジェリの死刑の日程を話していると、偶然ピスカはそれを耳にしてしまう。

 それを助ける為、ピスカは長い髪をバッサリと切り、ヴァジェリを助けに向かうのだが…。

 

 

 パンフレットにはそこまでしか載っていなくて、どんな結末なのか凄く気になった。

 素晴がヴァジェリの幼少期を演じるんだと思うと、凄く楽しみ。

 

(どんな演技をするんだろ…。)

 

 前回も『花鳥風月』の名前は知っていたけれど、実際に公演を見るのは初めて…。

 

 

 実力主義のこの劇団、一度は所属してみたいと憧れてはいたけれど、憧れは憧れで終わってしまった。

 

(…花鳥風月に所属していて、なお主役を張ってるくせに…今回で最後ですって?そんなの贅沢な悩みすぎる…。)

 

 恵まれた環境に甘えやがって…腹が立つ。

 

「…スバルくんって、凄いよね…」

 

「え?」

 

「だって、花鳥風月にも所属出来て、主役にも抜擢されて、こんなに優しいお兄ちゃんもいるんでしょ?羨ましいな…。」

 

 ぼそっ、と声が小さくなりながらも言葉にすると、隣のパパが動揺した気配がした。

 

「…うん。素晴は凄いよ…父さんや母さんも…素晴のこと誇りに思ってるよ…。」

 

 俯きはじめたスグルくん

 

(…スグルくんも私と一緒なのかな?)

 

 理由は違えど、兄弟間での扱いの差に、スグルくんも…思い悩んでるのかな?

 それだったら少し…嬉しいかも…。

 

 スグルくんに手を伸ばし、声をかけようとしたら、スグルくんは顔をパッとあげて嬉しそうに微笑んでいた

 

(何、その笑顔…)

 

「だから、俺も嬉しいんだ…大事な弟が、こんなにも頑張ってるのを見ていると、嬉しくなるし兄として頑張ろうとも思える。

 だから、今の落ち込んでる弟の姿見ていたら…なんとか元気付けたくてさ…。」

 

 照れくさそうに頬を染めるスグルくんに、先ほど感じた仲間意識がバラバラに崩れた。

 

(…なんだ、当たり前じゃない)

 

 スグルくんは、普通の愛のある一般家庭に生まれてきたんだもの。

 両親に殺されたことがないんだもの…。

 愛されたことがあるんだもの…。

 

 

 なんだ、なんだ…私とは全然違うじゃない

 

 

 ぐったりと力が抜けて座椅子の背もたれにしなだれ掛かる

 

 ビーーーーーーー

 

 ブザーの音が響き渡り、会場の電気がパッと消え辺りが暗くなる。

 

 ぽん、と頭に乗せられた掌

 

 その掌の持ち主は、角度から見てパパで間違い無いだろうけれど、今、パパの顔は見たくない。

 

 暗い気持ちの中、歌声が響き鳥のさえずりや木々の音が耳に心地よく入ってくる。

 

 そして、スッ、と舞台の上に照らされた一つの影に、目を奪われた。

 

 隣に座るスグルくんが興奮したかのように椅子に座り直し前傾姿勢になり食い入るように舞台をガン見していることから、その影が『素晴』のものだと気づく

 

(…見せてよ、あんたの実力…この愛されっ子ちゃん)

 

 照らされたスポットライトの中、背景の絵がキラキラと輝き水色と青のコントラストがとても綺麗だ。

 雨のようにキラキラと反射する舞台の上で、素晴…ううん、ヴァジェリが跪き手を組んで祈ってる。

 

(…雨乞い)

 

 パンフレットで見た雨の国の民が使う『雨乞い』をしているのか、ヴァジェリが祈りを捧げた瞬間、先程まで静かに降っていた雨の音が強まった気がした。

 

【「ああ、つまらない一日が、また始まるのか」】

 

 よく通る綺麗なボーイソプラノ

 

 水のように澄んで、風のように心地良い音


【「ヴァジェリ!!早く来なさい!!」】

 

 手を組むのを止め、母親らしい声の持ち主に呼ばれ走り出すヴァジェリ。

 

 場面がパッと明るい水色に切り替わり、どこからともなく陽気な音楽が鳴り響く、それに合わせヴァジェリが踊るように人々の群れの中をスキップしながら歩き回る。

 

 【「ヴァジェリ!またあんたは『儀式』をサボったのね!」】

 

 【「あはは!僕は毎日『雨乞い』をしているから、雨神様も許してくださるよ!」】

 

 ヴァジェリが母親であろう女性の目の前でくるんと回ってみせ、母親はプンスコ怒っている。

 

【「あんたの力は誰よりも強いのだから『儀式』には、ちゃんと出なければ、後で困るわよ!」】

 

 叱咤する母親をあしらう様に人混みの中を駆け抜け何処かに行ってしまうヴァジェリを、母親は大きい声で名前を呼ぶ

 

 【「コラッ!!ヴァジェリーーー!!」】

 

 

(…綺麗…。ちゃんとした『お芝居』ね。」

 

 ヴァジェリは、そのあとも綺麗な『お芝居』を見せてくれた

 

 自身が抱く、雨の国への不満と、晴れの国への憧れ

 

 綺麗な綺麗な完成したされた演技

 

 6歳でこの演技を出来るなんて大したもんだと思う。

 発声も、体の動きも、洗練されていて見ていて楽しい…。

 

 でも…それだけだ…。

 

 

 【「…綺麗だ」】


 ぼーっと考えながら見ていたせいか、既に物語は結構進んでいて、ヴァジェリが川のほとりで、倒れているピスカと出会うシーンまで来ていた。

 

(ピスカ役の子…綺麗)

 

 赤髪はウィッグだろうけれど、その赤に負けないくらいの顔の整い具合…。

 見たことのある様な容姿だけれど、真っ赤なルージュが印象的でハッキリと思い出せない…。


【「あなた…誰なの?」】

 

 女の子の声にしてみたら少しハスキーな気もするけれど、特に違和感はないので気にする必要もないのだけれど…

 

(聞き覚えのある声…)

 

 ピスカがゆっくりと立ち上がりヴァジェリの手を取る

 

【「私、ピスカ…あなたは?」】

 

【「僕は、ヴァジェリ…初めまして、ピスカ」】

 

 照れくさそうにヴァジェリがピスカの手を握り、微笑み合うと、ピスカがヴァジェリが雨の国の民だと気づき、おしゃべりを始める。

 

 笑い合う二人は、夕刻を迎える鐘の音に気づき、また会う約束をする。

 

 そして、ピスカが微笑みながら会場を見渡し、ヴァジェリに手を振るのだが…

 ピスカが会場を見渡した瞬間、赤髪のピスカと、バチっ…と目があってしまい、蜂蜜色の瞳が大きく見開かれた。

 その時、気付いてしまった…。

 

(あ…若月エリオット)

 

 蜂蜜色の瞳に、ようやく引っかかっていた違和感の正体に気づく。私としたことが、ピスカの正体が若月エリオットだと気付かないんなんて…。

 

「あれ?ピスカ役の子…固まったけど、どうしたんだろう」


 ピスカの硬直とした様子にスグルくんが不思議そうに呟いていたので意識をピスカに集中させた

 

(うわ、めっちゃ睨んできてる) 

 

 ピクッピクと顔を引きつらせこちらを睨むピスカ

 隣のヴァジェリも、驚いた顔をしてピスカの視線を追い、必然的に私の隣のスグルくんと目があった様で嬉しそうな顔をしていた。

 

 スグルくんも目があったことが嬉しかったのか、私の肩をグイグイと押してきた。

 そんなことしてたら、案の定、ヴァジェリも私の存在に気づいたのか、アングリと口を開けていて間抜けな顔をしている

 

(あちゃー…これは学校の出し物じゃないんだから、子供にしてもプロ意識を持たないと)

 

 頭に片手を当てて、ため息をつくと、ピスカの視線が強まった

 

 【「また、会えると…信じて『た』わ」】

 

 爛々と輝き殺気さえも窺えるその瞳に息を飲む

 

(セリフ…間違えた?それとも…わざと?)

 

 普通なら、あの場面で『また会えると信じて『る』わ。』というのではないのかしら?

 それに、どうして私の方をガン見しているのか皆目見当もつかない。

 

 ギンッ!とピスカの人睨みを貰い、二人は別れ、舞台は暗転する。

 

 

「…最後の、あれも演出か?迫力あったな…」

 

 隣でパパが不思議そうに呟くと、会場は明るくなり幕間の様だ

 

 茫然と背もたれに体重を預けてる私を気遣ってか、20分ほどの休憩時間に、パパは飲み物を買ってくるから待ってる様に言ってきたので黙って頷いておいた。

 隣のスグルくんは、ニコニコとパンフレットをめくり先ほどまでのおさらいをしている。

 

「凄かったね、素晴くん…。」

 

 スグルはその言葉にパッと顔を華やがせた

 

「だろう!うちの弟は天才なんだ!」

 

 自慢げに語るスグルに、曖昧に微笑むと、先程の素晴のココとか最高だった!と大きな声で手振りを入れながら力説しいていると、それに触発されたのか、どうなのかは知らないが、後ろから悪意の孕んだ声色で下世話な会話が聞こえた。

 

「何、あれ…大したことないね。ねぇ?ママ?」

 

 ねっとりと悪意の孕んだ作られた甘い声

 

「ほんとねぇ!あんなんで主役が獲れるなら、うちの姫星(きてぃ)ちゃんの方が上手くやれるわよね!ねぇ!あなた!」

 

 濁声混じりの罵声

 

「そうだな!姫星の可愛さに比べたら、あんな餓鬼どもなんて脇役以下だ!」

 

 ぎゃいぎゃい、と騒がしい後ろの席に目をやると、なんとも厚かましい…いや厚化粧の母子とでっぷりと太った豚がいた。

 

(うわ…香水くさっ)

 

 

 顔を顰めて鼻を摘むと、その様子を娘…姫星?って呼ばれた子に見られていたのか、つけまつげを何枚も張り付けて羽ばたけそうな勢いのまぶたがバサバサと揺れて、顔を歪めなら私を睨んだ。

 

「ちょっと!そこのガキ!何睨んでのよ!」

 

 指を突きつけられ、香水の匂いが襲ってくる

 強すぎるバラの香りに酔いそうだけれど、これ以上難癖つけられたくないので曖昧に微笑んでおいた。

 姫星と呼ばれた子は、中学生くらいの年齢だろうけれど、厚化粧をしているせいか、ファンデーションに埋もれた肌はかなり凹凸が激しくニキビの上に何層ものファンデーションを厚塗りしているのがよくわかる。

 明らかに、私たちに喧嘩を売っているのがよくわかる…証拠に、私が振り向いたことにより、嫌らしくニヤニヤと笑っていた。

 

 面倒臭いし、とりあえず謝ってしまおうと口を開くが、隣でスグルくんが私の言葉を遮り叫んでいた。

 

「非常識ですね!あなた達!!そんな事しか言えないなら、退場願います!!」

 

(ちょっと、スグルくん!?)

 

 身内の悪口を言われたからか、単にスグルくんが短気だったからなのかはわからないけれど、この展開はまずい…。

 

「ちょっと!!なんなのよ!あんた!失礼ね!野蛮だわ!」

 

 顔の前で手を振り、しっしっ、と払う仕草をするおばさんに私も顔を歪めてしまった。

 

「あなたがた、恥ずかしいとは思わないんですか!?」

 

 声を荒げるスグルくんに、噛み付くおばさんとその娘。

 ニヤニヤと高みの見物を決め込んだ厚化粧婦人の旦那…。

 

 この大声でのやりとりが、目立たないということがまず無理だろう…。

 遠巻きでギャラリーが増え、たくさんの人の視線がここに集まる。

 

 ぎゃいぎゃいと喧嘩を始めた、厚化粧家族とスグルくん…

 

 ため息しか出ない…。

 

(スグルくんの気持ちもわかるけど…それはまずいよ…)

 

 もし、このまま大事になれば公演が中止になる可能性だって出てくる。

 

 素晴の応援をしたくてスグルくんは来たはずなのに、はっきり言って、今のスグルくんは邪魔をしている。

 

(止めないと…大事になる前に)

 

 本当に嫌々だけれど、しょうがないよね…

 

「ねぇ、おばさん達!」

 

 子供ながらに可愛い笑顔を向けて、厚化粧夫人に挑む

 

「な、何よ」

 

 私の笑顔に何故か怯む厚化粧夫人

 

「あのね、この公演に出てるの…はなのお友達なの…だから、あんまりひどい事言わないで?」

 

 喉の奥を凋ませ、目の奥から涙腺を刺激させると、じわりじわりと涙が浮き出た。

 あくびの要領と一緒のやり方で、本当にあくびが出ない様に調節するのも大変だけど、前回極めたおかげで、これくらいお茶の子さいさいよね。

 

 なるべく周囲に聞こえる様に通った声で発音したから、周りのギャラリーには聞こえてるはず…

 もしくは、この私のかわいそうな顔を見て、どっちが被害者かは一目瞭然よね?

 

 

 ニヤッ、と笑みを隠す様に口元に手を当てると、厚化粧夫人はたじろぎ、こそこそと厚化粧旦那に耳打ちをしていたが、旦那の方もしどろもどろしていて頼りなさげだ。

 

 周囲が、厚化粧家族の事をこそこそと凶弾するかの様に、伝言ゲムの如く広まっていく厚化粧家族へのバッシング。

 

「ッ!このクソガキ!」

 

 ガタンッ!!と顔を真っ赤にした娘の方が勢いよく席から立ち、持っていたジュースをこちらにぶっかけようとしていたので硬直してしまう

 

(いやいやいや!それはないでしょ!?止めろよ保護者!!)

 

 ギュッ!と目を瞑り頭を守る様に蹲る。

 ジュースだから痛いことはないだろうし、濡れるだけなら大丈夫?かな!と思いながら、今かいまかと待っているのに、まったく持って、その時が訪れない…

 

 気づけば、ザワザワとした声が止んでいて、恐る恐る顔をあげると、スグルくんのキラキラとした顔が見えた。

 

(え?)

 

 厚化粧娘に視線を向けるが、厚化粧娘とは目が合わない

 むしろ、別の方を向いている.…なぜ?

 

 厚化粧娘の視線の先へと目を向けると、厚化粧娘のジュースを掴む腕を掴んでいたパパの姿

 

「ぱ、パパ?」

 

(…なんで怒ってるの?)

 

 青筋を額に浮かび上がらせたパパの姿

 

「娘に…何か?」

 

 初めて聞いた冷え冷えとした声に背筋が凍る

 

 怒りに染まったその瞳には、見覚えがあって…いつの間にか涙が溢れていた。


(あの目…私を殺した時の…あの目だ…)

 

 それを理解した瞬間、後頭部に激痛が走った。

 前回の死因である後頭部を強く打った外傷により死亡…

 一瞬感じた痛みが、頭の中ではっきりと思い出された

 

(また、殺される?このままじゃ同じ結末?)

 

 息がうまく出来ない、あの時の恐怖がフラッシュバックする。

 

 思わずしゃがみこんで、耳を塞ぐ

 

「はな…?」

 

 パパの心配そうな声が聞こえるけれど、それさえも今の私には毒だ。

 

(なんで、殺したの?なんで?なんで?)

 

 ボロボロと涙が溢れて止まらない。

 自分の気持ちが抑えられない…あの日の事を私の中で、収まりがついたと思っていたけれど、そんなのとんだ思い過ごしだった…。

 

 パパの優しさを知ってしまったから、少しでも嬉しいと思ってしまったから、ほんのちょっと信じてもいいかな?って思ってしまった哀れな自分を殺したい。

 未来栄光、パパが私を愛してくれることなんてあるわけないもの、私を愛してくれる人なんて、いなかったんだもの…。

 

 パパの心配そうな声も、スグルくんの動揺した声も、ざわめく周囲の視線も…全てが全て…今の私の存在を否定する。


(こんな惨めな思いするなら、戻ってこなければよかった。)

 

 唇をギュッと噛み締め、耳に爪を立てて塞ぐ

 ぎゃいぎゃいと騒ぐ声や、怒鳴り声が指の隙間から聞こえるけれど、私は接着剤でくっついたかの様に顔があげられない。

 

「ちょっと!あなた達!問題を起こすなら退場してください!」

 

「警備員!なんで私たちなのよ!!こいつらを摘み出しなさいよ!」

 

「かわいそうだろ!こんなに小さな子を泣かせるなんて!」

 

「はな?大丈夫か?何かされたのか?」

 

「あの子、さっきから蹲って大丈夫かしら?」

 

「…ままー、あの人…。」

 

「失礼…通してもらえますかな?」

 

 

 うるさい周囲の声、誰が何喋ってるかなんてわかるはずもない…。

 

 

 私に近づく振動が足の裏から伝わる…


 金木犀の香りに不思議と力を入れていた指の力が抜けた

 

「こらこら、小さなレディー…。そんなに自分を苦しめてはいけませんよ。」

 

 風が吹くわけなこの空間に、柔らかい風が吹き頬を撫でた気がして、肩の力すらも抜ける…。

 聞いたことのない、透明な声に…この世のものとは思えない声に思わず顔を跳ね上げた。

 

「あ…。」

 

 

 羽のついたベネチアンマスクをつけ、シルクハットをかぶった色も香りもない…人であるかも疑ってしまう様な雰囲気のある男の人が顔の真前に、周囲を魅了する微笑みを浮かべていた。

 

「あ!シュバルツ伯爵!」

 

 遠くから子供の声が響いて耳まで届いた

 

(シュバルツ伯爵…って、物語の後半に出てくる…)

 

 雨の国の変わり者の伯爵…シュバルツ…

 ありとあらゆる知識を持っていて、『おまじない』も雨の国一番の担い手、色んな国を渡り歩く旅人でもあり、ヴァジェリの憧れ…。

 

 目の前のこの人は、まるで物語の中から飛び出してきたかの様に、『洗練』されていて『本物』だった。

 

(…この人、『本物』の役者だ。)

 

 上手い下手の次元じゃない…初めて身近に感じる本物のオーラ

 

 先程までの苦しかった息苦しさや、胸の痛みが嘘の様に引いている。

 まるで、パンフレットに載っていたシュバルツの『おまじない』にかかった様だ…。

 

「小さなレディー、自分を愛さない限り、愛というものは理解できませんよ…。愛しなさい、人を…自分自身を…。」

 

 心を見透かされた様な気分で、目の前の『シュバルツ伯爵』から目が離せない。

 

 ゆっくりと立ち上がるシュバルツ伯爵からは、雨の匂いと晴れの匂いがした。

 初めて体験する不思議な感覚に、目先がクラクラする。

 

「っ、ま、待って!」

 

 立ち去ろうとするシュバルツ伯爵に手を伸ばし引き留めるが、シュバルツ伯爵は止まらない

 

「また、『舞台』で会いましょう…小さなレディー。」

 

 バサっ、マントを翻した瞬間、幕間の終了を知らせる様に暗転する会場内。

 

 伸ばされた手は空を切り、その場に取り残される。

 

「はな…?大丈夫か?」

 

 パパの心配そうな声が聞こえる。

 

「はなちゃん?」

 

 スグルくんの動揺した目線を感じる。

 

「…すごい…あんな人、いるんだ。」

 

 先程までの、怖くて泣き出してしまった記憶が嘘だったかの様に、今となれば、パパの怒りも、人の目線も、どうでもよくなってしまった。

 

 先程までの光景が、夢であったかの様に…頭がフワフワとしている。

 心配そうにパパが抱き上げてくれたから、そのままパパの膝の上で、一緒に続きを見る事にしたけれど、私の頭の中は、先程の『本物』で埋め尽くされていた。

 

(シュバルツ伯爵…。)

 

 高鳴る胸の鼓動は、前回でも今回でも経験したことがなくて、この感覚が、感情がなんなのか…私は知らない。

 

 でも、知りたい。

 

(『舞台』で会いましょう…か)

 

 胸の高鳴りと共に、私は幕があがる舞台を見て好調感に頬が緩んだ。

 

 

 

 

 

 

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