第5話雪と娘


 

 _____________

 

 

「おかあさん!おはなー!!」

 

 黄色いタンポポを見つけ、おかあさんに差し出す。

 

 でも、おかあさんは驚いた顔をして受け取ってくれない。

 

 どうしてだろう?

 

「おかあさん、タンポポきらい?」

 

 太陽の光でおかあさんの顔が見えない。

 

 繋がれた手は冷たくて、なんだかいつものおかあさんじゃないみたい。

 

「…好きよ。ありがとう。」

 

 冷たいおかあさんの声、どうしてなのかな?

 おかあさんはいつも優しくて、わたしの事をだいすきよって毎日言ってくれるのに。

 

「あのね、」

 

 おかあさんの手をギュッと握る。

 冷たい手があったかくなる様にぎゅっと握る

 

 

「おかあさんは、わたしが産まれてうれしかった?」

 

 すがる様に、おかあさんを見上げる。

 やっぱり逆光でよく見えない。

 

「わたしね、…おかあさんの声がだいすき」

 

 握った手に力が入る。

 

「かわいい…かわいい…わたしの赤ちゃん。

 はやく、はやく…でてきてね。…、おかあさんのお歌、いまでもおぼえてるよ!」

 

 おかあさんが歌ってくれたお歌。

 今でもたまに口ずさむ。

 

「っ!!」

 

「おかあさんのこどもで、わたしね…すっごくしあわせなの!」

 

 満たされた幸福感に満面の笑みがこぼれ落ちる。

 

 おかあさんは、なぜか顔を隠して震えていた。

 

 ほっぺから、水が溢れていて、それが『涙』だって気づいたのは、この間、おかあさんが呼んでくれた絵本に書いてあったから。

 

 カチンっ!!

 

 プラスチック同士がぶつかり合う音がした。

 _____________

 

 

「…カット」

 

 静まり返る周囲。

 

 カットがかかっても誰も動けずにいる。

 

「…すぐ、次のシーン行くよ」

 

 稲田孝作が、あのニヤニヤとした顔を消して初めて真顔で指示を出した。

 

「っ!待ってください!泉さんのメイクを直してからじゃないと!」

 

 スタイリストが、泣き崩れている泉さゆりを支えながら稲田孝作に言う。

 

 しかし、稲田孝作は鋭い瞳で、「ダメだ」と寸断し、次のシーンのセッティングを急がせた。

 

 私は、凪いだ気持ちで近くのベンチに腰掛ける

 

 手に持ったタンポポを見つめ、緩く流れる風に身を任せる。

 

「はな、ちゃん?」

 

 加藤俊平の声が聞こえ、完全に切り替え切れてない『わたし』は、

 笑顔で見上げた。

 そして、不安そうな顔をしている『おとうさん』に首を傾げる。

 

 あれ?おとうさんはまだ仕事から帰ってきていないのに。

 いま、仕事中なのかな?

 

 

「おとうさん、はやくかえってきてね。」

 

 早く仕事おわらせて、いっしょにあそんでね。

 

 遠くで、わたしの名前を呼ぶ声が聞こえたから、わたしはお父さんに手を振って、呼ばれた声の先に行く。

 

 

 ☆

 

「次、問題のシーンだな。」

 

「あの子、どこまでついていけるんだろう…。

 五分間の長回しだろ?しかも台本なしの。」

 

「稲田さん、何考えてるんだろうね、最後の最後で台無しにするつもり?」

 

「あながち間違ってないかもな、あの人、しばらく休みが欲しいって言ってたから、最後でポカして自分から仕事無くそうとしてんじゃないか?」

 

「でもさ、…あのこ…なんかすごくない?」

 

 ☆

 

 ザワザワとたくさんの声が吹き抜ける。

 

 手に持ったタンポポは、ずっと握っていたからか、しんなりとし始めていた。

 

「…嬢ちゃん。」

 

 呼ばれた気がして振り返る。

 丸メガネをかけたボサボサ頭のおじさん。

 

「ちょっとだけ、期待してやるよ」

 

 丸メガネの奥の瞳がきらりと光った。

 

 ☆

 

「それじゃあ、次のシーン。

 『雪』が、娘を庇って事故に遭うシーンだけど…。

 

 泉さん、大丈夫?」

 

 サングラスをかけた人が、おかあさんを泉さんって言いながら話しかける。

 泉さん?おかあさんはそんな名前じゃないのに。

 

 

 おかあさんを見ると、赤く腫れた目をしていてサングラスのおじさんをまっすぐ見ていた。

 

「行けます」

 

 いつもの優しいおかあさんの声じゃなくて、はっきりとしていてかっこいい声のおかあさん。

 初めて見る姿に、少し嬉しくなる。

 

「こどもちゃん、君、名前は?」

 

 サングラスのおじさんが、今度はわたしに話しかけてきた。

 

 真っ直ぐと向けられるおじさんの目にたじろいで、おかあさんの背中に隠れる。

 

 おかあさんは驚いた顔をしたけれど、わたしはおかあさんの服を握っておじさんを睨みつける。

 

「おかあさんが、知らないひとには、なまえをおしえちゃいけないって!」

 

 そう言うと、おじさんは目を見開いておかあさんを見た。

 

 おかあさんも、驚いた顔をしていたけれど、くすっと笑って、わたしの頭を撫でてくれた。

 

「この子の名前は、『舞』です。…舞、ご挨拶して。」


 おかあさんが、『いつもの』優しい笑顔でわたしを見つめた。

 なんだか、おかあさんの笑顔を久しぶりに見た気がして、わたしは思わず笑顔になってしまう。

 おかあさんに言われた通り、おじさんに挨拶するため元気よくおじさんに向き直った。

 

「おじさん!わたしね、舞っていうの!!よろしくね!」

 

 

 ☆

 

 

 アクションッ!!

 

 

 ________________

 

 

「おかあさん!きょうはおとうさん早くかえってくるんでしょう?」

 

 おかあさんの暖かい手を繋ぎながら信号を渡る。

 

「ええ、だからお父さんの好きなシチューを作って待ってましょうね。」

 

 おかあさんが嬉しそうに笑ってるから、わたしも嬉しくて笑っちゃう。

 

 しあわせだなぁ。

 

 手を繋いでる方とは逆の手で握っていたタンポポをおかあさんに見せる様に掲げる。

 

「タンポポ!おとうさんにみせるんだぁ!」

 

 おかあさんはにっこり笑って頭を撫でてくれた。嬉しい。

 

「お父さんも喜ぶわね、舞は本当にやさしい子」

 

 だいすきよ。

 

 そう言ったおかあさんの顔は、しあわせに満ち溢れていて、幸せで幸せでしたたまらなかった。

 

 わたしもおかあさんだいすき!

 そう伝えようと口を開いた時。

 

 ブワッ!!

 

 強い悪戯な風が、わたしのタンポポをさらって行ってしまったの。

 

「あっ!わたしのタンポポ!」

 

 後ろに飛ばされたタンポポは、さっき歩いてきた横断歩道へと誘う。

 

 おとうさんに、まだ見せてない!捕まえなきゃ!

 

 そう思って、とっさに駆け出す。

 

「っ!舞!!」

 

 おかあさんがわたしの名前を呼ぶけど、ごめんね止まれないの!

 

 タンポポはふわふわと風に拐われてどんなに手を伸ばしても届かない。

 

 何度も何度も手を伸ばす。

 

 あともう少し!もう少しで掴めるのに!

 

 もういっ…ぽ!!

 

 パシッ!大きく飛び跳ねて手を伸ばすと、風に遊ばれていたタンポポはようやく手に収まった。

 

 「やった!!」



 捕まえた!嬉しくて、思わず笑っちゃった。


 その時、


パァァァァア!!!!

 

 耳につんざくクラクションの音。

 

「え?」

 

 わたしの目の前で迫る車。

 

 あれ、なんで…?


 大きな車の影が、わたしを飲み込もうとしている。


 スローモーションの様にわたしの世界が遅くなる。

 だいすきなおかあさんが怖い顔でわたしに手を伸ばしてる。

 

 どうして?

 

「___舞っ!!」  

 

 ぎゅっと目を瞑ると、おかあさんの聞いたことのない悲痛な声がして、そのまま暖かい掌が、わたしを押し除けた。

 

 ドンッ!!

 

 鈍く低い大きな音が聞こえた。

 

 目を瞑る瞬間、最後に見えたおかあさんの顔は、今までに見たことがない位、怖い顔をしていたの。

  

「っ、いたぁ…。」

 

 気づけば、地面に転がっていた。

 

 突き飛ばされた体は、簡単に飛ばされて、いろんなところをぶつけてしまった。

 ヒリヒリと痛む膝小僧と、掌。

 ゆっくりと目を開ければ、血が滲む膝小僧。

 

 初めての大きな痛みに視界がぼやけるが、おとうさんと『泣かない』って約束したから。泣かないの。

 

 それに、おかあさんが頭を撫でてくれれば、こんな痛みへっちゃら!

 

  ね!おかあさん!

  

「あれ、おか、あさん」

 

 目を擦って、おかあさんがいた場所を見ても、おかあさんがいない。

 あれ?どこ行っちゃったの?

 

 あるのは血溜まりと、地面に残るタイヤの跡。

 

 あれ?おかあさん、わたしのこと置いてかえっちゃったの?

 

「おかー、あさん」

 

 喉が痛くて声が出ないよ

 

 おかあさん。

 

 おかあさぁん

 


 おかあさんが、どこにも見当たらない。  

   

「どこ、どこぉ…?」

 

 ぼやける視界

 

 泣いちゃダメ。

 

 目に入る血溜まり

 

 血のついて引きずられた様な跡

 

 足を引きずりながら、その跡を追う。

 

  

 目に入ったのは、赤いシャツ。

 

 あ、違う、おかあさんのシャツは白いもの

 

 赤い真珠が辺りに散乱している

 

 おかあさんの真珠のネックレスは真っ白で綺麗、だからコレじゃない。

 

 真っ赤に染まった肌。

 

 おかあさんの肌は白くてすべすべ。だからちがう。

 

 赤く染まったおかあさん

 

 違う。

 

 血だらけのおかあさん

 

 違う

 

 目を閉じた優しいおかあさん

 

 ちがう

 

 おかあさん

 

「っぁ、ぁぁあ、っ、お、か–さ、」

 


 真っ赤なタンポポが、おかあさんの側に散っていた。

 

「っぁ!…ぁーっ!」

 

 引き攣った声にならない悲鳴が喉の奥から這い出てくる。

 

 目が熱い、焼ける様に熱い

 

 目玉が溶けてしまいそうなくらい熱いのは、なんで?

 

  

「おか゛あ、さん。

 

 おが゛ぁー、ざん!!」 

 

 ボロボロと瞳から落ちる水。

 

 鼻水が止まらない

 

 目が溶けそう

 

 心臓が焼ける様に痛い

 

 おかあさんを揺すっても、呼んでも、おかあさんは起きない。

 

「おね、が、い。おか゛あさん…おきて、おきてぇ」

 

 だいすきなおかあさん。

 

 どうして、おきないの?

 

「おかぁ、さん?」

 

 ぼろっ、大きな滴が溢れて、おかあさんの肌に落ちた。

 

 握った血だらけの手は冷たくて、わたしは初めて『死』を感じた。

 

「っぁ゛ぁ゛ぁあーーー!!あぁぁぁぁぁぁあ!!!」

 

 そんなはずない。

 

 こんなの本当じゃない。

 

 発狂した、頭を掻き毟って、ボロボロと目玉を溶かして、何度も何度も叫んだ。

 

 おかあさんの頭を抱きしめて、鼻水と目からの水でぐちゃぐちゃのわたしの顔を空に向け、神様に届く様にひたすら叫んだ。

 

 しあわせだったのに、世界で一番、わたしがしあわせだったのに。

 


 行かないで、行かないで、おかあさん

 

 目を覚まして。

 わたしを…、お父さんを…

 

「…ぉぃて、か、なぃで」

 

 おかあさんの手は、冷たいままだった。

 

 

 カチンっ!

 

 プラスチック同士がぶつかった音がした。

 

 ______________


  

 

「…書き直しだ。」

 

 

「え?」

 

「台本、最後のシーン、全部書き直す。」

 

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