第5話 (4)



 エルが顔を上げると、デットの、イグニシアスの、そして自分の精霊の、自分のことを想ってくれている顔を見た。

 みんなが自分のことを気にしてくれている。ここにはいないミーサッハも、そして、兄シリューズも。

 この人たちが見ていてくれるなら、なにが起こっても、きっと大丈夫。

「ありがとう」

 エルは感謝した。皆が自分のことを想ってくれることを、そんな皆と出逢えたことを。

 まだ濡れた瞳でエルは皆に笑いかけた。まだ自分は笑えたんだと思っていると、デットが目を見張ったあとに笑顔を見せた。

「さて、これからどうする?」

 イグニシアスが二人に訊ねた。

「行動を起こすなら、いつまでもこの町にいることはない」

 デットが答える。

「そうだよな」

 イグニシアスは考え込む様子を見せ、黙り込んだ。イグニシアスにエルから事情を話してはいないが、彼の術での精霊召喚から闇の精霊王が現れた時点で無関係ともいえないし、デットとの会話である程度のことは察してくれているのだろう。

「お前の姉に話をしないといけないな。きっとお前のことはすでに知っているのではないかと思うが」

 兄シリューズが妻に隠し事をすることはないだろうと推察できた。それにミーサッハがエルの本性を初めて知ったとしても彼女がエルを恐れるはずがない。エルはデットにうなずく。

「行こう」

 デットがエルを促そうとしたとき、イグニシアスが二人を引きとめた。

「ちょっと待った! まさか、俺を置いてくんじゃないだろうな」

 イグニシアスは目を閉じた顔でニヤリと笑う。

「一緒に来る気か?」

「ここまで関わっておいて、はいさようならじゃ、このあとが気になってしょうがねえ。じじい説得してくるから、ちょっと待ってて」

 デットは少し考えたあと、

「宿に荷物を取りに行く間だけだ。それ以上は待たないぞ」

 笑って告げる。

「じゅうぶん」

 エルはイグニシアスが同行してくれるなら、嬉しいと思った。さっき出逢ったばかりだけど、彼の飾りのない人柄が好ましかった。いまの複雑な心を抱えるエルにとって、自然体の自分のままでいられる気がした。

 だからエルはイグニシアスに言った。

「待ってる」

 エルの反応に目を開いたイグニシアスの瞳は金色だった。エルの心がホワリ動いたとわかったのは、吸い込まれるような大変魅力的な笑顔を見たからだ。

 イグニシアスに送り出され、二人はデットの宿に戻った。

 黒き精霊は姿が見えなくとも常にエルのそばにある。エルにはまだわからないことが多い。それでも、いまのエルはいろんなものに守られていると知っている。それは自分が思う以上に、心の荷を軽くしてくれていた。

 デットは長逗留していたため部屋の奥に追いやられていた自分の荷物を取り出し、その中の一つ、長細いものを手にとった。なめらかな手つきが被されている布を取り払っていく。

 現れた一振りの長剣。一般的よりも大きめではあるが、とくに目立つものではない。

 エルが剣を間近に見たことがあるのは、兄シリューズの剣。兄は大柄ではなかったが、デットに劣らないくらいの長身だった。この剣は、兄のものに近い感じがした。装飾もほとんど見られない。どちらかといえば地味なものだ。

 それを水平に持ち、じっと眺めているデットの様子をエルは黙って見守っていた。

 デットの瞳が交戦的に妖しく輝き、その顔がエルが見たことのない戦士のものになるのを。

 デットがその顔のまま、エルに笑顔を向ける。

「最近使ってなかったけど、腕は落ちてないはずだから安心しろ」

 デットは、名のあるカドルだったのではないだろうか。

 デットが剣を置いていた理由はわからないが、この想像が間違っていないとエルはなぜか確信していた。デットと兄は、性格も、姿も、どこも似ていないのに、どこか似ている、そんな気がした。

 デットが味方であることが嬉しい。

 二人は荷をまとめ部屋を出ると、長期間滞在していた宿を引き払うため、デットは店の出入り口横の帳場に顔をのぞかせた。デットが宿払いを告げると、店員は店主を呼ぶためデットにしばらく待つように願った。デットは快く了承し、しばらくして現れた女店主に笑顔を見せた。五十代ほどのふくよかな女店主は人当たりのよい笑顔の持ち主だった。

「長のご逗留、まことにありがとうございました。いずれまたお越しくださることを、心待ちにいたしております」

 女店主はデットに深々と頭を下げた。

「すべてに行き届いた接待を受けた。礼を言う。この町に来たらまた寄らせてもらうよ」

 そう言葉を贈ったデットに女店主は深い笑顔を見せ。ふたたび頭を下げた。

 宿を出た二人は、開店前の“穴熊”に顔を出した。

 数人の店員と共に料理の仕込みをしていた白髪の店主は、二人を見るとしばらくは無言でいたが、目尻のしわを少し増やして小さく笑った。過去の男ぶりがうかがえるくらいに魅力的な笑顔だ。

「二人とも、いいツラになったな」

 デットはいつもの柔らかさとは違う瞳で笑い返した。

「孫は跳ねっ返りだが、役には立つだろう」

「いいのか」

「かまわん。あれは、俺が外に出したがらないと言ってるが、単なるこじつけだ、ただの出不精だ」

「聞こえてるぞ!」

 奥からイグニシアスが顔を出す。すでにまとめられた荷物を手にしている。

「事情は詳しくは聞かなかったが、旅の安全を祈る」

 店主の言葉に、エルが初めて彼に笑顔を見せると、店主は黙ってうなずいた。

 デット、エル、イグニシアスの三人は、揃って長卓席に腰をかけた。

「作戦会議だ」

 イグニシアスが軽い口調で言う。

「まず、エルの姉さんのところに行って、話をする」

「ああ。今後のことを話しておかないとな」

「それから、フォルッツェリオに行く」

「そうなるな」

「でも、どうやってレイグラントのところに辿りつける? 国王なんだろう? そう簡単に近寄れるとは思えない」

 仕事をしながら耳を傾けていた店主が口を挟む。

「ちょうど、フォルッツェリオから戦士斡旋の依頼が来ているが? 傭兵としてではない、国家兵士となれる者にだが」

 イグニシアスが祖父に目を閉じた顔を向ける。

「あの国はまだ安定してないのか?」

「ほぼ平定しているが、国境付近は小康状態といったところだ。西のミリアルグ側は元々静観しているが、東と北がな。内部もまだ盤石とはいえんだろう。国を二分する戦さだったからな」

「ふん、隙はあるかもな」

 イグニシアスはエルに向かう。

「おまえは、レイグラントが指示を出して兄さんを殺したと思ってるんだな?」

 エルは強張る顔でうなずいた。

「でも、確証はねえんだろ?」

「ないけど」

 突っかかるように答えるエルに、イグニシアスは片手で制する。

「ないってことは、違う可能性もあるわけだ。そこんとこ、わかってるよな」

 エルは複雑な思いでうなずいた。

「だったら、まずは現地で証拠集めだな。行って殺して違ってましたじゃ、いくらなんでも後味が悪い」

「返り討ちにあう可能性もあるんだが」

 デットが苦笑して言えば、エルもイグニシアスもきょとんとした表情をする。

「なに言ってんの、そんな自信満々なくせして。いままでこの店に来た客の中でもあんたの気配は最高級だよ。妙な謙遜すんな」

 デットはさらに苦笑する。

 店主が言葉を挟んだ。

「依頼は国王直臣からでな。ちょっとした顔馴染みだ。繋ごうか?」

「いいのか? もしかしたら、その人の信頼を裏切ることになるかもしれない」

「もしこの坊主の兄の死に関わってるようなら、坊主の心情が優先だ」

 店主は強面だけど、優しい人だ。

「それじゃ頼もう」

「紹介状を書こう」

 店主は奥へ行き、しばらくしてから一通の書状を持ってきた。

「兵団長のビルトランという男に渡せ」

「大元に繋がってるとはな。恐れいる」

「そんじゃ、あんたにはしばらくフォルッツェリオの国家兵士としていろいろと探ってもらうとしよう」

 いつの間にかイグニシアスが作戦部長となっている。エルは成り行きを見守るしかできないが、自分にもできることがあればと願う。

 店主が譲ってくれた馬車を使うこととし、デットとエルは店主に別れを告げた。

 これからなにが起こるかわからない。店主は元戦士だからか感情を交えずに見送ってくれた。

 祖父と孫は視線のみを交わしていた。どちらも気負いのない眼だった。言葉は必要ないのだろう。

 外では毎日強い日差しが続いているが、もう夜闇が辺りを覆わんとしていた。夜空から地を照らす双月は、時節柄いまは一つ。それすらはきとせぬ薄雲で霞み、人々に夢をもたらす星々は、いまは一つも顔を見せてはいなかった。薄暗闇の中、三人は無言で馬車に揺られた。

 ミーサッハの家に近づくと、道幅が狭く歩きとなる。先頭を歩くエルが自宅へと着き、扉を叩いて、鍵が開いていたので中に入る。扉を叩いたときに、エルとわかる叩き方をしたので、姉はすぐに反応できなかっただけだろう。

 そう思っていたエルは、愕然と家の中で立ち尽くした。

 家の中は無人だった。

 水場は乾き、もうしばらく前から使った様子がない。姉愛用の武器も道具も消えていた。

 いまの時間帯なら、ミーサッハは必ず家にいるはずだった。身重の体で、夜にこの町で外に出るわけがない。

 中に入ってきたデットが辺りを見回した。

「フォルッツェリオに行く目的が、一つ増えたかな」

「どうしよう……いまの姉さんが長旅に耐えられなかったらっ」

 エルはデットに縋りついた。

 ミーサッハと、生まれ出ようとしている兄の子。

 二人の身が心配だった。

 大切な人は、もう絶対に失いたくない。

「地精の使い手がいれば、揺れを抑えることができる。それに、ここから連れ出したのなら、彼女を危険な目には遭わせないだろう。大丈夫」

 デットはエルに優しい声で言ってくれる。エルも、それを信じたかった。

 大丈夫、きっと大丈夫。

 それでも気持ちは逸った。

 一刻も早く。

 かの地、フォルッツェリオへ。

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