第1話 (3)



 エルが暮らしていたのは、低所得者たちが多く見られる寂れた地域だった。ナカタカの主要繁華街からも“穴熊”からも距離のあるところだ。

 馬車を借り、まだ体の調子が完全ではないエルを荷台に寝かせて、デットは彼を家に送るためにこの地域にやってきていた。


 熱に倒れてから二日経ってようやく目が覚めた少年は、自分が知らないところで寝ていることに気がつくと、すぐに店を出て行こうとした。高熱が続いた体がいうことをきくはずもなく、寝台から下りて地に足をつけた途端にエルはふらつきデットに抱えられた。デットは店主に頼んで軽い食事をエルに与え、自身も遅い昼食を一緒にとった。

 エルは迷惑をかけたことを詫び、すぐに帰ると告げたが、自身の力で長時間歩けるようには見えなかった。怪我を負っての発熱ではあったが、身体の消耗はそれだけが原因とは思えないほど、少年は自身の体調を顧みないくらいに何かを抱えているようだった。

 ここまで関わったからにはとりあえずは面倒をみてやろうと、デットはエルを家まで送ることにしたが、当初エルはそれを承知しなかった。他人を家に連れて行きたくない様子だった。

 いろいろと説得の言葉を駆使しても、中々うなずかないエルに、商売女も誑かせる、とっておきの笑顔を見せ、「人の親切を踏みにじっちゃいけないな」と自分でも恥ずかしくなるような優しい声音で言ってやると、少年は少し考え込み、ようやく承知した。デットは、こんな胡散臭い作り笑顔に絆されるなよ少年、と内心苦笑した。


 こうして、デットはエルの住むところへとやってきた。

 目的の場所に近づいたのでさらにエルに詳しく訊くと、馬車はここまでで、あとは歩かないといけないほど道が狭いとのことで、デットはエルを両腕で抱え、馬車を置いて歩き出した。

 ナカタカの町は荒野や砂漠の中にあるため、人が暮らせる地域に限りがある。町の外れになってくると、低所得の者たちがその狭い場所になんとか暮らせるように建物が密集し、町の城壁のように囲んでいた。それらが途切れるとき、乾いた風が支配する荒れた大地が広がるのだ。

 エルが示した家は周りの建物よりは小さく、壁も屋根も石と煉瓦で作られ、長年の風雨に晒された朽ち落ちないのが不思議なくらいの粗末なものだ。

 デットは木戸の前で少年を抱え直し、わずかに自由になった手でその木戸を開いた。

 中で待っていたのは、様々な修羅場をくぐってきたデットでも立ち尽くすに十分な光景だった。

 全身を覆い隠すようなこの辺りの衣装を身に着けた人物が、引き絞った弓矢を部屋の奥からデットに向けていた。鈍く光る鏃が、解き放たれるときを待っている。

 この至近距離では、いくらデットが優れた魔法の使い手であろうと、容易に防ぐことは叶わない。両腕には少年を抱え、魔法の言葉を発したとしても、魔法が発動する前に射抜かれてしまう。

 弓を構える人物の頭は被り布に覆われ、その表情をうかがうことはできない。相手はいまだ矢先をデットに向けたまま、弓を引き絞る形で静止している。その膂力は素人のものではない。

 デットは顔色を変えることはなかったが、内心は緊張を強いられ、この状況をどう解釈するべきか思案した。

 家の中に入るまでデットが気がつかなかったのは、殺気を感じなかったからだ。そのことはデットをさらに警戒させた。感情を表さずに武器を向けてくる者のほうが厄介だと知っているからだ。

 この弓の使い手は相当に場数を踏んだ者と思われた。隙がない。

 緊迫した空気の中、動いたのはただ一人。

 エルが、弓を構える人物に声をかけた。

「ごめんなさい、遅くなって。この人は体調の悪いおれを送ってくれただけなんだ。すぐに帰ってもらうから」

 それを聞いたその人物は、構えていた弓を下ろすと、デットに非礼を詫びた。

「この子が世話になったようだ。礼を言う。とりあえず中へ」

 落ち着いた声は女のものであり、頭の被り物を下ろし現れたのは、デットも近頃目にしたことがないくらいの、麗しい美女だった。

 後ろに流れる長く艶やかな濃茶髪。肉感的な唇が魅惑の整った顔容。

 この女には化粧や装飾で飾る必要が全くない。たとえ年齢を重ねていたとしてもそれを感じさせない、美しい女だ。

 だが、女の深く蒼い瞳は、非常な、戦いに身を置く戦士のものだった。

 少年と女の関係を見出せぬまま、家の奥に招き入れられたデットは自分の名を告げ、これまでのことを女に説明した。

 事情を知った女は、しばらく休むように少年に言い渡し、奥の部屋へと寝かしつけた。エルはそのまま深い眠りについた。馬車に揺られ疲れただろうし、家に戻り気が抜けたのかもしれない。

 女に食卓まで案内され飲み物を馳走になったデットは、もはや好奇心を抑えようとはしなかった。この二人には謎が多すぎる。

「物騒な挨拶だったな。気にしちゃいないが、知りたいとは思うな。よければ聞かせてもらえないか?」

 卓を挟んで向かいに腰を下ろした女は、しばらくデットの顔を見つめ、ようやく口を開いた。

「わたしはミーサッハ。あなたに弓矢を向けたのは、わたしが追われる身だからだ」

「追手だと思ったのか」

「そうだ。あなたが来るのは遠くいるときから気づいていた。あなたほど“気”の強い人物は、そういないものだ。魔法に精通し、ここに近づいてくる者で、追手以外に心当たりがないのでな」

「俺に気がついたということは、あんたにも精霊がいるのか?」

「いまは術をかけ、知られぬようにしている。そうしなければならないのも、エルの兄に関わる事情からだ。エルから何か聞いたか?」

「いや」

 ミーサッハは一息つくと、ゆっくりとした口調で語り出した。

「ここから砂漠を越えた北に、フォルッツェリオという国がある。できてまだ日の浅い新興国家だ。まあ、建国の騒動は知らぬ者はいないだろうが」

 デットはうなずいた。

「元国の名は、アスリロザ。その国内に傭兵組合が本拠とした地域があった。あの時期、アスリロザの衰退は明らかであり、腐敗しきった王家と上級貴族どもに傭兵組合は決別を決断せざるを得なかった。その憂慮を抱えたあの時期に、傭兵たちの人望を一手に集めた指導者が現れた」

「迅風の、レングラント」

「そうだ。周囲の国をも巻き込んだ戦ののち、傭兵たちが国家戦力の中心となって国を興した。わたしとエルの兄は、レイグラントと共に戦った仲間だ」

 いったん言葉を切ったミーサッハに、デットは瞳で続きを促した。

「エルの兄、シリューズの剣の腕は、仲間内でも特に優れたのものだった。最後まで戦い抜き、レイグラントをよく補佐した。レイグラントがフォルッツェリオの王となったとき、シリューズは皆が差し出す役職を退け、一介の傭兵でいることを選んだ。自分は傭兵が性に合っていると言ってな。それを惜しむものが大勢いた。ただ、できたばかりの国だ、元のアスリロザで権力を握っていた者たちもいまだ多く残されていたし、レイグラントに王位と権力を持たせることを喜んだ者ばかりではなかった。中には、剣技においてはレイグラントと並び立つほどのシリューズを立てて、レイグラントに対抗しようとする連中も現れた。シリューズはレイグラントに次ぐ人望も得ていたのでな。望まぬことに巻き込まれる前に、シリューズはフォルッツェリオを去った。しかし、かの国を出てしばらく経ったあるとき、シリューズは何者かに襲撃され、命を落とした。いまから半年ほど前のことだ」

 





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