くのいちは、若さまを守りたい

秋月忍

第1話 護衛に任命されました。

 これは、日本の江戸に酷似した、江戸じゃない場所『宇土うど』という街の物語。



「領内を見て回りたい」

 徳山健吾とくやまけんごさまが、お庭番の長たる私の父、木隠玄蔵こがくれげんぞうに、そうお話になられたことが、きっかけらしい。

 徳山家の長男で、次期将軍と言われている。ひととおりの視察はなさってはいるけれども、それだけでは領民の暮らしぶりはわかりにくい。ぜひ、後学のために視察という形ではなく、自然な状態を見てみたいと思われたとか。

 そこで、私こと木隠朱美こがくれあけみが、護衛に任命された。父によれば、私をご指名してくださったらしい。

 お庭番の役目に付いて三年とはいえ、二十の小娘である私をご指名いただけるなんて、本当に驚いた。

 若さまは、忍びの技に興味があるようで、我が屋敷にも何度か足をお運びいただいている。とても好奇心旺盛な方だ。

 現在、二十三才。縁談は多いそうだが、まだ、ご結婚はされていない。

「朱美、さすがに、その格好で一緒に歩かれたら、目立つのだが」

 お忍びでの視察に出かけられるというので、『鳥追い女』姿になったのだけど。お城の秘密の出入り口のある蔵のそばに参上すると、若さまは、秀麗な眉をひそめられた。

 鳥追い女は、くのいち定番の変装。三味線常備だから、仕込み刀とかもできて、とっても便利なのだ。

 若さまは、小袖の格子の着流し姿。ほんの少し着崩していて、遊び人っぽい雰囲気を出している。

 きりりとした、正装とはまた違って、ため息が出そうな色気を醸し出していて、ついうっとりしてしまう。若さまは、眉目秀麗で、文武両道。領民思いで、勉強熱心。

「若さま、これでも、私は忍びです。ついて歩くと言っても、周りから『連れ』と気づかれるようなヘマはいたしませぬ」

 私は神妙に申し上げる。

「いや、俺は、『案内人』として、朱美についてきてほしいと玄蔵にも話したのだが」

「案内人で、ございますか?」

 私は驚く。護衛と聞いていたのだが、それは案内も兼ねて、とのことだったのだろうか。

「それでしたら、ご家来衆の方がよろしいのでは?」

「家来衆を連れて歩いたら、単なる視察になる。俺が見たいのは、領民の飾らぬ日常ぞ」

 確かに、ご家来衆と歩けば、物々しい雰囲気になってしまうかもしれない。女の私を指名なさったのは、そのあたりにあるのだろう。

「それでは、どのような姿がよろしいでしょうか?」

 私はおそるおそる健吾さまにお伺いを立てる。

「そうだな。町娘風の格好が良いな」

「……町娘?」

 確かに目立たないのは間違いないが、武装、という面では心もとない。大きな荷物を手にできないので、仕込み武器にも限界がある。

 しかし、主たる若さまのご意向には沿わねばなるまい。

「実は、用意はさせてある」

「はい?」

 パンパンと、若さまが手を鳴らすと、着物を持った侍女が現れた。

「こちらにお着替えを」

 こうなることは既に予定済みだったかのようだ。

 用意されていた着物は、紺地の小袖。ごくごく一般的なものだ。これならば、確かに街中で目立つことはない。やはり、武装、という点で不安は残るけど。

 私は蔵で、着がえを手早く済ませた。

「若さま、お待たせをいたしました」

「いや、うん。その方がずっと良い」

 若さまは私の姿をご覧になり、満足そうにうなずいた。

「それから、若、と呼ぶのは禁止だ。健吾と呼べ」

「健吾さま?」

 いくらなんでも、本名でお呼びしたら素性がわかってしまうのではと思ったが、若さま、じゃなくて、健吾さまはお譲りにならない。偽名を使うのは嫌とおっしゃる。極力、人前でお名前をお呼びするのを避けようと、私はこっそり決意した。

「では、参ろうか」

「はい」

 蔵にはいって、大きな長持をどけると、地下への階段が現れる。これを降りていけば、誰にも気づかれずに外に出られる。

 私は灯りを手に、ゆっくりと階段を下りていった。

「用心深いな」

 くすり、と健吾さまが笑う。

「当然です」

 平時と言えども、いつ、何があるかわからないである。

 階段を下りて、扉を開く。出口は、森の中の神社だ。辺りに人影はなく高く伸びた木立のせいで、少し薄暗い。

「それで……どちらへ、ご案内を?」

「うん。そうだね」

 健吾さまは、ふむ、と顎に手をおあてになった。

 ここから城下に出るには、細い山道を抜けるのだが、それほど遠くはない。

 小鳥のさえずりが響く。とても静かだ。

「芝居見物に行こう」

「お芝居ですか?」

 意外な気もしたが、芝居は庶民の娯楽。領民の生活を知る上でも必要なことなのかもしれない。

「一度、見てみたいと思うておった。それに、みな、芝居が好きだと聞いておる」

 健吾さまは、ほんの少し頬を赤く染められた。なんか、とても可愛らしい。おそれ多くも、胸がキュンとしてしまった。

 私は慌てて足をつねって、頭を冷やす。大きな任務だというのに、そんなことを思っていては、くのいち失格だ。

「裕福な商家の子女や奥方は、公演があるときは毎日のように、通われる方も多いと聞いております」

「すごいのう。朱美はどうなのだ?」

 突然、問われて、私は首を傾げた。

「私は、仕事以外で小屋に行ったことがございませんので……たいていは、あまりお芝居を見ていなくて」

 仕事だから、ずっと客席を見つめていたりするわけで。そもそも、芝居に気をとられていては、意味がない。

「ふむ。今日は芝居をきちんと見て構わんぞ」

 ポンと、健吾さまは、にこやかに微笑まれ、ポンと私の肩に手をおのせになる。大きくて暖かい手だ。

「と、とんでもないことです」

 健吾さまにとっては、たいしたことのない行為なのだろうけれど、息が止まるかと思うほどびっくりした。

「そなたが楽しんでおらねば、怪しい二人組にしか見えなくなるぞ?」

「そ、そういうものでしょうか?」

「そういうものじゃ」

 細い曲がりくねった道を下っていくと、武家屋敷の白い壁が見えてきた。

「よし、参ろう」

「はい」

 私は気を引き締め、活気あふれる城下町の案内を始めることにした。


 

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