第3話


「ぅぅぅ・・・」

「ギュロ?」


 呻き声を漏らした白を見下ろしながら、弱った獲物に舌舐めずりをみせるリグーシカ。

 リグーシカにとっては白などいつでも落とせる存在なのか?

 それとも、ただそうプログラムされているだけなのか?

 屈辱的ではあるが白は前者と捉える事にしたらしく、眉間の歪みを堪えて、地面に膝を突く自身の約四倍はあろうかというリグーシカを睨みつけた。


「ぐっ⁈」


 そんな白を突如として襲って来た、全身に電流が走る様な鈍い痛み。

 白はせっかく力強く整えた表情を、痛みに再び歪めてしまう。


「キュルゥゥゥ」


 そんな白の様子にも構わず、リグーシカは自身の舌を柔軟体操するかの様に蠢かしてはいたが、未だ追撃を放つ事はしていなかった。

 では、何故白が苦しんで居るかというと・・・。


「一撃目から・・・、かぁぁぁ⁈」


 その正体を理解した白は、痛みの波が鈍いものから鋭く変わる一瞬に、両手も地面に突き、四つん這いの形になってしまう。

 白が現在陥っている状態。

 それはバッドステータスである毒の状態で、一定時間毎にダメージを喰らってしまう状態なのだった。


「ギュルールルール」


 歌う様に愉しげに喉を鳴らすリグーシカ。

 一見すると間の抜けた姿のリグーシカだったが、其処は流石に第三位に属するモンスター。

 通常攻撃には一定確率で毒を付属し、毒は初期状態なら少量のダメージで済むが、毒を付属する攻撃を受け続けると、猛毒状態となり、かなりのダメージを喰らい続ける事になるのだった。


「苦しい・・・、けど」


 何とか立ち上がった白。

 既にHPは半分に迫っていたが、白はアイテムポーチから解毒薬を取り出す事はせず、眼前のリグーシカへと構える。


「キュル?」

「そんなに馬鹿にした様な表情をするなよ?」


 間の抜けた表情のくせにと続けようとした白だったが、リグーシカが舌を伸ばす仕草を見せた為、挑発するよりも攻撃に備える事にした。


「別にゲームだし、せっかくなら死ぬのも体験しておくべきだしな」


 それは強がり半分、好奇心半分という白の気質によるもの。

 落ち着いた様子で仕事などでは殆ど我を示さない白だったが、素人サークルで自身の企画したゲームを作ろうとした事からも分かる様に、興味を持つものに付いては、何処か無鉄砲な部分も併せ持っていた。


「ギュゥゥゥ!」


 そんな白の言葉は理解していないだろうが、白がウプイーリを持ち構えた事から、闘う意思を示した事は理解したらしいリグーシカ。

 圧倒的な弱者である白から示されたそれに、リグーシカは苛立ちからか、少しだけその表情に怖いものを見せた。


「そんな・・・!」

「ギィッ」

「怖い顔をするなよ‼︎」


 ステータス面では全て自身を上回っているリグーシカに、白は現状で差の少ない素早さを利用しようと、一気に身体のエンジンを加速し地を蹴る。


「っ!・・・っ!」

「ギュゥゥゥ」


 毒状態になってしまうと、行動する事でダメージを受けるまでの時間が短縮される為、白は駆ける程に身体の痺れが増していくのを感じた。


「まぁ、アイテム節約なんだけど・・・。随分ドSな仕様だな!」


 貧乏性というかどうせ敵わぬ事が分かっている為、白は無駄となる解毒薬の使用は控え、しかし最新ゲームの作り込みの凄さには、悪態の様な台詞を吐く。


「ギュッ、ギュッ、ギュッ」


 どんなに白が駆け回っても、ギョロギョロと不気味に動く、双眸のその視界から白を外す事はしないリグーシカ。

 一見すると不規則で意味が無い様に感じる動きだったが、片眼は白から外さず、もう一方の眼では白の進行方向を読みながら、その状況を観察する様に動いており、まるで双眸の動きはもう一つの脳で制御している様な恐ろしいものだった。


「ぅ・・・」


 白はというと、自身が設定を作ったリグーシカのそんな動きに、頰に疲れとは違う汗が伝うのを感じる。


「ゥゥゥ・・・!」

「・・・!」


 打つかり合う白とリグーシカの視線。

 リグーシカは威嚇とも気合いを入れるとも取れる唸り声を漏らし、対する白は奥歯を噛み締めながら、無言の中で瞬きの間も惜しみ、たった刹那の間の隙を探る。


「ギュッッッ‼︎」


 そんな空間を斬り裂いたのはリグーシカが振り上げた舌。

 やはり完全に白を見下すリグーシカは、スキルを使用する事はせず、牽制さえも見せずに、鞭の様な舌による攻撃だけ、それもあと一撃で白を仕留めるつもりらしかった。


「っっっ‼︎」


 白もそんなリグーシカの考えはお見通し。

 それに賭けていたかの様に、奥歯が欠けそうな程の力を一瞬で込め、リグーシカの懐へと跳び込む。


「ルルッ⁈」


 何かを狙う白の動きは読んで居たが、それが玉砕の様なものとは読み切れなかったリグーシカ。

 それも当然の事で、このモンスターにとって世界は一つ。

 此処での終わりが全ての終わりであり、死ぬ事に好奇心半分の白の思考など、狂人のそれでしか無いのだった。


「ギュッ・・・」

「はっ!」


 標的を失った舌を動かし、狙いを定め直そうとしたリグーシカ。

 白はその刹那を埋める様に、右掌に持つウプイーリを自身に引き付ける様に払いながら、リグーシカの腹へと斬撃を放つ。


「ルル?」


 それはリグーシカのHPゲージを毛先程しか減らせず、リグーシカは唯一と言って良い隙に、隙は無いが、力の足りない攻撃を放った白に、不思議そうな表情を見せる。


「立派なAIだな」


 そんなリグーシカに、嫌味では無く、心の底からそんな感想を告げた白。

 妖しく真紅に輝くウプイーリの刃を確認し、斬撃の流れの構えから右脚を踏み込み・・・。


「はあぁぁぁーーー‼︎」


 全力の刺突をリグーシカの土手っ腹へと放った。


「ッッッ⁈」


 突然の白の咆哮。

 それはリグーシカにとって、自身を獲物にする様な、大型の肉食モンスターのものに感じられ、一瞬でギョロ眼を落とさんばかりに見開いたが・・・。


「・・・ギュル?」


 直ぐに状況を理解出来ない様な、しかし、少なくとも危機的状況にある者のそれとは異なる表情を浮かべてしまう。


「・・・無理だったか」


 漏らした白の呟きが全てを表していた。

 先程の斬撃で毛先程のダメージしかリグーシカに与えられなかった白。

 渾身のクリティカルヒットで与えたダメージは指先程のもので、それはリグーシカの全体のHPゲージにとって、十分の一にも満たないものなのだった。


「ルーールールーーー」


 誰か見ていて、ライブでアテレコでもしてるのでは無いかと疑いたくなるリグーシカの鳴き声。

 それは感情を押し殺した様な低く、しかし愉快なメロディーで、白へと終わりを告げる様に周囲に響き渡った。


「・・・」


 自身の終わりはお前なぞに揶揄われなくても疾うに理解しているとばかりに、リグーシカの攻撃を受け入れる様に待ちの姿勢に入った白。


「獣の風情で・・・!」


 せめてもの抵抗とばかりに、ロールプレイを楽しむ様な台詞を吐き捨てる。


「ギュルゥゥゥーーーゥゥゥ‼︎」


 此方もそれに乗る様に、リグーシカは苛立ちの声を上げながら、白へと終わりの一撃を打ち下ろしたのだった。



(何だろうな・・・、この感覚?)


 ゲーム内の死を経験し、その感覚に覚えがあるが適当な言葉が直ぐに浮かばなかった白。

 視界はブラックアウトともホワイトアウトとも分からず、首から先にだけ感覚を有する様な感じ。


(でも・・・)


 悪い感じでも無いかな?

 そんな風に白が思った・・・、刹那の間の後。


「・・・」


 白の視界に広がったのは無数の人が行き交う街の光景。

 しかし、其処にはビルも無ければ、車も通らず、建ち並ぶ建物は一見すると地中海のそれ。

 名は『リメースリニク』といい、白のゲーム開始の場所となった始まりの街なのだった。


「まぁ、海も無ければ、少し煤汚れているけどな」


 白の発言の通り、街並みはゴミの落ちている様な汚らしさは無いが、華やかなものとは言えないものだった。


「やぁ」

「え?ああ、貴方は・・・」


 背中から掛けられた少し野太さを感じる声に白が振り返ると、其処には見覚えのある浅黒い肌で筋骨隆々の体躯を持つ漢が立っていた。


「やっぱり、厳しかったかい?」

「ええ、その様です」

「はは、それも良い経験だな」

「はい」


 訳知り顔で語り掛けて来る漢に、素直に頷く白。

 彼は白に最初にレクチャーを申し出てくれた親切さんで、職人系でも、武闘家でも通用しそうなキャラメイクをした漢なのだった。


「ソロで?」

「はい。どの位出来るか試したくて」

「そうか、その気持ちは分かるな」


 何かを懐かしむ様な表情で遠くを見つめた漢。


「俺も前のゲームでそれをして、越えてはいけないラインを越えて、よく死んでたよ」

「そうなんですね」


 剃髪した頭を撫でながら、恥ずかしそうな表情で告げて来た漢。


「そういえば君はどうだった?」

「え〜と?」

「死んだ感覚だよ。仲間や知り合いは皆違う感覚なんだよ」

「ああ・・・、全身麻酔から覚める時みたいな感覚でした」


 漢からの質問に、唐突に過去の手術経験を思い出し、先程まで適当な言葉の見つけられ無かった死の感覚に、最も適当な言葉を見つけた白。


「ああ、なるほどな」

「僕はそんな感覚でしたね」

「大きな手術経験が?」

「いえ、鼻ですよ」

「そうだったんだな。それで、これからどうするつもりだい?」

「そうですねぇ・・・」


 漢からの質問に虚空を眺め、考える様な仕草を見せた白。

 

「まぁ、場所を変えるも良し、パーティに入り引き付け役をやるも良し・・・」

「・・・」

「何より、もう一度挑戦するも良しだな」

「ええ」

「はは、じゃあ」

「それじゃあ」


 白の返答に答えと意志を理解したらしい漢は、愉快そうに笑いながら、納得した様に白に背を見せたのだった。


「お前があんまり待たせるから、あんなに心配させるんだぞ」


 通常なら届いていない筈であろう声を、未だ再会の叶わぬ親友へ向けて発した白。


「いい加減にしろよ」


 続けて、穏やかながら活気ある人波を眺めながら溢す白。

 しかし最新ゲームの世界に心躍らせているプレイヤー達にはそれは届かず、虚しく人波に愚痴は飲み込まれていく。


「はぁ〜・・・」


 溜息を漏らしながらも、表情は曇らず納得したものを見せる白。

 それは、この愚痴さえも雪に届いていると確信している為で、それでも何の反応も示さないという事は、現状再会の時では無いのだろうと一方的に白が折れているからだった。


「そもそも、彼奴の掌の上なのだし、その内何らかのアクションは起こすだろうしな」


 親友の狙いが何なのかは分から無いが、それを知りたいという思いはある白。

 白がゲームから離れるきっかけとなったあの日。

 イスカーチェリの最後となった日、その日を最後として雪との再会は叶わなかった。


「別に俺は仲違いをしたとも思って無いぞ」


 事実、その時最悪の精神状態だった白は雪とは冷静に向き合えたし、ギリギリの感情ながらも何とかいつもの様に別れて、また会えると思っていた。

 しかし、住んでいた家から何も告げずに引越し、一切のメールも受け付けなくなった雪。

 僅かな可能性と、顔を合わせたくなかったイスカーチェリのメンバーも頼ったが、雪に辿り着く事は出来ずにいた。


「まぁ、十年と考えれば・・・」


 それだけの刻を過ごした白にとって、発する言葉とは裏腹に、この焦らされる様な時間もそう悪いものでは無いと感じられていたのだった。


 しかし、それは白がこれから起こる惨劇を一切想像していないからであり、それを目の当たりにした時、白は否応無くその渦の中心に誘われる。


「それでも、休みは有限だからな」


 そんな未来を露知らず、軽口の様な警告を発して歩み出した白。

 その狙いはペナルティーは受け終え、あと少しとなった経験値を得て、次のレベルに上げスキルを試す事で、それがどんな感覚か楽しみでならないといった表情を浮かべた白。

 次の瞬間・・・。


(ようこそ、カフチェークへ)


 耳の奥に刻み込まれる様に響いた声。


「え・・・?」


 それは白にとって懐かしい刻を越えた声色で、しかし決して忘れる事の無かったもの。


「ゆ・・・」


 応える為に唇を尖らせた白。

 しかし、その刹那。


「っ⁈」


 白を全身から自身の意思を全て引っ張り出す様な感覚が襲い掛かり・・・、次の瞬間。

 白はおろか、リメースリニクからプレイヤー達の姿が全て消えてしまっていたのだった。

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