創作の亡霊

春嵐

ある日突然、眠れなくなった。

その日は、単純に寝付きが悪いだけだと思った。


次の日も、寝れなかった。


三日目の晩。ようやく自分が何かおかしいということに気づいた。


眠いのに、眠れない。何かが、眠るのを許してくれない。


眠れない。人間の正常な感覚が失われていく。何か、何かがおかしい。


睡眠薬を買って飲んだ。


何か、幻想的なものが見える。掴めそうで掴めない、何か。おかしい。これは眠っているのか。それとも起きているのか。


気がついた。


どうやら睡眠薬を一気に飲みすぎて、気絶していたらしい。ちゃんと分量をみなかったから。注意しよう。


あらためて、睡眠薬の封を開けようとした。


封を。


目の前。睡眠薬。まだ、開封されてすらいない。


なぜ気絶していた。睡眠薬は目の前にある。わたしはまだ寝ていなかったのか。じゃあ、さっきの幻想的な何かはいったい。


幻想的な、何か。


なんのことだろう。


気絶していた。そのとき見た夢のようなものか。思い出せない。


睡眠薬。そうだ睡眠薬を飲めばすべて解決する。


また、気絶していた。


睡眠薬。


開封されず、机の上に乗っている。


幻想的な何か。まだぎりぎり、思い出せる。そして、ゆっくり、脳内から、消えていった。


おかしくなってきて、笑った。


おかしくなくなったので、笑うのをやめた。


睡眠薬。


この睡眠薬がおかしい。これを飲もうとすると。


待て。違うかもしれない。この睡眠薬が、開けようとするのに開かないのが、おかしい。夢なんじゃないか。いまここにいるのは夢で、だから睡眠薬は目の前にないから開かない。いま自分は寝ているんだ。だからこんな変な夢を見る。夢の中だから眠くてもおかしくない。おかしくないんだ。


おかしいじゃないか。夢の中なのに、こんなに、こんなにまでも眠いのはおかしいじゃないか。眠い。眠い眠い眠い。


気絶でも失神でもなんでもいい。眠らせてくれ。わたしを寝付かせてくれ。


睡眠薬。どこだ。どこにある。机。そうだ机の上。机。


机って、なんだ。


私は、なんだ。どうなっている。世界が上で下で、私は回転していて、これは、どこを向くのが正しいのだろう。








起きた。


「誰か紙を持ってきて」


叫んだ。


記憶が戻る前に。現実世界に魂が繋がれてしまう前に。


「誰か」


誰もいないのか。私は。


いやだめだやめろやめろ。現実のことを思い出しちゃだめだ。家族。同僚。友達。ぜんぶいま思い出しちゃだめだ。だめだ。脳を動かすな。


手だけをばたつかせて探す。紙。見つからない。自分の真上。何かに手がぶつかる。手繰り寄せる。板。目の前の板。


「これだっ」


通信端末。開く。暗証番号を覚えていない。閉じた。


カバーに、爪でひっかいて文字を書いた。


今しかない。創作するには、今しか。


寝れない夢。


覚めない夢。


睡眠薬。


「違う。あれは睡眠薬じゃない」


毒薬。創作を志す者を現実へと引き戻す、毒。


「いや睡眠薬だったけど」


毒薬のほうが創作として成立させやすい。夢だから多少の齟齬はある。それぐらいは理性で。あとでなんとかなる。たぶん。


爪。右手の人差し指がぼろぼろになったので、親指に切り替えた。カバーが一杯になったので、本体に爪を立てる。大丈夫。書ける書ける。指はあと8本もあるんだから。


だんだん薄れていく。記憶。


「あとちょっと。あとちょっとだから。もうすこしだけ」


記憶が戻ってくる。


私は、創作を生業とする人間。家族は恋人がひとり。あとマネージャと、アトリエ仲間。


仕事は。


「仕事は」


無難なロゴデザインや、入門書用の絵。


「あ、あはは」


いらないじゃん。この夢。幻想的な何か。


現実の私は、とても基本的な業務用デザイナー。夢も、狂気も、いらなかった。


「うわっ、スマホが」


高かったのに。


「しかもこれ」


文字じゃん。


「まいったなぁ。私は絵描きなのに」


こんなに長い文章なんて、学校以来じゃん。


「変な夢だったなぁ」


もう、内容も思い出せない。




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