あなたと過ごす終末世界で

本編

第1話_出会いはほんの少しの奇跡で

 世界が終わりに近付かなければ、きっとあなたと出会わなかった。

 それを幸福だとも不幸だとも、私には決められない。もしも叶うことなら、怖いことなんて何も知らない世界で出会って、惹かれ合えたら良かったのに。それならあなたが苦しむことだって、無かったのかもしれないのに。

 そんな『もしも』をどれだけ語ったところで、もうそれが取り戻せないことが分かるから、口に出してしまったりはしない。この世界は終わりに向かっているんだと思う。もう元には戻らないんだと思う。だから『もしも』を飲み込んで、今、私はただ、あなたと。


* * *


『避難指示を解除……ます。ご協力ありが……ざいました。そして、立ち……、十三名の……に、心より……』

 町中に響き渡る大きなアナウンス。かつて防災無線として使われていたそれは今もこうして私達の命を守る為に活躍してくれている。たまにノイズで途切れるけれど内容はちゃんと分かる。そんなアナウンスの余韻がまだ残る中、私は古びた木製の玄関扉を開いた。

「間に合うかな!? 急いで配給、貰いに行かなくちゃ……!」

 玄関先に無施錠のまま止めてある自転車を引っ張り出して、勢いよく飛び出す。家の前の道を二、三歩走ってから、それに跨った。力強くペダルを踏む。玄関の鍵を閉めていない気がするけど、まあそんなことはどうでもいい。どうせ誰も、来やしない。

 去年の四月九日、日本人口の七割が消えた。国外のことは知らない。飛行機なんてもう飛ばないし、国外から連絡が来たなんて話は無い。交流が無くなった以上、他の国が残っていようと滅んでいようと、正直どっちでもいいことだと思えた。

 私は自転車を懸命に漕ぎながら、ちらりと空を見る。雲の少ない綺麗な青空が広がっていて、それ以外には何も見えない。だけどその空に、あの四月九日は

 ぱっくりと目を開くみたいな大きな穴。その奥は波とも渦とも宇宙とも何とも形容しがたい不気味な空間が広がっていて、『何か』が出てきた。得体のしれないもの。少なくとも私は同じ形をした生き物を一つも思い浮かばなかった。後から、地球外生命体だって誰かが言ってたけど、あれらが何であるのかは実際のところ誰も知らないみたいだ。とにかくその『何か』は大量に出てきて、街を闊歩して、人をいっぱい殺した。鈍器も、刃物も、炎も、水も、銃も、何も効かなかった。あれらは必死で抵抗する人々を殺して、殺して、殺して、死体を持って、また穴に戻って行った。その中には私のお父さんとお母さんと、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんと、沢山の友達が居た。珍しいことじゃない。生き残ったみんな、大体そんな感じ。私が生き残った、それが珍しいくらい。連れていかれた死体が改造されて戻ってきたなんて話は一度も聞かないから、多分、食糧なんだろうなって。誰も口に出しては言わないけど、みんなもそう思ってると思う。

 時速何キロが出ているとか計測する機能は私の乗るオンボロ自転車には当然、搭載されていないけれど、とにかく事故を起こせば私が死ぬか相手が死ぬかだと確信できるスピードで移動して、役場前で急ブレーキを掛ける。悲鳴みたいな音を立てて自転車が止まり、私は再び無施錠のまま相棒を放り出して、建物の中へと駆け込んだ。

「おっ、由枝ゆえちゃん、ぎりぎりセーフ! 今日はサイレンが鳴っちゃって、災難だったねぇ」

 汗だくで走り込んできた私を見てそう言ったおじさんは、空調の聞いた部屋の中で涼しげに笑った。ちょっとだけ憎らしくも思ったけれど、おじさんは少しも悪くない。呼吸を整え、大きく頷く。

「本当に……間に合って良かったです……三〇一番です」

 ポーチから取り出したカードには、番号と、私の名前と、バーコードが記載されている。おじさんはそれを受け取って機械に通すと、ピピッという電子音に一つ頷き、カードを私に返した。

「ほい受付完了。あっちに積んであるのが今日の分だ、持てそうになかったら手伝うから、声を掛けてくれよ」

「はい、ありがとうございます」

 示された方向には、幾つかの段ボールが積まれている。まだ二つ以上残っているということは、私以外にも今日取りに来れていない人が居るということだ。間に合うだろうか。私よりも遠い場所から来る人は難しいかもしれない。心配をしつつも私にしてあげられることは何も無い。自分の配給を持ち上げて、あっ、今日はちょっと重い……けど、持てないこともない。ただ長くはたない。早口でおじさんに挨拶をして、私は急いで自転車の方へと向かった。相棒には帰りも頑張ってもらわないといけないから、投げ捨てるようにしたことは謝ろうと思う。

 社会が崩壊してしまっても政府は少し機能を残して、数少ない物資を生き残った人々に定期的に配給してくれている。配給は週に一度。私の番号は火曜日って決まっているから、貰い損ねたら翌週まで受け取れない。避難指示のサイレンが鳴ってしまうと家から出られないし、役場も閉まってしまうのでタイミングが悪いと数週間もの間、受け取れない人が出てくる。飢えて死にそうだったら流石にちょっと相談には乗ってくれるけど、基本的にはこのルールで今の日本は回っていた。

「さっきはごめんね、怪我して……してるね! 本当にごめん! でも頑張って!」

 横っ腹に新しい傷を残した自転車に大きな声で謝りつつも励まして、重たい配給物資を積み込む。しっかりとロープで固定して、よし完璧。一日の間に二回以上のサイレンはまだ経験が無いけれど、これからも無いとは言い切れない。平和な内に、急いで家に帰ろう。

 得体の知れない『何か』は、今でも時々、空に穴を開けて出てくる。四月九日みたいな量では来ないけれど、私達にはただ恐ろしい。穴が開くと、防災無線が大きな音でそれを知らせる。どんな耳の遠いお爺ちゃんでも聞こえるだろう音だ。大体が、空が青い真っ昼間。昔なら元気に外で遊びたくなっちゃうような天気の時に限って、あれらはぱっくりと空に穴を開けて、人類を摘みに来る。

 だけど、私達はそれに対してただ無抵抗であるわけではない。いや、無抵抗……というか手段を持たないのだけど、一部の人には対抗する力があった。『何か』が降ってきた四月九日。あの日、急に不思議な力を使えるようになった人達が居た。前日まではそんなの何も知らなかった人達が急に、あれらに対抗する力を持ったのだ。それを色んな人が色んな解釈で語ってきたが、理由は結局よく分かっていない。『地球』が、外敵に対抗する為に人類に託した力なんじゃないかって、最終的には何かそんな話に落ち着いてるみたい。大地に眠る精霊とか、目に見えない地球の力が、人を助けているんだろうって。だから誰からともなくあの不思議な力を持つ人達を、『霊付き』って呼んだんだと思う。

 行きと比べて五分の一くらいの速度で帰路を走り、っていうかペダルが重たいんだよね、配給物資で。いや大変ありがたい。ようやく家の近くに着いた頃にはまたじっとりと汗をかいていた。もう六月の半ば、段々暑くなってきていて、湿度も高い。そろそろ梅雨に入るのかもしれないなと、まだ雨雲の気配を見せない空を見上げた。梅雨に入るとあれらは少し鳴りを潜める。青空が減るからなのだろうか。とりあえず去年はそうだったから、今年もそうだといいんだけど。

 短い橋を渡り終えたら右に曲がって堤防に入る。数メートル先の坂を下りたら私の今住んでいる家に着くけれど、この荷の重さで自分の体重まで追加して坂を下りてはブレーキが壊れるかもしれない。一度下りて、ゆっくり押して行こう。そう思って自転車を下りた時、橋の下に何かの影が見えた。行きには見付けなかったものだ。下りたばかりの体勢のまま、眉間に皺を寄せてじっと目を凝らす。影……あれは人だ。人が橋の下で、横たわっている。一瞬、何も考えずに自転車から手を離しそうになって慌てて持ち直す。何度も倒したら今度こそ動かなくなるかもしれないし、それよりも大事な配給物資をぶち撒けてしまう。丁寧にスタンドを下ろして、手を離しても自転車が倒れないことを確認し、人影の元へと走った。

「――あの! 大丈夫ですか!?」

 そう声を掛けながら駆け寄った私は、その人の一メートル半ぐらい手前で急停止した。太陽の光が遮られたほの暗いアスファルトの上、こんなところにあるはずもない椿つばきの花びらが、横たわる人の周りに散らばっている。その人は寝返りを打つようにして顔を此方へ向けると、何度か眠たげに目を瞬く。私は大きく目を見開いた。

「嘘、……本物? 椿つばきの女神……」

 気怠げに起こされた身体の上からも、ぱらぱらと落ちる、深紅の花びら。不意に吹き付けてきた風がそれらを舞い上げる。思わず目を閉じ、もう一度開いた時には、花びらは跡形もなく消えていた。

 椿つばきの女神。間違いなく本人じゃなくって周りが勝手に付けた呼び名。今確認されている『霊付き』の中で最大の力を持っていて、人類の『最後の希望』だとか、『救世主』だとか呼ばれている女の人。驚きのあまり立ち尽くしている私を、彼女は無表情のままで見上げて、ゆっくりと首を傾ける。その瞳は私と同じ焦げ茶色をしているのに、彼女が瞬きをする度、先程見た花びらと同じ色であるような錯覚を覚えた。


 これが彼女との出会い。

 終わりの中で始まった、世界にとって何の意味も無い、取るに足らない、善も悪も無ければ、何を変えることも無い、私と彼女だけの、ちっぽけな幸せの話。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る