第一部 幼女期編

第1話 転生の魔法

「おのれ……これで勝ったと思うなよ。たとえ俺が死のうとも、次の魔王が生まれるだけだ……この努力は全くの無駄なのだ、精々思い知るがいい……」


 鈍い光を発する両刃のつるぎに、深々と胸を貫かれた魔王。

 今やその両目の光は消えかけ、息も絶え絶えに呟いていた。 


 その様子を眺める5人は、皆一様にぼろぼろだ。

 汚れて傷だらけの姿は、これまでの激戦を容易に想像させた。


 するとその先頭に立つ若い男が、禍々しいものを見るような目つきで言葉を吐いた。


「やっと……やっとこれで安寧の日々が訪れるのか……本当に厳しい戦いだった……」


 決して大きくはないが、それでも深い感慨が滲むはっきりとした声。

 何処かホッとした表情が浮かぶその顔は、彼が心の底からそう思っているのがわかるものだ。

 そしてその後ろに立つ他の四人も同様だった。



 その姿を眺めながら、胸を押さえて咳き込み続ける魔王。

 すると突如その顔に不気味な笑みを浮かべた。


「本当にそう思うのか? 安寧の日々……笑止だな……ふははっ、くだらぬ、誠にくだらぬ!! ……まぁいい、いずれわかる時がくる。この戦いが全くの無駄だったことがな…… 確かにこの地は暫く混乱するだろう。しかし……ごほっ、ごほっ……しかし、すぐに次の魔王がお前たちの地に攻め込むのだ、覚悟するがいい」


「ふふんっ、言いたいことはそれだけか? これまで散々好き放題しくさったわりには、なんとも死に際の台詞セリフは陳腐じゃな。 ――まぁええわ。さっさと死にさらせ、この外道が」


 魔王の前に立ち並ぶ5人の集団――勇者一行の中でも特に異彩を放つ老人が、その身体に似合わぬ大声を上げる。

 小さく痩せたまるで枯れ木のような体躯をざっくりとしたローブで覆い隠し、見るもの全てを見透かすような鋭く細い瞳は、得も言われぬ迫力を醸している。


 それは80歳に届こうかという老婆だった。

 そしてその高級なローブからもわかる通り、彼女が高名な女魔術師――魔女であることは間違いない。

 もっともその年齢で勇者に同行しているのだから、他に並び立つ者がいないほどの人物であることは容易に想像できる。 


 そんな威勢のいい老婆を睨みつけながら、尚も魔王は語り続けた。



「外道か……まさしく褒め言葉だな。しかしその言葉、そっくりお前に返してやろう。 ――まぁいい、いずれわかる時がくる。次の魔王は俺などよりもよほど手ごわいぞ。そのためにずっと育ててきたのだからな……ごほっごほっ…… 精々楽しみにしておくことだ」


 次第に身動きしなくなっていく魔王を見つめながら、5人は感慨に耽り続ける。

 するとその中でも一番若い女――女僧侶がハッと何かに気が付いた。

 そして声をあげる。


「ケ、ケビン、もう時間がありません。こうしている間にも彼の手下たちがこちらに向かって来ているのです!! すぐにでも逃げなければ囲まれてしまいます!!」


「そ、そうだケビン、さっさととどめを刺せ!! 早く逃げないと!!」


「ケビン、ヤバいって!! 急げよ!!」


 口々に急かす、焦ったような叫び。

 それらに急かされたわけでもないのだろうが、その若い男――勇者ケビンは、既に息も絶え絶えの魔王に近づくとその首を斬り落とそうと剣を振りかぶる。


「お前個人に恨みはない。しかし我々の――いや、人族の安寧を脅かすお前の存在自体が許されないのだ。許せ!!」


 勇者を見上げる魔王の顔には、恐れ、怯え、その他の負の感情は全く見えない。

 そして振り上げられた勇者の剣を意味ありげに見つめていた。


「いまさら……御託など……どうでもよいわ……どうせ助からぬこの身。 ……さっさと……とどめを刺すがいい」


 息も絶え絶えに最後の言葉を吐く魔王。

 しかし直後にその瞳が突然ギラリと輝くと、魔女は何か異様な気配を察知した。

 そして叫ぶ。


「ま、待てケビン!! 迂闊じゃ、下がれ!!」


 

 突然魔女が大声をあげたのだが、それを聞き届ける前に勇者は剣を振り下ろしてしまう。

 その瞬間、魔王の両手から何か光るものが放出された。


「ぐあぁっ!! な、なんだこれは!? うがぁー!!!!」


 今まさに命の灯を消しかけていた魔王は、最後の力を振り絞って勇者に向けて力の限りの魔力を放出したのだ。

 まともにそれを身に受けたケビンは、その整った顔を歪めさせながら大きな悲鳴を上げた。


「うがぁぁぁ!!!!」


「ケビン!!」


「ケビン様!!」


「勇者!!」



 ケビンの背後から大きな悲鳴が次々に上がる。

 しかしその救出に間に合いそうな者はいなかった。

 魔王から少し離れたところに立っていた彼らは、どんなに早く動いても救出に数秒はかかる。

 その時間さえあれば、辿り着いた時にはすでにケビンは死体になっているに違いなかった。


 しかし決して間に合わないとわかっていても、それでも彼らが走り始めたその瞬間、目の前に信じられない光景が繰り広げられる。


 それは勇者ケビンを突き飛ばす魔女の姿だった。

 ついこの瞬間まで同じ場所にいたはずなのに、気付けば一瞬で移動してケビンを突き飛ばしていた。

 それは齢80を超えていると思しき老婆そのものなのだが、その光景はにわかに信じられないものだった。


 音もなく魔王の首が床に転がると、その激しい光もすぐに納まった。 




 勢いよく床に転がされた勇者ケビン。

 その彼が慌てて起き上がると、目の前には全身を焼けただらせた魔女の姿があった。

 石でできた床の上に力なく転がる魔女に駆け寄ると、その身体に触れるのをためらいながらケビンは大声を上げた。


「ばば様!! ばば様!! しっかりしてください!! アニエス様!! ご、ごめんなさいっ、僕が迂闊だったばかりに――」 


 激痛に全身を痙攣させる魔女――アニエスの両肩を抱き上げると、ケビンは泣きそうになりながら呼びかける。

 薄れゆく意識を必死に繋ぎとめようとする魔女アニエス。

 そうしながらも彼女は口を開いた。


「ケ、ケビンよ――お前は死ぬには早すぎる。死ぬのであれば、わしのような年寄りが先と決まっておるのじゃ……わかるな?」

 

「そ、そんなのわかりません!! わかりたくもない!! ――ばば様、お願いですから、しっかりしてください。ばば様!! 僕を残して死なないでください!! お願いだぁ……お願いだから死なないでくれ、ばば様――」



 ケビンが必死に呼びかけていると、やっと仲間たちが追い付いてくる。

 そしてケビンに抱き抱えられる変わり果てた魔女の姿を見るなり、全員が息を飲んだ。


 この姿を見る限り、彼女はもう助からないだろう。

 確かに回復魔法を専門にする僧侶職もいるのだが、その魔力はとうの昔に尽きていた。

 だからこの老婆を助ける術はもう何処にも残ってはいなかったのだ。


「いやぁ!! アニエス!! ばば様!!」


「ばばぁ!!」


「アニエス殿……」


 口々に魔女の名を呼んだが、最早もはやその命は尽きる寸前だ。

 そして誰もそれを助けられないことはわかりきっていた。


 魔王軍が攻め入ってくる多数の足跡が背後から聞こえてくる。

 すでに時間がないことは誰にもわかっていたが、その場から去ろうとする者はいなかった。



 そんな彼らに向かって。渾身の力を振り絞ってアニエスが説教を垂れる。


「ば、馬鹿者めが……!! 何をしておる!! 早う逃げねば、おぬしら全員死んでしまうぞ。どうせわしは助からぬ……早う去れ!! 転移するのじゃ!! 早うせぇ!!」


「ば、ばば様……」


 いつものように叱り飛ばす、聞き慣れた老婆の声。

 しかしそれを聞くのもこれが最後だと思うと、ケビンは涙を流しながら首を振ってしまう。


「い、嫌です!! 転移するならばば様も一緒に連れて行きます。それならいいでしょう!?」


 言いながら後ろを振り返るケビン。その視線を誰も直視できなかった。

 残された魔力では精々四人しか転移させることができないと、彼らは皆わかっていたからだ。


 初めからアニエスはそれをわかっていた。

 もしも全員が無事であったとしても、自分だけはここに残ろうと端から思っていたのだ。

 だからここに自分が残される理由を見つけられて、むしろ彼女はホッとしていた。


「こんな死にかけの……耄碌婆もうろくばばを連れて帰っても……何の得にもなりはせんぞ? いいから置いて行くのじゃ。 ――ケビンよ、ええ加減に言うことを聞け!! ごほっ、ごほっ……」 

 

「ばば様……」


「ええか、よく聞け。なにもわしは死ぬつもりではないのじゃ……何故なら、これから転生の奥義を使って生き返るのじゃからな…… 次のわしが何処でどのような姿になっているかはわからぬが……わしを迎えに来てくれるかのぅ、ケビンや」


 そんな魔女の言葉に、勇者は身を震わせながら答える。

 今や彼は、気を抜けば涙が零れそうになっていた。


「は、はい!! もちろん!! ばば様が何処にいようと、どんな姿になっていようと、必ずや見つけ出して迎えに行きます!! 必ずです!! 約束します!!」





「ケビン、もう時間が!!」


 背後に近づく足音がさらに大きくなる。

 魔王軍の残党がこの部屋に殺到するのももう時間の問題だろう。

 ケビンが後ろを振り向くと、そこには3人の仲間たちが不安そうな顔で見つめていた。

 その姿は疲れ切ってもうボロボロだった。

 

 このパーティーのリーダーとして、自分は彼らを無事に連れ帰る義務がある。

 だから個人の感情を優先させて、彼ら危険に晒すわけにはいかないのだ。


 そのためには――


「ばば様…… すいません、本当にごめんなさい!! 身を挺してあなたが助けてくれたことは一生忘れません。そしてこの遠征もあなたがいなければ成し遂げられなかった。 ――だからどうか……どうか無事に転生してください。何処にいようと必ず探し出して迎えに行きますから!! 約束しますから!!」


「ありがとうよ、ケビン。お前は本当にわしの息子のようじゃった。――と言うても、わしは一度も子を生んだことはないがの……ごほっごほっ……さぁ、もう行け、行くのじゃ……時間がないぞ」


「わかりました、もう行きます。それじゃあばば様、お達者で。 ――魔女アニエス、また会える日を楽しみにしています」


 名残惜しそうに何度も振り向きながら、勇者ケビン率いる一行が転移魔法でその場から姿を消した。

 すでに薄れつつある全身の激痛と意識の中で、アニエスはぼんやりと考える。


 

「転生の魔法か…… 確かにそんな魔法もあったのぉ…… あれはわしが娘時代に一度だけ読んだ本に書いてあったはずじゃが…… あの本はどうしたのだったか、もう忘れてしまったのぅ…… なにせもう二百年以上も前の話じゃ、いまさら憶えておらんでも誰も責めたりせんじゃろう。 ――すまぬケビン、わしは最後に嘘をついてしもうた。そんなうろ覚えの魔法なんぞ成功するわけないじゃろ」


 妙に穏やかな面持ちの魔女アニエス。

 口から小さなため息が漏れ出ると、その口元に自嘲するような歪んだ笑みが浮かび始める。


 焼けただれた全身からは、最早もはや痛みは伝わってこない。

 意識も次第に薄れていく。

 ふと周囲を見渡すと、大勢の魔族が様子を伺っていた。



 放って置いてもこのまますぐに死ぬだろう。

 持ってあと数分だ。

 いや、その前に魔族にとどめを刺されるかもしれない。


 ならばいっそ、二百年前に一度だけ見た転生の魔法を発動してみようか。

 それには確か凄まじい量の魔力と生命力が必要だったはず。

 そして失敗すればこの命も塵と消える。


 ――ふふっ……どうせもうすぐ死ぬ身だ。

 失敗しても痛くも痒くもない。



 確か――呪文はこうだったな。

 しかし、どうもはっきり思い出せぬ。

 どうせ合っているはずもないが、試しに唱えてみようか。


 どれ――

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