第24話 大いに間違いたまえよ、少年

「赤崎先生、体調不良者です」


「あぁ、飯野先生からメールは受け取ってある。そろそろこちらへ来る頃だろう。タクシーも手配してあるからそれまでバスの後ろで寝かせておこう」


「はい」


赤崎先生と協力し、新川をバスの後ろへと乗せた後バスを降りようとした。しかし不意に服の袖を掴まれる。


「んっ……」


新川は寝ぼけているようで、すぐに手の力は弱まったがなかなか離してくれそうにない。


「相田。側に居てやれ」


「……はぁ、わかりました」


赤崎先生は何やら嬉しそうに笑いながらバスを降りていった。ちくしょう楽しんでやがるな。


「……まぁいいか」


後部座席の一つ前に腰掛け、飯野先生の到着を待つ。


「んぅ……あれ、相田くん?どうして……」


新川が目を覚ましたようだ。しかしまだ寝ぼけているのか、今の状況に着いていけていない。


「あっ、私寝ちゃって……」


「あぁ、もうすぐ飯野先生も来るだろうし、タクシーも手配してくれてるから寝ててもいいぞ」


「ううん、少し楽になった。ありがとう。……ちなみになんだけど、私の寝顔見た、よね?」


「え、あ、あぁ。すまん」


「う、ううん!それはいいんだけど。変な顔してなかったかなぁって……」


「いや、綺麗な寝顔だったぞ」


「き、きれっ……恥ずかしいよ」


えへへ、と笑う新川は熱で顔が赤いせいか色っぽく見えた。心臓が跳ねる。そんな動揺を悟られないように前へと向き直した。


「あ、それとさ……。私、なんか変なこと言ってなかった?」


この時、前を向いていて良かったと心の底から思った。だって今の自分がどんな顔をしているかなんて簡単に想像つくからだ。だから俺は前を向いたまま呟く。


「いや、何も言ってなかったぞ。一言もな」




◇◇◇




その後すぐに飯野先生が到着し、その後タクシーに乗って病院へと向かった。


飯野先生曰く、雨で体が冷えたのと少し歩き疲れていたのが原因だろうとのこと。


「相田、少しいいか」


走り去るタクシーを見送ると、その場から少し離れた屋根のあるベンチにいる赤崎先生から不意に名前を呼ばれた。


「なんですか?」


赤崎先生は、雨の当たらない乾いたそのベンチに座っていた。俺は歩みを進めて先生の斜め前に立つ。すると先生が顔を上げて口を開いた。


「新川と何かあったか?」


「……どういうことでしょうか」


「なに、君の新川を見る目がいつもと違うような気がしてな」


それは目つきがいやらしいとかそういうことですか。そうですか。


「……いえ、別に大したことじゃないですよ」


「何もなかった、とは言わないのだな」


「……」


この人は分かっているのだろう。俺が彼女に対して負い目のようなものを感じていることを。


俺自身が最善だと言い聞かせている愚かな選択を。


「……君と新川は、その、昔からの知り合いなのか?」


「……わかりません」


先生にしては珍しく歯切れの悪い聞き方だった。おそらく明穂さんから過去についてあまり触れないようにでも言われているのだろう。あの人過保護なところあるからな。


「そうか……。ずっと伝えるべきか迷っていたんだが、実は君が編入してきた日に新川が私のところへ来たんだ」


「……それで?」


「君が編入するより前のことを知りたがっていたよ。しかし明穂との約束もあったからな、個人情報だからと言って追い返した。けれど彼女も引かなくてな。何度も私のところへ来たよ。何度か追い返すと流石に彼女も諦めたようだったが」


「……どうして今それを?」


「君と新川達はこの2ヶ月で随分と仲を深めていた。けれどやはり、君はどこか新川に対して負い目のようなものを感じている気がしてな。今話すべきだと思ったんだ。明穂には怒られるかもしれないがな」


くくっと笑うと、胸ポケットから煙草を取り出し火をつけた。相変わらず煙草の似合う人だ。


「その、ありがとうございます」


「ん?何がだね」


「今まで黙っていてくれたことと、今話してくれたことです」


「なに、教師は生徒に勉強を教えることだけが仕事じゃない。一人一人の成長を促すのもまた仕事なんだよ」


「そんなこと言ってますけど、俺に対して肩入れしすぎじゃないですか?」


「まったく、子供が自惚れるんじゃない。私はちゃんと平等だぞ?まぁ私のクラスの生徒達は少々特別だがな」


ふっと笑いながら煙を吐く。煙草を灰皿に押しつけると、真剣な顔で俺に向き合ってきた。


「それで?君はどうするつもりだ。彼女が君について聞きに来たのは4月の中旬頃が最後だ。けれど彼女は頭の良い生徒だからな。薄々察しているのかもしれん。君には誰にも知られたくない過去があるのだと」


「話すべき、なんでしょうか」


先生は胸ポケットからもう1本煙草を取り出し火をつける。今度は先ほどよりも大きく煙を吸い、ゆっくりと吐いた。大量の煙が風に揺られて消える。


「そんなものわからん」


「わからんって……」


「当然だ。なんせ君と彼女の問題だからな」


「……まぁ、そうですけど」


「それに、君の出す答えにも君達の関係にも正解なんて存在しないんだ」


「え?」


答えを出すのに正解が無いなんて妙な話だと思う。けれど何故か納得してしまう自分がいた。


「君が彼女に自分のことを告げようが告げまいが、君達が今以上に仲を深めようが、逆に疎遠になろうが全て君とが出した答えだ。正解か不正解かなんて誰が決める。強いて言えば、君の答えが正解であり不正解でもある」


「……頭の痛くなる話ですね」


「はははっ、だろう?これだから教師は辞められないんだよ」


「性格悪いなあんた……」


「よく言われるよ」


高らかに笑う先生は実に楽しそうだった。一頻り笑った先生は徐に立ち上がる。


「まぁ君の成長を明穂から見ていてやってほしいと言われているからな。きちんと責任は持つつもりだ」


「責任とか言われるとちょっと重いんですけど……。まぁありがとうございます」


「なに、気にするな」


俺は一拍置いてから先生の顔を見据えて話し始める。


「……俺はまだ怖いです」


先生はジッとこちらを見つめていた。まるでちゃんと聞いているぞ、と訴えかけてくるように。


「分かってるんです。彼女は俺の過去を知っても何も変わらずこれまで通りに接してくれるって。……それなのに心のどこかでまだ信じきれてないんです。ほんと、臆病ですよね」


「臆病で何が悪い。戦場では臆病者が生き残るんだぞ?」


「ここ日本なんですけど……」


まったく、この先生と話してるとペースを乱されて仕方がない。


「んんっ、すまない。……けれど怖さや臆病は時に大事なものだ。冷静に考えるきっかけを与えてくれる」


「冷静に考えるきっかけ、ですか」


「あぁ、勢いや流れというのは人生において大切なものではあるが、冷静さを欠いたそれは無謀というものだ」


雨が弱まってきた。離れたところで参拝を終え、バスに戻っている生徒達の話し声が聞こえてくる。


先生はもう一度煙草を咥え、煙を吐いた。


「どれだけの勇気や度胸を持った者でも、それを無くしてしまえばただの愚者でしかないからな」


「……愚者とは大きく出ましたね」


「あぁ、伊達に教師を何年もやっているわけではないからな。特に高校生は1番多感な時期だ。何事にも影響されやすくそれに流されやすい。良い意味でも悪い意味でも」


先生は2本目の煙草を灰皿に押しつけ、晴れ間ののぞく空を見上げる。それから俺の方を見ると柔らかく笑った。


「だから君は怖がりで臆病でいい。けれど答えはきちんと出すんだ。答えを出さないのは未来の選択肢を放棄したのも同然だからな」


「……そうですね」


「あぁ、それに間違った道に流されることもあるだろう。自分のだした答えが間違いだったと嘆くこともあるだろう」


けれど、と先生は続ける。





「私がちゃんと見ている。だから大いに間違いたまえよ、少年」





先生はポンと俺の肩を叩くと、そのままバスの方へと戻っていった。


俺もその後に続く。


まだ俺は彼女に真実を告げる勇気と度胸はない。






けれど、いつか必ず—

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