三章 成り切る同級生

『異端能力者と戦った……? それを連絡してくるってことは勝ったんだね』

「まあ都乃衣先輩の手を借りたからギリギリではあったけどさ」

『やるじゃん吉祥! さすがだね。私、吉祥には期待してたんだ!』

「おう……それは嬉しいことを言ってくれるね」

 早朝、自宅のリビングでいつものように朝食を摂りながら、先日連絡先を交換したばかりの相手――逢河に、昨晩の出来事についての報告をしていた。

 色々確認しておきたいこともあり、それを一つずつ明らかにしたかったのだが、どうも朝からテンションの高い女である。

「まず、一応確認なんだけどさ、一般人を襲ってきたってことは、あいつはやっぱり異端能力者だったんだよな?」

『それは間違いないね。機関の人間は訳もなくそんなことしないから。実は言いそびれたことがあったんだけど――監視・対策班から報告が入ってあるんだ。最近、アスカ町を中心に活動している異端能力者集団が存在するって』

「集団か……」

 良いことをするときも悪いことをするときも、人というのは、それらを成すときに群れで行動することがある。理念さえ合致すれば、簡単に協力関係は築けるものだ。

『私の思う限り、その男はその集団の一人だと思う。『練習相手』を探してたんでしょ? まさに異端能力者が考えそうなことだよね』

 悠然と笑う逢河。きっと今までも様々な死線を掻い潜ってきたんだろう。

『ちなみになんだけど、仲間になるか、気持ちは固まったの?』

「そういやそんな話だったな……。そうだな、できればまた命が危険に晒されるような目には遭いたくないものだが」

『……まあ仮っていう形だったし、いやなら抜けてもいいんだよ。一度戦ってみてよくわかったと思う。下手したら命を落とすかもしれないってことは』

 先に言って欲しかったけどな。深刻な問題でありながらも、心中で突っ込みを入れておく。

 ただ、気持ちはすでに固まっていた。

「大丈夫だ。俺はやるよ」

『やるっていうのはどういうこと?』

「正式に機関の一員になるってことだ。俺も人を救う手助けがしたい。そう思ったんだよ」

『ホントに!?』

 そんなに喜ぶことかよ。

「本当だ。まあまだ慣れてない部分もあるけどな。生きてさえいりゃ、前みたいに治療もしてくれるんだろ」

『それはどうかなぁ……。医療班の技術は最高峰だし、安心して、と言いたいところだけど……。命は大事にしないとね』

「ごもっともだな」

 言葉を濁す逢河。だがそれでも決意が揺るぐことはなかった。

『じゃあ、今からあなたに正式な任務を言い渡す。あなたには残る異端能力者集団の捕獲を手伝って欲しいんだ』

「それは構わないけどさ、どこにいるか、詳細な位置はわからないのか?」

『ごめんなさい。それはまだ調査中なの。直に動きはあると思うけど』

「まあいいか。普通に生活していれば、案外すぐに巡り会えるかもな」

『うん、そんな感じでいてくれると助かるかな。多分あいつらは、思ったよりも近くに潜んでいると思うんだ。もしも出会ったら無力化してから捕まえる。最初はそれくらいの気持ちで大丈夫だよ』

「ああ、わかったよ」

『ねぇ吉祥。なんで人を助けたいと思ったの?』

 逢河は、急に声色に神妙な雰囲気を纏わせた。

 俺は努めて冷静に返す。

「元から俺はそういう奴だからだよ。偽善者扱いされても構わないけどさ、悪いことして虐げられるよりかは、良いことして褒められた方が気持ちいいだろ」

『本当にそれだけの理由なの?』

「……え?」

 単純な質問なのに、ここまでのラリーを受けてのそれは、全く意味がわからなかった。

 本当にそれだけか? もう一人の自分が語り掛けてくるような質問に、胸が締め付けられるような感覚に陥る。

 だが今は深いことは考えないようにしておく。

「ごめん逢河。そろそろ切るよ」

『あ、うん……わかった。何かあったらすぐ連絡してね』

 それを締めの返事として通話を切ると、蓮が冷蔵庫を漁っていることに気付いた。

「朝から電話ですか。なんか切羽詰まってそうな雰囲気だったけど」

 どうも最後の方しか聞いていないようで安堵する。

「高校生はそれだけ忙しいんだよ」

「さいですか。――おっ、牛乳もあるし、今日はジャムまで買ってある。ないすー叶真」

「お前もたまには買い出しに行けよ」

「時間あったらね。溜まってるゲームを消化しないといけないからさ」

「そうかよ……」

 なんだか、さっきまでの会話を忘れてしまいそうなほどに、そこには無駄な時間が流れていた。


   2


「吉祥って今日暇?」

 休み時間、自分の机でぼーっとしていると、前の机の椅子にうるさい奴が座り込んだ。椅子は前向きのままで、後ろ向きに座っているため大股を開いているわけだが、女子としての恥ずかしさはないのだろうか。いや、こいつにそんな大層なものがあるとも思えない。

 柊は俺の机に突っ伏し上目遣いをする。

「今日さ、私の家に遊びに来ない?」

「なんだよ急に。俺に色目使っても何も出ないぞ」

「あはは、そういう返しは求めてないから」

 小馬鹿にするように顔の前で手をヒラヒラと振ってきた。

 あくまで男としての一意見を言っただけなのだが……やはりうざい女である。

「昨日は悠一んとこ行ったんでしょ。じゃあ今日は私の家に来るのが放遊会の活動ってことにしよーよ。はい、部長の特権で決まりました」

「何が特権だ。乱用するな。放遊会抜けるぞ」

「そう言って抜けないのがきちじょーの優しさだもんねー」

 うざいよー。誰か助けてくれ。

「……せめて理由くらい話せよ。一年のときは一度も行ったことがないのに、なんで急に誘おうなんて思ったんだ」

「そりゃ一年経ったからでしょ。そっかー、私ときちじょーの付き合いも早一年になるわけだ」

「付き合わされていたの間違いじゃないか」

 ちなみに都乃衣先輩と伊吹も被害者である。

「なんていうかな……ちょっとだけお願いがあってさ。友人の手を借りたいっていうか」

「なるほど、お前が俺に頼みがあるってことは相当なことなんだろうな」

「なんかさっきから私のこと見下してない?」

「いや別に」

 当然だ。

「そう? ――いや、実はさ、私の両親を説得して欲しいんだよね」

「おいおい、まさか都乃衣先輩絡みのことじゃないだろうな」

「違うってば。私の両親、色々と気難しい人なんだよ」

「だから説得ってか。どんなことで揉めてるんだよ」

「それに関しては……まあ、とにかく来てもらえればわかると思う。というか、ここで全部話すのはちょっと気が引けるからさ……」

 柊が珍しく周囲の目を気にするように見渡す。

 教室ということもあり、至る所でクラスメイトが談笑しているわけだが、俺たちの会話に興味を持っている者など誰一人としていない。

 それでもやはり人目の前では言いづらいこともあるのだろう。

 初めて柊に純粋な心を見出した気分だった。

「わかったよ。特に断る理由もないし。付き合ってやるよ」

「おっけー。じゃ、放課後になったら私と一緒に帰ろーね」

 あらぬ誤解を生みそうな一言を、柊が大声で出そうものなら、周囲の視線が一気にこちらに集まる。核心を濁すくらいなら、そういう発言にも気を付けて欲しい。

「……まあお前の家知らないしそうなるか」

 ただ、俺の反論したい気持ちは、柊の無邪気な笑みに押し殺されていた。


 視界の右側には、洋風な様相をした柵が果てしなく続いていた。その向こうには幾重もの植物が垣間見え、その隙間からチラホラと巨大な屋敷が姿を覗かせている。

 わかりやすく言うなら城、あるいは宮殿。

 その外周をひたすら歩きながら、俺と伊吹は柊の後ろを付いて行っていた。

「あともうちょっとで着くよ。まあもう着いていると言ってもいいんだけど」

「そうかよ。こっちの体力がなくなる前にそうなりゃいいけどな」

「ふぅ、さすがにちょっと疲れてきたかもね」

 伊吹の弱音を聞いた柊が、先頭で困ったように声を上げる。

「ごめん、本当にあと少しだから。きちじょーってば、事前に連絡もせずに女の子を連れて来るんだから」

「両親の説得って言うから人が多い方がいいと思ったんだ」

「大丈夫だよ。私は平気だから」

「いい子だねぇ。――ほら着いたよ」

 門の前までやって来ると、柊は慣れたように足を止めた。

「まさかとは思っていたがまさかなのか……」

 困惑する俺を捨て置き、柊が豪華な門の横にあるこれまた豪華なインターホンを押す。

『どなた?』

「玲奈です。ただ今帰りました」

 インターホンから発せられる女性の問いに柊が返事をし、音もなく門が開かれると、まるで一つの街に迷い込んだのかと錯覚してしまいそうな、荘厳な庭が視野一杯に広がった。

 先ほどまでは、ずっと柵が続いていて、いつまで経っても柊の家らしきものが見えないではないかなどと思っていた節もあったのだが、これを見て『そうだったのか』と納得せざるを得なくなる。

 城のように建ち並ぶ建物、シンメトリーの広大な植物庭園、極めつけには、中央に噴水まで完備されていた。内側にあるこれらすべてが柊の自宅なのである。

 ――『あともうちょっとで着くよ。まあもう着いていると言ってもいいんだけど』

 先刻の、柊の言葉の意味をようやく理解する。

「柊ってお嬢様だったんだな……」

「みたいだね……」

 女性に対し、地味に敬語も使っていたことから、そう考えて間違いないだろう。

 高校の中でしか会うことがないし、性格もテキトーで、いつも制服姿で、プライベートなんてさっぱり知らなかったから、こんな大豪邸に住んでいるとは想像だにしていなかった。

 柊の知らない側面を見れたという意味では、正直、今日の活動はもうお腹一杯である。

 中庭を通り、土足のままエントランスホールに踏み入れると、再び柊が足を止めた。

 同様に俺と伊吹も立ったまま待機していると、吹き抜けで見える二階にある扉から、スーツとドレスを身に纏った大人の男女が並んで出てきた。

『お帰りなさい、玲奈』

『今日の学校はどうだったのかな?』

「はい、本日も精一杯、勉学に励んで参りました」

 名前で呼んだり学校の話をしたりするということは、どうやら柊の両親のようだ。

『そう。それはよかったわね』

『一緒にいるのは一体どちら様かな?』

 ある程度近況を報告したところで、俺たちの方に話が及ぶ。

「二人は私の友人です。えっと、その……今日は同好会の活動として、私の家を案内しようと思いまして……」

 なるほど。両親を説得させに来たと正直に言うわけにもいかないか。

 真実を隠すような言動に勝手に納得しつつ、ひとまず様子を見ることにした。

『ふむ、由緒ある家系の社会科見学というところか』

『いいじゃない。そういうことであれば、許可を出しましょう』

「ありがとうございます」

 柊が丁寧な所作で、しかしぎこちなくも、深々と頭を下げる。

『玲奈は一旦こちらに来なさい』

『オウマ。客人を応接室に通して差し上げなさい』

『はっ。承知致しました』

 柊の両親に名を呼ばれ、ホール内に響く発声をしたのは、タキシードに身を包んだ初老の男性だった。腕を組みつつ、無駄のない洗練された動きでこちらに歩み寄る。

『ご紹介与りました、わたくし、柊家にて執事を務めさせていただいております、『桜が満ちる』と書きまして、桜満と申します。以後お見知りおきを』

「は、はい……」

 格好もそうだが、喋り方まで絵に描いたような執事そのもので、受け答えに戸惑ってしまう。こういうのってフィクション世界だけのものじゃなかったんだな。

『お名前を窺ってもよろしいでしょうか』

 どうやら伊吹も先ほどから圧倒されているようなので、なんとかここは、俺が男らしい威厳を見せておく。

「吉祥です」

『では吉祥様、こちらへどうぞ。応接室にご案内致します』

 桜満さんに手引きされる形で、一階奥の扉へと通される。

 ホールを去る直後、柊は令嬢らしい喋り方をした。

「吉祥さん。またあとで会いましょうね」

 それがなんだか作り物のように見えて、少しだけ気持ち悪く感じてしまった。


   3


 応接室というには豪華すぎる部屋に通された俺たちはどうにかして昂る気持ちを鎮めたかった。ソファも同じく豪華なもので、本当に座っていいものか辺りを見回してしまう。

『どうぞ、お掛けください』

「はい、では失礼します」

 そう言って俺はソファの端の方に腰を下ろす。

 伊吹もしぶしぶ中央の方に腰を下ろした。

「あの、一つ聞いてもいいですか?」

 俺はここに来て、先ほど疑問に抱いたことを解消しておきたくなった。

『質問ということでしょうか。どうぞ。構いませんよ』

「おかしなことを聞いているのは百も承知の上なんですけど、さっきまで一緒にいた女性って、玲奈さんですよね?」

『本当におかしな質問をされますね。何故そのように思われたのですか』

「なんていうか、普段接してるときの彼女の印象と大分かけ離れていたので」

『それは玲奈様が御自身を演じていらっしゃるからです』

 柊が演じている? 俺はその言葉に前のめりになった。

 あんなにも見ただけでわかるアホとギャルの代名詞みたいな奴が、自分を演じるとはどういうことだろう。

『そうですね。どこから説明致しましょうか……。まず、世界的に運営されている多国籍企業『ホーリーコーポレーション』の名をご存知ではありませんか?』

「ホーリーコーポレーション……」

 そう言われると聞き覚えがあるような……。たしか、家で使っているシャンプーやボディソープに書かれていた気がする。CMも何回か見たことがあるかな……?

『詳細は知らずとも、耳にしたことはありますでしょう。ホーリーコーポレーションは、玲奈様のご両親が運営なさっているのです』

「つまり、玲奈さんはその企業の跡取りってことですか」

『左様でございます。玲奈様は、自宅では常に、柊の名に恥じない淑女を演じていらっしゃいます。おそらくですが、吉祥様はそこに差異を感じたのでしょう』

 そういうことか。それならあの態度も理解できる。

 まさに、柊は粛々たる令嬢だったわけだな。

「桜満さんは、いつも玲奈さんが僕たちの前で見せる無邪気な姿を見たことがありますか」

『数える程ですが、何度かは。可愛らしいことに、つい素の一面が出てしまうようですね』

 『素の一面』と表現している辺り、桜満さんは『そっちの柊』を本当の姿と捉えているようだ。頭空っぽそうに見えて、案外柊も苦労しているんだろう。

『では、わたくしは部屋の外で待機致します。テーブルの上の茶菓子はご自由に摂って頂いて構いませんので』

 最後にそうとだけ言い残すと、応接室の扉は音もなく閉じられた。

「マジか……あいつ、結構なことを隠してたんだな」

「隠してたんじゃなくて、吉祥が気付けなかったじゃない?」

 そりゃまあ、あいつと絡むの正直だるかったしな。

 ようやく落ち着けそうな時間が見えてきたので、慣れてきたソファに身を委ねる。

 こうしてみると、結構フカフカしていて気持ちいい。超高級レベルのフカフカである。

「おいなんなんだよ、さっきからソワソワして」

 ふと横が気になって頭を倒すと、さっきまであまり喋っていなかったくせに、伊吹が頻りに周囲を気にしていた。

「なんかさ、いやな気配を感じない……?」

「いやな気配ね……。第六感って奴か? 俺はなんも感じないけど……」

「本当に?」

 いちいち聞き返してくる。ここでウソをつく必要などないだろう。

 とうとう伊吹はうずくまって、その場で唸りだした。

「――ダメだ! どうしても気になる! 最悪の事態になる前に、芽は摘んでおかないとダメだよ!」

「そうは言うけど、杞憂ってこともあるだろ? 柊が来るまで大人しくしておこうぜ」

「ごめん、こっちの件は私一人だけでいいから。彼女のことは吉祥に任せるね」

「……え、あ、おいってば!」

 一方的に言い切ると、伊吹は応接室を出て行ってしまう。

 俺も後を追いかけ、扉を勢いよく開けるが、すでにそこに伊吹の姿はなかった。

 外を眺めていたらしい桜満さんが何事かと振り返る。

『どうされました? 血相を抱えて。……ああいえ、わたくしは決して、ご近所を覗いていたわけではありませんよ』

 んなこと聞いてませんけど。

「連れがどこかへ行っちゃったんです。どうも、いやな気配っていうものを感じたようで」

『いやな気配ですか。なるほど。屋敷内に招かれざる客が入り込んだ可能性があるということですね』

「そこまで大げさではないと思うんですが……」

『何もないのであればそれでも構いません。念のため、メイドを何人か捜索に向かわせましょう。お連れ様の捜索と、招かれざる客の捜索、両方をこなすように』

「わかりました。じゃあ、お願いします……」

 勝手に事が進んでいってしまったが、俺にそれを止める術はなかった。

 桜満さんは俺が恐縮していることに気が付くと、

『吉祥様、そうお気になさらずに。わたくしはメイド室に報告に行って参りますが、吉祥様はどうされますか? 時間と致しましては、もうすぐ玲奈様が戻って来られる時間ですが』

「屋敷内を勝手に動き回るのも迷惑な気がするので、僕はここで待つことにします」

『左様ですか。ではもうしばらく待機するようにお願い致します』

 俺の返事をしかと受け止め、桜満さんも小走りで廊下の奥に消えていった。

「ったく、どういう風の吹き回しだよ……」

 一人残された俺はそんなことをぼやいてしまう。

 退屈しのぎに窓の方に歩み寄ると、先ほど通った植物庭園と噴水が別の角度から楽しめた。ここは一階といっても若干地面より高い位置にあるため俯瞰で見える。

「こうやってじっくり見ると、本当に豪邸だよなあ……。どうやったら人生って成功できるんだろうなあ……。俺も金持ちになれれば、ツナマヨが好きなだけ食えるのに……」

 ふむ。これから柊と仲良くするようにしようか。もしかしたら何かプレゼントしてくれるかもしれんしな……なんなら現ナマも……いやまさかな。

「まあ、それは冗談で置いといて……。なんで俺、ここに来たんだっけ? 柊の両親の説得だったっけ? 来ればわかるって言ってたけど、本人は今いないしな……」

 言ってみれば完全な暇なのである。

 暇だからという理由で誘われたのに結局暇を持て余しているようでは本末転倒だ。

 まだ家で蓮のゲーム相手でもしている方がマシな気がしてくる。

「はあ~」

 俺がそんなため息をついていると、廊下の奥から微かに別のため息が聞こえてきた。

「いやー。それはないわー。なーんでそれ忘れるって言うかさー」

 本当に聞こうとしないとわからない音量だが、聞き覚えのある女の声が、そんなことを言っている。しかも苛立っているのか語気が強い。

 誰か近くにいるのか? そんな好奇心で声を頼りに廊下を進んでいくと、とある一室の扉の前までやって来た。木製の扉を金と銀であしらった様な造りをしている。声はそこから聞こえていた。

「もー。これじゃー着替えることできないじゃーん。大声出すわけにもいかないしなー」

 状況がなんとなくだが理解できてくる。どうも声の主は何かで困っているようだ。

 どうせ待っているだけで暇だった俺は、人助けをしてやろうという気持ちで目の前の扉を開いた。

「あの……どうかされました――か!?」

「えっ!?」

 そうして俺は、全裸の柊を目の当たりにしてしまったのだった。

「おおお、お前なんで、こんなところで、そ、その、裸になってんだよ!」

 柊の肢体はというと、全身が白い艶々の肌をしていて、髪の毛はしっとり濡れていてなんともセクシーな――ってそれどころではない! ヤバい。頭が回らなくなってくる。

 あれ? なんで俺ここにいるんだ? なんで裸の柊が目の前で着替えしてんだ?

「いや、でもここ私の家だし、しかも脱衣所だし。さっきまでお風呂浴びてたから着替えてたんだよ」

「あーここ風呂場だったのね。それはすまなかった! ノックもせずに入った俺が悪かった! なんていうか、書庫とかそういう類のものだと思ってだな!」

「はいはい。顔真っ赤にするくらいなら早く出て行ってよ。いつまでそこにいるのさ」

「そ、そうだな! 失礼した! ゆっくりと、あーもうそれはじっくりと着替えてくれ!」

 羞恥心を捲し立てることで誤魔化して、返事は待たずに後ろ手で扉を閉めた。

「ふぅ……焦った。こんなところ誰かに見られたら終わってたな」

『どんなところを見られたら終わるんですか?』

「うぐっ……」

 だが次なる危機は、廊下の方ですでに起こっていたらしい。

 白と黒を基調にしたフリフリの服を纏った女性が、目を細めてこちらを睨んでいる。

 赤髪メガネのメイドさんにそんな顔をしてもらえるなんてご褒美だ、とか、どこかの守備範囲広めの男は叫びそうだが、目の前でこうして睨まれるとそんな悠長なことは考えていられない。

『これはこれは……玲奈様のタオルを忘れて戻ってきたら、とんだ不届き者がいましたね。まさか玲奈様はこのような破廉恥な殿方を友人にしていたとは』

「ち、違うんです! 間違って入っちゃっただけで!」

『間違えであれば許される問題というわけでもありません。桜満様から名前は窺っております。吉祥様でしたか。吉祥様、最後に良いものを召されたようで、大層喜ばしく思います。後日、然るべき処置を致しましょう』

 メガネをクイっと上げて、本気だということをアピールしてくる。

「あのう、椿さん。あまり私の友人をいじめないでください」

 椿さんという名前らしいメイドの横暴を止めてくれたのは、他でもない柊だった。

 扉を少しだけ開けて、顔だけを覗かせている。

『玲奈様、そのような格好で殿方の前に姿を晒すのは……』

「黙りなさい椿。そもそも椿がタオルを忘れるから、すぐ着替えられなかったんでしょう?」

『ううっ……その通りでございますが、だからといって』

「言い訳は聞きません。この件に関しては不問にします。もうそれ以上言い争わないように」

『玲奈様がそう仰るのであれば……。はい……かしこまりました』

 さすがに令嬢に歯向かうわけにもいかないのか、椿さんはしゅんと大人しくなった。

「ごめんなさいね、吉祥さん。私の家では、帰ったらドレスに着替える決まりがあるんです。もう少しだけ待ってもらえますか」

「わかった。じゃあ俺は大人しく応接室に戻るよ」

 敬語の柊に再びの気味悪さを覚えながらも、足の向きを応接室の方に変える。

『…………』

「あの、椿さん、まだ言い足りないことがありますか?」

 俺の一挙一動を目に焼き付けるように、椿さんはこちらを凝視していた。

 だからつい、そんな聞き方をしてしまう。

『間違えていたら申し訳ないのですが、私と吉祥様は、以前にお会いしたことがありませんか?』

「え? 以前に会った? ……いや、どうだろ」

 急に思ってもみない質問をされ、語尾が汚くなる。

『私の気のせいなのでしょうか……。吉祥様と会うのはどうも初めてではない気がするのです。それも、壮絶な出会いをしたような……』

「なんですかその安っぽい映画の広告にありそうな文言は……」

 やけに神妙な空気が漂っていたというのに、やけに大げさな言い方に拍子抜けした。

『いえ、やはり勘違いだったかもしれません。引き留めて申し訳ございませんでした』

「いえいえ、こちらこそ、間違えて風呂場に入ったりしてご迷惑をかけました」

『はい。それに関しては、以後気を付けるようにお願いします』

 だが最後にまたメガネをクイっと上げたので気を引き締めておく。

 あ、今回は堪能する余裕はありました。


「おーい、起きてよきーちじょー。待たせてごめんねー」

 俺のまどろむ脳をさらに溶かしてきそうな――それでいてうざったい声掛けに目を覚ました。良いソファで転寝していたからか、なんだか極上の夢を見ていた気がする。

「……んぐ、誰……ですか?」

「え、いやわかるでしょ。私だよ私」

 言いながら、全身を純白のドレスで染めた麗しい女性が、その格好には相応しくない振る舞いで、俺の顔を覗き込んでいた。

 どうもこっちを知ったような接し方をする。え、とぼけてるわけじゃなく本当に誰?

「まさかこの短時間で記憶喪失になったわけじゃないでしょー。あ、そういうボケなの?」

「……えーと、その馬鹿っぽい感じ、もしかして柊?」

「もしかしてもカモシカもないでしょ。その通り柊さんですよー」

 ああ、本当に柊だ。こんな返し方、柊くらいしかやらないもんな。

「お前、なんなのその格好。結婚式逃げ出してきたみたいになってんぞ」

 というか見た目と態度に落差がありすぎて、別の女性に柊がアテレコしているようにも見えてくる。

「仕方ないよ。可憐な淑女になるには格好からって、親がそうさせるんだからさ」

 「私の意思なんて無視なんだから……」と、俺には聞こえていないと思っているのか、ぽつりと呟きつつ向かいに腰を下ろす。

 ちなみに所作はかなり汚なかったが、気を許していると言えば耳辺りは良いだろう。

「……親を説得して欲しいって話だったよな。いい加減、そろそろ話せよ」

 今日ここに来た本来の理由、元々の原因を引き合いに出す。

 柊だから忘れている可能性はあるもんな。

 早めに用事を終わらせないと、帰りが遅くなってしまうのが気がかりだった。

「もう大体わかってるでしょ。『こういうの』をやめさせて欲しいんだよ」

「……だよな。なんとなくそんな気はしてたよ」

 家に出向き、柊の両親と会い、桜満さんから詳しい話も聞かせてもらって、ある程度予想は立っていた。こういうの、とは、令嬢を演じることだろう。

 まあはっきり言って、柊らしさは皆無だった。

「芸事、音楽、武芸――品位を高めて何が面白いんだか。最近じゃ弓道も教わってさー。できればこんな生活、私はもう続けたくないんだ」

「お前は跡取りだから、それだけ期待されてるんだろ」

 悲観的な言い回しをしてくるが、むしろ喜ぶことではないか。

「そうなんだよね。まー私はこう見えてハイスペックだし、やろうと思えばできるけどさ、それは私のやりたいことじゃないもん……。私はもっと自由に生きていたいんだ」

 学校で暗い顔なんて全く見せない柊が、初めて翳りのある表情をちらつかせる。

 なるほど……。柊にとっては結構深刻な問題なんだろうな。

「私の両親は、ただ私を育てたいだけ。娘としてじゃなくて、一人の後継人としてね。ゲームでキャラクターを育てるのと一緒だよ。いつからだろうね。『愛情』なんて一切感じなくなっちゃったよ」

「……」

 柊は重い空気にさせないために笑って見せているが、その面の奥に抱えている感情は抑え切れていなかった。少なくとも、こうして身の内を曝け出し、俺に助けを求めている時点で、相当柊が辛い日々を送ってきたというのは、想像できないことではない。

 だとしても、それを別として思うこともある。

「それは俺が解決しないとダメなのか? 都乃衣先輩とお前は幼馴染だし、長い付き合いなんだろ。都乃衣先輩の方が、俺よりも向いてると思うんだよ」

「悠一には、もう何年も前から説得してもらってるよ。悠一に出来なかったから、きちじょーに頼んでるんじゃん」

「完全に代替わりじゃないか」

「そんなことないよ。これでも私、きちじょーのことは買ってるんだよ。一年のころはよく人助けをしてて、先生からの信頼も厚かったし」

 二年生になってからは落ちぶれたみたいな言い方だな。

「お願いだよきちじょー! 今から両親のとこに行こうと思うんだけど、きちじょーも一緒に来てよ!」

「えー」

 行きたくねー。だってエントランスホールで会ったときの両親、中々だったぞ。

 人というのは、第一印象で大方の性質がわかるものだ。

 あの格好とあの喋り方。内心じゃ庶民を馬鹿にしているに違いない。

『貧相な友人だ』『愚民がこんなところに来るなんて』絶対そう思ってるぞあれは。

「お願いします。吉祥叶真さん」

「……ぐ」

 急に令嬢の一面が現れるものだから、心をきゅっと握られたような感覚に陥る。

 多分演技だとは思うのだが、柊のくせに中々に狡い手段を使ってくるものだ。

「俺、そっちの方がやりやすいかもしれんと思って来た」

 茶化してひとまず穏やかな空気にしようとしても、懇願するような目が俺を射抜く。

 これ本当に演技なんだよな?

「なんならそっちの方がかわいいかもしれないしさ……」

 言っていて、何を口走っているんだろうと後悔する。

 だが当の柊は、それをただの冗談と捉えたようで、

「吉祥さんは、演じる私の方がいいと思うんですか?」

「……」

 俺の邪な考えは一気にねじ伏せられた。

 そうして沸々と湧き上がって来た感情が、小さいようで、けれども大きな一歩を踏み出す。

「いや、ダメだな」


   4


 柊と廊下を歩いていると、ホールには、使用人という格好ではない明らかな部外者の佇まいをする青年が、ポケットに手を入れ斜め上を見上げて深呼吸していた。

「いいなぁ、ここは。こういうところにいると空気まで澄んでいる気がしてくるよな」

 カッと目を見開き、気配だけで俺たちの存在に気付いたのか、こちらに振り向く。

 隣の柊は警戒心を放っていた。

「椿に会いに来ただけなんだが、思わぬ遭遇ってのは急に起こるもんなんだな。お前、能力者だろ?」

 気迫はそこまでなく、なんてことないように質問してくるが、青年の発言に、一気に全身に緊張が走る。不審者の正体はこいつだったのだろうか。

「機関の方か、異端の方か、どっちなんだ? ……まさか、最近ウチの仲間を捕まえている機関の人間じゃねぇよな?」

 『仲間』か。もしかしたらこいつは、逢河が言っていた異端能力者集団の一人なのかもしれない。そして前回の男もやはりそうで、そのことを聞いているのだろう。

「だったらどうするんだよ……」

 変にウソを交えても意味がないと判断し――だが緊張でそんな返し方になってしまう。

「『だったら』……? 『こうする』」

 ポケットに手を入れたままの青年は、言葉に反して何かアクションを起こすわけでもなかった。目の奥が光を放ったようにも見えたが、それ以外は遭遇したときのまま。しかしながらそんな油断をかき消すかのように、ホールの床が見えない力で抉られていく。

 見えない力――言うなれば衝撃波が、ホールに扇状に広がり、床を破壊していくのだ。

「柊、お前は離れろ。ここは危ない……え?」

 ずっと隣にいた柊を戦いから遠ざけようと横を向くと、そこにあるのは虚構だけだった。

 消えた……? そんな馬鹿な!

「ハッ。身内の心配してる場合かよ」

「……チィッ! くそっ!」

 青年の煽りで顔を正面に戻すがもう遅い。

 俺は衝撃波による攻撃をもろに受け、盛大に後方へ転がっていた。

 雑ながらも我流で受け身を取り、なんとか青年の姿を視野に入れておく。

 大丈夫だ……これくらいなら大した攻撃じゃない。

 それは実際のことであって、攻撃を受けた際に擦ったところを一瞥すると、ホールに及ぼした影響に対して、俺の体はかすり傷しか負っていなかった。

 ただ、無傷というわけではない。一方的に食らい続けていれば、間違いなく瀕死になることは避けられないだろう。

 青年がこちらの出方を窺っている間に辺りを見渡してみる。

 柊の奴、どこに行ったんだ……? まさか、あいつの能力を受けたとか……?

「なぁ、そんなに部外者を心配してるようじゃ、俺には勝てないぜ。安心しろよ、ドレスの女はちゃんと生きてるからさ」

 俺が行動を起こさないのが気がかりだったのか、青年は遠くから言葉を投げてきた。

 衝撃波と、対象の消失。それが青年の能力ということになるのだろうか。

 ハイブリットで二つ使えてもおかしくはないが、釈然としない点はある。

「だったらまずはお前を無力化する。これ以上ここで暴れさせて堪るか」

「そうこなくっちゃなぁ」

 余裕の笑みを零して油断する青年に隙を見出し、こちらも能力による応戦をする。

 前回の爆弾使いとの戦いでは使用する場面がなかったが、密かに考えていた能力の使い方を発動させてみた。

 周囲の重力の向きを変え、俺自身が相手の方へと『落ちる』ようにする。

 それは即ち、重力による高速移動のような使い方だった。

 よし行ける! このまま一気に終わらせる!

 その考えは功を奏し、能力は俺の想像していた通りの挙動を見せてくれた。

 このまま青年の懐に入り、きつい一撃を食らわせてくれる――そんな淡い妄想を、青年は一笑した。

「そう焦るなって。もう少し冷静になろうぜ」

 先刻同様、青年の目の奥が光を放つ。

 その直後、一瞬の瞬きの間に、青年の全身は妙な鎧で覆われていた。

「なんだコレ……」

「西洋甲冑って奴だ。この屋敷の雰囲気に合わせてみたんだよ」

「どこからこんなものが……しかも一瞬のうちに……」

 その疑問に答えてくれるわけもなく、俺の一撃を完膚なきまでに受け止めた青年は、胸倉を掴み、俺を物のように扉の方へと放り投げた。

「うぐっ!」

 外開きの扉は開け放たれ、しかも勢いの止まない肉体は、外にあった階段を無様に転がっていく。ようやくすべてが止まったと思ったときには、全身が激痛で支配されていた。

 体が不調を示しているのがわかる。

 今すぐ手当てをしろと言っているのがわかる。

 でもそれが今の俺にはできなかった。

 痛いとわかっているのに、体がまともに動かなく……、

「ハァ……ハァ……」

「グロッキーだな。機関の人間のくせにその程度なのかよ。手加減でもしてるのか?」

「くそ、が……」

 息を切らしながら膝をつく。なんとか体勢を立て直さないと……。

 今はまだ大丈夫そうだが、屋敷内の人間に能力を使われたら面倒なことになる。

「――ん?」

 その時ふいに、青年の肩に白い物体が落ちてきた。

 粘着性のある物体が、甲冑の上にこびりつく。

 それがどうやらカラスのフンであると青年が気付くと、顔が見る見るうちに青冷めていった。

「おおい! なんだよこれ! ふっざけんな! 服が汚れるじゃねぇか!」

 え……服が汚れる? いや、でも今は甲冑を着てるじゃないか。

 実際に口で言ってやろうかと思った矢先、俺はさらなる違和感に苛まれることになった。

 青年は甲冑を着ていなかった。

一瞬の瞬きの間に、消え失せていたのだ。

「どういうことだ……?」

 呆けている場合ではない。

 今のうちになんとかして、青年の能力の性質を突き止めるのだ。

 青年がここまでやってきたことは大きく分けて三つ。

 衝撃波、対象の消失、甲冑の生成だ。

 これらを簡単に説明するなら、青年の能力は『なんでもできる』というのが無難になる。

 だがそれが本当にできるなら、適当に俺を殺すなんて造作もないはず。

 しかも今では甲冑は消え失せ、最初からなかったかのようになっているのだ。

 現にフンは青年の服に付着している。

「大丈夫? きちじょー?」

「柊? なんでお前がいるんだ?」

 いつの間にか柊は元通り俺の隣におり、心配そうな顔つきをしていた。

 俺の疑問がさらに増えてしまう。

「なんでって、私はずっと一緒にいたよ? 変だったのはきちじょーの方だよ」

「俺が?」

 その証言を元に推理を続けようとすると、柊は青年の前に立ち塞がり、手を大きく広げて睨んだ。

「もうやめて。これ以上私の友達を傷つけないで」

「柊……」

 いつも馬鹿にしていた柊に庇われるなんて思いもしない展開だった。

「友達ねぇ……。そんなもの作ったって、どうせいつか居なくなるんだぜ。そんなもの守ってなんになるんだ?」

「友達だから守るの。きちじょーは『今』友達として、私の家に遊びに来てるんだから。  ――だからこれ以上私の友人は傷つけさせません」

「へぇ、美しき友情だなあ。懐かしさを感じるくらいだぜ」

「いいよ柊……。大丈夫、こんな奴俺が倒すから……」

 痛みをなんとか我慢して、ゆっくりと体を持ち上げる。

 勝手に柊の肩を借りていたが、当人は気にしていないようだ。

「でもその体じゃ……」

「大丈夫だから……」

 精一杯の笑顔で安心させる。

 実はというと、柊が時間を稼いでくれたおかげで、青年の能力に関して一つの解を導き出せていたのだ。まあ痛みはまだ続いているが、それも時間経過で少し引いてきたしな。

「いい心掛けだ。能力者同士の戦いに一般人を巻き込まないのが俺のやり方だしな」

 青年は言うと、また目の奥で光を放った。

 そしてその直後、俺は柊を『視認できなく』なり、青年は再び甲冑を身に纏っていた。

「……フッ、やっぱりか。それが能力発動のトリガーなんだな」

「ああん?」

「で、できることは幻を見せるってところか。だからなんでもできたわけだ。違うか?」

 青年の能力の正体は『幻術』――。

 さしずめ、能力者の目を見てしまうことが、能力の影響を受けることに繋がるのだろう。

 衝撃波も消失も甲冑もそう見えていただけで、実際には何も起こっていない。

 俺が勝手に後方に転がって受け身を取っただけだし、柊がずっと一緒にいたと言うのは、俺側が視認できないようにされ、柊側は能力を受けていなかったからだ。

 青年が突進を受け切ったのは俺が知らず知らずのうちに勢いを殺していたからで、そしてフンが服に付着したのは、そもそも甲冑なんて着ていないから。

 すべてが幻だと仮定すれば、すんなり理解できることばかりだ。

「さすがWPO。ようやく気付いたか」

 まああくまで予想程度の解答ではあったが、青年の反応を見る限りでは、

「間違いはないってか」

「どうだろうな? 俺の能力を見破ったところで形勢が大きく変わるわけじゃねぇぞ」

 青年は目を光らせ能力発動を合図する。

 衝撃波による攻撃を仕掛けようとしていた。

「へっ。そんなのこうすれば問題はない」

 だが俺にだって手はあるんだよ。そんな意味を込めて、俺は固く目を閉じた。

 幻術ということは、目で見なければ能力による影響を受けないということだ。

 だから俺は目を閉じ続けた。それはもうとにかく固く固く――もう目が開かないんじゃないかというくらいに。あれ、どうやってこっちから攻撃をしよう? そう思った矢先、

「馬鹿かよ、お前」

「うごっ!」

 俺は何やら蹴りのような一撃を顔面に受けてしまっていた。

「何やってんのさ、きちじょー!」

 能力を受けていない一瞬だけ、柊がそんなことを言っていたような気がする。

 ああ……そりゃそーだわ。目を閉じてたらどう考えても隙だらけじゃん……。

 さっきまで格好つけていた自分を呪いたくなった。

「く……いやまだだ」

 ただ、へっぽこ青年の一撃はそこまで痛くなかったのですぐに体を起こす。

 鼻から血が垂れているが、本当に全然決して痛くなどなかった。

 ……いや、ちょっと痛いかもしれん。

「物理的な攻撃ならどうだ!」

 一連の流れをなかったかのようにするため、俺は声を張り上げて能力を発動した。

 辺りに散在していた庭石を弾丸として、青年へと射出する。

「すまん柊。ちょっと散らかすが目を瞑ってくれよ!」

「なるほど、そう来るか。だがそんな攻撃、俺には効かな――」

 青年が光を放った直後、青年は庭石による重い一撃を横っ腹に受けていた。

「うぶっ!」

 マンガの二コマオチのようなあっけない終わり方をした青年はそれきり、だらしなくも庭園の地べたで気絶してしまった。

「あれ……勝った……?」

「よくわかんないけど、そうっぽいかなー?」

 柊の姿を視認できるようになっているし間違いないらしい。

 自身の体を顧みると、俺は青年の蹴り以外、大してケガを負っていなかった。

 同じくして、植物庭園もエントランスホールも、どうやらそこまで荒れていないらしい。

 未だに伸びている幻術使いの青年を見やる。

「だな……。なんで俺、こいつに押されてたんだろ……」


   5


「ねー。さっきの男の人、女の子一人に任せて本当に良かったの?」

「あいつがそう言ったんだから任せておけばいいんだよ」

 柊とともに、両親が中にいるという今のところ屋敷内随一の豪華な扉の前で立ち止まる。

 ようやくこれから本題に行こうとしているのに、柊は幻術使いの青年のその後を気にかけているようだ。

 あの後まもなくして伊吹が植物庭園に姿を現した。


『吉祥、何かあったの? 大丈夫?』

『お前……今までどこにいたんだよ。桜満さんたちがお前を捜してくれてるんだぞ』

『あー……その件はごめん。けど、無事にコトが治まったみたいで良かったよ』

『ん……もしかしてお前が気にかけていたのってこの男のことか?』

『うーん、多分そうだと思うんだけど、どうだろ?』

『なになにー、私にも詳しく教えてよー。見てるだけでさっぱりわかんなくてさー』

『お前から見たら俺とこいつがケンカしてるように見えたんだろ。そういうことだよ』

『いーや、その言い方、絶対そーいうことじゃないってことでしょーよ』

『あのさ、吉祥って、この後用があるんでしょ?』

『そうだった。柊の両親を説得するとかいう謎の行いをせねばならんのだ』

『彼のことは私が上手く処理しておくから、二人は会いに行ってきなよ』

『処理って……。むー、ますます意味わかんないんだけどー』

『警察を呼んでくれるってことだろ。ほら、俺たちは両親に会いに行くんだ』

『あ、ちょっ、きちじょー!』


「今思うと、なんかきちじょーの発言って積極的な男って感じだねー」

「うるせ。大体お前が誘ってきたんだろ」

「うわー、なんかいやらしい言い方」

 うざいです。今はお嬢様でいてくださいませ。

「中入った後の台本はどうする? 自由にさせてくれってどうやって切り出すんだ?」

「まあテキトーに」

「適当ってなあ、お前がしっかりしないでどうするんだよ」

「冗談だって。……うん、私はいつも通りやるよ。きちじょーはフォローしてくれるくらいでいいからさ」

「ああ……わかった」

 半分柊、半分令嬢の顔つきに俺の心は引き締まった。

 柊が先導して、両親のいるらしい書斎の扉を三度ノックする。

 中から短い返事が聞こえ、それを受けて扉を開くと、柊の父親はデスクで書類に向かい、一方で母親は電話でどこかと話をしていた。

 だが、実の娘の顔を見るや否や、その手をすぐに止める。

『――ええ……それでいいわ。ごめんなさい、一旦切るわね』

『どうしたんだい玲奈? 何か用かな?』

「お父様とお母様に話がありまして……。聞いてもらってもよろしいでしょうか?」

 ついに『ホーリーコーポレーション』の現会長・副会長とその令嬢が対峙する。

『何かしら? 私たちも忙しいのよ。短く済ませて頂戴ね』

『ふむ……。一緒にいるのはさっきの友人か。見学中に気になることでも?』

「いえ違います……。私の今後についてです」

 まだここまでなら、今の柊でもどうにか言えるということは理解できた。

 だが、この先の本音を伝えられるかどうかはやはり本人次第になってくる。

 俺から告げてもいいが、それでは効力が薄くなってしまう。

「私も今年で二年生になりました。そろそろ進路についても悩み始める時期です。それでお願いがありまして――」

『待つんだ玲奈』

 柊の発言を、現会長が遮った。

『もしかして何か? また、『自由にさせてくれ』と言いに来たのかい?』

『いや、貴方、まさかそんなわけないでしょう。玲奈も子供じゃないのよ。それに関しては散々話したはずよ』

「……お父様の仰る通りです。私をこれ以上束縛するようなことは……」

『『束縛』? 玲奈、言葉の選び方には気を付けた方がいいわよ?』

『そういうことか。今度は友人を連れてきたと思ったら、また同じ話をしようというのか』

 両親は同時に頭を抱えた。だがその悩み方は親としてのものではなく、柊玲奈という人間に対する憤りを覚えたような感じだった。

『私たちは何度も言ってきたはずよ。あなたは柊の名に恥じない、上に立つ者として相応しい淑女にならなければならないって』

『そうだよ玲奈。玲奈が訳のわからない同好会で訳のわからない活動をしていることに関して、特別に見逃してやっているというのにこれ以上何を望むって言うんだい?』

「同好会の友達を悪く言わないでよ……」

『よしなさい。そんな庶民のような口のきき方。貴方が成人してみっともない姿を晒して、恥をかくようなことがあったらどうするのよ?』

『僕たちに泥を塗るようなことはしないでおくれ。ホーリーコーポレーションを潰すわけにはいかない。玲奈はただ、僕たちが言う通りのことをしていればいいんだよ』

『そうよ。それで貴方は、未来永劫幸せに生きることが出来るのだから』

「う……」

 柊が二人組の圧力で押し黙ってしまう。

 フォローを入れるならここになるだろう。

 というかまあ、俺の堪忍袋の緒もそろそろ切れそうだった。

「柊が幸せに生きれるですか……。それは違うでしょう? あなたたちは、あなたたち自身の幸せのために、それを柊に押し付けているんじゃないですか?」

「きちじょー……」

『なんだい君は? 君も僕たち家族の私情に口を挟むつもりか』

『まったく……彼との接触を禁止にするだけでは足りなかったようね』

 さっきから勝手なことばかり並べてくる。

 ムカつくな……。柊がさっき両親について表現していた通りだ。

 この二人は、柊をただの後継人としてしか見ていない。

「そうやって自分たちの価値観を押し付けることが本当の家族なんですか? そこまで柊が嫌だと言ってきて、なぜ娘の言い分を聞いてやれないんですか?」

『玲奈が人生を踏み外すようなことを抜かすからだろう。それに、たしかにある程度我慢しなくちゃならない部分はあるかもしれんが、そのぶん玲奈は、約束された将来を手にすることが出来るのも事実なんだよ?』

『それになんの不満があるっていうのかしら?』

 く……完全に水掛け論だ。

 自分たちの考えが間違っていないと確信してしまっている。

 この頑固な両親を突き崩すには、どのようにアプローチをすればよいのだろう。

「だったらお二人は、柊の笑顔を見たことがありますか?」

「……え?」

 俺の言葉に柊が顔を上げる。

 大丈夫だ。ここは俺に任せて欲しい。

「さっきから娘のことをわかったように言いますけど、ちゃんと理解しているって言い切れるんですか? 学校で話すときに見せる柊の笑顔だったり、活動中に楽しそうにしている姿だったり、そういうものを見たことがあるんですか?」

『……』

「柊は、楽しいときに凄くいい笑顔をするんです。普段のちょっと鼻に付く言動も全部許せてしまうような最高の笑顔を。お二人はその笑顔を、柊から奪おうとしてるんですよ」

「きちじょー……」

 勢いに任せて言ってしまった部分はあるものの、内容は概ね事実だ。

 だから恥じらう要素などない。

「家族だって言うなら、愛していると言うなら、柊の意思を尊重してあげてください」

『……』

 俺がそう演説を終えると、両親は一様に沈黙を語った。

 次の切り出し方を考えているようにも見える。

『どうやら君は少し凝り固まった考え方をしているようだ』

 次の瞬間、少しでも可能性はあるだろうと思っていた俺の空想は完全に破壊された。


『僕たちはね、別に玲奈を愛しているわけではないんだよ』

『そう。ただ必要な教育だから、こうして教えてあげてるのよ』


「……?」

 何を言っているんだこの二人は。愛していない、だと?

 どんな親でも少なからず子を愛しているもの。その前提が意味を成さなくなる。

『情とかね、そういう野暮なことを話しているつもりはないんだ。ただ純粋に、それが玲奈のためだと思って、僕たちは何度も言っているのさ』

『愛情だなんて。そんな飾っただけの言葉、玲奈の前で使わないで欲しいわね』

「ねぇ、きちじょー?」

 左肩に誰かの手の温もりを感じる。どうやら部屋を出ようと語り掛けているようだ。

 ダメだ……。この親は、説得でどうこうなるレベルじゃない。完全にそういう風に完成されてしまっている。俺は愕然とするだけだった。

 俺に打つ手はもう何も残されていなかった。

『反論がないなら出て行ってもらえるかしら。私たちは忙しいのよ』

『まあ子供たちにも子供たちなりの考えがあったんだろうな。一つの意見として受け止めておくよ。あとは見学の続きでも好きにするといい』

「行こう、柊……」

「うん……」


 書斎から離れ、ひとまずホールの方へ足を運んでいると、柊は悠然と笑った。

「気にしなくていーよ。大体予想通りだったし。いつもあんな感じだったから」

「柊は大丈夫なのか? あんなこと言われてさ……」

「正直に言うと、全然大丈夫じゃないよ。大丈夫じゃないけど、大丈夫にしなくちゃいけないからね。ふふっ、あれくらいでへこたれる私じゃありませーん!」

 柊はまたいつものように、少しうざったい、けれども少し芯の通ったような笑みを零した。

 それを見て俺は、これがある限りはまだ大丈夫だろうと、ほっと胸を撫で下ろす。

「よーし! じゃ、ホントにやっちゃおっか! ウチの社会科見学ぅ! 実は私も数回しか行ってない部屋があるんだよねー」

「おい、日が暮れてんのに今からすんのか?」

「ノンノン、放遊会に制限などありませんよー。メイドに食事を用意するように言っておくから、今日は遅くまで付き合ってもらうよ」

「そうかよ」

 ホールまで戻ってくると、ちょうど伊吹が屋敷内に戻ってきたところだった。

「用事は済んだの吉祥?」

 男の姿が見えない辺り、上手い処理というものを済ませたらしい。

「まあそんなところだ。ところでどうだ、お前も屋敷内の見学に付き合うか?」

「見学? あー、言われてみればさっき、誤魔化すためにそんなこと言ってたね。たしかに面白そうだけど、私はいいや。もう少し外の空気を吸っていたいんだよね」

「カッコつけですか?」

「至極真っ当にそう思ってるだけです」

 伊吹と軽口を叩き合う。平穏というのはこういうものだと体現しているようだ。

「そっかそっか。じゃ私ときちじょーは、まずは一階にある書庫に行ってくるね。落ち着いたら、あとで落ち合いましょー」

 柊は意味もなく敬礼をかますと、先陣を切って先に廊下の奥へ駆け出してしまった。

 取り残された俺に伊吹が問いかける。

「ねぇ吉祥。今楽しい?」

「うーん、どうだろうな。まあ楽しいのかな」

 言ってしまえば今日一日、ただ柊に振り回されていただけなのだが、それでも悪い気はしないということは、そういう感想になるのだろう。

 伊吹と一時の別れを告げ、柊の後を追う。

 ほどなくして柊の後ろに付くと、柊は後ろ姿だけでもわかるくらいに耳を赤くした。

「あのさ……きちじょー。さっきの裸を見られた件についてなんだけどさ……」

「え? ……あー、そういやそんなことあったな……。それがどうしたんだ?」

「できるだけでいいんだけど、そのときのこと忘れて欲しいんだ……」

 羞恥心で今にも沸騰しそうな柊の熱量に驚く。

 さっきはさして気にしてなさそうに流していたのに、急にそういう反応をするなよ。

「ああわかった。お前がそう言うなら……努力はするよ」

「うん……お願いしますね」

 それが柊としてのお願いか、はたまた令嬢としてのお願いか、口調からは予想できなかったけれども、その瞬間、ほんの少しだけど、柊との距離が縮まったように感じた。

「普通にしろよ。やりにくいだろ」

「うーん、普通のつもりなんだけどな……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る