薄氷の上で踊る Ⅲ

 フューリーは様々な姿形をしている。


 脚が二本のもの、四本のもの、翼を持つ者、長い尾を持つもの、大きな角を持つもの、小型のもの。


 その中でも目撃例・撃破例が少なく、討伐隊や村などに大きな被害を出しているもの、それらを上位種ハイファーと呼ぶ。彼らは単なる獣とは違い、ケット・シー以上の知能を持ち、魔法に似た秘術、鮮血術ピュアリファイを操る。


 今俺の前に立ちはだかっているのは、紛れもない上位種ハイファー、魔狼フェンリル。


 たまたまフェンリルの住む洞穴に侵入してしまった連隊・・が壊滅させられたという。


 あまりの絶望的状況に思わず乾いた笑みが浮かぶ。連隊をたやすく壊滅させた相手と、自分はたった独りで戦おうとしているのだ。もしこれが自分でなければ、そんな無謀なと嘲笑っていただろう。それはケット・シーが空を飛ぼうとする試みに等しい。つまり、馬鹿馬鹿しい絵空事という事だ。


 しかし────矛盾するようだが、これくらいは殺せないと話にならない。


 俺はクラドヴィーゼン家が好きではないが、それでも奴らの思想の一つには大いに同意する。


 強くないケット・シーに価値など無い。


 強くなければ意味が無い。生きる意味が無い。生きている価値が無い。まだ死んだ方が有意義だろう。無駄なモノに資源を浪費せずに済むのだから。確かに戦わないことを選択したケット・シーも居る。しかし、残念ながら俺にはそれは選べない。「心血」は全てを戦うことに捧げる呪いのようなものだ。それに、俺は戦わないことを選択するつもりなど無い。それでは何一つ成し遂げる事が出来ないから。


 大体、こんな所に偶然フェンリルが現れるわけがない。どういう手段を取ったのかは不明だが、十中八九クラドヴィーゼンの仕業だろう。俺をここで殺すつもりなのか、それとも試しているのか。どちらでもいい。薄氷の上ですら踊れない臆病者に、勝利などない。


 俺はクラドヴィーゼンにではなく、この世界に自分の価値を証明する!


 腰からスノウファーレンを抜いた。馴染みきったグリップが手に収まる。壁に一定間隔で埋まる輝水晶の淡い光に、鈍く反射する銀。


「……キトゥリノ」


『本当に殺るんですかマスター? フェンリルは洒落にならない強敵ですよ』


「その程度の事も出来ないようなケット・シーには……失望するだろう? 雷龍キトゥリノ様?」


 キトゥリノが薄笑いのようなものを浮かべて、こちらを見ている気配がした。


『はー。そういう可愛い事するから私みたいなのに喰われるんですよマスター。ま、いいですけど』


 俺は鼻で笑ってから明確な意志を持って階段の下から足を踏み出した。


一歩、二歩────


 瞬間、広間に突風が吹き渡った。身体を押さえつけるような、圧倒的な向かい風……ではない。


 これは殺気だ。


 それ以上一歩でも進めばタダでは帰さない。お前を殺す、と叩きつけられる傲慢で身勝手で、しかし反抗しようのない強者の警告。


 しかし俺は少しも臆することなく踏み出す、三歩目。


 すぐにでも魔狼が喉笛へ食らいつこうと空を渡るかと思いきや、そんな事はなかった。狼はただの獣に非ず、王者の風格さえ漂わせて口を開いた。


『小さきものよ、ここで命を落としたくないのなら速やかに去れ。この先は我が王の宿木、通す訳にはいかぬ』


 正直に言って、驚いた。一部の高位のフューリーは高い知性を持ち、言葉を解するものもいると聞いた事はあるが、半信半疑であったからだ。なるほど、本当だったらしい。


 それにしても、「我が王」とは何であろうか。まさかケット・シーという訳でもあるまいし、この塔の上にはフェンリルよりも高位のフューリーが居るとでも言うのか……?それこそ不自然だ。


「悪いが、俺はどうしても上に行かなければならない。強引にでも通らせてもらう」


 氷狼は静かに翠を細めた。


『ならばここで死んでもらう。愚かなケット・シーよ……私は有象無象の獣共とは格が違うぞ』


 来る。


 反射的にそう悟った俺は身体能力強化を発動させつつ思い切り空中に跳び上がった。


 転瞬、転移魔法でも使ったかと錯覚するような速さで巨体が迫った。体の大きさと重さを活かした単純極まりない体当たり、しかしとんでもない初見殺しだ。掠っただけでケット・シーの軽い身体など吹き飛び、骨は粉々になるだろう。


 もちろんフェンリルの追撃はそこで止まらない。止まるわけが無い。


 魔狼は避けられることを予期していたかのごとく急停止、その見開かれた翠玉の瞳に複雑な紋様が奔る。鮮血術ピュアリファイの予兆。


「撃ち落とせ! │氷晶の鳥よ《ヘイルストーム》!」


 俺も左手から魔法を発動する。掌から氷鳥が羽撃くと同時に、フェンリルの鮮血術も完成。数多の鋭い棘が俺に向かって殺到する!


 双方の魔法が激突すると共に轟音。フェンリルの姿を捉えられない。が、あちらの氷の棘が抜けてきている。俺は銃を構えた。その間にも無数の棘は俺の身体を引き裂こうと迫り────


「紫電の巣よ《サンダーウェブ》」


 空中を駆けた雷は、真っ直ぐ鋭く進むのではなく、蜘蛛の巣のように大きな網を広げた。魔法の範囲内に到達した氷の棘は全て粉々に砕け散り、宝石の欠片のように後方へ散った。


 その間にも俺は動きを止めない。床に着地するやいなやフェンリルとの距離を詰める。しかし相手もそれを黙って見てはいない。瞳に浮かぶ別の紋様、同時に鈍く輝く爪が伸びる。


 が、遅い。この距離ならば俺の魔法の方が速い。


 無詠唱で放った圧倒的な冷気が一瞬にしてフェンリルを凍りつかせる……


 何かが軋むような嫌な音が響いた。


 俺は本能が鳴らす警鐘に従って渾身の力で後ろに跳び、並行して引き金を引くが間に合わない。


 俺の身体は軽々と壁まで吹き飛ばされた。骨が何本か折れ、喉に血が逆流するのを感じるが、これでも衝撃を殺した。もしあの時何もしていなければ即死だっただろう。だが────収穫はあった。


 よろめきながら立ち上がる俺の前方で悠々と張り付いた氷の欠片を振り落とすフェンリルの右足から、確かに血が滴っていた。















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