Dice-10:問答は/不明瞭に


「『交渉』って……しないんですか?」


 与えられた20分の休憩時間を「交渉タイム」と言い切った割には、アオナギはソファの横でじっとうずくまったままだ。かさついてひび割れた紫に近い色の唇をかすかに動かして何かぶつぶつと呟いているが。


「いや相棒……交渉するにせよ、それはこの第一回戦みたいなのが終わってからで、の方がいいのかも知れねえ……今やったところで無意味かもだ」


 鋭い考察を呈示してくる御仁と思っていたが、言ってることがころころ変わるな。いや、それだけ今のこれが複雑なのかも知れないが。でも「無意味」って……辺りを見回すと、ホールと廊下……だろうかを繋ぐ扉から出ていく者が多い。そしてそこかしこで、何人かが集まって、何かしらをごちょごちょ喋っている様子が見て取れた。中には胸元から外した「名札」を相手に突き出して見せている輩もいるわで、やはり、アオナギの「気付き」と同様の考えをしているのも多そうだ。


 が。


「むしろよぉ……ちょいと考えとかねえとな、と思ったのは、『意識』ってやつのことかも知れねえって、思い始めてきた」


 ぐるりとまた長い顎をこちらに巡らせて来つつ言ったアオナギの言葉は、どうにも訳が分からないのだが。確かに「意識を奪われる」云々の話はあった……しかしそれは考える類いの事柄では無いのでは? 何となく、「勝負」とは関係の薄そうな、抽象的な事に思える。


 もう一度、思い返してみる。主催者が「敗者に負債を」と言った時に、「逆らえばその者の意識を奪う」、みたいなことを付け加えていた記憶がある。


「……それって、この首に貼られているこの、何て言えばいいのかは分かりませんが、『装置』によって気絶させることで」


 僕の言葉はアオナギのまたもやの人差し指を唇に当てた「静かに」のゼスチャーに遮られる。そしてアオナギはその顔色が土気色と表現するとぴたりと嵌まるような血色の悪い長顔を僕のそれに近づけて来るのだが。思わずのけぞりそうになるのを堪えて、僕はその囁きに耳を傾ける。


「……そこから麻酔針でも飛び出て、昏倒させられちまうってんなら、話は簡単なんだろうけどよぅ……どうもそれだけじゃないような、その『意識』を突き詰めて考えていった先に何かがあるような、そんな空気を感じているわけだ、俺は」


 いやあ、やはりその言っている意味の一割も分からない。それ以上の何かがあると到底思えないが。というか、それ以上は無いんじゃないか?


 「意識」にやけにこだわっているけど、「知覚していること」っていう意味でなら、「ある」か「ない」かのどちらかになるだけのことじゃないかと思うけれど。その旨を僕自身ももやもやした気分のまま、とりあえず告げてはみるものの。


「『意識』ってのはよう……例えば、生まれた時から、『自分』っていうものの『意識』、だよな? 寝たり気絶したりしていない時は、常に……俺ならば『アオナギ ヨリヨシ』っつう、20世紀という時代に、日本という国に生まれ落ちた、生物学的に男であるところの、人間が感知しているもの、ってことになるよな? もちろん相棒、お前さんならお前さんの『感知』下にあるもの、ってことになるが」


 んん? それは当たり前のことじゃあないか? だって自分だから。朝目覚めたら他の人間、あるいは他の動物とか虫になっていた、なんてことは虚構フィクションでないのだから当然あり得ないわけであり。と、


 そこまで考えてふと頭の中に差し込むようにして入って来た「疑問」を反芻してみる。


 ……なぜ「僕」なんだ? なぜ僕の人生を延々と体験している? なぜ僕を通した世界しか知覚できない?


 気付くと強張った顔で呼吸も浅くなっていた。確かに「意識」の焦点、それは何故か「僕」が生まれ出でてこのかた、一度としてブレてはいないわけであって。


 なぜ、僕が選ばれた? んだろう……


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