第16話 異界

「本当に良いのか。」



行命様の言葉に筋肉痛で痛む首をもたげて面を上げる。彼は私が抱える物を見下ろし、そして再度視線で問いかけた。



「お前の故郷の着物ではないのか。」


「良いんです、もう必要ありませんから。旅をするなら荷物は少ない方が良いのでしょう?」


「それはそうだが……。」



彼はまだ悩まし気に唸った。

彼の鍛錬が始まって二日後。私達は当初の予定地だった村にいた。

朝の鍛錬から小距離を歩いて入村へとなった訳だが、正直全身の筋肉痛が辛くて歩くのもしんどかった。今も動く度に筋が悲鳴を上げる痛さを堪えながら、やっとのことで彼の後ろを付いて歩いている状態だ。正直、今の問いかけで足を止めてくれたのがだいぶ助かってる。



村の景観は以前お世話になった所より建物が多い。旅装束らしき着物に身を包んだ人が何人か散見され、簡単な屋台や宿屋がある事から村、というよりかは町の規模に近い様相だった。ここでは主に私の生活物資を調達するためにいる。ならばその為の資金は必要なはずと、私はセーラ服を売る事を提案したのだ。



ここに来た当初のサバイバルのせいで多少毛羽立っているが、私に与えられた着物の材質から考えて、制服のように肌触りが良く頑丈な布はこの世界では重宝されるのではないかと考えたのだ。



私だって何もしないで金銭を負担しろと言えるほど神経図太くない。少しでも足しになるなら安いものだ。……正直学校での良い思い出なんて無いから何の未練もない。



「ただ、私にはこの着物を売る伝手がありません。だから行命様にお願いしたいんです。」


「儂も伝手があるわけではないのだが……分かった。」



制服を差し出すと彼は渋りながらもそれを受け取った。



*****



 それから諸々の生活用品を調達後、私達は宿屋にいた。この世界で初めての宿屋。世間から見れば一般的なそこは大部屋に複数の人間が雑魚寝するような相部屋宿だった。食事は各自で食材を用意して台所を借り調理するか、屋台に食べに行くかのどちらかになる。私達は既に屋台で食事を済ましたあとなので、周囲の客と同じように各々好きなスペースに場所取りして思い思いに過ごすのが通常だ。



 旅人が集まる所であるせいか、色んな身なりの人がいる。私のような着物に身を包んだまだ子供とも呼べる年の少年や、やつれた顔をして今にも擦り切れそうなボロボロの着物を着た女の人、はたまた地味な装いでも身綺麗で妙に所作が丁寧な厳つい顔をした男性。



この様な他人の視線に常に晒されるというのは物凄く居心地が悪い。私が隅の方をチラチラと見ているのを行命様が感づいたのか、彼は部屋の入り口に近い隅へと荷物を置いた。



 「眠れるならこのまま寝なさい。明日も夜明けと共に出る。」



 彼はそう言うと荷物から色々取り出し始めた。私はそれに興味をそそられながら彼の隣に座る。



「何をするんですか?」


「ただの書き物だ。」



そう言うと彼は宿の人から小さな机のようなものを借り、窓から光が差し込む位置にそれを置く。成程この位置に場所を取ったのもこの為か。



彼は荷物の中から一つの冊子を取り出して机に広げた。随分と使い古しているようで、何度も開いたり閉じたりして端が欠けたり紙自体が歪んでいる頁が見られた。



彼はまだ白紙の方の頁を開いて墨をすり、筆をそれに浸して冊子に流れるように文字を書き連ねていく。



やはり何処かで見たことがあるような文字なのだが、全く読めない。



何だったのだろう……気になって前世の記憶をこねくり回す。そんな私を他所に彼は筆を走らせている中、ふと見知った一字を彼が描いた。



「あの!その一字、なんて読むんですか?!」


「っいきなり何だ?!」



思わず行命様の肩に手を置いて書く手を止めると、彼は驚いて振り返った。



「あ、申し訳ありません。でも気になって。」


「これか?これは”祈”(いのり)と読む。」



やっぱり!これは旧漢字だ!小さい頃に見せて貰った曽祖父の日記の文字が、こんな様な漢字を使っていたのを思い出した。



そう思うと何となく意味が読み取れる文字がいくつかある。平仮名が無く漢字のみの文章で読みづらくはあるが。



「もしかしたら……読めるかもしれません。所々ですが。」


「それは良かった。その様子ならば読み書きの教育の苦労はしなくて済みそうだ。だが──」


「痛っ」



ぺちんとデコピンを一発喰らわせられて額を押える。地味に痛い。



「他人が書をしたためておる所を覗くのではない。とっとと寝なさい。」


「ご、ごめんなさい……。」



怒られて私はすごすごと彼の隣に座りなおす。しかし思考はこの事に関してぐるぐると巡っていた。



やはりこの世界は私がいた世界と酷似している。まるで大昔の日本にタイムスリップしたかのようだ。けれどここが日本でないことは歴史の授業でも聞いたことが無い地名と地形、宗教を通した摩訶不思議な現象があることが表している。



もしかしてパラレルワールドというやつだろうか。もしもの数だけ世界が存在するっていう……。



「じゃあこの世界は──」


「この世界がどうしたのだ。」



はっと息を呑む。横を振り向くと行命様が書く手を止めて私を見つめていた。

もしかして声に出ていたのか。それに気づくと慌てて口を押える。



「遅いわ。で、何を考えておる?」


「え、えーとその……。」


「周囲も聞いてはおらん。突拍子もない事を言っても誰も責めんから言うてみなさい。お前は己の考えとここの常識の擦り合わせをしなければならないのだから、ここの常識に基づいた意見は必要であろう。」



そう言われて周囲の人たちを見るが、そもそも部屋の広さに対して客が少ない事でお互い一定の距離が空いているし、日も落ちた事で多くの人が眠りについている。彼の言う通り大きな声を出さなければ聞こえる事は無いだろう。



ただ、私の話を聞いて正気を疑われるのは嫌だ。私は冗談っぽく聞こえるように口角を上げて誤魔化す。



「え、えぇっと……ただ、私がいた環境とあまりにも違い過ぎてまるで別世界だなって。」


「ふむ、別世界か。」



それを聞いて行命様は顎に手を置いて視線を落とす。彼の思考するときの癖なんだろうか。というか冗談にしてほしいんですけど。そんなに真剣に考えなくても。



「別世界という考え方が、次元を超えた平行世界における世の事であるならば、それはあるだろうな。何処かには。」


「はえ?!」



思わず変な声が出た。まさか異世界を肯定する発言が出るなんてこと予想だにしてなかったのだ。



「そもそも人々が死後に渡る事を望む極楽浄土も、別の理が成立する世界という意味では異世界であろう。」


「あ、え、そうか、そうですね…うん。」



ちょっと私の想像する異世界とは違う気がするが、でもその観点で見ればその通りだ。



「仏教には”六道”(りくどう)という考え方がある。」



彼は筆を硯の上に置いた。どうやら一旦書くのを諦めて私への教育に専念するようだ。



「衆生がその業の結果として輪廻転生する世界の事だ。天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、そして地獄道の六種がある。」



地獄、その単語を聞いて思わずびくりと身体が跳ねる。気付かれていないだろうか。恐る恐る彼の顔を伺うが彼は何事も無かったように続けた。



「故に異世界という言葉は、特に突拍子な考え方ではない。仏徒として真っ向から否定できる立場ではないしな。だが次元を渡るとなればそれこそ仏が為せる御業だ。結局のところはおとぎ話のような扱いであるから、むやみに人に話しては戸惑われるのが普通だな。」


「そう、ですか……。」


「これで考えの一助にはなったか?」


「──!」


「見知らぬ事ばかりで悩むのは当然の事だ。思考することは環境に適応していく上で重要である。ならば遠慮などしていないで聞きたい事は聞きなさい。何の為の師弟だ?」


「……ありがとうございます。」



私は行命様のその言葉に心が洗われるようだった。異世界に来て不安な事ばかりだけど、彼がいてくれるからこそ私は生きていける。それを改めて認識した。



「今度からはそうします。また考えが煮詰まったら相談に乗って下さい。でも今夜は一先ず……おやすみなさい。」


「うむ。明日から鍛錬の他に勉学も叩き込むから今のうちに休むことだ。」



彼は筆を再び手に取ると冊子へと向かった。



「げ、それは聞きたくなかったです。」


「そうか、では益々気が入るというものだ。」


「えー」



冗談を交わしながら私は彼の隣に座りなおして、今日の調達で手に入れた替えの着物に包まる。



何だか寝転がるより、彼の気配を感じながら眠りに落ちた方が悪夢を見ないで眠れるような気がしたのだ。



私は膝を抱えてその上に顎を乗せて目をつぶった。大丈夫、行命様が隣にいるから大丈夫……



その時、



「──ッッ!!!」



まどろみ始めた意識が一気に覚醒する程、身体の反射で着物を撥ね退けて立ち上がる程、安定した心情が急速に恐慌に覆われ冷や汗が一気に滲み出すほど、身に刻まれた恐怖の根源が微かに耳に届いた。



隣にいる行命様を見やる。



彼は窓の外を眺め、思考するように目を細めていた。



「遠吠えが聞こえたな。何処かに野犬か狼でもいるのか。野営では気を付けんとな。」



そう呟くと今気づいた様に私の方へ視線を向けた。



「どうした?顔色が悪いが。」


「い、いえ……何でもないです。」



私は首を振って取り繕い床に座りなおす。けれど抱えた両手足は震えが止まらなかった。

 今夜もまともに寝る事は出来なさそうだ。私は怯えた顔を隠すため、抱えた腕に顔を埋めた。彼が視線を向ける気配を無視して。

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