見えない病

現代幸之晋

第1話

親戚の家に来ている。

二階から獣とも人のものともつかない雄叫びが響いて足音が階段を殴りつけて降りてくる。

「ああ、来た」

食卓を囲んでいる叔父が言った。

声の主が奇声を上げて駆け込んでくる。

「見えてるんだろー!」「見ろー!」

かなりドスの効いた声で死んだはずの祖母が切羽詰まった様に捲し立てて、叔父の顔を覗き込んで叫んでいる。

聞こえている、見えている。しかし、聞いては、見てはいけないそれを誰も何もそこにいない様に平然と食事を続ける。

声にもならない叫びを上げながら隣の人へ移りながら顔を覗き込んで移動する祖母。

来る。私の前にも来る。恐怖のあまりに目を瞑る。

「おい!」

声が聞こえる。目を閉じたのは見える証。苦痛のこもった叫び声が耳に届く。悲痛な叫び、苦しみ、悲しみ、混乱が目をきつく閉じているのを確かめながら、それが入ってくるのを感じている。

見てはいけない、しかし、目を閉じてもいけない。恐ろしさを押し殺して目を開けると、睨みつける顔が間近に迫っていた。

顔を見て、目を見る。見てはいけない目を凝視した。

その瞬間に身体が徐々に遠のく様に意識を失った。


私はこの時から、生きたまま死んでしまった。肉体が消え、還る場所を探してさまよう幽霊の様な存在としての生が始まった。或いは終わってしまったのか。




世界はあの世との繋がりが途切れた。死者は遠くへ行けずに死んだまま存在し続けている。


少なくとも我々の目にはそう映った。


葬儀をして死者との別れの時を生き、四十九日を過ぎると死者の世界へ帰るという時代があった。


いまでは葬儀は形でしかない。


死者はいなくなはならないし、死んで崩壊を再開した肉体を焼いてもそれは処理を行うという名目での意味合いしかなかった。


死は目に見えなかった。だからこそあらゆる場所では死者に対する弔いと、我々残された人同士での慰めや、寄り添い合って死に対する畏怖の念を持って生きていくことができた。


死はなくならない。しかし、死者がなくならないのではその対処も何もかもが違ってくる。


目に見えないものの不確かさが生きることを支えていた。


目に見えないはずの存在たちが生者の生活に干渉し始めると、その不確かさへの境界線が曖昧になった。


見える死者は見てはいけない。聞いてはいけない。

これまで通りを装い、変化を拒む様に。

そんな暗黙の了解だけが確かさを持ってこの生活を支えていた。


しかし、その死者を見てしまう者は見えなくなり、触れることも存在として捉えることもできなくなる。


身体が消滅し、意識体としてのみの存在になり、生き続けなければならない。そこに終わりがあるのか、誰にもわからない。


生者と死者の境目が曖昧になった世界で生きなければならない、生きながら幽霊の様になった私の物語。

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