第37話 毒親の母、「ママ見てー」をしない私
私は物心ついた頃から「ママ見てー」をしない子だった。
母親に甘えたいと思った事も無かった。
これはもしかしたら母のせいではなく、私が何らかの精神疾患なのでは無いかと最近思うようになった。
もしかしたら私が母に無関心で、決定的な仲直り(?)があったわけでもないのに母を許すというか別に憎んでも怒ってもいないのは、それほどまでに母に興味が持てないからなのでは無いかと思うのだ。
私には大人になった今でも、子どもが「ママ見てー」をする心理が分からない。
何故見せたいのか、何故母親が見てくれると嬉しいのか。
あ、でもね、夫や義父に面白い事があったら話したいとか美味しいものを食べたら食べさせたいとか、そういうのはある。
「ママ見てー」ってそういうのの延長?
私が母にはそういう感情を持たなかったというだけで、私は人としてのそういう感情、ちゃんと分かっているのか分からない。
子どもの頃を思い出すほどに、母からの仕打ちもたくさん思い出されてくる。
けれどいつも私は母からの仕打ちに対して孤独だった。
誰もかばってくれる人も、理解してくれる人も、味方もいなかった。
他人からは良い母親に見える母を悪く言っても信じてくれる人はいなかっただろう。
それは大人になってからもだ。
私が「子どもの頃にこんな事をされた」と話したところで
母の子を思う愛情だとか、しつけだとか、その他諸々の他人フィルターで母は美化されるだろう。
ここ数年、やっと『毒親』という言葉が出来て本が出たり、番組で特集されたりして、虐待とはちょっと違う、けれど酷い親について世間に認知されるようになってきた。
そのおかげで私も救われたところがある。
あの母を表す言葉が出来たのだから。
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