第3話 貧乏?

 名家の長男だったパパの実家は、母を相当嫌っていたのだろう。

 私には母と一緒にパパの実家に行った記憶は一度も無い。


 ただ、母親からお姑さんや小姑さんからイジメにあった事を聞かされる事はあった。


 四歳ぐらいの記憶だろうか、ジャスコらしきところに行き、そこにあった公衆電話で母親がパパの実家に泣きながら電話をかけていた。


 後からの母からの説明によると、お金の援助のお願いだったようだ。

 当時四歳だった子にそれを包み隠さず説明する、それが私の母親だったのだ。


 別に私が

「なんで泣きながら電話していたの?」

 と尋ねたわけじゃない。


 当時すでに母親への関心を失っていたし、子どもながらにジャスコなどの公衆の場で泣きながら電話してしまえる母に引いていた。


 泣きながら電話する母と、ジャスコのキッズコーナーに立っていた等身大の仮面ライダーV3の姿はずっと私の記憶から消える事は無い。


 仮面ライダーは大好きだったが、その時の記憶からV3だけは何故か気味が悪い印象として残っている。


 パパの会社が上手くいってなくて、それでうちには明日食べるものを買うお金もないのだと教えられた。


 まだ専業主婦の多い時代だったので、周りには働いているお母さんはあまりいませんでした。

 なので子どもながらに、母親が働くという選択肢は無くパパがお金を稼いでこないとうちはご飯が食べられなくなるのだなという事は認識しました。


 でも何故か、危機感は全くありませんでした。


「どうしよう。うちは明日から食べるものが無いかもしれないんだ」


 などとは母親から家の状態を話されても思わず、何とかなるような気がしていました。


 だって母親がパチンコに行くお金はあるのですから。


 しかも当時の我が家は、比較的裕福な暮らしだったはずです。


 まだあまり一般家庭には普及していなかったオーブンレンジやクーラー、餅つき機や編み機なんかもありました。


 血統書付きのマルチーズを飼っていた事から推測するに、やはり貧しかったとは思えません。


 パパは会社で『ジュウヤク』だったはずなのですから。


 パパにのちに借金があったのは憶えていますが、この頃の本当の家計の事情は分かりません。

 ですが、あのジャスコでの電話の後にはパパの実家からの援助はあったという事もかすかに憶えています。


 なので次の日に、食べるものがなくてひもじい思いをしたという事もありませんでした。

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