第2話 我々の目的は

春の陽気。水色の空に、風が運ぶ花の香り。さえずる小鳥に、羽ばたく蝶々。あぁ、


「今日もへいわ…」

琴音ことね!!」

「!」


声とともに腕を勢いよく後ろへ引っ張られる。そこを、車が物凄いスピードで通り過ぎた。

前を見ると、赤く光る信号機。


「あ…信号…」

「まったく!何ぼーっと歩いてんだよ!危ねぇよ!」


振り返ると、そこには弘人ひろとがいた。


「あ、弘人、おはよぉ」

「おはよぉじゃねーよ。気をつけろ!」

「ごめんね、ありがとう」


信号が青になり、2人は横断歩道を渡った。


「そういえば、お前昨晩どこ行ってたんだよ」

「へ?!」


急な質問に、琴音の声が裏返る。


「最近夜に、ジョギングしててさ。昨日お前ん家の前通ったら、宅配業者が来てたぞ」

「あ、うん。ちょっとお買い物に行ってて…」


そういえば今朝、不在通知が入っていたなと思い出す。


「ふーん。あんま1人で夜出歩くと危ねぇぞ?お前は、いつもぼーっとしてんだから。もし、あれだったら…俺を誘っていいから」


弘人はそっぽを向いて言った。なんだか可愛くて琴音は思わず笑ってしまった。


「ふふっ。わかった。そうするね」

「わ、笑うなよ…」


弘人は恥ずかしくなり、むくれた。


(油断してた…。まさかあんな夜に宅配が来るとは…。しかも夜にジョギングって…。もっと対策取らなきゃ。)


いつも夜、家を空ける時は家の中の明かりがついていなくてもバレないように、遮光カーテンを閉め、雨戸も降ろしていた。ただ、宅配は想定外だ。


(次は日時指定しよう…。)

_____________________________________________


授業の間の休み時間、弘人が興奮した様子でスマホを片手にやってきた。


「なぁ琴音!ニュース見たか?」

「ニュース?」


弘人はスマホの画面を見せてきた。そこには、


『連続強盗グループ 遂に逮捕!組織の名前は「金猫」』


と書かれていた。


「すげぇよな!捕まったんだって!!」

「ほんと、すごいね」


興奮しながら話す弘人を、琴音は微笑ましく見つめる。


「あぁ、でも、変なんだよな」

「変?」

「ほらここ。警察が突入した時には既に拘束されていたって書いてあるだろ?これって、警察より前に誰かが捕まえていたってことだよな?」


琴音は、ハッと顔色を変えた。一気に血の気が引いて、指先が冷たくなる。今までは、突入し、犯人を拘束した後、証拠隠滅の現場復元をすれば、警察に存在がバレたとしても組織の特定はされなかったし、ましてや一般人に報道なんてされなかった。昨日だって、割った窓の張り替えもした。片付けには、いつも細心の注意を払っていた。


「まずい、かもしれない…」

「ん?」

「あ、いや…」


弘人が、また目を輝かせて言う。


「これって、秘密組織とかがいるってことだよな!!」


ビクッと琴音の肩が跳ねる。


「カッコイイなぁ!」


興奮している弘人を横目で見る。報道された時、いちばん怖いのは、一般人の妄想の独り歩きだ。変に陰謀論などを立てられ、組織を探ろうとされ、一気に注目を浴びることになる。動けなく、なってしまう。


「カッコイイ、かな…」

「カッコイイよ!!裏の組織とか!!映画みてぇじゃん!」


その「カッコイイ組織」のボスが、私だと知ったら恐らく彼はガッカリするだろう。現場にも行けない臆病で、ダメな自分が…。そう、思っていた。

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重い足取りで桜花のビルの階段を登る。そして、仕事場の扉を開け、いつも通りメンバーに挨拶する。

扉を閉め、ため息をついた。「向いていない」という言葉がずっと頭を支配している。


「ただいま戻りました…」


暗い気持ちのまま琴音と望月もちづきの部屋の扉を開けた。するとそこには、各グループのリーダーが集まっていた。


「おかえりなさい、琴音さん」


望月が優しく応える。


「会議、ですよね。お待たせしました」


カバンを机の横に置いて、席に着いた。他のメンバーも、それぞれ席に着く。


「それでは、今回の報道に対する対策について話し合います」


ふーっと、突入隊リーダーの島本しまもとが深く息を吐く。


「こうなってしまった以上、しばらく活動は控えた方がいいんじゃねーのか?」

「最近例の組織に関係の無いことにまで首を突っ込んでいる気もするわね…。私たちの目的を再確認する必要がありそうだわ」


潜入隊リーダーの峰崎みねざきも、腕を組んで背もたれにもたれる。確かに、最近は派手に活動しすぎているかもしれない。昨夜のことだって、琴音が夜に外出していたことが弘人に気づかれてしまったばかりだ。

ごめんなさいっ。と、情報課リーダーの緑川みどりかわは俯き、膝の上でこぶしを握りしめた。


「私の、仕事内容の選択ミスです…。金猫とか、有名な組織に手を出したらいけなかった…」


今にも泣きそうな緑川のこぶしを、琴音は自分の手で包んだ。


ゆきさんの責任ではありません。きちんと確認していなかった私に非があります」


自分が、しっかりしていれば…。琴音は、全体を向いて静かに落ち着いた声で話した。


「幸いにも、今回の件は大事になっていません。秘密組織の存在が噂されているだけで、桜花のことが知られた訳でもありません。『鉄は熱いうちに打て』ではありませんが、暫くは大きく活動せずに、大人しくしていましょう。大丈夫。派手に動かなくてもやれること、やらなくてはいけないことは沢山あります。せっかくの機会です。今は情報収集に力を入れましょう」


各グループのリーダーたちから了承の頷きを受け、その会議は終わった。




琴音と望月しかいなくなった部屋に、曇った空気が流れる。


「琴音さん」


望月は、琴音の机の上にカフェオレの入ったマグカップを置く。昨年、望月が琴音の誕生日に送ったものだ。


「ありがとうございます」


琴音の白い顔を見て、悲しそうな表情をする望月に琴音は微笑みかけた。


「私は大丈夫ですよ。むしろ安心しています。最近は派手な突入が多かったので、皆さんの無事を心配しすぎていました」


自分が行けないことに罪悪感を抱えながら。


「あまり、無理をしないでください」


望月は腰を下ろして、椅子に座っている琴音に目線を合わせ、マグカップを持つ手に自分の手を添える。


「私は、あなたが無理をしすぎて心身を壊されてしまわれないか心配です。1人で抱えることはありません。私にも、しっかり押し付けてください」


琴音は、真剣な望月の目を見て、泣きそうになった。この人はいつも、出来ない自分を庇ってくれる。


「他のメンバーだって、心配していますよ。琴音さんのこと」


自分は甘やかされている。組織のメンバーに。

琴音は、その受け止めきれない優しさが、自分の閉ざされた心をくすぶるのを感じた。


「ありがとう……ございます……」


2人しかいない静かな部屋に、琴音の控えめな嗚咽が響いていた。

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