第14話 悪魔のささやき ※

「あ”ぁ…ーーぁ…」


 廊下へ出ると、確かに唸り声は聞こえてくるが、どこに悪霊が居るのか分からない。先ほどのようにわんさか湧いてくるわけではないが、姿が見えないのは見えないで気が張ってしまう。


「…とりあえず、一階に降りよう。」

「あぁ。」

「…。」


 エリオットはデイジーの手を引きながら廊下を進む。その後ろをジャックが歩く。

 どの道も血痕や刃物痕などが付いており、惨劇を物語っていた。いったいこのベルカストロ男爵邸で何があったのか。


「…おい…、んなもん見てないで、足元見て歩け。転けるぞ。」

「あ…、はい…。」

 

 意外にも、この見ていて気持ちのいいものではない景色をデイジーはきょろきょろと忙しなく眺めていた。

「デイジーちゃん、こういうの平気な方?」

「いや…、あの…、…なんだか文字みたいで――」




――キーンッ!!!

「あっぶなっ!!」





『あ”ぁ…ーー…』


 その時、3人の背後からキッチンナイフが飛んできた。瞬時に気づいたジャックが自身のナイフで弾き飛ばす。



「…あ…、…あの人…。」

「…?」


 デイジーの身体が再び強張った。3人の背後から現れたのは綺麗な執事服を身にまとった老年の男性。目はうつろだが口が裂けたような笑顔を浮かべ、首を一拍おきにガクッ、ガクッと左右に振りながら近寄ってくる。


「えー?…歩き方おかしくない?」

「というか、女の唸り声だと思ったら、あの爺さんかよ。」

 

 腕を脱力させ、極端な内また歩行。歩くたびに膝が床に着きそうだ。そして、その脱力した腕には錆びついたキッチンナイフのような長い刃物が引きずられている。




『あ”ぁ…ーー…ぁ”ー』



「あのおじいさん…、走って追いかけてきます…。」

「あ?マジ?」

「え?あの足で?…って、うぉーー!!来たっ!!!」



『キケケケケケケケッ』



 奇声を発しながら走り迫ってくる男が再びナイフを投げてききた。それをジャックが弾き返すが、男の走るスピードが予想以上に速い。




――キーン!!!


「くそっ!その足でなんで速く走れんのっ!!」

「ジャックさんっ!」

 すぐに3人は追いつかれてしまった。男が振り下ろしてきた長いキッチンナイフをジャックが自身の短いナイフで受け止める。



――その時、突如屋敷全体が揺れ出した。揺れに耐えきれず壁にひびが入る。



「…なんだ…?…おい、デイジー…!?大丈夫か…!?」


 激しい揺れにエリオットはデイジーを支えるように抱きしめるが、様子がおかしい。プルプルと震えだし、顔色が真っ青だ。ついには揺れが収まると同時に、デイジーは意識を失いエリオットの胸の中で崩れ落ちた。

「デイジー!?」

「…おい!エリー!壁見てみろっ!」

 ジャックが叫びながら目の前の男を蹴り飛ばす。エリオットはジャックに言われた通りデイジーを抱きかかえながら壁へ視線を送った。

「…!?」

「…さっき、一瞬、…デイジーちゃん、壁見て、文字みたいって呟いたよな…。」

 蹴り飛ばした男を警戒しながら、背後のエリオットに声をかけるジャック。壁の血痕や刃物痕が光っているのだ。まるで文字のように。

「…何語だ…?…何のための文字だ…?」

「……嫌な予感しかしないんだけど…。…早く屋敷から出よう…。」


 ジャックがピストルを構え、男に放とうとしたその時、男がジャックの腕に飛びかかり、獣のような鋭い歯で噛みついた。


「ジャックっ!!」

「っくそっ!!」

 

 噛みついてきた頭にピストルを放つも、避けられ、今度はナイフがジャックを襲う。間一髪ピストルでナイフを防ぐが、老年の男から振り下ろされるナイフの力は先ほどよりもはるかに重い。ジャックの助太刀に入ろうとエリオットが動いた瞬間、エリオットの腕の中に居たデイジーが動き出した。

「…デイジー、目が覚め…――」

「…。」

「…おいっ!!」

 目覚めたデイジーにほっとしたのも束の間、デイジーの目には光が灯っていない。ぶつぶつと聞き取りづらい言葉を放ちながらジャックとは別の方向に歩き出す。


「おいっ、何処に…?」

「…。」

「目を覚ませっ!――っ!!」

 エリオットはぼんやり歩き出すデイジーの腕を引く。しかし、エリオットは何かが反発するように壁に勢いよく叩きつけられた。

「エリー!?」

 脱力した様子の腕で何度も重い攻撃を仕掛けてくる老年の男から一瞬だけ視線を逸らしてエリオットを見やるジャック。だが、ジャックもジャックで今は手が放せない。


「…くそっ!何なんだよ、こいつ…!」

 明らかに今まで祓ってきたこの屋敷の悪霊とは違う。精霊の力を込めて蹴りを入れても祓われることなく、起き上がってくるのだ。それに、武器を両手に知性のあるような行動をしてくる。


「…エリー!先に行け!多分、こいつは撒くこと出来ないし、祓うにしても時間がかかるっ!」

「…っ!」

「お前だってわかってんだろっ!今はそれしかない!!」

 そう叫びながらジャックは老年の男の横っ腹に蹴りを入れる。先ほどよりも精霊の力を多く借りたのか、男はすぐ横にあった部屋のドアを打ち抜き、中へと吹き飛んだ。


「早く行け。デイジーちゃん、見失うぞ!」

「…死ぬなよ。」

「お前もな。」

「…これ使え。お前の方が必要だろ…。」

「…助かる…。」

「…あいつにお前がハグ欲しがってたって言っとく。」

「それ、絶対忘れんなよ。」

 会話をしながらエリオットは自身の持っているピストルの弾を半分ジャックに投げつけた。戦い方としてはエリオットはナイフを使う接近戦の方が得意で、ジャックはピストルを使う方が得意なのだ。

 投げ飛ばした小さな弾丸をジャックは落とすことなく片手でキャッチすると部屋の中に消えていった。


 相棒を見送ったエリオットは、デイジーの後を追う。先ほどの地震かなにかで古かった屋敷が脆くなったのか、ぽつぽつと雨が漏れだした。エリオットの頬や髪を湿らせる。


 廊下を進むと異様な明るい光が迎え出た。その明るく開けた場所へ進むと屋敷中央の大階段だった。両階段の踊り場を降りた場所、そこにデイジーはいた。玄関ホールへとつながる階段を未だぶつぶつと何かを唱えながらゆっくりとした動作で降りている。

 場所的には良い場所だ。玄関扉はすぐそこ。その先へ進めば外へと出られる。

 しかし、異様なのだ。今まで見た屋敷の中は血痕や刃物痕、さらにはクモの巣やほこり、床に散乱した家具などでごちゃごちゃしていたはずだ。しかし、ここはどうだ。大階段や玄関ホールはいかにも今の今まで人が使っていたかのようにきれいで、エリオットが灯してもいないのにシャンデリアの蝋燭にはすべて火が灯っている。ジャックと共にデイジーを探すためにこの大階段を上った時はこのように豪奢で明るくはなかった。明らかにおかしい。




「…っデイジーッ!!」




 エリオットが叫んだ瞬間、景色が一変する。

 辺りは一気に暗くなり、先ほどの廊下同様、埃やクモの巣まみれの古びた屋敷へと戻った。しかし、デイジーは変化などなかったように階段を下りる。外で雷が光り、雷鳴も轟いた。


「…ヴルカン…。」


 エリオットがシャンデリアに火を灯す。しかし、シャンデリアの燭台すべてに蝋燭が残っていたわけではないようで、火を灯しても先ほどのような明るさはない。さっきのものは幻影だったか。

 エリオットは警戒しながらら階段を降り始める。先ほどピアノを弾いていたデイジーと再会した時からデイジーには違和感があったのだ。エリオットはデイジーに向かってピストルを構えた。





「…滑稽だな。お前ほどの悪魔でもすぐには乗っ取ることは出来ないのか?」




 その時デイジーの足が止まった。

 広びろとした玄関ホールに、エリオットの声がやけに響く。




「お前、ずっとデイジーの中に潜んでたんだろう?…操ろうとしても操れなかった…。違うか?」

「…。」

「ピアノを弾いていたのはなぜだ?身体慣らしみたいなものか?」

「…。」

 エリオットはピストルを構えたままゆっくりと階段を降りる。

 

 二人の空間で雷鳴が鳴り響く。強くなった雨脚がエリオットの足音を消す。

「…でも、俺たちが来たことでデイジーの意識が再び覚醒してしまった。…それでデイジーを操れるようになる時を待った。」

「…。」

「しかし…、デイジーに壁の文字を見破られて焦ったお前は、デイジーの意識を強制的に落として無理やり今操っている…。

 

 ――…だが、今お前も辛いんじゃないか?」




「…。」

 ピストルの銃口がデイジーの後頭部に当たった。デイジーは未だにぶつぶつと何かを唱えながら動かない。





「――…こいつの信仰心を舐めない方がいいぞ、ベルゼブブ。」



 その言葉を聞くと同時に、デイジーは振り返りながらピストルを持つエリオットの腕を払い、頭に蹴りを入れてきた。それをエリオットは片腕で防ぐと、足首を掴んで、デイジーを引き寄せる。――が、デイジーは崩れた体制から両手を地に着け体幹を支え、自由なもう片方の足で足首を掴んでいるエリオットの手に蹴りを入れ、とらえられた足を奪い返した。

 デイジーはそのまま地面に両手をついたまま後方回転、いわゆるバク転をしてエリオットから距離を取ると、階段の手すりを超えてホールに降りる。

「…っチッ!」


 エリオットもデイジーを追ってホールに飛び降りた。すると、デイジーはホールに飾られていた甲冑から抜き取った剣をエリオットに向かって振り下ろす。エリオットはそれをピストルで受け止めたが、ピストルからはミシミシッと悲鳴が聞こえる。丈夫に作られているため、切り崩されることはないだろうが、長時間は耐えられない。

 しかし、エリオットはデイジーが唱えている言葉をはっきりと聞き取り、にやりと笑った。





「「――…悪に染まりし御心をお許しください。」」




 デイジーと共にエリオットも同じ言葉を唱えた。悪魔祓いの祈祷文だ。

 デイジーの瞳が大きく揺れたのを見逃さない。エリオットは容赦なくデイジーの足を払い倒してその上に馬乗りになると、両手を頭上で固定し額にピストルを構えた。


「…ヴルカン…。」


 二人がいる周りを炎が囲った。悪魔が嫌う精霊の炎だ。

「…狙った相手が悪かったな。…さぁ、姿を現せベルゼブブ…。」
















「…ぐすっ、…どうして?」








「…っ!?」

「…どうしてお兄様、そんなひどいことするの…?」





 エリオットは呼吸の仕方を忘れ息を呑む。組み敷いていたのは、記憶の中にある幼い妹だった。

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