第3話 天使と悪魔に好かれる少女



「――…で?つまりは、5日前に子どもらの霊を見てから、悪事が続いていると?」




 女、デイジー・ローズを先ほどまで自身が横になっていたソファへ案内し、エリオットは向かいのダイニングテーブルのチェアを引いて話を聞く。


 この家に来客用の部屋などない。このリビングと寝室だけだ。リビングと言っても、ソファとその前にある小さなローテーブル、そして二人用のダイニングテーブルしかなく、そのほかは本棚だらけの、人を呼ぶことを想定していないリビングなのだが。

 そんな我が家に、見ず知らずの他人がソファの上に腰かけていることに違和感を覚えつつ、エリオットは会話を進める。



「はい…。初めは気のせいかなって思うような些細なことだったのですが、最近では先ほどのように危険なことにまでエスカレートしてきていて…。」

「で、フォルテミア教会に依頼をしたと…。」

「…はい。」


 しょんぼりした様子のデイジーをエリオットは覗き見る。確かに、腕や頬など肌が見える範囲に傷や内出血が見える。もしかしたら服で隠れていて、これ以上に傷があるのかもしれない。



 このフォルテミア公国には、フォルテミア教会という大きな協会が首都ルミテスにある。すべての神父はフォルテミア教会に属しており、その下の小教会に一人ずつ教会大司という小教会の長が配属されている。エリオットはというと、一応配属はルミテス小協会となっているが、小教会で信徒と関わっている教会大司とは異なり、悪魔祓いをメインとした祓魔師エクソシストだ。


 ちなみにルミテス小協会は、フォルテミア教会と同じ首都ルミテスに建っているのだが、フォルテミア教会がある中心部よりも少し外れた場所にひっそりたたずんでいる。


 まだしっかり読んでいなかった、フォルテミア教会から届いていた『デイジー・ローズ』についての依頼書に目を通していると、デイジーがぽつりぽつりと話をしだした。




「…祖父も、エリオ神父のように祓魔師エクソシストだったんです…。」

「…?」

「私が生まれてすぐに、悪魔に狙われた私のせいで、両親は悪魔に殺されました…。神父だった祖父が助けに来たときにはもう遅かったみたいで…。それから祖父は、神父をやめて、私だけの祓魔師エクソシストとなったんです…。」


 マグカップに入れて渡した紅茶を、両手でぎゅっと握りながら話をするデイジー。その目は申し訳ないという気持ちが滲んでいた。


「祖父と共に、アダゴ村で花屋を営んでいたんです…。でも、1年前に祖父が他界してしまって…。」

「それで悪魔に狙われるようになったと…?」

「はい。…生まれつき、天使と悪魔の両方に好かれているみたいで…。」

「…?…それは誰が言ったんだ?」

「?祖父ですが…。」

「お前のじいさんは祓魔師エクソシストだったんだろう?天使と悪魔、両方に好かれる人間なんてありえない。祓魔師エクソシストならそんな常識分かってるはずだ。」

「…?そうなんですか?」

「あぁ。天使は清い魂が好きだが、悪魔は清い魂も邪悪な魂も両方好きなんだ。だが、天使が好んだ魂は悪魔は嫌い、悪魔が好んだ魂は天使は嫌う。だから、両方から好かれるなんてありえない。」

「…あら…。…じゃあ、何なんでしょう…?」

 頬に手を当てきょとんと小首をかしげるデイジーに、エリオットは気が抜けた。


「あら、じゃないだろ。現状お前は悪魔に憑かれている。一度でも悪魔が好いた魂には天使は寄り付かない。今後天使に好かれることはないだろう。…こんなことがあるか分からないが、生まれた瞬間、同時に悪魔にも天使にも好かれたって話じゃないのか?」

「う~ん…。そういう事なんでしょうか…。」

「…知らんがな。…で?…そのほかに気になることは?あんたの体調含めて問題はないか?」

「…いえ…、だいたいそれだけです。」

「……分かった。だが俺は疲れてる。だから今日は無理だ。それにここじゃ悪魔祓いも出来ないし。明日、ルミテス小教会でやるから、お前はそこに来い。」

「分かりました。お疲れなのにお話を聞いていただき、ありがとうございます。」


 だいぶ不愛想な態度で言葉を放った自覚はある。しかし、デイジーは名前の通り、花が咲いたように微笑みを返してきた。悪魔に憑かれ、怖い思いや痛い思いをしているというのにのほほんとしており、能天気な奴だなとエリオットは呆れながらデイジーを眺める。



「あ、そうだ。重要なことを思い出した。」

「…?重要なことですか…?」

「あぁ。」


 デイジーがあまりにものほほんとしていたためか、エリオットは自身にとって大事なことを忘れていた。急いで仕事用の鞄の中から書類を取り出し、デイジーに乱暴に手渡す。受け取り損ね、ひらひらと目の前でひらめく紙をデイジーはあわあわと掴み取る。その間にエリオットはローテーブルにあった紅茶を勝手に取り上げ、ダイニングテーブルへ移動させた。



「…誓約書…?ですか?」

「あぁ。俺はお前の悪魔を祓う。だが、それは祓魔師エクソシストとしてだ。それ以上でもそれ以下でもない。あんたは絶対俺に触れるな、惚れるな変な気起こすな。仕事内容を変に勘違いするな。それに同意できることが俺が仕事を請けうる条件だ。」


 始めのうちはこんな書類を書かせることに抵抗があったが、今はもう微塵もない。もうこりごりなのだ。所属しているルミテス教会大司にも、その取締であるフォルテミア教会の教皇にも何度ぐちぐち言われたことか。そもそも、仕事相手に手を出したことなんて神に誓ってない。というかそんな暇なんてない。

 それなのに、依頼の度に勘違いした女が教会に押しかけて騒ぎを起こすもんだから、エリオットはうんざりしていた。そこでこの誓約書が役に立つ。押しかけてきた女に誓約書を武器に追い払えるのだ。


 きょとんとした様子のデイジーを無視してペンとインクを渡す。



「ふふっ…。かっこいいと噂のエリオ神父も苦労しているのですね…。」

「…。」


 やはり能天気なのだろうか。たいていの女はこの書類を見た時にショックを受けた表情を浮かべるか、そんなことどうでもいいから早く悪魔祓いしてくれと言った態度をするかのどちらかだ。しかし、のほほんと笑いながらサインをするデイジーは珍しい。

 だが、このサインをさせても依頼の最後には勝手に勘違いして、恋する乙女の目で見てくるのがほとんどなのだ。始めがどのような反応でも、サインさえもらえればエリオットにとってはどうでもいい話だ…――



「…下まで送ろう。ロザリオは持っているか?」

「はい。祖父がくれたものを。」


 エリオットはデイジーのロザリオに手をかざす。一年以上前に他界したとは思えないほど、しっかりと加護が残っており、これならば明日までは問題ないかとエリオットは軽く胸をなで下ろした。


 アパートの玄関先まで降り、デイジーを見送る。このアパートの下で人を見送ったことがないため、エリオットは再び変な感覚に陥る。






(…やはり、なぜ俺の自宅にこいつは呼ばれたんだ…?)


 壁に肩をつけ、デイジーの背をぼんやりと眺めながら考え事をしていると、静かだった裏通りに悲鳴が響き渡った。

 バッと背後と振り返ると、自動車がガタゴトと不自然な動作をしながらひとりでに動いているではないか。その自動車を避けるように人々が逃げ惑う。


 エリオットは急いで視線をデイジーに戻す。

 一瞬、デイジーのスカートを握る少年の残像がエリオットの瞳に映りこんだ。

(まさかっ…!)



「…っ!おい!!あんたっ!!」


 エリオットは叫びながら走り出す。しかし、このざわめく周囲の音も聞こえていないのか、何事もないように歩いているデイジーにエリオットは焦る。


「…くそっ!」






ボフンッ


ボフンッ


ガタガタガタガタ…



 自動車の音が近い。













「おい!デイジー!」

「…?きゃっ!」


 やっと追いつき腕を引くと、デイジーの目の前を自動車が猛スピードで走り去った。






ドンっ!!!!ガシャンっ!!!!





…カランカラン…――








「…エ、エリオ神父…?」

「はぁ…、はぁ…。」


 自動車は住宅へ大きな音を立て突っ込んだ。住宅のレンガは崩れており、自動車も大破し、何かが燃えているのか微かに煙が上がっているのが見える。周りでは泣き声や怒号が響き渡っていた。


 腕を引かれたデイジーはポカーンとした顔をして振り返る。エリオットは、さっきもその顔見たな、と頭では冷静に思いつつも、息が整わない。


「…はぁ、…はぁ…。…教会には、明日、一緒に行くぞ…。今日は俺の家に泊まれ…。」


 女を自宅に招くのはエリオットにとっては不本意ではあったが、すでに家の中に入れた相手だ。それに、思った以上に目の前の女が危険な状況にいることが誤算だった。エリオットはデイジーの腕を引きながら、周りの喧騒を無視して自宅へ戻った。

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