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 古めかしい赤レンガ作りの講堂。通路に敷き詰められた石畳。アーチ状の門構。


 片手のスマートホンに目を落とし、小さいリュックを背負い、松樹勇次まつきゆうじは一棟だけ路傍に離れた建屋に入った。

 

 昭和風情漂う年季の入った下足場に靴を入れ、床張りの軋む廊下へ上がっても、まだスマートホンから目を離さない。

 

 ビクっと体を震わせたのは、視界の悪い足元、親指を上がり框にぶつけた時だった。


「って! ……いって!」

 携帯電話をポケットに入れるとしゃがみ込み、足の親指をさすった。

「これ、折れて……ないか。無いよな、さすがに」


 とても格好の良い状況では無いのだが、この様な時に限って出くわしてしまった。


「何してるの」


 入口に、小柄な少女が立っていた。ざっくりとしたおかっぱの黒髪で、安っぽい銀縁眼鏡をかけ、レンズの奥には途方もなく鋭い眼光、今にも怒りと憎悪を世界中にぶちまけそうな視線である。


 勇次はその視線からさっと目を逸らせた。


「あ、あぁ……うん。なんでも」


「っそ」


 普段から不愛想ではあるが、この日は特別……否、このような不機嫌日は週に一度無いし二度はあるので特別とは言えないのだが、今日がその日である事は明確だった。


 口調は兎も角、睨みつける眼光、所動作、全てに不機嫌さが滲み出ている。


 あまり、深追いしない方がいい。


 勇次は何事も無かったかのように立ち上がり、小さく深呼吸する。

 少女は無言で廊下に上がり、靴も片付けずに廊下を睨みつけた。


 「なぜ、階段が廊下の一番奥にあるのだと思う? ここ」


 突如質問を振られ、緊張した。


 こうした呟きはたまにあるのだが、大して考えもせずに答えると彼女は不機嫌になる。機嫌の良い日で悪くなるのだから、悪い日だと最悪にしかならない。


 適当に。最適に。


「え、えっと……あぁ。確かに、建築学科の奴も言ってたな……普通、玄関側にあるって。動線が非効率だから。でも、昔の建築だと良くあるみたいで、図面と実際に作られたものが違う、とか。そういう時代の建……」


「竣工が1943年。大戦で最も苦しい時期に差し掛かる頃、これはできた。物資の不足する中で、ろくな建物も建てられない中、これは建造された」


 話を切られたのだから、勇次の解答は不正解どころか無視に値するものだったのだろう。


「一番奥に階段があるせいで、二階、三階の非難経路用に外階段が作られている。

 でもあれ、設置されたのは1980年。相当後になってからの話。

 もう一つ。一階から見て階段は一番奥だけれど、二階に上がっても一番奥に三階への階段がある。つまり、三階の一番奥に辿り着くには、廊下の全てを踏破しなければならない。

 そして一番奥の部屋がこの建物の中で最も広い。

 その部屋を、今は私達が部室として占拠しているのだけれど、あの部屋には非常用のドアがあり、外階段も設置されている。

 でもあの外階段も変なの。あの扉の直ぐ先には塀があって、その先は河川の土手になっているから、わざわざ側面を回り込むようにドアまでの外階段が掛かっている。それと、これ」


 少女は、玄関から上がってすぐの壁から見える、焦げ茶色の柱を叩いた。


「えっと……それが」

 少女は数歩進み、また壁に埋もれている柱を叩いた。


「玄関前にこの3尺ピッチで柱が入っている。しかもこれ、3寸柱だから、この階だけの管柱。

 変でしょ? 

 普通こんな場所のこんなスパンに、壁を支えるだけの管柱なんか入らない。本当は設計段階で、こちら側が階段だったと推測できる。もしくは、後々こちらに階段を架け替える事を想定している。この建物はあえて、動線が長くなるよう作られている」


「んんっ……最近は、そういう家もある、よ。リビングを通らないと二階にいけない、みたいな」


「だから、私は調べてみた。その当時、誰があの部屋を使っていたのか?」


 勇次の言葉は、完全に無視されていた。


「鹿山省三、という客員教授だった。当時の在学生に聞いてみたところ、面白い話が出てきた。

 あだ名が『クロウリー先生』。

 この建物は『深紅の祭儀室』と呼ばれていた」


 途端、周囲の壁が真っ赤に見えたような錯覚に見舞われた。

 温度がやけに下がった気配がして、そこを魂でも通り過ぎたかのような、温い風が通り過ぎた。


「教授でありながら、授業実績が一度もない。ここに来るまでは軍人だったらしい。海外から帰国してすぐの赴任先が、ここ。海外って、どこかな? 接触のあった生徒によると、生物、化学に極めて精通した人物だったらしい。軍からも目を付けられていた? 故に、ここは赴任先ではなく軟禁場所であった。玉音放送の直後、姿を晦ました」


 つらつらと無感情に並べられる事実と想像の連語。


 悪趣味な演出だと、勇次は顔を俯けた。


「さて、話は変わり、全共闘時代。闘争委員会とされた組織がいつくもあったけど、この学校の、中でも過激とされた幹部達の屯場所も、やはりここだった」


 ゆっくり話をしながら、一階の廊下、二階の廊下を進む。平時、気にしたことなど無かったが、こうして重い話をしながら歩くと、実に長い道のりだ。


 漸く、お目当ての三階奥の部屋の前まで来た時、彼女は振り返った。


 直視された瞳が、やけに、蔑んでいるように見えた。


「で? この建物の構造は理解できた?」

 勇次は唾をのみ込み、首肯した。

「すごく、長い……廊下が」

「そういう事。入口から誰かが突入してきたとして、ここへ到着するまでに、容易に脱出できる。

 そんな場所で、人は、人々は、一体何をしていたのだろう?」


 彼女は嘆息して背中を向けた。

 まず間違いなく、今日の勇次は不合格だった。


「不自然な物の中で、自然に生まれるもの……。それって、きっと不自然なものなんだろうね」


 如何にも彼女らしい言葉で、この会話を締めくくった。

 彼女の名前は、「相武 聖あいぶ しょう」。

 今、日本ミステリー界を賑わす、超新星のミステリー作家。日本最高学府の大学入学と同時に、大手出版社の新人賞に入選。それも、同時に幾つも。


 狂気的に殺伐とした世界観でありながら、人間の心の闇に土足で迫る作風で、若者を中心に絶大な支持を得ている。

 オマケに顔も美人で、学力も高く、ぶつぶつと語る様が天才風情を醸し出し、今ではテレビ雑誌と引っ張りだこである。


 特に、彼女は活動の幅が非常に広く、大手商社だけではなく、自身で同人活動を行いプロモートも行っている。

 その為の組織が、ここ「ミステリー研究会」でもある。

 本来は、よくある大学のミステリー研究会だったのだが、彼女が売れっ子作家になった途端、後援会となってしまった。


 強要されたわけではないが、自然とそうなった。


 先の彼女の言葉を借りれば、「不自然なもの」の一つではあった。

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