-8- 中庭攻防戦

 廊下でセシリアと挨拶を交わし、食堂まで伴う。

 ここ最近はそれを常としていたのだが、今朝はどこにも見当たらず……あろう事か先に鉢合わせたのは、小一時間振りのキッドであった。


「おはよう」


 思わず逸らしそうになった視線は、何の変哲もないはずのその言葉で彼へと戻る。


「おはよう?」


 側から見れば、ただ挨拶を交わしただけに過ぎぬであろう。……こちらの語尾が飛びさえしなければ。


「そういえば言ってなかったなと思って。セシィは?」

「今朝はまだ見ておらぬが」


 まるで互いに探り合うような雰囲気に思え、少し足早に食堂へと向かう。扉前に立つ衛兵がすぐそこに見えているのが幸いであった。


「へー、珍しい。寝坊か?」


 軽く笑んだ後、彼は自身のこめかみに指先を当てる。一定の律動で叩くような動作に次いで、視線が在らぬ方向を見遣った。


「違うな。その内来るだろ」

「……よもや今ので、場所を把握したのではあるまいな」


 低く問い掛けたところで部屋の前へと辿り着く。扉は開かれており、衛兵が挨拶と共に招いていた。


「地味だろ? ホントはもっとこう、はぁぁぁ! みたいな感じで会得したかったんだけど、雑念入れるなっつって自分が一番集中できる方法取らされてさ……あ、陛下おはようございます。昨日はすん……申し訳ありませんでした」


 恐らくこれまでで最も酷い挨拶の仕方に、賛嘆しかけていた口が大きな溜息を漏らす。


「おはようございます。今朝はお元気そうで何よりですわ」


 女王も別段気に留められぬのが分かっているからこそ、一際嘆かわしかった。

 想像に違わぬ微笑に、私も一礼する。隣で乾いた笑いが聞こえた所で、今一度曲がった背筋を正してやろうかとその顔を見上げる。

 ……が、思いの外、羞恥に晒されているような赤い頬を認め、仕方無く息を吐くだけに留めておいた。


「失礼します! あ、おにーさまおねーさま、おはよー」


 と、背後から息を弾ませたセシリアが慌ただしく入室する。見れば、マント姿に鞭まで携え、額には汗も滲んでいた。


「おはよーセシィ。遅れてもいいから一旦部屋に戻るべきだったな」


 行方を察していたらしいキッドが苦笑しつつ、彼女のマントの裾を持ち上げる。……間髪入れずに払い除けられていた。


「何言ってんのよ。食べてちょっと休憩したら二人も来るんだからね。……だからおねーさま、気持ち少なめに飲んで欲しいな」


「話が見えぬが、首からの摂取で少量などと不満を募らせれば、歯止めが効かぬやも知れぬぞ」


「はあ? 本末転倒じゃねぇか。やっぱ首解禁ナシにしようぜ。……つーかセシィが勝手に言い出しただけだよな。俺関係なくね?」

「やーねぇ。道連れ……じゃなくて、こういうのは協力するものでしょ」


 言葉交わしつつ各々テーブルの前に立ち、女王の着席を確認してから皆で席に着く。


「うふふ、今朝はファルトゥナも楽しそうね。……その調子なら、明日も大丈夫かしら」


 後半は静かに溢し、彼女は誰の返答を待つでも無く食前の祈りを捧げた。……少しばかり哀愁を帯びているのは気のせいでも無かろう。


 恐らく、皆で朝食をとるのは今日で最後となる。


「そういや……出し抜けに失礼、陛下。後で少々お付き合い頂いても?」


 と、スープを口にする直前、珍しくキッドが女王へと誘いを申し出る。


「あら、何でしょう」


「ご相談というか、売買で構わないんで少し食料を分けて貰えないかと。港の市場は素通りするつもりだから、先の地に行く分まで……いや、船でも食えるか。明日の分だけここで調達出来たらと思いまして」


 ……。

 本当に、無遠慮な男である。


「勿論ですわ。代金は結構よ。先の長い旅路ですもの、取っておいて下さいな」


 穏やかに話す女王。浮かぶ表情は恐らく笑顔であろう。

 だが、他に含まれる何かがあるように思え、私はその顔を見る事が出来なかった。


「ありがとうございます。……つーわけでセシィ、先にファルトと中庭行っててくれ」

「いいけどそれ、マリス様じゃなくても良くない?」


「あー……礼儀作法に厳しい目の無いトコで、たまには陛下と二人で話したいっていう、一般人の愚見にも御配慮願いたいかな」


 皮肉のようなそれに、珍しく押し黙るセシリアをちらと見れば、何故か目が合う。不可解故にキッドへと視線を移せば、彼とも目が合った。


「?」


 青菜を飲み込みつつ再び彼女を見れば、キッドを捉えたまま揺るいではいない。……彼の視線もまた、セシリアから外された様子は無かった。


「ふふ、そうね。私もお話したいわ」

「失礼があったらすぐに仰って下さいね」


 違和感とも呼べぬ些細な何かが過ぎったように思えるが、分厚な肉と共に切り分けていく。


「多めに血抜きすれば動きを鈍らせる事も可能です。必要とあらば何時でも」

「ンな事したら余計頭回んねぇよ。お前らホント、俺を何だと思ってんだ」


 こちらとは逆に、然程切り分けぬままの肉を乱雑に刺し、文句を垂れながら頬張るキッド。

 その様が全てを物語っているように見え、本当に失礼が無ければ良いがと、私は再び小さく溜息を吐いていた。





 衛兵らの奏でる金属の音や衝撃音が、まばらに雪残る中庭へと響き渡る。セシリアと二人、感想を交えながら遠目に眺めていると、比較的近い箇所で唐突に術の詠唱を捉えた。


 聞き覚えのある低音、不快感の過ぎる流れ。合わさるそれにより、長椅子に預けていた身が跳ねるように退く。


「おねーさま?」


 方向は恐らく背後。そこから全速力で以て距離を取る。

 予想に反せず、小さく風を切る音が耳を掠めていた。


「ん? 束縛の術?」


 早くも距離を詰めていたらしいそれの正体。セシリアの呟きで確信に変わるも、最後の跳躍と共に射程外へと持ち込む。


 前転で受身を取りつつ視界に映せば、光の輪がその効力を失い、地へ逸れり込むように消えていった。


「やはり、彼奴の詠唱は無駄にやかましいな」


 一人溢して立ち上がり、付着していた雪を払う。少しばかり土の混じるそれは、白の衣服に薄い汚れを伸ばしてしまった。

 顔をしかめつつ長椅子の方へと戻り、ようやっと姿現したキッドを睨んで不意打ちを窘めてやる。


「面倒臭ぇから動き止めてさっさと終わらせようかと思って。どうせ一汗掻いたんだろ?」


「もー。おにーさまは何もしてないでしょ。ただでさえ動かない魔道士の体力を付けてあげようっていう領主の娘からの配慮じゃない。始める前から終わらせないでよ」


 どこかで聞いた言い回しに次いで、長椅子から勢い良く立ち上がるセシリア。冷えてしまった身を解すように、手足を捻らせている。


「俺に至っては精神ばっか擦り減るんだよ。武術士や鞭使いと一緒にしないでくれ」

「あ、じゃあおにーさまの精神力を削り取れれば必然的に勝てるってことかな?」


 あからさまな挑発と共に一礼し、唐突に鞭を振るう。

 少々驚きつつ後方へと下がり、キッドも詠唱を始めた。


 流れで判別するならば、恐らくは彼奴が得意とする火炎の術であろう。自身も参戦するか否かを悩んだ末にあれの完成速度を思い、とりあえずは留めておいた。


「バーンフレア!……そうだけど、そうじゃねぇだろ!」


 挑発を聞き流すことは出来なかったのか、発動に次いで無駄口が叩かれる。

 やはり、思うよりも早く撒かれた炎。それがセシリアの周囲を走るかというところで、彼女も術を発動させていた。


「ウインディスタ!……だったら、短剣の一本でも持てばいいのに」

「おぉっ?」


 放たれるは強風。最後の手印で炎を巻き込むように象れば、大きく火柱が立ち昇って上空へ向かい消え行く。


「セシィお前、飛翔の術は使えねぇつってなかった?」


 あれが飛翔の術? 自身を舞い上げるだけでは無かったのか。


「使えないよ」


 炎が消える直前に駆け出していたセシリアが再び距離を詰め、次の術を唱え始めるキッドへと薙ぐように鞭を振るう。


 若干の目眩しとなっていたのか、反応遅く後方へ跳ぼうとしていた片足に、鳶色が巻き付いた。


「正式にはね!」


 掛け声と同時に強く引く。……が、すんでの所で鞭を握り返したキッドも、同じく自身へと引き寄せているようであった。


「!」


 声ならぬ驚愕に次いで、即座に己の得物を手放すセシリア。


「ほわっ、てえぇ!」


 恐らくは彼女の体勢を崩せると思うていたのであろう。勢い良く跳ね返る鞭の柄を顔面に受け、キッドは奇声をあげていた。


「ふふ」


 傍観に徹していた身が、知らず吹き出してしまう。

 しかし、どうやらまだ術の中断には至らぬようであった。


「ウインディスタ!」

「ひっ……」


 得物失くせば必然と術に頼るしかない彼女だが、先に唱えていた巻き舌に敵うはずも無い。

 今度はキッドが、飛翔の術と思わしき風を放っていた。


「なるほど、大風の術より調整が利いて、ちょっとだけ好きな場所にぶっ飛ばせるんだな」

「いやぁぁぁぁ!」


 聞くに珍しい悲鳴が、白藍しらあいの空に響き渡る。先程炎を巻き上げた手法を、身を以て体感しているようであった。


 中々に面白い光景ではあるが、知らぬ間に足が動く。

 地を蹴り彼女の下方で一度踏み張ると、その身目掛けて大きく跳躍し、強く抱き止めた。


「やあぁぁぁ! 今度はなにぃぃぃ!」

「口を閉じろ。舌を噛むぞ」


 ふわりと舞う風の流れが掻き消えた瞬間、今度は勢い付いて下降する。再び悲鳴を上げかけたその口を咄嗟に自身の胸へと押し付け、少しだけ均衡を崩しつつ彼からは離れた箇所に着地した。


「ふぶ……ありがふぉ……」

「息女に何たる仕打ちか。アレキッド=ラバングースよ」


「あのさぁ。嬉々として仕掛けてきたのはどっちだよ。俺も鼻痛ぇんだけど」


 自身の足元に落ちていた鞭を拾い上げ、小さく巻いていく。解けぬよう丁寧に纏めてから、こちらへと投げて寄越した。


「あと、ここでの手出しは野暮だったな、ファルト。落ちる前に自分で浮遊出来てこその手練れだろ。……なぁ? セシィ」


「……いいもん。おねーさま格好良かったもん。おっぱい大っきくてふわふわだったもん」


 鞭を受け取り、口惜しげに再び解いてゆく。


「……。そりゃ良かったな」

「……。お前に落とす気が無い事など端から知り得ておる。だが、敵対者に救われるなど二重に苦渋。……そうであろう? セシリア」


 私はそれを回避したまでだと、肩を竦めてマントを背に流す。


「うぅ、説明されればされるほど恥じゃない……もうやめてよぉ」

「ふわふわとか余計なコト言うからじゃね?」

「おにーさまへの当て付けのつもりだったのに……」


「ははは、なるかよ。こちとら」


 じかにと続きかけた所で、私は強く地を蹴り出す。

 勢いのまま拳を繰り出し、腹部目掛けて撃ち出した。


「何の真似だ」

「わ、悪ぃ……」


 半ば予想はしていたが、直撃はおろか次いで放った二撃目すらも、魔道士にしては中々に軽い動作で以て弾かれる。


「ちょ、ごめ、口が滑っ」


 聞き流し、三撃。今度は死角から横腹目掛けて膝を繰り出した。


「いいいたい! ごめんって!」


 見えてはいたようだが体が追い付かぬのか、弾き切れずに妙な身の捻りで背に食らう。


「術を唱えぬようなら、我が身は下せぬぞ」

「あっ、はいっ」


 ……動転しておるのであろうか。慌てふためき紡がれるその顔を一瞬だけ見据える。


「唱えはさせぬがな」


 が、すぐにその口を掌で覆い、もう片方で手印を切った。


「ナぶっ……は、レウィリィ――」


 しかし、そこは慣れた手付きで一息の間に抜け、再び手印を織り成して向かい来る。

 距離を取るかと思うていたが、肘でも撃ち出されそうな接近を嫌い、こちらが大きく後退する事となった。


「アトゥランガスト!」


 聞き慣れぬ術に、身構える。

 次の瞬間、前触れなく足元で爆風のようなものが起こり、目を閉じる間に高く吹き飛ばされていた。


 先程のセシリアよりは低いが、それ故に均衡が取り難い。加えて爆風の勢いに遊ばれたまま妙に回転し、地への方向を見失う。


 恐らく、落ちたとてそこまでの怪我を負う事も無かろう。ともすれば、キッドが今唱えている術こそが“それ”なのやも知れぬ。


 だが、賭けだとばかりに、私は大きくその名を叫んでいた。


「セシリア!」

「フューウィング!」


 ほぼ同時に放たれた術が、我が身を空に留まらせる。


「良い! 解け!」


 すぐさま体勢を整えて合図を送れば、重力が戻り、着地と同時に再び駆け出した。

 彼の術は一度途切れた。やはり、同じく浮遊の術を唱えておったのであろう。取り急ぎ何か唱え出したようだが、如何に速度を誇ろうともこちらの攻撃が先に届く。


 ……が、決着がどこにあるのかも見えぬ故、とりあえずは手印刻む両の腕を掴み、後ろ手に強く固定した。


「あぁもう! 絶対、二対一になると思ったんだよ!」


「ただの運動と明確な殺意では勝手が違う。……私が下される瞬間も幾度とあった」


「……お? おう。つーか俺も、お前に近付かれた時点で頭割られて終わりなんだろ?」

「ふふ、相違無い」


 一段落ついた雰囲気に次いで、彼はセシリアへと呼び掛ける。先程まで構えていた鞭の先端を力無く地に落とし、呆れた表情を浮かべているようであった。


「腕掴まれても、あたしは諦めなかったけどなぁ」

「ファルトをどうにか出来たとして、お前が控えてるの見えてんだよ。不利すぎんだろうが」


 確かに、両の手塞がれた次に彼女が取った行動は頭突き。……だからこそ、キッドに関しては後ろ手に自由を奪った。彼が同じ戦法を使うとも思えぬが、もし仮に……――


「……」


 不意に、握る手に熱が宿った気がして、静かに解放する。


「そもそも、こっちは近距離大の苦手なんだよ。見えても速く動けねーし。魔物なら燃やすか凍らせるか埋める、人間生け捕るなら束縛と眠りの合わせ技。……それがダメならもう、吹っ飛ばすしかねーだろ」


「なぁんだ、精神削り取るまでもなく勝てるのね」

「言ってろ。少なくとも最初に吹っ飛んだ時点でお前の負けだよ。弱点あるならそこを重点的に補え。……俺だって手か口封じられたらおしまいなんだよ」


 どうやら、不機嫌さがそのまま口数に転じているようである。

 セシリアは特に気に留めるでも無く、腕を組みつつ自身の唇に手を当てていた。


「だから、短剣くらい持てばって言ってるじゃない」

「……俺にとって刃物は調理道具でしかねーよ」

「ふーん」


 言いながら、何か考え込むように視線を逸らしている。

 キッドの話を聞いている風には見えない。


「そっかぁ、そうだよね。じゃあ今日は、飛ばされても動じない修行にしよっかな。おにーさま、付き合ってね」

「はあ?」


「やっぱドルクオーガ瞬殺してるだけじゃ、そういうの学べないもんね。……あ! あとその、口塞がれてもすぐ解ける技教えて!」


 ……瞬殺?


「ドル……え?」


 同じ箇所が気になったのか、顔を引き攣らせ、詰め寄る彼女から僅か後退するキッド。


「そう言えば、その娘は鞭一つで意識の無いお前を舞い上げ、巨体とも言えるべき竜の首を垂れさせていた」

「げ」


 私達の会話すら聞いていないらしく、胡桃色の目を輝かせ、あれもこれも修行対象だなどと一人で頷いている。


「大体転ばせて絞め殺すから、口塞いでくる敵なんて居なかったんだよねぇ」

「……」


 皆が皆、一撃必殺を有する中、全力で対峙すればどうなるのであろうか。

 ドルクオーガの首に鞭を巻き付け、妖しく笑むセシリアを思い浮かべ、腕に自信はあるはずの身が戦慄く。


 術云々より、何があろうと鞭を手放さぬ事に重きを置けば、それだけで十分なのでは……。

 思い、やはり傍観に徹しようと長椅子へ向かう。白藍の空に陽の光が透け、また少しだけ雪が溶け出しているようであった。


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