-4- 話さないで

「……ですかぁ? 思い出だったんですよねぇ?」


「ティレスト、お前それ本気か?」


「ラバングース、これ以上は無理」

「ああ、それでいい。また何か被せとく」


 ?


「乾かさないんですかぁ?」

「呼ばねぇよ。お前らもさっさと消えてくれ」

「えー……久々の糧、もう少し堪能させて下さいよぉ」

「ルイ、行きましょ」


 霞みがかった頭のまま、緩やかに身を起こす。

 横手にあった窓の外を見遣れば、海の向こうは薄暗くも明け方近い空色のようであった。


 室内は未だ夜のように暗いなと呆けていると、突如強い光源が辺りを照らし、眩しさを嫌って掌で影を作る。


「お? おはよう」


 ランプを手にキッドが入室したのであろう。近付く光に目を薄めていると、それは何かの上に置いて、突如ベッドに重みが掛けられていた。


「こらこら、ちゃんと隠さなきゃダメだろ」


 何が?

 そう問う間も無く、上げたままの掌が掴まれ、もう片方の手が空かさず後頭部に回る。そのまま引き寄せられたかと思えば唇が塞がり、有無を言わせぬ侵入。……訳も分からず身が跳ね、逃すような吐息が無意識に漏れた。

 次いで、手首にあった手がさらりと素肌を滑りゆき、包むように胸を――


「!」


 そこでようやっと覚醒し、瞬時に目前の顔を両の手で挟んで押し遣る。頬から小気味好い音が響いていた。


「いっへぇ」

「お前はっ……無遠慮が過ぎる」

「らっへ目の前にあっはら……とりあえず揉まなきゃ勿体ねぇだろ。血に置き換えてみろよ」


 そう言い、折り畳まれた赤い衣服が差し出される。

 強気に言うことかと悪態を吐きかけ、後者に関しては確かに弁解も出来ぬ様を思い、ただそれを受け取った。


 干した覚えなど全く無いのだが……何もかも此奴の所為という事にしておこう。


「続きは?」

「ふざけるな。旅に支障を来す気か」


 掛布を胸元へ手繰り寄せながら、今度こそ強く睨む。


「“満たす”の間違いじゃね?」


 変態がそううそぶいた瞬間、ベッド上へ乱雑に放り出されていた黒い衣服を引っ掴み、緩み切った顔面へと押し付けてやる。


「はぶっ……これだけ最適な場所、他にねぇのに。次からは壁の薄さとか気にしなきゃなんねぇんだぞ」


 性懲りも無くこちらの髪を梳かすように流しては頬に触れ、口端を吊り上げるキッド。

 何とも返せぬまま、ちらりとその紺碧を映し、けれどすぐさま下方へと視線を逸らしてしまう。


「はは、仕方ねぇな。んじゃ、ちょっと早いけど飯食うか。昨日のキノコとラチェの実使うからまた赤いけど、全部パンに挟んでいい?」


「……シジュの実だけでも良いが」


「却下。飲む量増やされちゃ困るし」


 苦笑と共に顔が迫り、耳裏の首筋に軽く口付けた後、名残惜しそうに立ち上がる。

 何やら不満げな声を発しつつ衣服に袖を通し、部屋から出て行った。


「……」


 溜息と共に、強張っていた身を緩やかに解いていく。


 かつて、節度がどうのと律していたのは一体何であったのか。まるで降り注ぐような擽ったさに、どう対処して良いものか見出せぬ。


 意識定まらぬ宿では感じ得なかった事だが、兎にも角にも彼奴は不必要に喋り過ぎる。……それも、圧倒的に余裕の無い我が身に対して。

 まるで、羞恥に喘ぐ様を見て楽しみ、その上で虐げられているかのようで、歯痒さばかりが募る。


「……次……」


 未だ燻るように残る感覚に身じろぎしつつ、私も出来るだけその場で衣服を着用し始める。


 それよりも何か、他者との会話があった気がするのだが。

 夢とも思えたが、馴染み無くとも聞き覚えのある声……もしや精霊であろうか。


 そう思い至った所でベッドから出で、調理場方面へ視線を送りながら、足を通すものを素早く履いていく。

 北部屋の此処からでは、テーブルすら見えなかった。


 鏡で確認したいが、未だ複数ある白布のどれがそうであるとも限らず、仕方無くブーツの紐を締めて部屋を後にする。

 廊下と呼べるやも知れぬそこに立つと、すぐに違和感に気付いた。


 麻布が、無い。


 しかし直視出来ず、視界の端に映すように色を見る。食堂の明かりだけでは薄暗いそこは、他よりも闇が濃厚に感じられるようであった。

 決して狭小では無いその範囲。その量を明確に想像しかけ、断ち切るように首を振る。


「護りの結界つーモンがあるんだけどな。アレ張ってると、もう一つのと違って眠れねぇのよ」


 振り向かぬままに、調理場から唐突な声が掛かる。背中越しに、茸を薄く切っているのが見えた。


「それを連日、魔力が底付いても無理矢理捻り出して、ついにぶっ倒れたんだよな」


 ああ。もしや、話そうとしているのか。“その瞬間”を。


もうろうとする意識の中で、ゴメンとかアリガトウとか……色々聞こえてきてさ」


 私は聞きたく無い。それを知ろうが知るまいが、お前から離れる事は無い。だから――


「そっから気が付いたのは、二日位経った後かなぁ」


 何の清算にもならない。救いを与えてあげられない。だから、話さないで。


「胸刺して……失敗したと思ったんだろうな。首にもナイフ入れて、最終的に腹を二、三」

「キッド」


 名を以て、ようやっと話を切る事が出来た。


「手が止まっている」


 もはや、手遅れのようではあるが。


「…………。ああ。ごめんな」


 調理が再開されるのを見届けてから、音を立てずに“そこ”へと赴く。湿り気のあるその場へ跪き、漆黒の染みへ両の手を付いた。


「シェーラ」


 気取られぬよう小さくその名を溢す。口元はまるで、慈しむように笑みを湛えていた。


 やはり、想像たるに痛ましく、凄惨で……何と美しい最期であった事か。

 私がその場に居れば、床を汚す前に全て取り込んでやったものを。血色移らぬこの手が口惜しい。しかし、そうで無ければ卑しく舌が出てしまう。


 ああ、だから聞きたくは無かったのだ。性を乱りに突くなと言うたではないか。

 血を思わせる様を吸血鬼に話せど、得られる感情は悲観や同情などでは無い。この漆黒が全て赤に染まっていた瞬間を思えば、更に愛おしい。


 意識の無かったはずの彼が詳細を知り得ているのは何故か。腹部にナイフが残されていた上での逆算であろうか。それとも、精霊から全てを聞き及んだのか。

 巡るそれらを、本当はもっと思い描いていたい……。


 笑みと称するには歪な口元。次いで映る闇が明るくなり始めたように思え、ひとたび目を閉じる。深く呼吸を整えて、無臭である様すら惜しみながら立ち上がり、テーブルへと歩み出した。


「私を此処へ赴かせたのは、ずっと内から語り掛け、時に我が身を操っていた女だ」


 こちらこそ唐突に語り出し、椅子を引いて腰掛ける。向こうの手元はまた、横半分に切ったパンを手に止まっているようであった。


「名はアーシュレイン=リリス=イグレシア。ドルクスやダルシュアンを襲った吸血鬼であり、リリスの前世に当たる者だそうだ」


「何でそんな奴が……ここを知ってんだよ」


 ナイフを持つ手が、僅かに震えている。

 ……そう言えば、接近戦を不得手としておりながら、短剣を持つ事を嫌っていたな。

 その背景へ再び思い馳せる前に、次なる言葉を放つ。


「彼奴はそもそも、お前を知り得ておる。複数人と思うていた心内の声は全て、その者が真似ていたそうだ。どうやら、私だけで無くお前をも欺く為に」


 何で、と。再び小さく呟いて、下部のパンに赤い茸と二種の実、干し肉を並べて上部のパンを被せる。

 木皿に乗せられたそれは二つ目であり、後はこちらへ運ぶだけであろう。


「魂と共にリリスとして……ヒトとして世に還るはずだったのを、お前が留めたらしい」


 岩の地の大樹へ。

 そう言いながら私は再び席を立つ。呆然と立ち尽くすそれの横へ並ぶと、桶に掛けてあった手拭いが目に付いた。

 何を思うでも無いが、水に浸してから絞り、掌を軽く拭き取ってから木皿の一つを手にする。


「頂いても?」

「……どうぞ」


 視線を空へ彷徨わせたまま、言い渡される。

 受け取り、席に着いて、そう言えば昨晩はする間が無かったなと食前の祈りを捧げ、いつかの彼のように齧りついた。


 具材は昨晩と同じ筈だが、シジュの実による緩和なのか、それとも小瓶は使わず仕舞いなのか。して辛味を感じる事は無かった。


「あれが望むはひたすらに解放であり、お前があの地へ赴く事だ。だが、共に在らぬ様を憂い、透けた手一つで私に鬼の翼を生やし、此処まで飛ばした。カノンがどう伝えたかは知らぬが、此処ならば放ってはおかぬと見越していたようだぞ」


 女はカノンに行先を伝えなかった。此奴の捜索範囲の程は知り得ぬが、それを頼りとしても数百では桁が足りぬ距離となる。果たして本当にそれが可能な魔道士であり、女もそれを把握していたのか、単に予測として此処へ直行したのか。

 もはや、追求する気は無い。


「キッド、一緒に食べよう」


 そう溢した所で、まるでカノンのような言い回しだなと、僅か顔が緩む。

 後に続ける言葉も、何とは無しに真似てみた。


「食べたら、行こう」


 ……余り似ていないなと、はみ出している茸を引き摺るように齧る。


 恐らく、この地を出るまで、彼は度々不安定となるであろう。今、まさにそうさせたのは他でも無い私なのだが、申し訳ないがこちらにも余裕が無い。心よどませ、それでも繋ぎ止めるしか無いのだ。


 何かが絡み合い、それでも一本の線で繋がりそうな様が歯痒く、恐ろしい。

 キッドはあの女の事を知らぬままに留めたのだ。あの地へ、あの樹へ、彼にとっては別の何かを。


 私の中に、キッドを知る者。

 シェーラとするならば、女は……アーシュレインは、それをも真似ている事になる。では何故、彼女らに繋がりがあるのか。それとも、同一と見るべきなのか。そうで無ければ、何とするか。


 そこへ深く思い馳せればもう、心濁り切るのは私であろう。


「港へ戻って、セシリア達と合流するか」


 席に着き、黙々と食すキッドに声掛ける。


「……あいつが催促に気付いて召喚出来るなら、精霊に言付けられるけど」

「ならば岩の地で落ち合おう。……あれも、根付く呪いの一つだ」


 それを解放すればどうなるか。

 今となっては余り、考えたくは無かった。


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