-7- 終わりと、覚悟

 大剣が、鮮やかに舞う。

 重量のあるそれは両の手に収まり閃くものだが、時として片手で振るう様は、その力点や作用点を理解し、己が物としているに他ならぬ。


 かつて腰に携え、引き摺っていたあの頃から随分と成長したものだと、黒い獣の脇腹に拳を減り込ませながら感心していた。


「カノン!」

「分かってる!」


 弾き、向こうへと倒れ込む獣へ白銀の刀身が振り下ろされる。

 首を搔き切られ、間を置いて地へ伏す黒毛から、山間の水の如き秀美な赤が湧き出ていた。


 ……砂は良い。口惜しくもあるが、目を奪うそれで泉を作る事も無く瞬時に閉じ込めてしまう。


「ルーナ、後ろ!」


 それでも気は削がれているらしく、度々声掛けられては死角から猛進してくる獣を寸前で避ける動作を繰り返している。


「任せて!」


 まだ囲まれていた頃、一度だけ諸に食らってしまった。

 飛ばされた先の獣はカノンが斬っていたので事無きを得たが、どうもそれ以降、彼の動きが目に見えて俊敏且つ的確になっている気がする。


 退いた私の後手から獣へ向かい、切っ先をその額へ、一切のぶれも無く迎え撃つ。既に三度目となるその戦法は、ようやっと身を結んだかのように、絶妙な角度で獣の額を割っていた。


「ルーナ見て! できた!」


 まるで、パンに多肉植物と卵を挟めた時のような……否、ともすればそれに輪を掛けた笑顔にて青碧の目が輝く。剣に付着した血を振り払いながら喜ぶその様に、何とも言えぬ思いが胸を掻いた。


「ああ、見事であった」


 それでも、賞賛に値する事には相違無い。元は私が眉間に拳を入れたのを真似ているだけなのだから。


 横たわる獣の数は、以前相手にした倍程か。止めを刺したのは全てカノンだ。頭さえ砕ければ私でも討ち取れそうだが、大剣の獲物とする方が遥かに容易であった。


「ルーナも強かった。敵、切りやすかった」


 そして恐らく、彼は守る戦いに適している。自身だけに限らずこちらの動きをも把握しながら動く様は、正に天性と言えよう。


 信頼のもと、我が身を任された理由がよく分かる。


「それは良かった。セシリアとの約束も果たせたであろう。……いい加減、町へ戻れ」


 辛うじて薄ら見えるそれを示し、私は再び砂地を踏み出す。足を取られるのにも多少は慣れてきていた。


「ルーナをひとりにしないのが約束。……帰ろう。砂は本当に危ないって、キッド言ってた」

「……。早う戻らぬと、セシリアが心配するぞ」

「カノンよりルーナが心配。この先にも獣居る。一人じゃ勝てない。……どこ行くの?」


 お転婆のように言葉連ねるその様に、ふと息が漏れる。


「……何処にも」


 言い立てるのも、平然と振舞うのも億劫となり、憮然たる声音が溢れた。


「傍らの子に伝えておけ。この身奪わぬなら使い潰すまでだと」


 言うてやると暫し黙し、次いで砂を舞い上げる風の音に乗って辿々しい声を発していた。


「……ちがう、の、……る?……ルーナ、さま」


 ……。


「リリスはずっとお側に居たの。あの人がリリスの真似をして、ルーナさまをだましているの。リリス、体なんていらない」


「……今更知り得た所で、私に抗う術は無い」


 それをもっと早う知れたとて、何が出来たというのか。


 低音にて紡がれる幼子の言葉を背に、砂地を突き進む。


「いかないで。みんなと逃げて。今はとても近いから、そっちに引っ張られて居ないだけなの。……ゴタイ……五大陸じゃない……もっと遠くへ行けばきっと、あの人もついてこられない」


「……そうか、ならばその引っ張られた先とやらへ赴けば、彼奴が全てを奪ってくれるのだな」

「だめ!」


 自嘲と共に漏らした所で、訳す間も無く声が上がる。


「……ルーナ、ついて来るやつは涙が出ない。でも多分、そいつはずっと泣いている」

「カノン、今戻らねば、今後セシリアと会う事が出来なくなるぞ」

「セシィを出せばそっちに行くと思うな! 離れたらルーナはどうなる! カノン、その笑い方きらいだ! みんなそうやって消えていく!」


 声音だけで感じ取ったのか、激昂してはこちらの腕を強く引き寄せる。


「ルーナに会えなくなるのも嫌だ! みんなと旅が出来なくなるのも嫌だ!」


 感情のままに綴るそれが、先程の光景と重なるようであった。


「叶わぬが故に此処に居る。全てを拒んだのはキッドだ」

「キッドも、ルーナと離れるのは嫌がってる!」


 その瞬間、力任せにその腕を振り解いていた。

 睨め付けるように向き直っては、我儘ばかりを連ねる子へ言葉浴びせる。


「なら、どうして!」


 怒りにたぎる目を思い見た青碧は、けれど、ただ悲しみに塗られているだけだった。


「どうして……私を遠ざけるの」


 怒りに到達せぬ内に、視線を落とす。

 私の事が分からないと言った彼の、その思いこそが理解出来ない。


「昨日、キッド言ってた。砂の地をまわりきる頃、ルーナの旅は終わるって。そしたらみんな、要らなくなるって」


 言われ、そうなってしまう理由を思案する。

 姉様を見つけられれば、私がそこへ留まると思っているのだろう。……そうだ。かつて一度だけそう溢した。余生を共にしたいと。


「キッド、それを見るのが怖くなった」

「だからと言って、あんな終わり方……」


 もはや目的はそこに無かったのに。許されるなら彼らと旅を続けたい。誰に語るでも無かった事だけれど、心に決めたはずだった。


 伝えられていれば、変わらず隣で笑い合ってくれていただろうか。今となっては何が最善だったのか……彼を求めても拒絶されてしまった私に分かるはずもない。


 残ったのは、姉様を探し求むその目的だけ。けれどもう、かつてのそれすら失おうとしている。


 全てを見る術は今、目の前にあるんだ。


「カノン、教えて。私には誰が付いてきているの? リリス……金髪の少女以外に」


 何の恐れも抱かぬまま、滑るように言い放つ。

 後は認めるだけ。それできっと、全部終わる。


「いえ、他はどうでもいい。髪の色は紅。背は私より頭一つ分程高い。……その女性を一度でも見たかどうかだけ答えて」


「見てない。ルーナについてくるのはその子供一人だけ」


「そう。なら、その子供に行方を訊いて。彼女は姉様のことを“もうずっといない”と言ったの。最初は生きていると…………ああ、違う。“死んでいない”と言っていたのだわ」


 そうか。初めから、偽りに非ずとも真実では無い言い回しで私を翻弄していたのね。

 果たされるべき目的なんて、最初から何も無かったんだ。


「お宿のお話、聞こえていたの?」


 下方に視線を送り、カノンの口が動く。険しい表情をこびり付かせたまま、少女の言葉を紡いでいるようだった。


「リリスの声が聞こえたのは、お城だけと思ってた」


 お城?……ケトネルム、だけ?

 血を取り込んで、私の中で生き続けていたのではないの?

 それとも、リリスの真似をする者とやらが最初から全てを騙っていたとでも?


 確かに、この地で微睡んだ際に聞いた声はリリス本人に思える。引っ張られて居ないという現在なら、あれは少女本来の声なのだろう。それに、言葉選びがとても彼女らしかった。


 ……それを、聞こえていなかったと思っていたのなら。心内で応えていた私の声も届いていなかったのだろうか。


「そう……なら、“死んでいない”と言ったのは、貴女じゃないのね」


 彼女は私の中には居ない。……死者の声は届かない。今もずっと、私には何も聞こえていないじゃない。


 死なないで、消えないでとケトネルムでは必死に訴えていた。自身を殺めた怪物に、今でも大好きと、かつての無垢なままの声音で――


「……」


 初めから私を憎んではいなかったのなら。何にも憚れず、もっと未来を語っていたのかも知れない。


 リリスにも、皆にも。


「ビアンカさまはもう、生きていないよ」


 頑なに“死んでいる”と言わないのは、自身も認めたくないからなのか。


「……ありがとう、カノン」


 息をつき、再び歩み出す。向かうべき道は決まった。後は、偶然あの女の所にでも行き着くか、辺りの獣に引き裂かれるのを待てばいい。


「ルーナ、そっちは町じゃない」


 透かさず、砂を踏み締める足音が付いてくる。砂塵が巻き起こっているようだが、町はまだ見えているのであろうか。


「直に、この辺りのにおいを嗅ぎ付けて新たな獣が来る。数も増すであろう。カノン、選ぶが良い。一人生きてセシリアの元へ帰るか、このまま私と死地に赴くか」


 そう言い放てばまた、咎めるように腕が引かれる。


「私はもう戦わぬ。なぶり殺される最期でも看取ってくれるのか?」


 くつくつと笑うこちらに対し、力を強めてくる。


「選ばない。一緒に帰ろう」

「……くどい」


 目を細め、腕を逆手に取る。振り向き様に懐へと入り込み、萌葱色のマントごと胸倉を掴んで、大きく背負い投げてやった。


 衝撃の少ない砂地とは言え、自身の鞘ごと背を打ち付けられ、カノンは痛みに呻く。


「吸血族はあらゆる身体能力を有する。竜族がそれに匹敵せぬのなら、お前に私を止める術は無い」


 後頭部に関しては、自身が背負う剣の柄が当たったらしい。顔が苦悶の形に歪んでいた。


「世の中、欲をかけば結局どちらも得られず最悪の一途を辿る。愚者と成り果てたく無くば、引き際をわきまえよ」


 身を起こせぬそれに背を向け、砂塵に覆われ始めた景色へと踏み出す。こうなればもはや、人の姿を捨てて上空から町を探す他無い。


 そして更に好機な事に、向こうから黒き塊が群れを成して近付いてきている。


「カノン。このまま行っても、私はいずれ飢餓に冒される。極限ともなれば、貴方までもを食い殺してしまうでしょう。……我儘は承知よ。鬼として討たれる前に、せめてヒトのまま静かに絶えさせて」

「ぜっ……たいに、いやだ!」


 持ち直したのか、背後で金属の擦れが響く。

 彼も気付いたらしく、私の前へと躍り出ては盾となるべく剣を構えていた。


 ……やっぱり、当たりどころが悪かったのね。

 その空色の後ろ髪が、僅かながら赤に彩られている。


「カノン、強い! もう誰も死なせない! 飲みたくなったら飲め! カノンも死なない!」


 相変わらず願望ばかりを連ね、雄叫びすら上げて漆黒の群れへと突き進む。

 けれど、先程とは状況が違う。渦巻く砂塵が視界を奪い、切っ先が惑う。纏わり付く熱風が肺を侵し、動きを鈍らせる。一刀両断を得手としていたその剣は、獣の横腹を薙ぐだけに留まっていた。


 加えて、数も多い。思い思いにカノンを囲んでは、距離を詰めつつ飛び掛かる隙を狙う。……その内の一体がこちらに気付くのなんて、時間の問題だった。


 意を決するように、息を整える。怖くないと言えば嘘になるけれど、そこは当然の報いとして諦めるべきか。

 私がただのむくろとなってしまえば、強情な彼も諦めて母なる彼女の元へと戻るでしょう。約束を果たさせてあげられないのは可哀想だけど……。


「ごめんなさい。もう、疲れた」


 頭の中が酷く乱れて、さっきからずっと落ち着かないの。


「ルーナ!」


 迫り来る漆黒と、別の一体を斬り伏せてこちらへ振り向くカノンを最後に、目蓋を落とした。


 砂を蹴る獣の足音と、獰猛な息遣いが耳を掠める。距離にして数歩。

 あの大口で、一思いに心臓でも破いてくれれば良いのだけれど。


 煩い鼓動は、数え歌でも唄えば気が紛れるかと思った所で、突如として強烈な冷気に晒された。


「……」


 足音は止まったが、獣の息は鳴り止まない。けれど、暫し間を置いて、何やら悲痛な鳴き声に変わりゆく。


 予測していた時を少しばかり過ぎた頃、好奇心に負け、遂には目を開いてしまった。それと同時に、目前で氷塊と成り果てた獣の体が分断され、氷漬けを免れたであろう口からは断末魔の悲鳴が放たれる。


 倒れゆく獣の陰にて、赤く濡れた刀身を伏せているカノン。その周囲で、砂では無い何か粉のようなものが数多に煌めいている。荒く息を吐く口元からは、寒冷地でしか見られない白い呼気。黄色いだけの砂地をあらゆる色彩に染め上げるその姿に、美しさすら感じて目を奪われていた。


 それに浸る間も無く再び私の前へと舞い戻ると、今度は追ってきた獣らに向かって深く息を吸い込む。砂塵から喉を守るよう充てがうマントが、僅かな冷気と共にふわりと風を纏っていた。……まるで、飛翔の術を唱えるキッドのように。


 次いで吐き出された氷の息は、術使いかと見紛う程の吹雪と成りて、並んで迫っていた二体の上半身を凍らせる。前脚が止まれど勢い付いたままのそれを、カノンの剣が迎え撃った。一体は後脚を斬り落とし、もう一体は腿にひと太刀たち入れて、胴体を蹴飛ばす。


「もう戻って。貴方は生きて、どうかその素晴らしい力でセシリアを守って」

「うるさい! ルーナも守る!」


 息を整えつつ、再び私の盾となる。

 いつの間に負っていたのか、膝裏辺りの白い衣服が赤く染まり、ブーツにまで爪痕のような破れがあった。


「竜となれば、その翼でこの場から逃れられる。……いいえ、もうそれしか方法が無い。数が多い上に、向こうからもまだ湧いてきている」

「絶対に置いていかない! カノン怒った! 一緒に戻って、キッド殴ってやる!」


 その言葉に、ふと笑みが漏れ、同時に酷く視界が滲む。


「ふ、く……そうね。私の分もお願いしようかしら」

「一緒に戻るって言ってる! ルーナは自分で殴れ!」


 この期に及んで未だ諦めないのか。

 溜まっていた涙を拭い、いい加減共に死する覚悟を決めようかと思えた時……彼はその大剣を鞘に納め、静かに佇んでいた。


「カノン……」

「もう勝てない」


 背中越しで、憮然と言い放つ。

 唐突な断念に考えあぐねていると、彼は両の手で拳を作り、小さく身構えた。


「竜はだめ。でも、竜なら飛べる」


 そう言い、低く唸り出す。まるで呼応するように、マントが揺らめいた。

 声は徐々に振り立てられ、囲む獣らへの威嚇となる。……また、氷の息であろうか。


 風を受け、背中越しのマントが膨らみ続ける。同時に、何かが軋むような音が響いていた。


「カ……」


 名を呼ぶのに戸惑いを感じる程、その背が大きく盛り上がる。


 本当に風……? 


 軋む音は恐らく、衣服の破れによるものだろう。まさかと思った次の瞬間、上着を突き破り、マントの側面を縫って、空色の翼が勢い良く飛び出す。


「な、ん……」


 成体に及ばずとも子竜の時とは比べ物にならぬ程の大翼が、人型の背から天に向かい、伸びていた。


「竜なら飛べる!」


 叫ぶままに、こちらへと振り向く。既視感のようなそれに一歩後退するも、突進の如く抱き締められ、大きく翼を煽る。未知で無いにせよ、生やしたばかりのそれが自在に動くとは思えない。それでも、力強く羽ばたかせながら、彼は傷を負っているはずの足で駆け出していた。


「ひ!」


 けれど、予想を遥かに超える早さで下方に風を取り込み、二人共に浮き上がる。既にその身は倒れそうな程に傾き、翼に全体重をも掛ける勢いであった。


「まっ……カノン!」


 久しく忘れていた感覚に、身が強張る。飛翔の術よりも心許無いそれは、恐怖心をも多大に煽っていた。


「が、ううぅギュグウゥ、グルゥゥ」


 低空ながらも速度を増し、追い掛けてくる獣らを突き放していく。喉の奥で何か……おおよそヒトには出せぬ類の声を発していた。


「グゥゥ……グルゥゥ! グルガオオォォォ!」

「!」


 紛う事無き竜の咆哮が、青年の姿にて吐き出される。それを機とするかのように、強風を受けて大きく上空へと舞い上がった。


「ギャワゥ! ギュ……、できた! ルーナ見て、飛べた!」

「……そ、そう……」


 ひとたび翼を煽り、やや滑空しながら再び風に乗って、更に高く舞う。飛び方は無論の事、風の流れを読めるらしい種族である事に変わりは無いようであった。


 暫し大きく旋回した後、戸惑いながら一方向へと向かい始める。上空となれど、砂塵が視界を遮っている。覆われる前ですら辛うじて見えるだけであった町など、瞬時に把握出来ぬのであろう。


「色の違う陸が見える。町じゃないけど、あそこに降りる」

「……相分かった」


 しがみ付いた肩越しで、小さく頷く。

 もはや従うしかあるまい。見事なまでの救い振りであったのだ。私がどれほど突き放そうとも、彼はセシリアとの約束を果たす。


 けれど、この先の旅をどう進もうか。キッドなくして三人。どうしても考える事が出来ない。


「……そうか、殴れば良いのか」


 願望ばかりを連ね、ひたすら我儘になって、あの腕を引き続けて……。


 関わらねばただ野垂れ死んだ吸血鬼を、寄り集いここまで生かしたのだ。最後まで責任を取ってもらおう。幾度拒絶しても付いてきた其れに、今度は私が成ってやる。


「カノン、ありがとう」


 呟き、その後頭部を撫でる。指先が膨らんだ瘤に触れた。


「傷……負わせてしまって、ごめんなさい」

「気にするな。カノン強い」


 それを示すかの如く、大きな翼がひとたび力強く羽ばたく。ひたすらに無垢なその心は、我が内に開いてしまった歪みを優しく緩やかに埋めていってくれるようであった。


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