2.五大・二の陸 【緑の地】

-1- 不快

 全く、あのようなじょくは生まれて初めてだ! つまらぬ話を延々えんえんとした挙げ句、最後にはアレか! あの男の発言にむしが走った反面、完全に騙されていた自身にも腹が立つ!


「……くっ」


 船内奥の荷物置き場。

 乗客など誰一人として存在せぬその空間の端で、私は一人舌を打ち、顔を上気させていた。

 早々に忘れてしまおうと思う程に、怒りが鮮明に沸き起こる。






 ――「しっかし、あんたもよく城になんて侵入出来たよなぁ」


 ふと触れた話題に乗せ、キッドはそう口走った。


「……は?」


 何の話かと、間の抜けた声で聞き返す。


「そりゃ金には困んねぇはずだわ。手荷物無いように見えるけど、換金はもう済ませた? 余り目立たない系列の服装つったって、それも一緒に手放すべきだったんじゃね? 旅に赤い靴は無いだろ」


 その苦笑と言葉の意味を、脳内で反芻させながら思案する。……何を、抜かしているのであろうか。


「ああ、いーのいーの。昨晩の事件に乗じてのダル城金品強奪とかだろ。何人か入ったみたいだし。それはさすがに町人も許さなかったから捕まってたけど……心配しなくても黙っててやるって」

「……」


 返す言葉さえ見つからず、ただ……ただ呆けるしか無い。


「その代わりだ、口止め料としてこっちにも二、三割は当たり前だよな。何ならそのマントでも良いけど」


 時をきざむ毎に、じわりと滲むような怒りが込み上げてくるのを確信する。


「貴様は本当に……不快にさせるわざたくみだな」

「ん? なに?」


 怒りはすぐさま頂点へと達し、据わり切った目で強く、軽薄なその顔をにらみ付けた。


「私を賊扱いとは良い度胸だ!」


 たん、と木地の上でひとたび跳ね、腰を落とし、その横腹目掛けて大きく蹴り出してやる。


「ぐほぁっ……!」


 均衡きんこうを失い、大柄な身が面白い程軽快けいかいに宙へと投げ出された。


「!」


 地上まで数十メートルはあろうか。一直線に落ちるなか、悲鳴すら上げぬまま瞬時に手元が動いているのが見えた。


「フューウィングっ!」


 こちらの期待にはえず、その身は残り三、四メートルの空中で停止する。


「……っぶねぇぇぇ!」

「浮遊の術か。魔道士め」


 この場へ舞い上げたしょうの術に比べ、格段に速さは落ちるが、“こういう場面”には適した技である。

 城での訓練中、投げ飛ばした術者らが何度か使用しているのをふと思い出し、やや大きめに舌を打った。


 身を傾け、私も帆柱を蹴る。着地こそ軽やかであったが、思わず表情が歪む程の痛みが足に響く。それに対する怒りもまた、宙で溜息を吐く愚者の所為だと考えると、文句の一つも言わずにはいられなかった。


「素材の価値など知った事では無い! どのような……どのような想いでこの服の受け渡しがあったかなど、お前には知る由も無かろうが……」


 けれど、怒りは間も無く沈静化されてしまう。


「形見を盗品呼ばわりされるとは……夢にも思わなかったぞ」


 自身でも情けない程に、悲しい目を向けていたと思う。

 反論しかけていた口を引き結び、ヤツは素直に頭を下げ、緩りと地へ降り立った。


「え、と……ごめん」


 それと同時に、船内へと踵を返す。


「あっ、おい、ファルト……」

「黙れ! 気安く呼ぶな! これ以上関わると貴様も牙のじきにするぞ!」


 起伏の激しさに驚いてか、言葉を失い呆気に取られるキッド。それを尻目に、哀傷を塗り変える憤慨の面持ちで、私は船内へと向かった――






 ようやっと船着場へ降り立った頃には、既に日も暮れていた。

 しかし、眠る事を知らぬかのように、港の市場には人々がひしめき合っている。


「此処が緑の地、パオの港か?」


 潮風に傷む石畳を踏み締め、一人呟く。

 さて、此処からどのようにして姉上を探し出すか。この地が兵らの捜索から逃れたとも思えぬが、どちらにせよ、人込みを嫌う彼女との再会は望めぬようである。

 とりあえずは情報収集の為、港内の酒場を目指す事にして、街灯の明かりを頼りに店の看板へと視線を巡らせていった。



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