第38話 学園の姫と夜まで過ごす

 この状況を密かに楽しんでいた健人だったが、雨足が一行に弱まらず、外は水浸しのままなので不安になって来た。


「茜さん、大丈夫?」

「何が?」

「気分は?」


 昼過ぎにコーヒーショップに入ったのだから、かれこれ二時間は同じところにいることになる。


「ずっと座っててお尻が痛くなってきた」

「そうだよね。一回りしてきて。戻ってきたら、今度は僕が歩いて来る」

「そうするわ。じゃあ、お先に」


 茜は、同じフロアをぐるりと回り、上の階まで行ってみた。上層階から見る町は、普段とは様子が一変していた。道がまるで川のようになっていて、水が建物の中に入ってきそうな勢いだ。それでも建物の中には水は入らないで、辛うじてとどまっているようだ。歩いている人の足元を見ると、足首まで水につかってしまい、足元は全く見えない。


「もうしばらく雨宿りしていた方がよさそうねえ……それにしてもよく降るわね……」


―――さて、戻ろうかな。


―――でも昼で学校が終わってよかった。


 二人で雨宿りしていても、まだ夜までは時間はたっぷりある。時計を見ると三時ごろになっていた。


「お待たせ!」

「健人も、ちょっと歩いてきて」

「じゃあ、行ってきま~す」


 健人は、書店にふらりと入って新刊書を眺めたり、雑貨店にある商品を眺めた。その時傘が目に入り、茜が来る途中に壊れてしまったことを思い出した。手に取って柄を見ていく。水色の地に黒いドットのある傘が眼に留まった。開いてみると、茜によく似あいそうだった。


―――茜さん、さっき傘を買ってここなかったようだから買っておこうか。


―――でも、この柄でいいかな。


―――う~ん、悩むなあ。


―――他の人のものを選ぶのって、難しい。気に入らなかったら、使ってもらえないかもしれないし。どうしようか。


―――そうなったら、自分で持って帰ればいいや。えいっ!


 その傘を持って、レジに行った。


「茜さん、ただいま。このどう、この傘?」

「へえ、どうって?」

「傘壊れちゃったでしょう」

「あっ、そうだった」


―――それで、健人が買ってくれたの! えっ、えっ、これを~


「どうかなあ。柄が……気に入ってもらえるかどうかわからなかったけど、買ってきたんだ」


 茜は、傘と健人の顔を交互に見た。


「へえ、健人がえらんだのかあ……」

「……ダメかなあ……」

「う~ん。そんなことはない。自分ではあまり選ばない柄ねえ、いいわよ」

「ああ、良かった。使ってくれる?」

「可愛いわね」


―――これが、健人の好みなのね。


 私に似合うからこれを選んだのかあ。


「帰りはこれを使うわ、えへへ……」

「なんだか、照れちゃうな」

「傘まで買ってもらっちゃって、悪いわね」


 柄に関しては、気に入ったのかどうなのか、いまいちよくわからないような反応だが、まあいいだろう。使ってくれるようだし……。


 テーブルの上には、新しいカップと、トレイの上には店内で売られているお菓子が乗っていた。


「ああ、もう一杯買っておいてくれたの。それにお菓子も」

「だって、コーヒー一杯で二時間もいるなんて、どうかなと思って。体が濡れて冷えちゃうから、今度は暖かい紅茶を買っておいた。好みがわからなくて、ちょっと悩んだんだけど、クッキーは好きでしょう?」

「大好物だった」


―――そうなんだ。


―――他の人の好みがわからないから、チョットしたものでも選ぶのは難しい。


 傘を買った時と同じ気持ちで、茜さんはは飲み物とお菓子を選んでくれた。


「いいよ。暖かい飲み物を冷ましながら飲むのもいいものだ。紅茶も好きだし……」

「じゃあ、買っておいてよかった。だいぶ悩んだんだけどね」

「わかるわかる、その気持ち。僕も傘を選ぶとき、そんな気持ちだった」

「またこれで堂々とここにいられるわね」

「茜さん、そんな……のんきなことを言っている状態じゃないかもしれないよ」

「……ああ……そうかな……」


 茜は、ふ~っと息を吐き、紅茶のカップを両手に持ち冷ましながらすすった。


「ふ~~っ、あったか~い」

「う~~ん、これを飲めば、もう少しいられそう。有難~い」


 普段は店員さんが定期的にテーブルを拭きに回っているので、長時間いるのは気が引けるが、今日はこの状況だ。大目に見てくれるだろう。店員さんも外の状況を見て、仕方ないと諦めているようだ。


「緊急事態だね。外も私たちも……」

「そう、だけど茜さんはその割に落ち着いてる」


 ちょっと雨宿りするつもりが、更に数時間が経過してしまった。雨は少しだけ弱まってきて、何とか歩けるようになってきた。


 外はもう暗くなっている。茜さんは、疲れてきたのか、ソファに体を持たせかけて眠っている。そんな姿を見ていると、健人の胸はきゅんとなった。


―――茜さん、俺がここにいなくなっちゃったらどうするんだろう。


―――こんな無防備な姿で、誰かに襲われてしまったら、どうするんだ!


 そう思うと、健人は茜の姿がたまらなく愛おしくなってきた。


―――僕がここで守ってるから……茜さんはこんな姿ができるんだ……。


「うっ」


 体がずるりと、横に倒れそうになり、ふっと目を覚ました。


「あら、健人……う~ん、あたし寝てた?」

「ぐっすり……よ~く、寝てた」

「そんな顔で見ないで」

「アハハハ……別に変な気は起こしてないから」


 茜のジト目に気付き、焦りまくった健人だった。


「もう帰れそうだね」

「そうか。もう帰るのか」

「ずっといるわけにはいかない」

「そうだよね」


 水量が少なくなった道へ、茜はドット柄の傘をさして歩きだした。お揃いのTシャツを着て歩いていると、健人は茜の本当の彼氏になれたような気がして、雨など全く気にならなくなっていた。

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