第28話 学園の姫の浴衣姿にうっとりする

 大失態を演じた次の日、健人は執事見習いの仕事で茜の家に来ていた。執事見習いと言ってもアルバイトの身、屋敷の人たちに命じられれは掃除や皿洗い買い物などの雑用を何でもこなしていた。


 茜は何やら上機嫌で健人に近寄ってきた。昨日の事などすっかり忘れているようだ。


「あたし今日は大変身するから。ちょっと待っててね」

「変身て、何に変身するの?」

「まあ、いいから。健人、驚くかもよお。さあ、直子さんよろしくね」


 そういうと直子さんと一緒に自分の部屋に入って行った。


―――今日はコスプレでもするつもりなんだろうか。


―――アニメの主人公、それともアイドルかな、ひょっとしてメイド、まさかねと想像をめぐらす。


 ジャージから何に着替えるのか楽しみに待っていた。


 ダイニングルームで待っていた僕の前に現れた茜を見て健人の頬はポット赤らんだ。我を忘れた。物凄い衝撃が健人の中に起こった。


―――こんなに美しい茜を見たのは初めてだ……。


「お待たせ! どうお似合う?」

「に、に、に・あ・う・よ……」

「びっくりしちゃってるわね。本当に似合うかな?」

「いつもとあまりにも違うから、お、驚いちゃったんだ!」


―――こんな姿を見て焦らないはずがない。


 浴衣姿の女性はお祭りや夜店で何度も見たことがあるが、唯一無二の美しさだった。外見の美しさにくらっときただけではない。真面目に、真剣に健人は茜に引きつけられていた。簡単に言うと、恋に落ちてしまったのだ。


―――ジャージ姿ですらかなり可愛かったのに、何と浴衣姿に大変身したらこちらは手も足も出なくなる。


 浴衣の柄は白地に淡い紫色のアジサイがパッと花開いたものだった。ピンクと紫のグラデーションが茜の肌に映えてとてつもなく、色っぽいのだ……。


「この柄どうかな」

「アジサイでしょ? 涼しそうでいいよね! ふんわり淡い色で似合ってるし……」

「結構気に入ったのよ。この浴衣初めて着たんだ。いい柄でよかったあ」

「うん。選ぶのもうまい」

それに、着る人がいいから似合ってるし……。


 茜は健人の前でくるりと一回転した。結わえた髪の毛をくるりと丸めて止めているので、首筋からうなじがくっきりと見える。回った時に後姿が見えてうなじが目の前に現れた。そこもきらりと光って見えた。再び心臓がどきっとして、健人のハートは鷲掴みされてしまった。


―――わっ、まずいっ! 


―――でもずっと見ていたい。


―――うなじが綺麗だなあ!


「大人っぽく見える」

「どのくらい?」

「三歳は年上みたいだ」


 というと十八歳ぐらいに見えるってことか。


―――だけど、口が裂けても色っぽいとは言えない。


―――ジャージ姿だから平静を保っていられた僕の気持ちは昂ってきて心臓は口から飛び出しそうだ。


―――もう理性はどこかへ吹き飛んでしまっている。


「今日は、ど、ど、ど、どうして浴衣なんか着たの? あれ、お祭りとかあったかな。それともどこかへお出かけなの? まさか、真行寺が来るんじゃ……」

「それは、無い!」


 健人は、それを聞いてほっとした。


「別に何もないけど、新しい浴衣を買ったから着てみたくなったの」

「ただ着てみたくなっただけなの?」

「まあね。でも、本当はこれから弟の塁と一緒に花火をやろうって相談してたんだ」

「ああ、そうだったんだね。じゃあ、みんなで花火大会だね」

「そんなところ」


―――今日は素晴らしい!!


―――余計な人はいないで家族水入らずで花火大会をするんだ。


―――その中に自分が入っているなんて、最高のシチュエーションだ。


―――天が与えてくれたチャンスだ!!!


 浴衣に描かれたアジサイが、茜さんの体のラインに沿って咲き誇っている。実に綺麗だ。


「それじゃあ、塁も一緒に花火大会をやろう!」

「お、おお。僕が花火とバケツを持ってくよ」

「ありがとう。あたしが着火装置をもっていくねえ。一緒に花火をする相棒がいてよかった!」


―――花火をする相棒か。


―――相棒とはいい響きだなあ。


―――相を愛に置き換えてもいい位だ。


 と変な想像をしていると、茜さんは浮き浮きと下駄を履いてもう玄関で用意している。


「公園へ行こうね。打ち上げ花火もあるから」

「お、おお」


 黒っぽいパンツ姿の健人と浴衣姿の茜に、普段着姿の塁がくっついてきた。小さい子供がいるので心配した直子さんも付き添っている。塁はルンルンとスキップしている。


「今年初の花火大会の始まりね」

「キャッホー!」


 塁もはしゃいでいる。夕食後の時刻だから、普段はそろそろ家に帰る時間だった。健人にとって今日という日は今まで頑張ったご褒美みたいだ。


 辺りはすっかり暗くなり、公園にはすでに人影はなくなっていた。


 街灯がぽつりぽつりと灯り、薄明るい光の下で見る茜さんの顔は輝いていた。瞳は神秘的な色をたたえ部屋で見た時よりさらに色っぽく見えた。


 直子さんがベンチを見つけ、その上に花火を置いた。


「ここに座って始めましょうよ。まずは手持ち花火をやってみる」

「はい、僕が火を付けますね」


 塁君の小さな手に手持ち花火を持たせた。火をつけるとポットそこだけ明るくなりパチパチと音を立てて光の花が咲いた。茜と健人も次々に火をつけた。湿った空気の中で茜さんのアジサイが花火の光に照らされて、ふんわりと花開く。


「こうやって回すと楽し~よ~。ほら、グ~ルグ~ル」

「きゃはは、ははは……」

「まあ、あんまり上にあげると危ないですよ~」


 直子さんも、注意はしているが笑っている。


 健人も、マネしてグルグル回した。


―――楽しかった……。


―――現実の世界なのかがわからなくなるほど楽しくなってきた。

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